ピンチランナー調書少年が来る

2019年01月02日

同時代ゲーム

 あけましておめでとうございます。
 昨年2月に、『万延元年のフットボール』の記事をアップした時から、この『同時代ゲーム』の記事まで書いて大江健三郎シリーズに一区切りつけることを予定していたのだが、まさか越年するとは思っていなかった。この正月休みに書いておかないと、次の機会はゴールデンウィークになりそうなので、ここはひとつ、頑張ってみましょう。

 妹よ、僕がものごころついてから、自分の生涯のうちいつかはそれを書きはじめるのだと、つねに考えてきた仕事。いったん書きはじめれば、ついに見出したその書き方により、迷わず書きつづけるにちがいないと信じながら、しかしこれまで書きはじめるのをためらってきた仕事。それを僕はいま、きみあての手紙として書こうとする。

 手紙は6通。そこに綴られているのは、書き手が育った四国の山深い集落、村=国家=小宇宙の歴史と神話であり、その書き手を含む一族の歴史であり、そこに陰画のように浮かび上がる近現代の日本の姿である。
 優れた小説の例に漏れず、ストーリーを要約することに意味はないが、敢えて、「歴史」の部分のみを要約してみよう。
 四国の小藩から追放された者たちが、港から船出したとみせて沿岸を経巡り、城下から離れた川の河口から内陸へと遡る。川を遡った果てに立ち塞がる大岩塊、あるいは黒く硬い土の塊を爆破して、堰き止められていた水が流れ出した後の谷間に被追放者たちは新天地を見出す。谷間の村=国家=小宇宙は、外部の世界から孤絶し原初的な開拓生活に勤しんだ創建期を経て、四国山脈を越える木蠟の取引で富を蓄えた自由時代を謳歌するが、四国に幕末の動乱が押し寄せると、川下の村の一揆に巻き込まれ、否応なしに幕藩体制に、そして大日本帝国の権力構造に組み込まれていく。

 かって村=国家=小宇宙には、ひとりの新しい子が誕生すれば、もうひとり嬰児の出産を待って対の二人をつくりだし、二人してひとつの戸籍に登録する仕組みがあった。それは創建期につづいた「自由時代」と呼ばれる長い時期の後、表層としては村=国家=小宇宙が、大日本帝国に屈服してのちに、もうひとつ深い層での抵抗の仕組みとしてつくられたものであった。ところがその仕組みも、百年たたぬうち村=国家=小宇宙が大日本帝国との間に戦った、五十日戦争の敗北により崩壊した。この仕組みの根本を支えた壊す人にも、それを立てなおすまでの力はなかった。

同時代ゲーム1

 壊す人というのが被追放者グループの指導者である。自らの命を賭けて大岩塊、あるいは黒く硬い土の塊を爆破したのは壊す人であり、黒い水が流れ去った後に現れた土地の開拓を指導したのも壊す人であり、自由時代における富の源泉となった漆栽培をはじめ、四国山脈を越える取引ルートを開いたのも壊す人である。壊す人は、ひとたび死んでも復活して公有地の納屋に戻ってくるし、村人たちの総意によって暗殺されても、村人たちの夢の中に現れてなすべきことを指示する。
 こうなってくると「歴史」ではなく「神話」の範疇ということになるが、いずれにせよ昭和初期以降に採取された古老たちの口承に基づくものであり、記紀の神代と同じく、「歴史」と「神話」とを截然と区別することに意味はない。百歳を越えて巨大化していった第一世代は、「死人の道」を遺して空中に霧消していくし、その後の「オシコメ」による「復古運動」は、谷間中を席巻するブーンという謎の大怪音を契機とするものだ。
 こういった「歴史」とも「神話」ともつかぬ話を、書き手は、口承の採取者たる父=神主から聞かされて育った。

───とんとある話。あったか無かったかは知らねども、昔のことなれば無かった事もあったにして聴かねばならぬ。よいか?

