誰かが占めていた場所がある。
その場所は、誰かの死とともに大きな欠落になってしまう。

俺に言わせれば、欠落は欠落のままでいいんじゃないか…と思う。

だが…
その欠落は、時間の経過とともに埋められていく。

誰かが意図して埋めたわけではない。
ましてや悪意があって埋めてしまったわけでもない。

自然の流れとして、欠落は次第に周囲の人々によって浸潤されていき、いずれは跡形も無くなってしまう。
そして、そこが誰かに占められていた場所であることを示す痕跡さえ無くなってしまう。

時が経ち、その誰かは初めから存在していなかったかのようだ。
誰かが死んでしまったとしても、世界がその様相を変えることはない…ということなのだろう。

こんなに哀しいことはない。

だが、それ自体は不条理なことでも何でもないのかもしれない。
ごくごくありふれた、日常の風景なのかもしれない。

しかし…
誰にだって、大切な人がいるだろう。
誰にだって、自分とすべてを共有してくれる人がいるだろう。
誰にだって、自分の半身だと思える人がいるだろう。

誰にだって、お互いの境界線が曖昧になり、自分と「ひとつ」になってしまったような人がいるだろう。
誰にだって、自分を犠牲にしてでも守りたい人がいるだろう。

それは決して失ってはならないものだ。
それにもかかわらず、「自分を犠牲にしてでも守りたい人」を喪ってしまった者たちがいる。

そこにはやはり、大きな欠落が生まれる。
その欠落が意識されている間、周囲の人々も、涙を流して悲しみながら、亡くなった人の思い出を語るだろう。

だが、自然の成り行きとして、欠落は埋められていき、その人の存在した痕跡は消えていくのだ。
死者は忘れ去られ、語られることもなくなっていくのだ。

しかし…
亡くなった人のことを、「自分を犠牲にしてでも守りたい」と思っていた者たちが遺されている。

その遺された者たちだけは…
たとえ欠落が埋められて、痕跡が消えてしまったとしても、決して死者を忘れることはないのだ。


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