誰もが何かを持っている。
他のモノとは違う「特別なモノ」を持っている


決して代替できない何かを持っているということ。
自分の命よりも大切な何かがあるということ。

こんなに嬉しいことはない。
それは、
人間に生きる力と意味とを与えてくれるのだ。

だが、「
特別なモノ」を失ってしまうこともあるらしい。
そんなことがあり得るなんて、想像したこともなかったし、周囲を見回したって、失った人なんて見当たらない。

しかし、
この世界の片隅には、「特別なモノ」を失ってしまった人が蹲っている。
決して俺だけではない。
自分の命を賭してでも守りたい「特別なモノ」を失って、絶望を見てしまった人々がいるのだ。

・・・

他のモノであれば、
失ったって大したことはない。
失った当人は、
ちょっぴり悲しいかもしれないけれど、悲しいのは失った直後だけだ。

自分は「特別なモノ」を失ったんだ…と思い込んではいるけれど、それは決して「特別なモノ」ではなく、代わりはいくらだってあるんだろう。

失っては新しいモノを探し、
また失っては代わりを見つける。
そうやって、かつては「
特別なモノ」だと思われていたモノは、棄てられて、忘れ去られていくのだ。

・・・

人間にとって、「特別なモノ」
を見つけられることは、とても幸せなことだと思う。
だが、
いずれは「特別なモノ」も失われてしまうのだとしたら、「特別なモノ」を手に入れることは、不幸の始まりなのかもしれない。

むしろ、「特別なモノ」
を持っている者たちよりも、いくらでも代わりの利くモノだけを持っている者たちのほうが、安楽な人生を送っていけるような気がする。

そうだ。
人間は、あまり入れ込み過ぎないほうが良いのだ。
人間は、「特別なモノ」なんか持たないほうがいいのだ。

何事も淡白にやり過ごし、何物にも執着せず、何者をも愛さない。
そんなふうに生きていく方が楽なのだろう。

象に踏み潰された我が子の死体を食うメスライオンを見たことがある。
しょせんは動物に過ぎない人間ならば、そんな生き方だってできるはずだ。

愛することがなければ、悲しむこともないのだろう。

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