現在2月5日の午前6時31分。
いつものとおり、通勤電車の中でブログの記事を書いている。

かみさんを喪ってから、かなりの時間が経過しているはずだ。
だが、「かなりの時間」とは言っても、あくまで「こよみ」の上でのことだ。
俺の体感としては、「かみさんの死の瞬間から、時間が止まってしまった」。
どうやら時間の感覚が壊れてしまったらしい。

アインシュタインの「一般相対性理論」に従うと、「質量(あるいはエネルギー)」が分布していれば、「時間と空間」に歪みが生ずる。
その時間と空間の歪みが「重力」を生む。
そして、重力が大きいほど「時間」の流れは遅くなる。

俺の感情は大きな質量を持っている。
かみさんを喪った悲しみだ。
ひとりぼっちの淋しさだ。
かみさんのいない世界で生きる虚しさだ。

悲しみや淋しさ、虚しさの質量が、大きな重力の源になっているのかもしれない。
時間の流れがこんなにゆっくりなのは、俺が大きな重力場に堕ちてしまったからなのかもしれない。

しかし…
それは俺だけの体感にすぎない。
確かに時間は経過している。

一般相対性理論によれば、人によって「時間」の流れの速度は異なっている。
だが、時間が止まっているのは俺の「精神」であり、「肉体」の時間は普通の人々と同様に流れているのだろう。

なぜなら俺は、自分の老化を実感しているからだ。

・・・

俺の老化現象は、睡眠の質に現れている。
最近は熟睡できる日が減ってきたような気がするのだ。

かみさんが亡くなってから飲み続けている睡眠薬には、今でもお世話になっている。
それなのに、目覚めたときに、熟睡感を得られていないことが増えてきた。
寝付きは悪くないのだが、深く眠れないし、長く眠ることもできない日が多くなってきたのだ。

浅い眠りの中で、俺は夢を見てばかりいる。
たまにであるが、かみさんの夢を見る

優しくて、穏やかで、やわらかい夢なのだ。
そんな翌朝の気分は爽快だ。

しかし…
あくまでも「たまに」なのだ。
大体において、俺が見ているのは悪夢ばかりなのだ。

目覚めてみると、悪い夢を見た…という記憶が残っている。
とても不快で嫌な気分だ。
だが、どんな夢を見たのかは忘れてしまっている。

俺は夢の内容を思い出そうとする。
思い出せれば、不快な気分からも自由になれるような気がするからだ。

夢の内容の断片だけは蘇ってくる。
しかし、夢のストーリー全体を思い出すことはできない。

結局、不快な気分を抱えたままで、俺は会社に向かわなければならない。

・・・

かみさんが亡くなって、俺の中に巨大な質量を持つ悲しみが生まれてしまった。
その質量が強大な重力を生みだしている。
俺の時間は止まってしまったはずだ。

それなのに、老化は確実に進行し、俺の安眠を妨げるようになってきた。
悪夢ばかりを見るようになってしまった。

かみさんのいない余生の中で。
眠っている間だけは悲しくないし、淋しくもないし、虚しくもないと思っていた。
俺が穏やかな気持ちになれるのは、眠っている間だけだと思っていた。

しかし…
その穏やかな時間を「悪夢」が侵しつつある。
老化に伴う浅い眠りが、俺を悪夢にいざなうのだ。

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