 読者が、この村=国家=小宇宙の歴史を整理するのは容易ではない。
 そもそも、この作品のナラティブは、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』のような直線的なものではない。マルケスは、あり得ないほどに奇想天外な(それは現実にあり得ないというだけではなく文学者の創造としてもあり得ないほどに奇想天外な)エピソードを、客観的な年代記として淡々と語ることによって、マコンドというマジック・リアリズムの小宇宙を構築してみせた。これに対して、その影響が明らかな『同時代ゲーム』における村=国家=小宇宙の歴史=神話は、あくまでも書き手の認識を通じて提示される。
 そこには、現実の歴史=神話と同じように、複数の解釈を許す曖昧さはもちろんのこととして、互いに相矛盾する異伝も含まれている。
 たとえば、この歴史=神話は、被追放者らが入植する以前のその土地を、大岩塊によって堰き止められた黒い水が放つ瘴気のために生き物の住めない場所であったと伝えるが、その一方で、「大猿」や「杉十郎首塚」のように、被追放者から迫害された先住民の存在を示唆する伝承、遺跡も存在しているのだ。

 その歴史と神話は、第四の手紙で語られる「武運赫々たる五十日戦争」でクライマックスを迎える。
 地租改正以来、戸籍登録に二重制のカラクリを施して税金と兵役義務とを二分の一の負担で済ませてきた叛逆行為を糺すべく治安出動した帝国陸軍に対し、村人たちは、かつて大岩塊が存在した場所に堰堤を構築して谷間を水底に沈めた。壁面に、「不順国神」、「不逞日人」とタールで大書されたその堰堤は時期を見計らって爆破され、川沿いの道を遡って谷間に近づきつつあった一中隊は、突然の黒い鉄砲水に全滅する。
 第二陣の中隊を率いる「無名大尉」は、住民から放棄された谷間に無抵抗で進駐するが、飲料水を確保しようと森に入った兵は、ゲリラと化した住民たちの頑強な抵抗に遭い、武装解除されてしまう。「無名大尉」は、とにかくもライフラインを確保するため、電線と電話ケーブルの接続を回復し、聯隊本部に電話を架ける。

 しかし彼が力強く耳に押しあてている受話器から響いた第一声は、────おまえたちは無益な戦争をはじめましたが! われわれのことなど放っておいて、明日の朝には谷間から出ていくことですが! という勧告の声だったのである。それは思慮深いが果断な行動力もそなえていると感じられる老人の声、「無名大尉」としてはそれを無教育な上に気も狂っている老人のものとみなす他はないのであるが、それでも卓越した指揮官の印象を打ち消しがたい声なのであった。そして電話はそのまま一方的に切られ、「無名大尉」が、────これはどうしたことだ? と工兵小隊の下士官をなじった時には、電燈もまた消えてしまった。つづいて大きい爆発音が鳴り響いてきて、ケーブル施設が爆破、切断せられたことを、谷間に進駐したすべての大日本帝国兵士に知らしめたのであった。

 ゲリラ戦によってさんざんに苦しめられた「無名大尉」は、この戦争に勝利するための最後の手段として、周辺の森を焼き払うという戦略に辿り着く。敗北を重ねながらも、むしろ積み重なる敗北を通して、「無名大尉」の炯眼は、この村=国家=小宇宙の力が森に淵源するものであることを見抜いていた。

…………老人たちは、五十日戦争最終の夜、深く眠りながらそれぞれの夢を通じて、壊す人に指導される作戦会議に参加していた。その翌朝、いかにも秋めいた森の大気に起きてきた老人たちが、それぞれ百歳にも達したほどに老けこんでいたとつたえられるのは、かれらの夢の作戦会議がかつてなく緊迫していたことを示すだろう。それだけに朝の光のなかで、あらためて論議する必要はなかった。「無名大尉」が、いまや具体的に原生林へと火を放とうとしているその情況が、夢のなかの壊す人との会議で確認され、老人たちは無条件降伏による五十日戦争の終結を決定していたのである。

 森に火をかけられることを甘受してまで抵抗を続ける意味はない。森を犠牲にして勝利が得られたとしても、それは勝利の名に値するものではない。
 その決断の潔さと冷静さは、この五十日戦争の相手方であった大日本帝国が、十五年戦争を終結させるにあたって持ち得なかったものだ。沖縄を犠牲にして、さらには広島、長崎に原爆が投下されてもなお無条件降伏を肯んじなかったあの国は、いったい何を守ろうとしていたのか。

 第三の手紙において、「暗がりの神」として語られる亀井銘助もまた、村=国家=小宇宙の歴史の中で出色の存在である。
 幕末の動乱の中、土佐から京、大坂に向かう脱藩者たちは四国山脈を越えた最初の中継地点として、この谷間を見出す。亀井銘助は、その脱藩者たちとの外交交渉の窓口として、この村=国家=小宇宙の歴史に登場する。川下の村から逃散してきた農民たちに谷間が占拠された時には、一揆側と藩権力の仲介人あるいは調停者として、銘助はその才覚を発揮する。

