いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

カテゴリ : 複雑性悲嘆

巨大な台風が過ぎ去って、気温は急激に低下した。
日照時間は短くなって、早朝5時に起床しても、外はまだ真っ暗だ。
これから本格的に秋になり、そして冬がやって来るだろう。

かみさんが亡くなってから、ずっと世話になっている心療内科の主治医が言っていた。
こういう気候は鬱(うつ)を悪化させる場合が多いのだそうだ。
今後しばらくの間、鬱の悪化に気を付けたほうがいいとのことだった。

主治医の言葉は俺の心に響かなかった。
気を付けたほうがいいと言われても、いったい何をどう気を付けたらいいんだよ!と心の中でツッコミを入れた。

気温が高かろうと、日照時間が長かろうと、俺が鬱であることに変わりはない。
かみさんが亡くなって以来、俺はずっと鬱に潰されそうになりながら生きてきたのだ。

・・・

かみさんが亡くなってからの数年間。
喪失感に耐えられずに泣いていた。
自分の半身をザックリ裂かれたみたいで泣いていた。
かみさんの気配と痕跡を探して泣いていた。

だが、人前で泣いたことは、ほとんどない。
俺の涙を見たことがあるのは、義母と義弟のK君くらいだったはずだ。

そうだ。
俺は誰にも自分の涙を見せなかった。
俺は誰にも自分の心の中を見せなかった。

かみさんを亡くした悲しみや喪失感を押し殺し、涙を抑圧していたのだ。

悲しみや喪失感を押し殺す。
自分の心身に閉じ込めてしまう。

しかし、閉じ込められても消えたわけではない。
確かに「ここ」にあるものに蓋をして、周囲から見えないように隠しただけだ。

隠しただけであれば、悲しみや喪失感は次第に密度を高めて沸騰していく。
中心部に向かって急速に収縮し、巨大な重力場となって、俺を引きずり込もうとするのだ。

それでも俺は、誰にも涙を見せなかった。

本当は、他人の目を気にせず泣いてしまえばよかったのかもしれない…と思う。
衆人環視の中で、泣き叫んで悲しみを放出してしまえばよかったのかもしれない…と思う。
喪失感に耐えられず、誰彼かまわず助けを求めてしまえばよかったのかもしれない…と思う。

だが、俺は涙を抑圧し続けたのだ。
まるで能面のような無表情で、心の内側を隠し続けたのだ。

この「悲しみや喪失感を隠す」という行為こそ、俺が鬱(うつ)になってしまった原因なのだと思う。

・・・

ひとりぼっちのときは泣き叫んでしまえばいい。
だが、他人の前では決して泣かない。

誰にも見せない。
誰にも聞かせない。
誰にも気づかせない。

俺は徹底的に涙を堪え、感情を押し殺していた。

泣かなかったからと言って、笑えるわけではなかった。
また、普通に会話ができるわけでもなかった。
たぶん周囲の人々からすると、俺の心は”ここにあらず”に見えたはずだ。

あの頃の俺は、確かに茫然自失としていた。
ひとりぼっちのときは泣き叫んで発散していたが、周囲に人がいるとき、俺は鬱状態に沈み込んでいたのだ。

・・・

あれから数年が経ったものの、俺はいまでも鬱を引きずっている。
以前と違うのは、周囲に人がいる時に「普通の人」を演じることができるようになったことだ。
今の俺は、笑うことだってできるし、普通に会話をすることもできる。

本当は笑うのも面倒くさいし、会話をするのも鬱陶しい。
それでも俺は、やはり「普通の人」を演じなければならない。

しかし、ひとりぼっちになったとき、鬱に縊り殺されてしまいそうだ。

死にたくなるんだ。
消えたくなるんだ。

拒絶したくなるんだ。
破壊したくなるんだ。

何故ひとりのときに鬱が酷くなるのだろうか。
主治医に状況を説明したが、今のところ納得のいく診断は下されていない。

だが…
かみさんが亡くなったばかりのころ、俺は悲しみを抑圧すべきではなかったのだろうとは思う。
喪失感を隠すべきではなかったのだろうとも思う。

発散されるべき時に発散されなかった悲しみが、密度を高めて巨大な重力場と化しているのだ。


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この世界には、通り過ぎたら引き返すことのできない境界線がある。
理論物理学者たちは、その境界線を「事象の地平線」と呼んでいる。

