少年が来る枕草子

2021年12月31日

コレクションズ

 バラク・オバマ元大統領は、読書家として知られており、しばしばSNSに推薦図書をリストアップしている。政治家だから、社会科学的なものや歴史・哲学系のものが中心かと思えばさにあらず、そのほとんどは文学書である。残念ながらその多くは未訳なのだが、この年末にアップされた「2021年の必読書24選」には、カズオ・イシグロの『クララとお日様』が含まれていた。
 それともう1冊、未訳ながらぼくの目を惹いたのは、ジョナサン・フランゼンの最新作『クロスロード』だった。
 ここ数年、このブログに記事を挙げたいと思いながら、果たせなかったのが、フランゼンの出世作である『コレクションズ』なのである。

 秋の大平原地帯に寒冷前線の狂乱がやってきた。何か恐ろしいことが起きる、そんな気配が感じとれた。空の低みで太陽が、冷えゆく恒星の弱い光を放つ。突風の一吹き一吹きが無秩序をもたらす。樹々の枝がさわぎ、気温がさがり、北方宗教の崇拝物すべてが終焉をむかえる。どこの庭にも子供の遊ぶ姿は見られない。黄ばんだ芝生の上に影が長く伸びている。赤樫や留針樫や沼白樫がローンの終わった家々の屋根に団栗の雨を降らせる。無人の寝室でかたかた鳴る防風窓。乾燥機の唸りとしゃっくり、落葉掃除送風機の鼻にかかった喧嘩腰の騒音、紙袋の中で腐っていく地物の林檎の匂い、毎朝アルフレッド・ランバートが籐の二人掛けの椅子にペンキを塗ったあとで刷毛を洗浄するガソリンの匂い。

コレクションズ上 まるで『怒りの葡萄』さながらの格調の高さと禍々しさを孕んだ冒頭の数行から、視界は急速に、老夫婦の二人暮らしへとズームインしていく。ここから、1990年代後半、爛熟した資本主義社会を生きるランバート一家の物語が始まる。
 家長のアルフレッドは不公正な富より経済的不自由を選ぶ頑固者。
 妻のイーニッドはそんな夫に不満を抱きつつも家族5人で過ごすクリスマスを何よりも楽しみにしている平凡な女性。
 クリスマスの過ごし方を巡って母親と妻キャロラインの板挟みになる長男ゲイリー。
 教え子との性的関係で大学を馘になり、遠くリトアニアに活躍の場を見いだす次男チップ。
 腕を見込まれて高級レストランのシェフを任されながらオーナーの妻との同性愛がバレて職を失う末娘のデニーズ。

「物語消費論」を講義するチップは、教え子のメリッサからやりこめられる。

「お金儲けのどこがいけないんですか?」とメリッサが詰問の口調で訊いた。「お金儲けはそれ自体が悪なんですか?」

 現代社会は、女性や有色人種やゲイやレズビアンとって、昔に比べれば、はるかに生きやすい世の中ではないか。少数者を排除しない開かれた社会になってきたではないか。シニフィアンがどうのシニフェがこうのという馬鹿くさいお気楽なおしゃべりで企業の広告を貶めるのにどういう意味があるのか。

……メリッサには痛い所を衝かれたのだった。世の中の〝役に立つ〟仕事をしろと言う父親の命令に自分がどれだけ拘泥していたか、今までは十分に自覚していなかった。病んだ文化を批評することは、それでどうなるわけではないにしても、有益な仕事だと信じていた。だた、病気だと思っているものがじつは病気でないとしたら——もし本当にテクノロジーと消費意欲と医学が作り上げている大いなる物質文明が、被抑圧者の置かれている状況を改善しつつあるのであり、その事態に違和を覚えるのがチップのような異性愛者の白人男性だけだとしたら——自分のやっている批評には抽象的な意味においてすら有用性がないことになる。メリッサの言葉を借りれば、くだらないものということだ。

 このメリッサによる性的誘惑と、それに対するチップの優柔不断な抵抗と陥落、それによる失職はこの作品の最初の読みどころなのだが、その後の展開はそれ以上に面白い。
 チップの脚本を没にした映画プロデューサーのイーデンは、そのかわりに、リトアニアの元政治家で、新たな企業を立ちあげようとしているギタナス・ミセヴィチウスを紹介する。

