いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

カテゴリ : 容ちゃんは俺の「中」にいる

時間が経過するにしたがって、記憶は次第に薄れていくのかもしれない。
手放すまいとは思っても、「それ」は俺から離れていくのかもしれない。
必死で手繰り寄せようとはするけれど、「それ」は決して戻って来ないのかもしれない。

想い出したいとは思っても、想い出すことができない。
どこか遠くに行ってしまったんだろうか。
それとも「無」
になってしまったんだろうか。

いずれにしても、とても哀しい。

だが…
それは突然やってくる。
俺の意思とは無関係に、
かみさんは突然やってくるのだ。

想い出そうとはしても、
想い出すことはできなくなりつつある。
だが、想い出そうとはしなくても、
かみさんの記憶は突然に蘇ってくるのだ。

かみさんと出逢った時の記憶。
かみさんと一緒に暮らした20年間の記憶。

そして…
かみさんが闘病中の、二人の濃密な時間の記憶。
二人が「ひとつ」
になり、絆を確かめ合った「最期の日々」の記憶。

それらの記憶が噴き出してくることがあるのだ。
俺の意思とは無関係に…だ。

だが、俺は泣かない。
2年くらい前なら泣きじゃくっていただろうが、今の俺は泣かない。

しかし、
かみさんと一緒にいた日々の記憶に全身を委ねるとき、俺はかみさんを身近に感じることができる。
かみさんが俺の「中」にいるような温かさを覚えるのだ。

そうだ。
かみさんは俺の傍にいる。

いつでも傍にいるわけではないかもしれない。
でも、
時折かみさんは、俺に寄り添ってくれる。
そのとき俺は、
かみさんの存在をリアルに感じることができる。

想い出そうとしても想い出せないが、想い出そうとしなくても、
かみさんは俺の傍にやってくる。

そして彼女は…
俺の心に触れてくれるんだ。

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かみさんが元気だったころ。
俺は「ひとり飲み」
なんてしたことはない。

ひとりで居酒屋に入るなんて嫌だった。
ひとりっきりで飲みたいなんて思ったこともない。

酒を飲む機会と言えば、自宅で晩酌するほかは、会社の同僚
たちと飲みに行くか、休日にかみさんと二人で飲みに行くだけだった。

ちなみに一番楽しかったのは、
金曜や土曜の夜にかみさんと二人で飲むことだった。
築地の寿司屋や有楽町の串焼き屋、銀座の中華料理や豊洲の焼肉屋なんかでかみさんと一緒に飲むのが一番好きだった。

・・・

俺が「ひとり飲み」をするようになったのは、
かみさんが亡くなってからだ。

かみさんの49日法要の直前。
かみさんのお位牌を買うために仏具店に行った。

仏具店は浅草に近い。
浅草には、有名な「神谷バー」がある。

かみさんは、俺と二人で「神谷バー」で飲むのが好きだった

俺は仏具店で位牌を受け取ったあと、「
容ちゃんを神谷バーに連れて行ってあげたいな…」と想った。

かみさんが亡くなった直後のことだ。
いつでも、
どこでも涙が噴き出してしまう。
そんな状況でありながら、
俺はかみさんの位牌を胸に抱き、うつむいて涙を隠しながら「神谷バー」に向かった。

俺が「
ひとり飲み」をしたのは、この日が初めてだ。
涙を堪えつつ、
それでも涙が溢れた。

もう二度と、
容ちゃんと一緒に飲むことはできないんだ。
その現実が悲しくて、
寂しくて、切なくて、やるせなかった。

・・・

あの日以来、すっかり「
ひとり飲み」が板についてしまった。

だが、俺は「ひとり」
ではないのかもしれない。
飲みに行くときは、
かみさんのお位牌も一緒だし、遺骨ペンダントも肌身離さず身につけている。

もしそれらがなくても、
かみさんは俺の傍にいるのかもしれないし、ひょっとしたら、かみさんは俺の「中」にいるのかもしれない。

だとしたら、「
ひとり飲み」だけど「ひとり」じゃないのかもしれない。

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死んだ人には、もう会えない。
この世で会えないのは当然として、あの世なんてモノもありはしない。

いつか会えることだけを希望にして生きてきた。
だが、その希望が叶えられることはない。

未来には絶望だけが待っている。
死後には「無」だけが待っている。

俺は永久にかみさんを喪ってしまったんだ。

ときおり俺は、そんな考えに取りつかれてしまう。
すると、頭をガツンと殴られたような衝撃を受ける。
かみさんが息を引き取った瞬間の、あの絶望感を再び味わうことになる。

