学校や会社で起こっているイジメをテーマにしたドキュメンタリー番組があった。
それを見ている会社員のAさんがいた。

Aさんはドキュメンタリー番組を見ながら泣いていた。
番組に出ていたイジメられている人たちの姿が不憫だったからだろう。
イジメられている人々の心の傷を推し量れるだけの想像力は持っていたらしい。

その番組を見た翌朝、Aさんはいつものとおり、会社に行った。
そしていつものとおり、朝から会社の後輩をイジメていた。
Aさんは下卑た笑みを浮かべながら、後輩のへのイジメを楽しんでいた。

イジメを否定する番組を見て泣いてはいたが、Aさん自身がイジメの加害者だったのだ。

・・・

Bさんには3歳くらいの小さな子どもがいる。
Bさんは毎日のように、夕方のニュースを見て心を痛めていた。
小さな子どもが親に虐待されて亡くなったというニュースが増えているからだ。

小さな子どもが親に殴られ、首を絞められ、言葉の暴力で潰されている。
その姿が痛々しくて、Bさんはニュースを見ながら咽び泣いていた。

Bさんが泣いているとき、玄関の外ではBさんの子どもが泣き叫んでいた。
Bさんは情緒が不安定で、機嫌が悪くなると、子どもを殴ったり、家から閉め出したりするのだ。

Bさんの子どもは寒空の下で泣いていた。
子どもの泣き声を聞き、Bさんはある種の快感を覚えていた。

虐待を否定するニュースを見て泣いてはいたが、Bさん自身が虐待の加害者だったのだ。

・・・

Cさんは映画を見るのが大好きだ。
その中には死別がテーマの映画も少なくない。

妻に先立たれた男性の、とても哀しげで、淋しげな日常…
恋人を亡くしてしまい、立ち直れずにいる女性の姿…
子どもを亡くした上に、余命いくばくもない妻を一人で死なせることが忍びなく、妻と一緒に逝くことを選んだ男性…

それらを見てCさんは涙をボロボロ流していた。

そんなCさんが、某巨大掲示板の中にある死別者たちのコミュニティを見つけた。
Cさんは伴侶や子どもを亡くした者たちの 悲痛な叫びを一つひとつ読んでいった。

Cさんはニヤニヤと嗤っていた。
死別者たちの悲しみの声を嘲笑っていたのだ。

そのうち読んでいるだけでは物足りなくなった。
伴侶を亡くした女性が「死にたい…」と呟いたとき、Cさんは「勝手に死ねよ」と書き込んだ。

死別にまつわる映画を見て泣いてはいたが、Cさんは最愛の人を亡くした者たちの心の痛みを弄んだのだ。

・・

これらの他にも同じような事例がある。
人間なんて、こんなものなのだ。
思っていることと、実際にやっていることとは違うのだ。

自分は優しい人間だ…と思い込むことは誰でもできる。
だが、本当に優しい人間になるのは、そんなに簡単なことではない。

自分は器量の大きな人間だ…と思い込むことは誰でもできる。
しかし、本当に器の大きな人間になるのは、そんなに簡単なことじゃない。

だが…
人間は自分で自分を勝手に評価してしまい、それが真実だと思い込む。
周囲の人々から見れば、イジメや虐待の加害者であろうと、自分で自分を優しい人間だと信じることはできるのだ。

人間なんて、こんなものだ。
世界なんて、こんなものなのだ。

この世は欺瞞に満ちている。

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