「リトアニアにはどういう天然資源があるのかな」とチップは訊く。
「主要産品は砂と砂利」とギタナス。
「戦略上重要な砂と砂利が豊富にあると。なるほど」
「砂利は豊富にある」ギタナスはブリーフケースを閉じた。「しかし、ここで一つクイズを出すがこの魅力的な天然資源の需要はなぜ今度急激に伸びるのだろう?」
「ラトヴィアやフィンランドでは建設ブームが起こっているから?ラトヴィアでは砂が足りない。フィンランドでは砂利が不足している」
「その二つの国はなぜ世界的な経済不振から影響を受けずにいる?」
「ラトヴィアは安定した強固な民主体制がある。あの国はバルト海沿岸地域の経済の中枢神経だ。フィンランドは短期性外資の流出に対して厳しい制限を設けているし、世界最高級の家具産業を擁している」
 リトアニア人はたいそう満足げにうなずいた。イーデンは両の拳で机を叩いた。
「ああ、ギタナス、チップは素晴らしいわ! ボーナス支給を条件にすべきよ。それとヴィリニュスで最高級の住居とドルでの日当も」


 ギタナスのプロジェクトは、経済危機に陥っているリトアニアをまるごと売り飛ばそうという、詐欺紛いの投資勧誘。その広報担当としてスカウトされたチップはリトアニアに渡る。

地球温暖化でリトアニアの市場価値は上昇
【ヴィリニュス発 十月三十日】 地球の温暖化によって海面が年間一センチ以上上昇すれば、全世界の海岸で毎日数百万立方メートルもの砂が侵食されるといわれています。…………ECNR議長、ジャック・ドルマン氏はこう述べています。「人類は有史以来、砂と砂利を無尽蔵の資源と考えてきた。しかし温室ガスの発生源である化石燃料への過剰な異存により、ドイツを含む中欧国の多くは、道路や建物を建設を従来どおり続けるならば、いずれ砂と砂利の生産国(特に砂の豊かなリトアニアなど)の意向に左右されることになる」
 リトアニア自由市場政党の創立者・最高経営責任者、ギタナス・R・ミセヴィチウスは、迫りくる砂と砂利の危機を一九七三年の石油危機になぞらえてこう発言しています。「石油危機の際は、バーレーンやブルネイなど石油資源の豊富な小国が大いに気炎を吐いた。次の危機ではリトアニアがそのような国となるだろう」


 こういったユーモアとウィットがはち切れそうに詰まっている作品なのだが、もちろん、それだけではない。
 例えば、アルフレッドとイーニッドが豪華客船の旅で出会ったロス夫妻のエピソード。
 ロス夫妻の末娘は、5年前に殺された。その娘を殺した男が死刑になる。その死刑が執行されることについて、夫婦の間には気持ちの食い違いがある。それが自分がこのツアーに参加した理由なのだと、シルヴィア・ロスはイーニッドに語る。
 シルヴィアは、ずっと以前からアマチュアの版画家だった。そして、娘が殺されて以来、シルヴィアは、版画であれ、デッサンであれ、油絵であれ、銃以外のものは描かなくなった。

コレクションズ下………シルヴィアは精神に異常を来していない。その気になればただの丸や薔薇の花も描ける。けれど、描きたいという渇望は銃器とそれに関連するものに向かうのだ。銃、銃火、弾薬、弾丸。何時間もかけてニッケル仕上げの表面の反射光を鉛筆でスケッチする。自分の肘から先を描くこともあるが、その場合もデザート・イーグル五〇口径や九ミリ・グロック、アルミ製折りたたみ式ストック装着のフルオート射撃が可能なM16など、さまざまな銃の正しい持ち方を推測して(というのは実際に銃を手にしたことはないから)描く。

 この場面を思い出すときに、ぼくの脳裏に浮かぶのは、拳銃の引き金に指をかけた女性の前腕部の精密なデッサンだ。緊張で浮かび上がった手首の腱、そこから肘窩に至る静脈網のほのかな影。
 
 でも、実際に読み返すと、そのようなデッサンを直接的に描いた文章は、存在しない。
 敢えて探せば、こんなところか。

 リヴォルバーの銃把の模様や自分の内腕の静脈を写しとるのに没頭して時間を忘れ、あわてて車を猛スピードで走らせて、ウィルミントンにある精神科医のオフィスで週三回の治療を受ける。

 こういった文章から、ぼくは勝手に、女性の前腕部の精密なデッサンのイメージを作り上げる。
 それはおそらく、このエピソードを語るフランゼンの文章の説得力によるものだ。ぼくは、再読して、自分が築き上げたイメージと実際の文章との距離を確認するたびに、フランゼンの腕前を痛感する。

