世の中には不思議な人々がいる。
僕は物事を俯瞰できる人間です!と言ってみたり、私はすべてを鳥瞰できます!と言ってしまう人々だ。

そんなことを自分で言うなんて、恥ずかしくないんだろうか…

そういう人々には、ある種の共通点がある。
だが、ここでは敢えて指摘しない。

ただの「上から目線」にすぎないのだが、自分たちは、すべてを見通すことができる人間だと思い込んでいる。
傍にいたとしたら、きっと鬱陶しい人々に違いない。

人間は悲しい生き物だ。
すべてを鳥瞰できるどころか、自分自身のことさえ見えていない。
それは先日、「自己言及性のパラドックス」という記事で書いたとおりだ。

数学基礎論における「ゲーデルの不完全性定理」や、論理学における「自己言及性のパラドックス」が示すとおり、人間は自分自身の「正体」を見ることが、原理的にできないようになっているのだ。

・・

かみさんが元気だった頃。
俺はかみさんから頻繁に叱られていた。

プーちゃんのそういうところは良くないよ!
そういうこと、しちゃダメだよ!

かみさんの言葉は厳しいものではあった。
だが、俺に新しい「気づき」や「学び」をもたらしてくれたのも事実だった。

そんなふうにして、かみさんは俺の中にある「歪み」を正してくれたのだろう。

だが…
かみさんは俺を遺して逝ってしまった。

それ以来、俺は誰からも厳しいことを言われない。
反対に、俺も誰かに対して厳しいことは言いづらい。

言ってしまえば壊れてしまう。
そんな希薄な関係においては、お互いに厳しい言葉を飲み込んでしまうものだ。

かみさんだからこそ、俺に厳しいことを言ってくれたのだ。
決して壊れない濃密な関係だからこそ、厳しいことを言ってくれたのだ。

しかし…
今の俺には、俺を叱ってくれる人がいない。
俺は自分の中の「歪み」を認識できなくなってしまったのだ。

そうして次第に俺は崩れていく。
誰かを傷つけ、誰かに憎まれ、誰かに恐れられ、誰かに嘲笑される人間になっていく。

そんなふうに堕ちていきたくはない。
だからこそ、俺はすべてを終わりにしたい…と思うのだ。

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