その地平線の向こう側は、「重力」も「密度」も「
温度」も無限大であり、「時間」と「空間」は極限まで歪んでいる。
すべての物理法則が破綻してしまう「特異点」だ。

この宇宙の中で、最も速く運動できるのは「光(あるいは電磁波)
」だが、その「光」でさえも、「事象の地平線」の向こう側からは脱出することができない。

かみさんが息を引き取った瞬間。
たぶん俺は、「事象の地平線」
を越えてしまった。

もしも「光」
の速度を越えることができるなら、俺も「事象の地平線」から脱出することができるかもしれない。

だが、アルベルト・
アインシュタインの「特殊相対性理論」が示すとおり、この宇宙の中にいる限り、「光」の速度を越えることは絶対にできない。

だとすれば、俺は決して「
事象の地平線」から脱出することはできない。

俺が「
事象の地平線」を越えてしまったこと。
それが「複雑性悲嘆」
の原因なのかもしれない。

・・・

俺が「複雑性悲嘆」と診断されたことは、以前もブログに書いた
だが、
伴侶やお子さんと死別しても、すべての人が「複雑性悲嘆」に陥るわけではない。

2015年9月7日、NHKの「あさイチ」という番組で放送していたとおり、「
複雑性悲嘆」になってしまう人々には共通点が3つある。

1つ目は、
もともと精神的な結びつきの強かった夫婦が死別してしまった場合

これについては、いちいち細かい説明をする必要はないだろう。
かみさんと俺は、誰もが認めてくれる「仲の良い夫婦」だった。

だが、かみさんと俺は、精神的に密着しすぎていたのかもしれない。
精神的な結びつきの強さは、かみさんの死後、俺に深い傷を残してしまったのは否定できない。

2つ目は、亡くなった人に対して心残りがある場合。

もっと優しくしてあげれば良かった…とか。
もっと良い治療方法があったんじゃないか…とか。

ずっと優しくしていた…という自負はある。
だが、実際に喪ってしまうと、もっともっともっと、優しくしてあげれば良かった…という気持ちは残ってしまうものなのだ。

3つ目は、
幼少期に両親から虐待されたのに、その後に良い伴侶に恵まれて、生まれて初めて安定した人間関係を築くことができたのに、その相手を喪ってしまった場合。

子どもを虐待するような「毒親」っていうのは、本当に惨いものだ。
幼少期の俺は、何度も母親に殺されかけた(俺の妹も、何度も殺されかけた)。
殺されなかったのは、運が良かっただけだ。

だが、テレビでニュースを見ていれば分かるだろう。
毎日のように、両親に虐待されて殺されてしまった子どものことが報道されている。

そんな子どもたちが大人になって、もしも伴侶と死別したら…と思うと心が痛む。

・・・

複雑性悲嘆。
現時点では、精神疾患とは認められていない。
だが、DSM-5で示されたとおり、近い将来、医療的な介入が必要な「悲嘆」であると認められる日も来るだろう。

しかし、医療の介入があったとしても、元に戻ることができるとは思えないのだ。
何故だか分からないが、越えてはならない境界線を越えてしまったような気がするのだ。

境界線を越えたのは、俺自身の意思とは関係ない。
上記の3つの条件は、俺の思いとは無関係に、俺に与えられたものなのだ。

たぶん俺は、「事象の地平線」を越えてしまった。
この世界の中で、最も速い「光」でさえも脱出できない境界線を越えてしまった。
ひょっとすると、俺は引き返せない場所にまで来てしまったのかもしれない。