 フランゼンはこの第三長篇で、全米図書賞を受賞し、それまでの「玄人受けする作家」を脱して「アメリカの国民作家」という評価を得るに至るのだが、その過程には、オプラ・ウィンフリーのブッククラブお断り事件という有名なエピソードがある。
 オプラ・ウィンフリーというのは、アメリカで最も裕福なアフロアメリカンであり、そのトークショーはトーク番組史上最高との評価を得ている女性である。2008年の大統領選挙におけるオバマ旋風のきっかけは彼女の支持であったとされるくらいに影響力が大きらしい。
 そのオプラ・ウィンフィリーが、トークショーの読書会(ブッククラブ)の課題図書としてこの作品を取り上げた。これでミリオンセラー間違いなし! ところがフランゼンは、このトークショーへの出演依頼を断った。英語が不自由なぼくには経緯を正確に理解することが難しいのだけれども、フランゼンが、オプラから選ばれることによって、自分が本当に評価されたいと思っている人たちからの正当な評価が妨げられるのではないかとの懸念を表明したことを受けて、オプラの方から出演依頼を取り下げた、ということかもしれない。
 確かにこのオプラ・ブッククラブのリストをみると、トニ・モリスンはほぼ全作品含まれている一方で、ピンチョン、バース、アップダイク、ヴォネガットロスアーヴィングパワーズといったアメリカを代表する現代作家たちは含まれておらず(マッカーシー『ザ・ロード』だけは含まれている)、なんだか趣味が偏っているのではないかとの印象がないではない。しかし、だからといって自分の作品が好意的に紹介される機会を断ってしまうというのは、この高度に発達した資本主義社会における作家として、特にそれまであまり売れていない作家として、ちょっとあり得ないほどの骨の硬さではないか。

フリーダム 結局のところ、このエピソードによってかえって作品への注目度は増し、めでたくミリオンセラー達成、全米図書賞をはじめとする数々の賞を得ることにもなった。そして、このような経過にもかかわらず、オプラは、2010年にトークショーを終了するにあたっての最後の課題図書に、フランゼンの第4長篇『フリーダム』を選び、今度はフランゼンもそれを快く受けた、という話だったと記憶しているのだが、いま、それがちょっと確認できない。

 この『フリーダム』も、『コレクションズ』同様、社会主義の幻想が失われ、世界中が資本の論理で動くようになってしまった現代における家族の姿を描いた作品。

「……どうだろう、きみの場合も、自分ほど頭のよくない人間を相手にしていらいらした経験があるんじゃないかな。きみにとっては論理的に自明な真実なのに、それがわからないどころか、頑として認めようとしない、そんな連中のことだよ。勝手な屁理屈を振り回して平気な連中。そういう手合いに困ったことはないかね?」
「でもそれは、その人たちが自由だからですよね」ジョーイはいった。「自由っていうのはそのためのものでしょう? 考えたいように考える権利ですよね? そりゃ確かに、ときにはウザったくなったりしますけど」
 これにはテーブルのあちこちでクスクス笑いが起こった。
「そう、そのとおりだ」ジェナの父親が言った。「自由というのは実にウザったい。だからこそ、この秋にやってきたチャンスをなんとしても摑まねばならんのだよ。自由な人々からなるこの国に屁理屈を捨てさせ、よりよい理屈を信じさせるんだ、なんであれ必要な手段を使ってね」


 ここでいう「この秋にやってきたチャンス」というのは、9.11のことである。

……この国にやってきた人々のお目当ては金か自由かのどっちかなんだ。金がなければ、その分余計に鬱憤をためて自由にしがみつく。たとえ煙草が寿命を縮めるとしても。たとえ我が子が家で腹を空かせ、外ではいかれた連中に軍用ライフルで撃ち殺されかねないとしても。どんなに貧しかろうと、ただ一つ誰にも奪えないもの、それが好き勝手な方法で人生を滅茶苦茶にする自由ってわけだ。

ピュリティ オプラはトークショー終了後も、ブッククラブは続けているらしく、ネットで検索すると『フリーダム』以降も、いくつかの作品がリストに上がっている。しかし、第5長篇の『ピュリティ』はそこには選ばれていない。前二作に比べると売れなかったのはそのせいではないかとの説もある。
 ぼくはこの作品も大好きで、特にヒロインのピップには、『愛の妖精』のファデットや、『パルムの僧院』のクレリアに匹敵するくらい愛着を感じる。あんまり好きなので、これはやはり男性が魅了を感じる女性像(決して「理想的な女性像」ではない)として造形され過ぎているのではないかとの疑念を感じるくらいであり、ひょっとしたらそのためにオプラの気にいらなかったのではないかと思ったりもしている。この作品についてはまた改めて書く機会があるといいな。

