かみさんが亡くなってから、ごく最近までのことだ。
俺の中を占めていたのは、かみさんを喪った哀しみだった。
ひとりぼっちで生きる淋しさだった。

それらが消滅したわけではない。
今でも確かに「ここ」にあり、俺の中で疼いている。

数ヶ月ほど前からだろうか。
そこに新たなモノが混ざり始めたようだ。

それは当初、明確な形を持ってはおらず、輪郭をつかむことができなかったため、俺自身にも正体が分からなかった。

だが、ここ数日、まるで霧が晴れたかのように、それは姿を現した。
その正体は「恐怖」だ。

ウィスキーを飲んだり、精神安定剤を飲んだら治まるような、原因不明の(と言うより、原因そのものがない)不安感ではない。
明らかな対象を持った「恐怖」が生まれたのだ。

・・・

かみさんが亡くなってから最初の数年間。
俺は自分も近い将来、死ねるだろう…と確信していた。
すぐに後を追えるから、苦しいのは今だけだ…と思っていた。

そうやって自分をなんとか支えてきたのだ。
それなのに、俺は今日まで生き延びてしまった。

その間、世界は大きく変わった。
以前から予想されてはいたものの、その大きな変化は目の前に迫っている。

人口は減っていくだろう。
生産も消費も含め、経済活動の規模は縮小していくだろう。
一部には、年金財政が火の車だとも言う人もいるらしい。

もはや悠々自適の老後は望めない。
死ぬまで働け…と言う人もいるらしい。

かみさんを亡くした俺は、世界を憎悪した。
その結果、世界は俺に報復するかもしれない。

われわれを待っているのは、そんな悪夢のような未来なのだ。

そのような未来像が、俺の中でリアリティを持ち始めてしまった。
それが「恐怖」の生まれた瞬間だった。

・・・

かみさんはいつも言っていた。

おじいちゃん、おばあちゃんになっても、二人で一緒に散歩をしよう…
おじいちゃん、おばあちゃんになっても、二人で一緒に温泉に行こう…
おじいちゃん、おばあちゃんになっても、二人で一緒に毎年、旅行をしよう…

そして…
二人で一緒に死ねたらいいね…
死ぬときは二人一緒がいいね…

これが俺たち夫婦の老後だったはずだ。

しかし…
かみさんの死によって、それらの夢は断たれてしまった。

それでも仕方がない。
せめて穏やかな老後を過ごしたい。

哀しくてもいい。
淋しくてもいい。
ただ穏やかならば、それでいい。

だが…
そんな些細な願いでさえも、叶うことはなさそうだ。

どうやら俺を待っているのは、悪夢のような未来なのだ。

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