 妹よ、われわれの土地における亀井銘助の評価が、つねづね逆転可能の流動性をはらんでいたものであった事情は、この第一の一揆による騒動の処理を見るだけでも、それを納得することができよう。かれは千名余の一揆農民と藩権力の追跡隊との衝突の、主戦場となる危機からわれわれの土地を救った。しかしかれはそうすることにより、いかにもやすやすと「自由時代」が終焉するにまかせた。当時から村=国家=小宇宙での批判があったにちがいない、亀井銘助のなしとげたことの多義的な意味、ひいてはかれ自身の人間の根底にあるものの多義性。それは、さらにその度を深めつつ展開して、ついにはかれをメイスケサンという「暗がりの神」の域にまでおしやるのだ。

M/Tと森のフシギの物語 第二の一揆では対藩権力に対する中心人物として相当な成果を勝ち取るものの、責任追及を免れるために藩領からの出奔を余儀なくされ、最後は獄死するに至るこの亀井銘助が、『万延元年のフットボール』における「曾祖父の弟」から発展したキャラクターであることは明らかだろう。
 大江健三郎は、『同時代ゲーム』から7年を経た1986年、『M/Tと森のフシギの物語』を発表し、『同時代ゲーム』の世界を、まったく異なるナラティブによって語り直してみせる。ここで中心になるのは、トリックスターとしての亀井銘助であり、その物語は、「メイスケ母出陣」という架空の脚本として、『﨟たしアナベル・リイ、総毛立ちつみまかりつ』、『水死』といったレイトワークの作品の中でも重要な役割を果たすことになっていく。 

 池澤夏樹は、昨年7月、「大江健三郎全小説」の刊行を記念した朝日新聞のシリーズ企画「今読む大江文学」において、私生活を一つの焦点とする楕円軌道を描く大江文学の作品群中、遠地点に位置付けられるのがこの『同時代ゲーム』であると指摘し、その文章をこう締めくくった。

 大江健三郎は書きすぎた。本当はこれ一冊で十分だった。まさかそうは言わないが、しかしそう言い切りたいような作品である。

 まさかそうは言わない。しかし、こういうことは言えるのではないか。
 それまでの大江の仕事は、すべて『同時代ゲーム』に流れ込んだ。それ以降のすべての大江の仕事は、『同時代ゲーム』から流れ出した。

 語りたいことは尽きないが、最近の再読で心に滲みた部分を挙げておきたい。

 第五の手紙「神話と歴史を書く者の一族」では、書き手の家族の物語が綴られる。
 裏日本の小都市に漂着したロシア人の孫として生まれ、神主となって谷間の村に赴任してその歴史=神話の記録に人生を費やした父親。
 はじめは旅芸人として谷間を訪れ、父=神主との間に五人の子どもをもうけた後に谷間から追放された母親。
 ロシア人の血か、目が青みがかっている特徴ゆえに新兵訓練でいじめ抜かれて精神異常を来し、戦後も25年間にわたって精神病院に閉じ込められていた長男露一兵隊。
 異様に引っ込み思案でありながら、旅芸人だった母の血を色濃く受け継いで舞踊に自らの能力を見出す次男露・女形。
 書き手の双子の妹で、少女時代から谷間のセックスシンボルとしての地位を確立し、その後も性的遍歴を重ねる長女露巳。
 谷間の魚屋コーニーチャンの援助のもと、圧倒的な身体能力と独特なストイシズムで大リーグ入りを目指す四男ツユトメサン。

 今回、とりわけ印象的に感じたのは、露一兵隊の物語だ。
 露一兵隊は、戦後25年間にわたって、自分を訓練中の兵隊であるとしか把握できぬ狂人として精神病院で過ごすが、ある医師が偶然にも彼に目をとめ、病院にとどめおく理由がないとの判断を下す。解放された露一兵隊は、精神病院で庭師として働いた報奨金で自分なりの装備を調え、皇居に向かう。
 路上でアクセサリーを売っているアメリカ人を捕虜にしたり、深夜の公園で出歯亀たちと交戦したりといった脱線の挙げ句、匍匐前進で皇居に近づき、皇宮警察から見咎められると、おもちゃの銃剣に結びつけた白旗を掲げて門の内側へと走り込む。
 逮捕した警察も、それを報じたマスコミも、この露一兵隊の行動の意味を理解することはなかった。しかし、谷間でその報道に接したコーニーチャンは、命ニモ優リテ惜シクアルモノハミハテヌ夢ノサムルナリケリという古歌を引いて、こう語るのだった。