 話を『コレクションズ』に戻すと、妻とのいざござの末に少しだけ実家に戻る時間を確保したゲイリー、クーデター下のリトアニアから命からがら脱出して帰国したチップが揃った家族5人のクリスマスが、物語の実質的な最終章となる。
 もちろんそれは、平凡な家族小説のような大団円ではない。しかし、パーキンソンが進行して体が不自由になり認知能力の衰えたアルフレッドを介護する末っ子デニーズが、父親の断片的な言葉から、彼が定年を待たずして早期退職した理由を悟る場面は、やはり感動的だ。それは、彼女が父親の勤務先にアルバイトをしていた時期の性的冒険に起因するスキャンダルから、彼女を守るためだった。

………父親はかぶりを振った。「おまえには関係ない。このことにおまえを巻き込むつもりはなかった。おまえには楽しんでほしい。それと、気をつけてほしい。お母さんにタオルを持ってくるように言ってくれ」

 エピローグは「修正(THE CORRECTIONS)」。いったい何が修正されたのか、その読み解きはこの作品全体の理解に関わることだが、少なくとも、夫婦の関係は変化している。かつて、正しいのは常にアルフレッドであり、イーニッドはその正しさに対して愚痴をこぼすしかなかった。しかし、エピローグでのイーニッドは、絶え間なく、心おきなく、夫の誤りを指摘し続ける。

 クリーニングとプレスをしたばかりのズボンにアイスクリームをこぼすのはまちがっている。お見舞にきてくれたジョー・パーソンがわらかないのはまちがっている。エアロンとケイレブとジョナの写真をみようとしないのはまちがっている。アリソンが体重は少し軽いけれど健康そうな双子の女の子を産んだのに喜ばないのはまちがっている。妻と娘が感謝祭の日にたいそう苦労して家に連れ帰りご馳走を食べさせたのに、喜びも感謝もしないどころか、何をしてもらったかすらわからないのはまちがっている。その食事のあとでディープマイア・ホームに戻ったとき、「また連れ戻されるくらいなら出ないほうがましだった」などと言うのはまちがっている。そんなことが言えるほど頭がはっきりしているのに普段は滅茶苦茶なのはまちがっている。

 実はぼく自身、頑固者の父親とおしゃべりな母親との間に生まれた3人兄弟の真ん中である。堅実な兄と、結婚しない妹がいるのも、チップと同じだ。
 今年9月に逝った父親を、アルフレッドに重ねて、なんとか年内にこのレビューをアップしたいと思った次第。

 では、みなさま、よいお年を。


youjikjp at 16:38│Comments(6) アメリカ文学 

この記事へのコメント

1. Posted by chao   2022年06月05日 01:12
5 ご無沙汰しています!読書ログのchaoです☺︎

2人目の子が産まれてなかなか読書できないでいたのですが先日久しぶりに読書ログを見たらサイトかま6月末で閉鎖されることを知り途方に暮れています涙。

読書をしてこなかった私に面白い本を教えてくれた方々、特に弁護士Kさんと月うさぎさん!そのお2人にもう読書のことを教えてもらえないの…と思って本当に残念な気持ちでいたのですが、このブログのことを思い出し、今コメントさせていただいています!

弁護士Kさんがレビューされている本、私には難しそうですが!でもあれこれレビュー拝見してまた面白い本と出会っていきたいなーと思っています。

このブログがあって本当によかったです!

