20年以上一緒に暮らしている中で、俺は、かみさんの口から何度もこの言葉を聞いた。
プーちゃんも一緒に…
この言葉は、かみさんの口癖のようなものだった。
・・・
かみさんが美味しいものを食べていると、俺にも食べさせてあげたいと想うのだろう。
かみさんは「プーちゃんも一緒に、これ食べな」と言って、自分が食べている物をシェアしてくれた。
かみさんが面白いテレビ番組を見つけると、俺にも見せてあげたいなと想うのだろう。
「プーちゃんも一緒に見てみな」と声をかけてくれた。
天気の良い土日、買い物に出ようとしているかみさんは、「プーちゃんも一緒に買い物に行こうよ」と言った。
観たい映画があれば、「プーちゃんも一緒に観に行こうよ」と誘ってくれた。
かみさんはいつも、「プーちゃんも一緒に…」と言っていた。
・・・
最期にかみさんからこの言葉を聞いたのは、平成22年5月9日のことだったと思う。
かみさんが、癌研有明病院に検査入院をした日だ。
かみさんはベッドに横になり、俺はベッドの脇にある椅子に座っていた。
俺は絶対にかみさんの病気を治す、絶対にかみさんの病気は治るんだと自分に言い聞かせていた。
その一方で、かみさんを喪ってしまうかもしれない、かみさんがいなくなってしまうかもしれないという悲しみと不安を抱えつつ、それを押し殺していた。
かみさんを不安にさせないために、俺は無理に笑顔を作り、かみさんとの他愛ない会話に興じていた。
朝からずっと椅子に座っていたためだろうか、それとも、悲しみや不安を抑圧し、無理に明るく振る舞っていたためだろうか。
俺の精神と肉体に疲労が蓄積していった。
かみさんは、俺が疲れきっていることに気づいてくれたのだろう。
かみさんが言った。
「プーちゃんも寝な…」
「二人で一緒にベッドに横になろうよ」
だが、検査のために入院した部屋は四人部屋だったため、さすがに他の患者さんたちの目も気になるし、看護師さんに見つかったら叱られてしまうだろう。
かみさんに添い寝をすることは憚られた。
俺の記憶に間違いがなければ、かみさんの口から「プーちゃんも一緒に…」という言葉を聞いたのは、この日が最期だったと思う。
・・・
かみさんは笑顔で逝った。
神々しいとしか表現しようのない微笑を浮かべて息を引き取った。
今振り返れば、息を引き取る直前、かみさんが「プーちゃんも一緒に逝こう」と言ってくれれば良かったのに…と想う。
もし言ってくれれば、俺も本当に、一緒に逝くことができたかもしれない。
なぜ言ってくれなかったんだろう。
そのことが切なくて、やるせない。
いつだって、「プーちゃんも一緒に…」と言っていたかみさん。
それなのに、最期だけは「プーちゃんも一緒」とは言ってくれなかった。
そのことが、とてつもなく哀しいのだ。
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