───露一兵隊は、精神病院で二十五年の余も育てた夢を実現しようとした。その最初で最後の花ざかりとなるところを警官どもにぶち壊されて、精神病院に逆戻りさせられた。それはツユトメさんと自分の野球遍歴の夢が最後には砕けてしまったのにくらべても、さらに酷たらしいことである。露一兵隊の夢のつづきを、この土地の者がかわりに見てやらなくてよいものであろうか? 自分が考えるところでは、露一兵隊の夢の行く末はこういうことだ。露一兵隊は、終戦の条件について一九四五年八月に立戻り天皇と会談することを希望したのである。敗戦により、満州、台湾、朝鮮、沖縄、それに樺太から千島にいたるまでの領土が日本から切離された。もしそれらのいちいちが理由ある処置であったのであれば、「自由時代」の終わりまでは完全に独立国であり、五十日戦争の敗北までなら二分の一の独立を保っていたこの土地を、終戦を契機に日本から自立させるよう、露一兵隊が天皇に談判しようとして、なんの不思議があるだろうか?

 一方、書き手は、露一兵隊が逮捕された際にしゃべったという意味不明の言葉が、エスペラントの発音を思い起こさせるというエスペラント専門家のコラムを目にする。筆者によれば、露一兵隊が25年にわたって閉じ込められていた精神病院には、日本における運動草創期以来のエスペランティストが相当長期間にわたって入院してもいたという。露一兵隊の取り調べにあたった警察官からメモを入手した書き手は、件の専門家にあたって、その言葉の実体へと辿り着く。
 それは、エスペラント詩人伊東三郎の「ふかぶかと息をして」という作品だった。

 ふかぶかと息をして
  腕を自由にのばし
 気がついて見まわしておどろく
  かげろうのように日がたったことを

 思い出がよみがえる
  打ちつづいた仕事について

 それはすらすらとはいかなかった
  体や神経をすりへらした
 たびたび苦しい吐息をはきだした
  でもとうとうひと仕事やりとげた

 いま気持ちよいつかれ
  おちついた安らぎ

 なんだか心はいっぱいだ
  喜びと希望でいっぱいだ
 長い苦労ののち
  新しい仕事! 新しい問題に!


 真逆ではないかとの批判を恐れずにいえば、この露一兵隊のエピソードには、1970年代初めに相次いで帰還した横井庄一氏、小野田寛郎氏の影が仄見える。もちろん、この二人の帰還後の態度はそれぞれに異なっていたし、なによりも、露一兵隊のそれとは似ても似つかぬものだった。しかし、偶々帰ってきたのがこの二人だったのであって、1945年8月以降も戦争を続けていたのは、この二人だけではない。小野田さんの部下として27年間のルパング島生活をともにした小塚金七氏は、1972年にフィリピン警察軍との銃撃戦で死亡しているのである。
 こういったぼくの理解は、以下のような「武運赫々たる五十日戦争」の中の文章に照らせば、まったくの勘違いとも言えないのではないだろうか。

…………………五十日戦争における村=国家=小宇宙の交戦国、大日本帝国の国家権力は、当然に五十日戦争という事実の揉消し、証拠湮滅に力をつくし、まことに緻密な言論弾圧をおこなった。敗戦した村=国家=小宇宙に対してはもとよりだが、谷間に発する川の流域及び海際の地方都市に向けてすらも、それはおこなわれたのである。とくに五十日戦争において実際に作戦行動に加わった将校、兵士たちへの処置は徹底したものであった。かれらは五十日戦争後、満州および支那に、つづいては南方に派兵された。それら五十日戦争に加わった者らにとって太平洋戦争の終末まで、一兵たりとも生きて国内に戻るということはありえなかった。十年以上にわたって、五十日戦争の鎮圧者である将校、兵士たちが、国境の周縁と外側をさまよいつつかれらが現に戦っているのとはちがう、もうひとつの戦争の記憶を、声には出さずに思いおこしていたはずだ。敗戦後も現地軍に参加したり、孤島のジャングルに少人数で居残りつづけた将兵に、五十日戦争に参加した兵士たちがふくまれていたようにもぼくは思う。

