かみさんが元気だった頃だって、いつでも俺は走り続けてきた。
っていれば疲れるが、必ずゴールは見えていた。
それは土日や祭日
であり、年末年始やゴールデンウィーク、夏休みだった。

ゴールの手前には、かみさんがいた。
走り続ける俺を、
かみさんはいつでも待っていてくれた。

ゴールに着けば、
しばしの間の休息だ。
かみさんと一緒にお茶でも飲みながら、
ホッと息をついた。

何か特別なことがあったわけではない。
だが、
かみさんも俺も、いつだって笑顔だった。

しばしの休息のあと、
俺は立ち上がり、また走り始めなければならない。
しかし、
次のゴールの手前にも、かみさんが待ってくれている。

そんなことの繰り返しではあった。
単調な日々の繰り返しではあっ
た。

それでも俺は、人生を楽しんでいた。
かみさんと過ごす「
しばしの間の休息」が、俺を幸せいっぱいにしてくれた。

・・・

みさんが亡くなったあとも、俺はずっと走り続けている。
かみさん
がいた頃と違うのは、「しばしの間の休息」がないことだ。
ホッとする時間がないことだ。

別に長距離走が好きになったわけで
はない。
走り続けたところでランナーズ・
ハイが得られるわけでもない。
単にゴールが見
えないから走らざるを得ないのだ。

おかげで俺の身体にも、少しず
つガタが来ている。
かみさんが癌だと診断された「あの日」から、
ひたすら走り続けてきた結果だ。
年を取ったせいでもあるんだろうが、
俺の身体は徐々に崩れている。

疲れてしまったな…と思う。
もう走るのはやめて、立ち止まりたいな…と思う。

しかし…
休暇を
取って会社を休んでも、休息にはならない。
週末に朝から自宅で酒
を飲んでも、休息にはならない。

たぶん生きているかぎり、
休息は決して無いのだろう。

本当に疲れてしまった。
いつになったら終わるのか…と思い、なんだか気が遠くなってしまったのだ。

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