俺だって立ち直りたいし、前向きに生きたい。
立ち直る…だとか、前向き…だとか、凡庸な言葉だなぁ…と思われてしまうかもしれない。
だが、それでも俺は立ち直りたいと思うんだ。

しかし、「事象の地平線」を越えたなら、立ち直りたい…という意志なんて通用しない。
その地平線は、越えたら決して戻ることはできないからだ。


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かみさんが亡くなって1か月ほどが経ったころ。
俺は心療内科で「抑鬱状態(死別反応、睡眠障害)」と診断された。

その数年後。
某医療系の大学の准教授から「複雑性悲嘆」とも診断された。

あの頃の俺は、誰も見ていないところで、いつでも咽び泣いていた。
かみさんを喪った「悲しみを脇に寄せておく」ことができなくて、日常生活にも支障を来していた。
身を裂かれたような喪失感がまとわりついて、俺はいつでも呆然としていた。

周囲の人々から見れば、俺は明らかに「普通の人」じゃなかったはずだ。

だが…
おそらく一昨年の5月半ばくらいだったはずだ。
俺は「悲しみを脇に寄せておく」ことを覚えた。

なぜ「脇に寄せておく」ことができるようになったのか。
その原因はハッキリしない。
だが、それ以来、人前では明るく元気に振る舞うことができるようになった。

もはや誰も、俺が最愛の家族を喪った「男やもめ」であることを意識していない。
誰もが俺を「普通の人」だと認識している。

それはいい。
部下たちから「あの課長はブッ壊れている」と思われるより、「うちの課長は普通の人だ」と思われているほうが、何かと都合がいいのだ。

しかし…
俺は「普通の人」を演じ過ぎてしまったらしい。
その結果、誰もが俺を「普通の人」だと認め、伴侶と死別した者だということを忘れてしまった。

そして俺は、誰にも「弱音」や「本音」を吐露することができなくなってしまったのだ。

いつだって哀しい
いつだって淋しい。
いつだって苦しい。

だが、その心情を吐き出すことができなくなってしまった。
どうやら俺は、自分で自分の首を絞めてしまっていたらしい。

ひとりぼっちで自宅にいるとき。
俺はかみさんの遺影の前に蹲っている。
時には嗚咽が止まらなくなってしまう。

だが…
そんな俺の本当の姿を、誰も知りはしない。

そうだ。
誰も知らないかもしれないが、俺は今だって「普通の人」じゃないのだ。


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以前にも書いたが、俺は2015年2月、「複雑性悲嘆」と診断された。
診断したのは俺が通院している心療内科の主治医ではない。
某医療系大学で准教授を務めている臨床心理学の博士だった。

ちなみに「複雑性悲嘆」とは、
(1) 死別から6カ月(ないしは1年)以上にわたって激しい悲しみが持続している。
(2) 社会的・職業的な役割が果たせなくなり、日常生活に支障をきたしてしまう。

このような状態を「複雑性悲嘆」と言うそうだ。

現在のところ、精神疾患としては認定されておらず、一部の医療系大学等が「認知行動療法」による治験を行っている程度だが、医療的な介入が必要なのではないか…という議論が行われている。

あの頃の俺は、確かに「複雑性悲嘆」と呼ばれる状態だったのだろう。
上記(1)(2)のいずれにも該当していたからだ

・・・

数年前、NHKの情報番組「あさイチ」が、「複雑性悲嘆」を特集していたことがある。
その際、「複雑性悲嘆」になりやすい人には共通点があるとされていた。

その共通点として、
① 精神的な結びつきが強かった夫婦が死別してしまった場合。
② 亡くなった人に対して心残りがある場合(もっと良い治療方法があったんじゃないか…等々)。
③ 幼少期、親から愛情を十分に受けられなかった人が、とても良い伴侶を得ることができ、生まれて初めて安定した人間関係を築くことができたのに、その相手を亡くしてしまった場合。

