いつの頃からかは知らないが、人間はヤセ我慢をしなければ生きていけなくなってしまった。

好きなことだけをやっていればいい。
やりたいことだけをやっていればいい。
そんな時代もあったのかもしれないが、いつの頃からか、人間の一生はヤセ我慢の連続になってしまった。

ヤセ我慢をしなくても生きていけるのであれば、人生に意味など考える必要はない。
生きているだけで楽しいからだ。
生きているだけで面白いからだ。

しかし、一生がヤセ我慢の連続ならば、生きていくことは、あまりにも辛すぎる。
死んだほうがマシだ…と思う人々も出てくるはずだ。

それでも人々は、生きていかざるを得ない。

だとすれば、ヤセ我慢をする意味や理由が必要だ。
辛くて、苦しくて、哀しくて、それでも生きていくのなら、そこに意味を見い出したくなるのが人間だ。

・・・

俺もガキの頃からヤセ我慢を強いられてきた。
辛くて、苦しくて、仕方がなかった。

こんなに苦しいのなら、世界を破壊してしまいたいと思っていた。
あるいは、自らを消滅させたいと思っていた。

しかし…
かみさんが意味を与えてくれたのだ。

かみさんと出会った後だって、ヤセ我慢から自由になったわけではない
むしろ以前よりもヤセ我慢をせざるを得ない機会は増えたはずだ。

が、そこには意味があったのだ。

かみさんのため…
かみさんを守りたい…

その想いが、俺に訳の分からない力を与えてくれた。
どんなにヤセ我慢が辛くても、かみさんのためだ…と思えば耐えられた。

そうだ。
ヤセ我慢の連続というクダラナイ人生のあり方に、俺は意味を見い出すことができたのだ。

それ以来、ヤセ我慢は俺の生きがいになった。
それが「大切な家族のためのヤセ我慢」だったからだ。

・・・

今でも俺は、ヤセ我慢をして生きている。
この世界で生きる以上、誰もヤセ我慢から逃れることはできないのだろう。
誰もが自分の家族のために、ヤセ我慢に耐えているのだろう。

しかし…
俺には家族がいない。
った一人の家族は死んでしまった。

それなのに、俺はいまだにヤセ我慢をしなくてはならない。
その結果、何かが得られるわけでもないのに、俺はヤセ我慢を続けている。

いったいこれは何なんだろうか?
いったい何の意味があると言うのだろうか?

自ら命を断つ勇気がないから生きている。
生きる以上、ヤセ我慢は不可欠だ。

しかし、意味を見い出せないヤセ我慢の連続に、俺は辟易してしまうのだ。


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