2019年01月02日

同時代ゲーム

 あけましておめでとうございます。
 昨年2月に、『万延元年のフットボール』の記事をアップした時から、この『同時代ゲーム』の記事まで書いて大江健三郎シリーズに一区切りつけることを予定していたのだが、まさか越年するとは思っていなかった。この正月休みに書いておかないと、次の機会はゴールデンウィークになりそうなので、ここはひとつ、頑張ってみましょう。

 妹よ、僕がものごころついてから、自分の生涯のうちいつかはそれを書きはじめるのだと、つねに考えてきた仕事。いったん書きはじめれば、ついに見出したその書き方により、迷わず書きつづけるにちがいないと信じながら、しかしこれまで書きはじめるのをためらってきた仕事。それを僕はいま、きみあての手紙として書こうとする。

 手紙は6通。そこに綴られているのは、書き手が育った四国の山深い集落、村=国家=小宇宙の歴史と神話であり、その書き手を含む一族の歴史であり、そこに陰画のように浮かび上がる近現代の日本の姿である。
 優れた小説の例に漏れず、ストーリーを要約することに意味はないが、敢えて、「歴史」の部分のみを要約してみよう。
 四国の小藩から追放された者たちが、港から船出したとみせて沿岸を経巡り、城下から離れた川の河口から内陸へと遡る。川を遡った果てに立ち塞がる大岩塊、あるいは黒く硬い土の塊を爆破して、堰き止められていた水が流れ出した後の谷間に被追放者たちは新天地を見出す。谷間の村=国家=小宇宙は、外部の世界から孤絶し原初的な開拓生活に勤しんだ創建期を経て、四国山脈を越える木蠟の取引で富を蓄えた自由時代を謳歌するが、四国に幕末の動乱が押し寄せると、川下の村の一揆に巻き込まれ、否応なしに幕藩体制に、そして大日本帝国の権力構造に組み込まれていく。

 かって村=国家=小宇宙には、ひとりの新しい子が誕生すれば、もうひとり嬰児の出産を待って対の二人をつくりだし、二人してひとつの戸籍に登録する仕組みがあった。それは創建期につづいた「自由時代」と呼ばれる長い時期の後、表層としては村=国家=小宇宙が、大日本帝国に屈服してのちに、もうひとつ深い層での抵抗の仕組みとしてつくられたものであった。ところがその仕組みも、百年たたぬうち村=国家=小宇宙が大日本帝国との間に戦った、五十日戦争の敗北により崩壊した。この仕組みの根本を支えた壊す人にも、それを立てなおすまでの力はなかった。

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2018年10月01日

ピンチランナー調書

 他人の言葉に違いなく、それを他人が発した情況も覚えているのに、あれこそは自分の魂の深奥から出た言葉だと感じられる言葉。もっとも言葉がふたりの人間の関係の場に成立する以上、自分の存在こそ、他人の言葉の真の源泉たることを主張しえぬはずはない。ある時、原子力発電所のもと技師で、僕とは反撥しあっていたひとりの男が、僕に聞かせることを目論んでひとりごとのようにこういった。
───ピンチランナーに選ばれるほど恐ろしく、また胸が野望に沸きたつことはなかった! あれは草野球の受難だ。いまあの子供らは、ピンチランナーに呼びかけないが、たとえこのような場合にもおそらく……
───そうだ、リー、リーという声でけしかけられない場合にも!
 僕は相槌をうった。そしてそれは、相槌以上のものであった。もと技師によってその言葉が発せられ、ぼくがそれに応えた瞬間われわれの間には、かならずしも共感と単純化するわけにはゆかぬが、肉親のきずなのようにねじれてやっかいな熱いパイプがとおったのだ。


 この書き出しの数行を、ぼくは、何度読み返したことだろう。高校2年生の2学期の終わりから3学期にかけてのことだ。大江健三郎の作品を、『奇妙な仕事』から、執筆順に読んでいくという計画を着々と遂行していたぼくの枕許には、常に、『同時代ゲーム』と、『ピンチランナー調書』があった。はやく読みたいという気持ちを抑えきれずに冒頭の数頁をめくっては、いや、まだまだと本を閉じる。それを、約3ヶ月にわたって繰り返した。幼い頃から本が好きだったし、その後も一貫してそうなのだけれども、あれほどワクワクして本を読んだ時期はほかにない。

