夫にとって、妻の役割ってなんだろう。
俺にとって、かみさんの役目ってなんだろう。

食事の支度をしてくれること?
洗濯や掃除をしてくれること?
その他、家事全般を引き受けてくれること?

違うような気がする。

妻にとって、夫の役割ってなんだろう。
かみさんにとって、俺の役目ってなんだろう。

会社で働いてカネを稼いでくること?
休日には家族サービスをしたり、海外旅行に連れて行ってあげたりすること?
家事を手伝ってあげること?

やはり違うような気がする。

かみさんにとって、俺の役目は「いる」ことなんだと思う。
俺にとって、かみさんの役目は「いる」ことなんだと思う。

何をしてくれなくてもいい。
何をしてあげなくてもいい。

ただ、そこに「いる」。
ただ、そばに「いる」。

それだけで十分だ。
それだけで幸せだ。

きっと、「いる」ことこそが、伴侶の役割なんだと思う。

・・・

かみさんが入院中、俺はいつでもかみさんのそばに「いた」。

かみさんを死の恐怖から守りたかったからだ。
かみさんに安心をあげたかったからだ。

かみさんに生きる気力をあげたかったからだ。
かみさんに未来を信じて欲しかったからだ。

俺が「いる」という、たったそれっぽっちのことで、かみさんが笑顔を絶やさずにいてくれたことは嬉しい。

また、俺がかみさんのそばに「いた」ということは、逆の見方をすれば、かみさんが俺のそばに「いてくれた」ということでもある。
たとえ癌に侵されていようとも、死が迫っていようとも、かみさんは俺のそばに「いてくれた」のだ。

たったそれだけのことなのに、かみさんが俺の傍に「いる」というだけで、俺は希望を持ち続けることができた。
かみさんと俺との穏やかな未来を信じ続けることができた。

かみさんが存在しているということが、俺の生きる気力の源泉だったのだ。

・・・

なのに、かみさんは死んじゃった。
かみさんはもう「いない」。

ひょっとしたら、見えない姿で俺のそばに「いる」のかもしれない。
だが、やはり見えないのはさみしいし、かなしい。
見えないから、「いる」という確信も得られないのだ。

だが、俺はかみさんの伴侶だ。
俺はこれからもずっと、かみさんの傍に「いる」。
かみさんが傍に「いなくても」、俺はかみさんの傍に「いる」。

それが…
かみさんの伴侶である俺の役割なんだと思う。

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