以上の3点が挙げられていた。
①から③の共通点を知ったとき、俺は自分が「複雑性悲嘆」と診断される状態になった原因を理解したような気がした。

しかし…
現在の俺は、「複雑性悲嘆」ではないはずだ。
かみさんを亡くした後、俺は通算で3年半も休職したが、すでに俺は会社に復帰し、上記の(2) 社会的・職業的な役割が果たせなくなり、日常生活に支障をきたしてしまう…という状況にはないからだ。

それなのに、(1) 死別から6カ月(ないしは1年)以上にわたって激しい悲しみが持続している…という条件には該当している。

・・・

会社を休職していた頃のこと。
まさか俺が、こんな状態になってしまうなんて考えてもみなかった。

会社に復帰できるようになれば、悲しみも薄れてくるはずだ。
何の根拠も無いのだが、俺はそう確信していた。

俺は会社に戻り、毎日「社会的、職業的な役割」を果たしている。
それにも関わらず、悲しみだけは澱のように溜まっている。
そして、次から次へと噴き出してきて、俺の心身を蝕んでいるのだ。

だが、今の俺ならば、「複雑性悲嘆」と診断されることはないだろう。
社会復帰をしている以上、いくら悲しかろうと、それは「ありふれた悲しみ」に過ぎない。

もはや俺は、医療の介入が必要な対象ではないのだ。

伴侶やお子さんを亡くし、一時は「複雑性悲嘆」になった方も少なくないだろう。
それらの人々が、なんとか社会復帰を果たし、周囲からは「普通の人」とみなされているのかもしれない。

しかし…
それらの人々の中には、深くて大きな悲しみが隠れているのかもしれない…と思うのだ。
たとえ「社会的、職業的な役割」を果たせていたとしても、心の中には深くて大きな悲しみが隠されているのかもしれない…と思うのだ。


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寝不足なわけではないし、前日の夜に酒を飲み過ぎたわけでもない
睡眠導入剤も服用したし、床に就く時間も早かった。

俺は熟睡し
ていたはずなのだ。
それなのに、眠気の抜けない朝を迎えてしまう
ことがある。
頭がボンヤリしているし、
今にも瞼が落ちてきそうだ。

かみさんが亡くなって1か月が経った
ころ。
俺は心療内科で「抑鬱状態(死別反応)」と診断された。
数年後には、某医療系大学の准教授から「複雑性悲嘆との診断を受けた。

それらの症状は、未だに俺の中に残っている。
とりあえずは社会復帰ができたので、今なら「複雑性悲嘆」と判断されることはないだろうが、鬱や不安感を初めとして、どうしようもないほどの悲嘆感、孤独感、さらには睡眠障害に悩まされている

・・・

かみさんが癌だと診断されて以来、熟睡できる日が少な
くなった。
稀に深く眠れるだけで、本当に有り難いと感じる。

熟睡できなくても眠気は残らない日が多い。
しかし、翌
朝に眠気を持ち越してしまう日もあって、そんな日には様々な支障があることも事実なのだ。

何よりも困るのは、思考力や判断力が低下することだ。
俺がどんなに眠かろうと、仕事が止まってくれるはずもない。
部下たちは、次から次へと報告・連絡・相談を持って来る。

そのとき
俺は、自分の判断力の低下を自覚せざるを得ない。
ほんの一瞬、決
断が遅れてしまうのだ。

そんな自分に気づくとき、管理職として最
低だな…と自己嫌悪に陥ってしまう。

・・・

それでも俺は、
翌朝に眠気を持ち越すことが、決して嫌いではない。
この朦朧とした感覚が、俺の心や精神、神経を麻痺させてくれるからだ。
かみさんを喪った哀しみや、かみさんのいない淋しさが、明
らかに薄れているのが分かるからだ。

いつでもボンヤリしていたい

いつでも朦朧としていたい。

しかし…
いずれは普通の日常に帰らなければならない。
そのとき俺は、明晰な意識を取り戻すだろう


その瞬間。
俺は再び過酷な現実を見るだろう。
俺は再び残酷な世界に絶望するだろう


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