ピンチランナー調書1 今年のはじめ、大江健三郎ファンクラブの新年会に参加したことをきっかけに、ぼくの読書生活は、大江の再読を中心とするモードに切り替わった。大江の小説をひととおり読み通した高校3年生の時以来(その時点では『同時代ゲーム』が最新刊だった)、いろいろな大江作品を、折に触れては読みかえしてはきたのだけれども、今回のように、発表順を意識して、網羅的に再読するのは初めてのことだ。
 それがたまたま講談社の『大江健三郎全小説』15巻の刊行と重なった。しかし、それは本当は偶然ではなくて、この全集の刊行を聞いたために、久しぶりに大江ファンクラブのサイトにアクセスして、新年会の企画を知って、さらには新年会に参加したことで大江文学への興味がさらに甦って……といったことであったかもしれない。率直にいって、よく憶えていない。自分がなぜこんなことをしているのかを説明するのは意外と難しい。そもそも、なぜこんな文章をぼくは書いているのか。続きを読む

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2018年05月07日

洪水はわが魂に及び

 最初に自分で買った本は、創元推理文庫の『水晶の栓』だった。小学校の図書館にあったジュブナイル版で知ったアルセーヌ・ルパンを、オリジナルな形で読みたいと思って、隣町の書店で買ったのだ。買ったことははっきり憶えているのに、読んだ印象が残っていない。おそらく小学校4年生の頃であり、背伸びして買ってはみたものの、読み始めたら意外に手強かった、というようなことだったのかもしれない。
 中学生の頃には、森村桂星新一の文庫本をよく買った。それ以外では、ジェームズ・ボンドのシリーズや、ハドリー・チェイスのハードボイルドあたりが頭に浮かぶが、いずれにせよ、文庫本である。
 はじめてハードカバーの単行本を買ったのは、高校2年生の頃だ。村上龍『海の向こうで戦争がはじまる』と、大江健三郎『洪水はわが魂に及び』のどちらかが先だったか。
 なぜ村上の本を買ったのかをよく憶えていないのに対し、大江の本を買った理由は明確に憶えている。1年前に図書館で借りて読んだその本を、今後、繰りかえし読みつづけるべき本として、常に身近に置いておきたいという思いで買ったのだ。上下巻併せて2600円。高校生にとっては、廉い買い物ではなかった。

洪水はわが魂に及び1 絶対的に反・機能的なこの四角の穴は、建物の住人のための、瞑想用の足場としてつくられたものである。かれは裸の足うらを、苗でも植えるように足場の地面に載せ、背のまっすぐな木椅子にかけて瞑想した。冷えた泥がこころよい夏も、びっしりと霜柱が露出して足うらを麻痺させる冬も…………… かれの瞑想とは、地上に偏在する樹木と、遠方の海上にある鯨たちにとに交感することだった。かつては権力に近い一保守政治家の女婿として、そのもっとも内部にある秘書であり、つづいて、その政治家直系の建築会社で、核避難所の生産・販売にそなえて宣伝企画を担当したかれは、ある時点をかぎって、それまでの自分の自己同一性を構成するものを可能な限り放棄し、息子を連れて隠遁した。その際かれは、この世界で最も善きもの、すなわち鯨と樹木のための代理人を自認したのである。かれは名前も、その代理人としての本質を示唆すべく、大木勇魚と変えていた。

 この小説を高校の図書館で借りた頃、ぼくは、大江健三郎という作家について、まだ明確なイメージを持ってはいなかった。ただ、『飼育』という芥川賞受賞作と、『芽むしり仔撃ち』という第一長篇を読んで、ぼくがそれまで読んできた日本の作家とはまったく質の異なる作家であると感じていただけだ。この作品に描かれる主人公と息子ジンとの共棲関係が、作家の実生活を反映しているということさえ知らなかったのである。

