理想の「自分像」というべきものがある。
それは、
あるべき自分の姿であり、本来の自分のようなものであり、目指してきた自分のあり方だ

かみさんが元気だった頃。
自分の実際のあり方は、理想の自分と合致していた。
俺はすべてに満足していた。

だが、人間は強欲だ。
俺はさらなる高みを目指した。
そして、
その高みに達するために邁進してきた。

その高みに到達した直後、
俺はさらに「上」を目指すことになった。
さらに「上」を目指すことを強要されたのだ。

そして…
俺が「上」に到達したとたん、
かみさんは癌と診断されてしまった。

それでも「世界」は俺に対し、かみさんの命より、「上」
を目指すことを優先せよ…と命じた。

俺は…
かみさんを救いたかった。
かみさんを守りたかった。
俺にとって一番大切なのは、
かみさんなのだ。

俺は「世界」に反抗し、「世界」と対立し、「
世界」と闘った。

あのとき以来、「世界」と俺との間には、
大きな亀裂が生じてしまった。
そして俺は、
理想としていた自分の姿から離れ始めていった。

だが、
そのことを後悔してはいない。
理想の姿なんかより、
俺にはかみさんの方が大切なんだ。

それなのに、
俺は心の奥底で、いまだに理想の自分に縛られているらしい。
まったく未練がましい。
俺はそんな自分を嗤っている。

そもそも「世界」にとって、
俺は「敵」であり、「反逆者」だ。
本来の自
分に還ろうとしても、「世界」は絶対に俺を赦さない。

・・・

目指してきた自分のあり方と、実際の自分の姿との間には、
大きな齟齬ができてしまった。
でも、それでいいじゃないか…
と思っている。

かみさんに寄り添い、かみさんと濃密な時間を過ごし、
かみさんを看取ったんだ。

それでいい。
それだけで十分だ。

かみさんが一番辛いとき、俺はかみさんの横にいることができたのだ。
それだけで、
俺は生まれてきた甲斐があったんだ。
俺の存在にも意味があったんだ。

だから…
現実を受け入れよう。
すべてを諦めよう。

そして俺は、静かに朽ち果てていこう。

もういい。
俺の「人生」は、かみさんの死とともに終わったんだ。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
にほんブログ村←いつもありがとうございます。ポチッとクリックお願いします。