今後ともどうぞよろしくお願いいたします☺︎
2. Posted by 月うさぎ   2022年06月27日 00:56
ご無沙汰しております。読書ログでお世話になっています月うさぎです。お元気ですか?
すごい濃くてボリューミーなレビューですね。
ついていけない、ハイソな内容(笑)
読書ログ閉鎖ということでとても残念でなりません。
弁護士Kさんは以前ブログを拝見したこともあって
こちらに伺えばまたお会いできるのかなと思いましてコメントさせていただきました。

そうそう。カズオ・イシグロの『クララとお日様』は読みました。考えてみたら、最近レビューさぼりっぱなしでした。
カズオ・イシグロをお勧めいただいたのも、弁護士Kさんではなかったですか?
これからもよい本、よい作家を教えていただきたいです。
3. Posted by K   2022年07月01日 11:50
chaoさん、ご無沙汰しています。
読書ログ、6月末で閉鎖とは聞いていましたが、さきほど、はっと思い出してアクセスを試み、無情にも現れた「サーバがみあたりません」との文字に、改めて喪失感を味わいました。
とてもいいサイトだったのですけどね。
それでふと自分のブログのマイページにアクセスしたくなり、遅ればせながらchaoさんのコメントを拝読した次第です。返信がおくれて申し訳ありませんでした。

chaoさんは育児中でしたか。
たいへんではありますが、ほんとうに価値のある仕事ですよね。
きっと読書好きのお子様が育つのではないでしょうか。

わたしも公私ともになかなか気持ちの余裕を持てない時期が続き、しばらく読書から遠ざかっていましたが、この春から、ちょっとしたきっかけで王朝文学にはまりこみ、いまは岩波文庫の新版で『源氏物語』を読み進めているところです。
なかなか、ブログでは扱いにくい……(^_^;)

まあ、またぼちぼち書いていきたいと思いますので、ときどき覗いてください。
chaoさんと、今度もこういったやりとりができるとすれば、ほんとうに嬉しいことです。


4. Posted by K   2022年07月01日 11:59
月うさぎさん

ご無沙汰しています。
chaoさんへの返事にも書きましたが、読書ログの閉鎖、ほんとうに残念ですね。

>ついていけない、ハイソな内容(笑)

そうですか?
実はこの『コレクションズ』のブログは、8割方は読書ログでのレビューを流用したものなんです。書いているときには、それもどうかなと思いながら書いたんですが、読書ログが閉鎖されたいまとなっては、やっぱり書いておいてよかった(^_^;)

カズオ・イシグロについては、ぼくの評価はだんだん低くなっていたのですが、『クララとお日様』はひさしぶりにいい作品だと思いました。
もう、新たに好きになる作家を発見できるような年齢ではなくなりつつあるので、こういうのは嬉しいですね。

このブログもなかなか更新できていませんが、お暇な折にときどき覗いてください。

今後ともひきつづきよろしくお願いします。
5. Posted by chao   2022年07月07日 22:11
弁護士Kさん!

わーーーー気づいていただけて嬉しいです!
今月うさぎさんのコメントもあることを知り・・・なんだか嬉しい(T T)

読書ログで弁護士Kさん、月うさぎさん、素頓狂さんのやりとりを拝見するのが大好きでした。読書ログ閉鎖前にKさんと素頓狂さんの世界の小説10と日本の小説10、中編版も、しっかりコピーしておきましたよ♪これからすこーしずつ読みたいと思っています。

私は今は子供が読む本を一緒に読むことが多く、エルマーのぼうけん、こまったさんシリーズ、角野英子さんのちいさなおばけシリーズ、かいけつゾロリシリーズ(すっっっごいくだらないんです笑!!!)なんかを読んでいます笑。普通の読書も復活したいのですが、、弁護士Kさんは源氏物語ですか!!ぜひブログにレビューされてください~

ちょこちょこブログ遊びにきます♪
今後ともよろしくお願いします^^
6. Posted by K   2022年07月09日 11:31
chaoさん、コメントありがとうございます。
ぼくも、もうすこし頻繁にマイページにアクセスしないといけないですね(^_^;)

子どもが小さい頃、図書館で児童書を探すのがとても楽しみでした。
ハリポタシリーズとか、ナルニア国物語とか、子どもがいなかったら、たぶん読まなかったんじゃないかなあ。たぶん、ミヒャエル・エンデも。
chaoさんのお子さんはこういったものを読むにはまだ小さいのだと思いますが、これから、ですね。

源氏物語は、まだ「朝顔」(全54帖の20帖め)あたりで、今年中に読み終えることができるかなあという感じです。昔、岩波文庫の旧版でいちど読んではいるのですが、今回、岩波文庫の新版で読んでみて、実はかなり理解できていなかったことを思い知らされています。
レビューを書くとしたら、かなり先のことになりそうですね。

実は、今回、王朝文学にハマったきっかけは、『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』というフィンランド人女性が書いた傑作エッセイでした(3月末頃だったか読書ログにレビューをあげました)。
源氏物語はさておき、枕草子のレビューを書いてみようか、なんて思っている今日この頃です。

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