…………ジンの生活は、眼ざめていれば、父親が様ざまなレコードからテープにうつした、野鳥の声を聞くことによってなりたっていた。そしてその鳥の声が、はじめて幼児に自発的な「言葉」を喚起するのでもあった。ジンが坐っていたり寝そべっていたりする簡易ベッドの枕もとで、テープ・レコーダーは微細なヴォリュームの、野鳥の声を再生する。ジンは機械よりもなおかすかな声を発すべく、唇をきわめて狭く開いて嘆息する。
─────クロツグミ、ですよ、と……… あるいは
─────ビンズイ、ですよ、ルリビタキ、ですよ、センダイムシクイ、ですよ、と……
 そのようにして、この知恵遅れの幼児は、すくなくとも五十種類の野鳥の声を識別することができ、それらの声を聴くことに、食欲とならぶ快楽を見出した。そしてかれ自身の内部の鬱屈に妨げられ、ホトトギスやアカゲラ、ヨタカのように特徴的な声をのぞけば、いつまでたっても多くを記憶することのできぬ勇魚も、あくまでも微細な野鳥の声と、それよりもなおひそやかな幼児の認知の声を、毎日、幾時間も穏和な喜びをこめて聞きつづけたのである。
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2018年04月07日

みずから我が涙をぬぐいたまう日

 このあいだ、みるともなしにテレビを眺めていたら、猪瀬直樹が田中裕二やカズ・レーザーを相手に三島由紀夫のことを語っていた。どうやら敬愛する人物について熱く語るという番組のようなのだが、例の自決計画に生じた幾多の誤算についての語りがやたらと面白く、残った印象は、リスペクトしているのやらディスっているのやら、というものだった。
 猪瀬の意図がどういうものであったにせよ、こういったつくりの番組で三島文学の凄さや美しさを伝えるのは無理である。そして、文学それ自体を飛び越えて三島由起夫について語れば、どうしても、三島という作家のエキセントリックさが強調されることにならざるを得ない。こういったテレビ番組で語られるエキセントリックさは、ほぼ確実に、滑稽さの印象に結びつく。
 その滑稽さは、ぼくが抱いている三島由紀夫の印象とも重なるものであり、だからこそ、猪瀬の語りを面白いと感じたのだ。
 しかし、おそらく、そういう人ばかりではない。滑稽さの印象をもって「三島事件」が語られることに憤りを感じる人もいるかもしれないし、そもそもこれを滑稽と感じない人もいるかもしれない。受取り手によって、「三島事件」は悲愴かつ輝かしいものであり、また、凄惨かつグロテスクなものでもあるだろう。そう考えると、猪瀬の真意は奈辺にあったのか、どのような視聴者を意識して語っていたのかと改めて不思議に思えた。

 1971年に発表された中篇『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は、この「三島事件」を契機に書かれたものだ。

……………オ母サン、オ母サン、重大事態ニイタッタカラ、あの人ヲ指導者ニシテ、蹶起スルゾ、ヤッパリ、ヤッパリ、重大事態ニイタッタカラあの人ヲ指導者ニ選ンダ! ………あの人ガスパイダトイッタモノ、敗戦主義者ダトイッタモノノ名前ヲ書イタ紙ヲ、ヨク調ベテ、全員ヲ合計シテオカネバナラン、急ガシクナルゾ、オ母サン、オ母サン、ヤッパリ、ワシノ考エタトオリデスガ!

 重大事態とは、一五年戦争に幕を引いた無条件降伏を意味している。そのような国家的危機に際し、降伏を肯んじ得ない軍人たちが、谷間の村の倉屋敷で幽閉生活を送っていた父親=あの人を指導者に擁立して武力闘争に蹶起した。その25年前の出来事の顛末を、末期癌で死の床にある「おれ」が回想し、その回想を、おそらくは「おれ」の妻であろう「遺言代執行人」が筆記する、というのがこの作品の構造である。

