辛いことがたくさんだ。
逃げ出したくもなるし、強い酒を浴びて忘
れてしまいたくもなる。

人間以外の動物たちならば、
とっくに逃げ出しているだろう。
彼らは自分の気持ちに正直だから
だ。

不快なモノを我慢したりはしない。
さっさと走って逃げていく。

彼らが苦しい状況から逃げ出さず、
辛いことにも耐えるのは、自分の家族を守るときぐらいではないだろうか。

その点では人間も同じだ。
伴侶を守るため、子どもを守る
ためならば、どんなに苦しい状況にも耐えられる。
最愛の人
を守るためならば、自分の命でさえ棄てかねない。

人間も動物たち
も、そういうところは同じだろう。

しかし、人間は余計な責任感と義務
感とを持っている。
自分のいちばん大切な人を守るために必要なこ
とではないにも関わらず、人間は辛いことから逃げ出さない。

逃げ
れば自由になれるのに、人間は生まれた瞬間から耐え続け、次第に年を取り、そして死んでいくんだ。
そういう人間の「下世話な責任感」
は、人間という「種」が地球環境に適応し、「種」として繁栄するためには必要だったのだろう。

だが…
あまりにも「個」
が軽視されすぎていないだろうか。

人間という「種」を維持する上
では不可欠な責任感なのかもしれないが、それらは「個々の人間」の犠牲の上に成り立っている。

・・・

7月3日の午前5時50分を過ぎたこ
ろ。
俺はかみさんの仏壇の前に座っていた。

そして「泣きべそ」を
かいてしまった。

涙が出たわけではないし、叫んだわけでもない。
それなのに「泣きべそ」というのは違和感を覚えるかもしれない。

だか、無性に泣きたくなってしまったのだ。
自分の顔を表情が歪ん
でいることに気が付いたのだ。

俺は泣かなかったけど、どうしても
逃げ出したくて、かみさんの前で「泣きべそ」をかいたのだ。

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