谷崎潤一郎の小説に『春琴抄』というものがあります。この小説は改行がなく、句読点を省略しすぎているために、たいへん読みづらいものです。ただストーリーが魅力的なためか、何度も映画化されています。

あらすじは省略しますので、未読の方には不親切なものになるかもしれません。

『春琴抄』のネット上の感想を見ていると、「深い愛がどうのこうの」とか「サゾやマゾがどうのこうの」とか「官能やエロスがどうのこうの」とか、そういう意見が多く見当たりますが、私にはどうも納得できません。間違っているとは思いませんが、なにか引っかかります。(ただ官能やエロスについてはあまり興味がありません)

私の勘違いかもしれませんが、感想の多くは当時の価値観(封建主義)を考慮していない気がします。春琴が死去したのは明治19年に58歳のときで、例の事件が起きるのが37歳のときなので、明治以前の話なのです。

夏目漱石の『吾輩は猫である』に「今の世は個性中心の世である。一家を主人が代表し、一郡を代官が代表し、一国を領主が代表した時分には、代表者以外の人間には人格はまるでなかった。あっても認められなかった」とあります。私は歴史に詳しくないので確かなことは言えませんが、封建制度があった時代には、人格は無視され、立場により関係が成り立っていたのではないかと思います。例えば、仕事も結婚も親が決めるのが当たり前で、自分で決めようにも、そもそも選択肢がなかったようです。とにかく明治以前の価値観はそういうものだったようです。

さて、春琴と佐助の関係は、主従の関係にあります。なので、佐助の春琴への思いは、愛というより忠誠心と考える方が妥当だと思います。(だからと言って、恋心がなかったわけではありません)

ネット上の感想には「佐助の行為は理解できない」というものがありますが、それは愛として考えるから理解できないのであり、忠誠心として考えるなら、ある程度は理解できるのではないかと思います。

「忠誠心も愛だ」という考えもあるでしょう。愛国心というものもありますし。ただ一つ言えることは、忠誠心は社会的なものであり、個人的なものではない、ということです。私は愛は個人的なものだと考えているので、「深い愛がどうのこうの」という意見に歯がゆさを覚えるのです。(いちおう断っておきますが、忠誠心より愛の方が優れているわけではありません。その二つに優劣をつけるのはナンセンスです)

それから、「サゾやマゾがどうのこうの」という意見は、想像力が飛躍しすぎているように思います。おそらく「谷崎潤一郎はマゾヒズムに傾倒していた」という先入観を持っているために「春琴と佐助の関係をSMだ」という意見が出てくるのでしょうが、私が読んだ限りではそういうことは感じませんでした。

広義的に考えれば、春琴をサディストと、佐助をマゾヒストと言えなくもないでしょう。ただ私が読んだ印象では、春琴は権力者の傲慢さがあるとしか思えませんでしたし、佐助はさきほど書いたように忠誠心のために春琴に尽くしていたようにしか思えませんでした。それはサゾやマゾとはいささか異なる気がします。

ところで、個人的に注目すべきと思ったことは「佐助は春琴が10歳頃から入浴やトイレの世話をしていた」ということです。トイレでは春琴は手を一度も使わずに、佐助が何から何までしていたようです。そこで、佐助の春琴に対する性欲を考えると、佐助は春琴に労わりより虐げを求めていた、という面もあったかもしれません。一説によると、親しくなりすぎると性衝動が起こりにくくなるようですから。しかしそういうことは、作品を読んで感じることというより、作品を考えて思うことです。


最後に、参考までに『春琴抄』からいくつか引用します。(読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字をひらがなにしたりしました)

(春琴と佐助のお墓の場面)
しかるに検校(※佐助のこと)が父祖代々の宗旨を捨てて浄土宗に換えたのは、墓になっても春琴女のそばを離れまいという殉情から出たもので

(春琴と佐助の関係)
春琴の強情と気ままとは、かくのごとくであった。けれども特に佐助に対する時がそうなのであって、いずれの奉公人にもという訳ではなかった。元来そういう素質があったところへ、佐助が努めて意を迎えるようにしたので、彼に対してのみその傾向が極端になって行ったのである。彼女が佐助を最も便利に思った理由もここにあるのであり、佐助もまたそれを苦役と感ぜず、むしろ喜んだのであった。彼女の特別な意地悪さを甘えられているように取り、一種の恩寵のごとくに解したのでもあろう。

(11歳の春琴が佐助を指導するときに高圧的だった理由)
男の師匠が弟子を折檻(せっかん)する例は多々あるけれども、女だてらに男の弟子を打ったり殴たりしたという春琴のごときは他に類が少い。これをもって思うに、いくぶん嗜虐性の傾向があったのではないか、稽古に事寄せて一種変態な性慾的快味を享楽していたのではないか、と。果してしかるや否や、今日において断定を下すことは困難である。ただ明白な一事は、子供がままごと遊びをする時は必ず大人の真似をする。されば彼女も自分は検校(※春琴の師匠)に愛せられていたので、かつて己れの肉体に痛棒(つうぼう)をきっしたことはないが、日頃の師匠の流儀を知り、師たる者はあのようにするのが本来であると幼心に合点して、遊戯の際に早くも検校の真似をするに至ったのは自然の数(すう)であり、それがこうじて習い性となったのであろう。

(20歳頃の春琴が弟子に高圧的だった理由)
あんずるに春琴の稽古振りが鞭撻の域を通り越して、往々意地の悪い折檻に発展し、嗜虐的色彩をまで帯びるに至ったのは、いくぶんか名人意識も手伝っていたのであろう。すなわちそれを世間も許し、門弟も覚悟していたので、そうすればするほど名人になったような気がし、だんだん図に乗ってついに自分を制しきれなくなったのである。

(春琴が佐助との結婚を拒んだ理由)
旧家の令嬢としての衿恃を捨てぬ春琴のような娘が、代々の家来筋に当る佐助を低く見下したことは想像以上であったであろう。また盲目のひがみもあって、人に弱味を見せまい馬鹿にされまいとの負けじ魂(だましい)も燃えていたであろう。とすれば佐助を我が夫として迎えるなど全く己れを侮辱することだと考えたかも知れぬ。

(佐助は春琴にこういう世話をしていた)
飲食起臥(きが)入浴上厠(じょうし)など、日常生活の些事にわたって面倒を見なければならぬし、こうして佐助は春琴の幼時よりこれらの任務を担当し、

(鴫沢てるの話)
お師匠様(※春琴)は厠から出ていらしっても、手をお洗いになったことがなかった。なぜなら用をお足しになるのに、ご自分の手は一遍もお使いにならない。何から何まで佐助どんがして上げた。入浴の時もそうであった。高貴の婦人は平気で体じゅうを人に洗わせて羞恥ということを知らぬというが、お師匠様も佐助どんに対しては高貴の婦人と選ぶ所はなかった。それは盲目のせいもあろうが、幼い時からそういう習慣に馴れていたので、今更何の感情も起らなかったのかも知れない。