………………怒れるかれは、いまおれが口述筆記させようとしているのは、ひとつの「同時代史」なのだ、それは単なる個人の恣意的な回想をこえているものだ、とあらためて念をおした。そこに登場するあの人は、もしかれが敗戦直前の地方都市における市街戦によって殺されなければ、極東軍事裁判の、やむなく森の奥の谷間に出張してくる臨時法廷において証言をもとめられたはずなのであるから、いまからおれが語ることは、もとより国連においても、あからさまな戦犯の生き残りどもが牛耳っているわが国の現政権においてはなおさらに、切実な関心をよせるであろうところのものだと主張したのである。そしていまかれは、ともかくもかれのベッド傍でその口述を筆記する遺言代執行者を持ち、すでに原稿となった、時代順不同の、「同時代史」原稿を所有しているのだった。もっとも緑色のセロファン紙を貼った、オペラグラスのように筒型の水中眼鏡を常用しているかれに、その「同時代史」稿を読みかえし点検することは、まったく不可能ではないまでも、おそるべき困難にみちた労役である。
みずから我が涙をぬぐいたまう日《あなたはどうして、自分が癌のために回復不能であり、いまにも死にいたる昏睡状態が始まるのだと、実際の病状とまったく矛盾するようなことを信じているかのような口述をするの? いちいちそれを文字に置きかえていると、書かれたものが事実として逆に紙の上に起きだして、書きしるしている指を押しあげるような気がするわ、と「遺言代執行者」はいったものだった。もしきみが、医師によって、いまのところあいつが癌であることについては絶対に嘘をつきとおせ、と命令されているにしても、その嘘は、きみの口から跳び出すごとにひとつの実体となって、きみのまわりを浮遊し、やがてきみは、嘘の実体の蚊柱のなかに立ちすくんでいるようなことになるぜ、と「かれ」は撃退した。》
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2018年02月07日

万延元年のフットボール

万延元年のフットボール 夜明け前の暗闇に目ざめながら、熱い「期待」の感覚をもとめて、辛い夢の気分の残っている意識を手さぐりする。内臓を燃えあがらせて嚥下されるウイスキーの存在感のように、熱い「期待」の感覚が確実に躰の内奥に回復してきているのを、おちつかぬ気持でのぞんでいる手さぐりは、いつまでも空しいままだ。力をうしなった指を閉じる。そして躰のあらゆる場所で、肉と骨のそれぞれの重みが区別して自覚され、しかもその自覚が鈍い痛みにかわってゆくのを、明るみにむかっていやいやながらあとずさりに進んでいく意識が認める。そのような、躰の各部分において鈍く痛み、連続性の感じられない重い肉体を、ぼく自身があきらめの感情においてふたたび引きうける。それがいったいどのようなものの、どのようなときの姿勢であるか思い出すことをあきらかに自分の望まない、そういう姿勢で、手足をねじまげて僕は眠っていたのである。

 ずいぶんひさしぶりに、『万延元年のフットボール』を読み返した。
 高校1年生に最初に読んだ時のこと、高校2年生で再読したことは、このブログを始めた当初のエントリー『我らの狂気を生き延びる道を教えよ』で書いた。それ以降も、何度となく読み直しているのだが、さて、いちばん最近読んだのはいつだったか。2年前まで書棚にあった講談社文芸文庫がちょうどノーベル文学賞受賞の頃の版で、それを祝福する帯を纏っていたことからすると、その頃のことかもしれない。

 この文庫本は、当時、ぼくのところにいた司法修習生にあげてしまった。彼が、自分の人生で一番影響を受けた本として、『ワンピース』1〜3巻をプレゼントしてくれたので、そのお返しに、ぼくも一番大事に思っている本を贈ったのだ。
 その『万延元年』の文庫を、改めて買い直したのはつい最近のことである。「大江健三郎ファンクラブ」の新年会に向かう途中、ふと思いたって書店に立ち寄り、はじめて「ファンクラブ」の集まりに参加する日の記念として、新潮文庫から新しく出た大江と古井由吉の対談集『文学の淵を渡る』と、ここ2年来、書棚に欠けていた『万延元年』を買ったのだった。

 ぼくは、何につけ(例えば大好きだった阪神タイガースにしても中森明菜にしても)、ファンクラブなるものに所属したことはない。しかし、この「大江健三郎ファンクラブ」の掲示板には、かなり熱心に投稿していた時期があった。今年に入って、友人とのメールのやりとりをきっかけにそのことを思い出し、改めて検索してみると、2002年のことだ。大江の作品でいえば、『憂い顔の童子』が発表された年である。
 かなり自由な掲示板で、大江の話題に限らず、アーヴィングヴォネガットカルヴィーノ埴谷雄高などのことを語っているが、大江に関する投稿をいくつか挙げてみよう。続きを読む

youjikjp at 11:11|PermalinkComments(2) 日本文学