 読みやすい小説ではない。それは、大江の小説一般が読みやすいものではないというのとはまた別の話である。小林秀雄の、「あんな小説が批評家に受け入れられると思っているのか? それならきみはノンキ坊主だ、おれは2頁でやめたよ!」というコメントは、大江自身が面白おかしく語ったもので、言葉どおりのものかどうかはよく分からない。しかし、いかにも小林らしいというだけではなく、一般的な批評家の受け止めかたとして、さもありなんと思わせるところがある。
 ぼくも、はじめて読んだ時には難渋した。17歳の頃だ。デビュー作の『奇妙な仕事』から、直前の『ピンチランナー調書』までを発表年代順に読み込み、ひとたびは苦しんだ『万延元年フットボール』の難解さを克服し得たという自信を持って、満を持して繙いたにもかかわらず。
 しかし、そのような準備を経て読み始めたからこそ、戸惑いながらもいちおう最後まで読了できたのだとも思う。そうでなければおそらく、「第一の手紙 メキシコから、時のはじまりにむかって」さえも突破できずに途中で放りだしていたはずだ。『百年の孤独』も、山口昌男の「中心と周縁の弁証法」も知らなかった当時のぼくにとって、この作品を読みつづけるモティベーションは、これが大江健三郎渾身の最新作であり、仮にいま理解することができなくてもいずれは自分にとって重要な作品になるに違いないという確信だけだった。
 その確信は正しかった。若い頃の自分をふり返ってみて、あのときこう考えたのは正しかったと思えることはさほど多くはないのだが、その数少ないうちのひとつだ。

 自分がまだ読んだことのない作家について、さて、どの作品から読んでみようかと考える。そういうときにぼくは、その作家の入門書的な作品よりも、むしろ最高傑作と評されているものを読もうとする。最高傑作とされる作品に興味が持てないようであれば、その作家とはそもそも縁がないのだ。一生に読める作家の数が限られている以上、縁遠い作家を理解しようとしてエネルギーを費やすよりも、もっと自分にあう作家を探した方がいい。これは、たぶん中学生の頃に、小松左京か畑正憲かのエッセイで学んだ考え方だったと思う。
 たとえば、スタインベックであれば、『二十日鼠と人間』ではなくて『怒りの葡萄』、ドストエフスキーであれば、『虐げられし人々』ではなくて、『カラマーゾフの兄弟』。 
 他の人から推薦図書を尋ねられた時にもその方針で答える。もちろん、なにが最高傑作か評価の別れる作家も珍しくなくて、ヘミングウェイはどうだ、フォークナーはどうだと言われると、それはもう自分の好みで推薦するしかないのだけれど。
 大江健三郎の最高傑作を一つに絞るのも難しいが、この『同時代ゲーム』が最有力候補の一つであることは間違いない。しかし、「大江健三郎は何から読むのがいい?」と尋ねられて、『同時代ゲーム』を挙げることは、しない。『万延元年のフットボール』も、『洪水はわが魂に及び』も読んだことがない人が、『同時代ゲーム』を読んで面白いと感じるとは到底思えないし、その人が、この作品の難解さに辟易して大江文学から遠ざかってしまうとすれば、それはあまりにも勿体ないことだと思うのである。

 この小説のラストシーンも、これまでぼくが読んだものの中で最も印象的なもののひとつだ。
 父=神主は、村=国家=小宇宙の歴史=神話を、皇国史観に反するものとして糾弾する国民学校の校長と対立した挙げ句、特高に告発される。巧緻な論理を組み立てて父=神主を庇ったのは、谷間に疎開していた双子の物理学者アポ爺とペリ爺。谷間の村を、村=国家=小宇宙と看破し、村の伝承である「森のフシギ」に新たな意味づけを与えたのもこの二人だった。しかし、アポ爺、ペリ爺の論理に逆に追い詰められた校長は、逆に父=神主と取引して、この二人を特高に引き渡す。
 そのような世界に絶望した書き手は、ある夜、母が残していった化粧用の紅を体に塗りたくり───コレハ頭ノ上ノ桜ノ紅葉ト同ジ色ダ。昼見レバ赤イ───と自分を納得させて、森に入る。