あの世でかみさんと再会すること。
それは俺のたった一つの望みだ。
しかし、会えないのなら、俺にはもう何にもない。

あの世があるという確証はない。
故人の魂が生きているという実感もない。

だが…
その逆も然りであって、あの世がないという証拠もないし、魂なんて存在しないという確信もない。

いずれが正しいのか。
俺は普段、曖昧にしている。
かみさんが亡くなった直後の数年間は、あの世と魂を求めて彷徨ってきたけれど、今では答えを出すことを保留している。

探しても見つからないからだ。
求めても掴めないからだ。

そうだ。
俺は確信を得ることを諦めてしまった…のかもしれない。

しかし…
それでも魂がないとは言い切れない。
あの世がないとも言い切れない。

それらは恐らく知るものではないのだ…と思う。
かいまみるものであり、感じるものなのだ…と思う。

ときおり俺も感じることがある。
かみさんが俺の「中」にいる…
そんな気がすることがある。

あの感覚があるからこそ…
俺はギリギリのところで踏みとどまっている。


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かみさんはおしゃべりが大好きだった。
二人で散歩をしていると、かみさんはずっとしゃべっていた。
休日や旅行先などでは、俺を相手に1日中しゃべっていた。

とりわけ好きだったのは、仕事を終えて帰宅した俺に、その日1日の出来事を話して聞かせることだった。

かみさんは専業主婦だったため、時間の余裕はたっぷりあった。
俺が会社に行くのを見送ったあと、かみさんは好きなことをして過ごしていた。

映画を観に行くこともあった。
ひとりで散歩をすることもあった。

買い物に出かけることもあった。
同じマンションの奥様たちとランチに行くこともあった

こんな楽しい時間を自分だけで独占しておくのはもったいない。
プーちゃんにも教えてあげよう。


それがかみさんの性分だった。

俺が帰宅すると、かみさんは楽しかった1日のことを語って聴かせてくれた。
俺が残業で深夜に帰宅しても同様だった。

かみさんはちょっぴり興奮気味で、身振り手振りを交えながら話を聞かせてくれた。
そんなかみさんのことが、とても愛おしかったのだ。

・・・

かみさんは俺とすべてを共有しようとしてくれた。
楽しかったことはもちろんだが、それだけではない。
悲しいことも、腹の立つことも、あらゆることを俺とシェアしてくれた。

すべてを共有しようとする彼女の想いを通じ、かみさんの自我と俺の自我とが溶け合っていった。
そして、かみさんと俺とは二人で一つになった。

だが…
かみさんは死んでしまった。

しかし…
俺たち二人は今でも大切なものを共有していると思うのだ。

それは、共に暮らした20年間の優しい記憶だ。
悪夢のような俺の人生の中で、あの20年間だけは確かに輝いている

あの優しい記憶は、かみさんと俺との絆の証だ。
あの記憶が失われない限り、かみさんと俺の絆も失われてはいないのだ。

そうだ。
かみさんは死んじゃったけど、俺の中では生きている。

そんなふうに思えるのは、かみさんがすべてを共有しようとしてくれたからなのだ。


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人間って不思議な生き物だ。

この世で一番大好きな人を喪って、もはや何も残されていなくても、愛する人を心の奥底で想うだけで、ほんの一瞬であるにしろ、幸せな気持ちになることができる。

愛する人の名前をつぶやけば、心に温かいものが広がったりもする。

愛する人を想い描き、その姿を抱きしめれば、至福の時を過ごすことができる。

愛する人に想いを馳せ、愛する人に声を掛け、愛する人を抱きしめること。
それは、死者との新たな絆を模索するうえで、とても大切な作業なのかもしれない。

・・・

目を閉じれば、そこにはかみさんがいる。

俺が笑顔になれば、かみさんも笑顔で俺を見つめてくれる。

俺が「容ちゃん…」と呼びかければ、かみさんは「プーちゃん…」と優しく応えてくれるような気もする。

俺がかみさんを抱きしめれば、かみさんは満面の笑顔で受けとめてくれる。

だが、悲しみを抱きつつ、かみさんに想いを馳せれば、かみさんも悲しんでいるのかもしれないな…なんて思ったりもする。

悲しみを消すことはできない。

寂しさを抑圧することもできない。

だがせめて、かみさんを想うときだけは、悲しみを脇に置き、温かい気持ちでいなければいけないのかもしれない。

そうだ。
温かい気持ちでかみさんを見つめ、温かい気持ちでかみさんに語りかけ、温かい気持ちでかみさんを抱きしめる。

かみさんが元気だった頃と同じ想いで、かみさんと接する。
るで、今でもかみさんが生きているかのように、かみさんと接する。

そうしていれば、いずれの日か、かみさんとの新たな絆が結ばれるのかもしれない。 
 

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