………………そして妹よ、道化て天体力学の専門家たちに話したことが、あの六日間に経験した森のなかに、現実としてあるのを僕は自分で見たのだ。バラバラに解体された壊す人のすべての砕片を覆うために歩いていた僕の眼の前に、分子模型の硝子玉のように明るい空間がひらき、樹木と蔓に囲われたそのなかに「犬曳き屋」の犬や、シリメがいるのが見えた。そのようにして僕は次つぎにあらわれて来る硝子玉のように明るい空間に、ありとあるわれわれの土地の伝承の人物たちを見たのだった。それも未来の出来事に関わる者らまで、誰もかれもが同時に共存しているのを。………終わりに、もうひとつだけいうことがある。消防団員四人が死んだ猿でも運ぶように僕の両手、両足をぶらさげ、雨滴をふくんで宙に浮かぶ湖のような森を横切った時、妹よ、僕は樹木と蔓の囲む硝子玉のように明るい空間の、核心をなすひとつを見たのだ。そのなかには、妹よ、娘に成長したきみがはいっていた。きみは燃えるように美しい恥毛で下腹部をかざっているほかは、全裸の体をバターの色に輝かせて、その傍らには、再生し回復した犬ほどのものがつきそっていた。

同時代ゲーム2安部公房氏評】
 肉眼では判別できないほどの小さな一枚のマイクロ・フィルム。どこにも存在しなかったし、存在する予定もない神話が刻みこまれているはずだという。大江君はその透明なフィルムを、見はるかすさえ困難なほどの広大な印画紙の上に引伸して見せてくれた。無限大に投影されたゼロの陰画。書かれざる一章に向かって無限に収斂し続ける反小説の極北である。

 この作品が、私生活を一つの焦点とする楕円軌道の遠地点であるとするならば、その楕円形の長軸は、少なくとも日本の文学者には類を見ないほどに長い。大江文学の入門書としてはお薦めできないが、その門をくぐった後に辿り着く奥の院として、この『同時代ゲーム』という作品があることは知っておいてほしいと思う。

youjikjp at 12:00│Comments(4) 日本文学 

この記事へのコメント

1. Posted by mic-tac   2020年01月06日 19:08
ネズナイカの冒険のところからここに来ました。昔読んで大好きだったお話をふと検索したところヒットしました。周りの誰に聞いても知ってる人がいず、夢の中の話だったのか?題名も勘違いだったのか?と、、世界文学全集の中のお話でした。K氏のようには本を読んでいないので殆ど知らない本ばかりですが、ざっとバックナンバーのタイトルだけ見ました。頭と目(しょぼしょぼして)がなかなかついて行きませんがバックナンバーをこれから少しずつ辿って行きます。「ジョニーは戦場へ行った」と「カラマーゾフの兄弟」は若い頃に読みました。

2. Posted by エヌ   2020年03月30日 14:09
5 素晴らしい文章だと拝読致しましたが、それ以後の「極私的文学館」には新筆が加えられていないようですね。ご健在であれば・・と期待しております。散歩で大江さんと遭遇する知人が、「大江さんはいきなり早口で急所を突くような質問をして、納得すると<やっぱりそうですね、どうも>」と、そのまま急ぎ立ち去る、と言っていました。大江さんらしい。
3. Posted by K   2020年04月14日 21:47
mic-tacさん、コメントありがとうございました。
一つの記事に共感してくれた人が、他の記事を読んでくれる、場合によってはその記事であつかった作品を読んでくれるといったことがあるとすれば、ブログ主としてこんな嬉しいことはありません。
拙い文章ではありますが、何か目にとまるものがあればと思います。
5. Posted by K   2020年04月14日 22:10
エヌさん、コメントありがとうございました。

散歩で大江さんと遭遇する知人、というのは大江さんのご近所さんなのでしょうね。そういったお知り合いをお持ちのエヌさんが羨ましい!!

> ご健在であれば・・と期待しております。

健在は健在なのですが、時間と気持ちの余裕がなく、更新できないまま1年以上が過ぎました。ひさしぶりに管理ページにアクセスし、みなさまからの暖かいコメントに気づいて、遅ればせながらのコメントを返しているうちに、新しい記事を書きたいという気持ちが高まりつつあります。
幸か不幸か、緊急事態宣言でさまざまな仕事の予定がキャンセルとなり、おもいがけない時間の余裕ができました。あとは、気持ちの余裕を取り戻すだけですね。

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