コディの肺腺癌 記録 2 今思うこと。

11歳のお誕生日のコディです。
来年の桜もみんなでお花見散歩できると信じて疑わなかった春でした。
DSC_4342


再発からの記録は、ここに コディ10歳8ヶ月のカテゴリーにしてあります。

11歳の8月に、腫瘍のある左側の肺葉がレントゲンで真っ白に写りだしました。
この時から、少しムセる咳をする時があり、慌てて病院に行ったんです。
そこで、左側肺葉が固くなり、肺が膨らまない状態と言われました。
それでも、呼吸の苦しさは感じていないはずと言われ、特に運動制限もなく秋を迎えましたが、やはり疲れやすくなり、夏の暑さも堪えていたようで、体力がかなり落ちていたと思います。

コディは、ずっと分子標的薬のパラディアを服用しておりました。
これは、1日おきに服用する薬です。
血管新生阻害薬です。
理論上、餌にする血液を腫瘍が取り込めないように阻害する薬。
新しく作られる赤血球の数を減らしてしまう副作用があります。
用は、骨髄制御が起こるので、白血球、好中球も少なくなってしまい、免疫力が低下していきます。

そんなパラディアをほとんど副作用なく1年も服用出来た事。
先生は、これ自体が凄い事。奇跡的。と言いました。

服用してしばらくして気がついた事は、色素が抜ける、お腹が緩くなる。
それ以外は特になし。
お腹に関しては、やはり半年過ぎた頃から下痢になりましたが、コスモスラクトという乳酸菌を与えて、ドライフードも消化吸収の良い犬心の消化サポートに変えてコントロール出来ました。

副作用を押さえるために、ファモチジン、ディアバスター、ビオフェルミンR、これらは病院から。
エビオス、コスモスラクト、まるごとはとむぎ、ローズヒップの粉末(ビタミンC)、シークァーサー果汁(皮ごと絞ってある100%の原液・クエン酸)、ベジブロス、コラーゲンこれらをサプリメントととして。
合成サプリは使わず、出来るだけ自然の物を使いました。

実際、白血球も半減しましたが、そこで止まりましたし、貧血も最後の肺炎の時まで持ちこたえてくれてました。
お水は鉄瓶で沸かして、それを冷ました物を与えてました。

何が1番効いていたのかは解りませんが、腎臓、肝臓の数値は、パラディア服用中は全く変わらず良好値のままでした。

DSC_0864


再発から手探りの状態ながらも、大きな変化なく過ごせた事。
コディ、本当によく頑張ってくれたんだと思います。

犬の肺腺癌 こう診断され、検索してみても書かれている事は、手術出来た場合の予後が少しある程度です。原発性肺腺癌と診断されて、どういう状態で進行していき、どうなるのか。それを知りたくとも、記録として残されていたブログすら見つけられませんでした。

インスタのタグにも無し。

何より、治療の臨床論文すらほとんど無し。
私が病院で働いていた時に、一頭だけ肺腫瘍の摘出手術を受けた子がいました。

その子の事を必死で思いだしました。
キャバリアさんでしたが、同じくグレード兇任修了はカルボプラチンを投与してコントロールしていたと記憶してます。

副作用なく過ごされてましたが、2年未満で旅立った。

再発して治療方針を決める時に、先生にこの話をしたら、僕はパラディアを進める。少ないけど、臨床があるし、可能性もあるから。やってみませんか?と言われました。
でもね、1ヶ月の費用がそれなりに掛かります。そして続けて服用していくからどこまでやるかも決めないと。とも言われました。

私がいつも思うこと。
それがこういう治療を選択する際に、どうしても金銭面の問題もついてまわります。
命には変えられないと思っても、出来ることと出来ない事は現実的にあります。

獣医師は、選択肢として提示してくれますが、選ぶのは飼い主です。
そこで何を選択するか、悩まれることもあると思います。

無治療、抗がん剤、手術、対処療法、維持療法、ターミナルケア。

突き付けられた病名に、心が打ち砕かれてしまう飼い主に、医師として選択肢を提示する側も本当に辛い告知をしていると思って聞いてます。

医師としては目の前の子に最善を提示したくとも、飼い主の望みとは違う事も多いんです。
だからこそ、飼い主側がどうしたいのか。
これをしっかり伝える事が何より大事な事だと思います。
私にとって良い先生とは、飼い主の意向にしっかりと寄り添い、最後まで飼い主の希望を叶えようと努力してくださる方。

ロジャーとコディ
どちらも3年程病気と闘い、共存して、思えばどちらも最後はあっという間の2日間っていうスピードで旅立ってしまいましたが、そこまでの間、私の望む生活をおくれていました。

完治を望めない病名がついてしまった時、
その原因をそこで考えても何も始まりません。
考えるのはただ一つ。
この先、どう暮らしていくのか。
どう楽しく過ごそうか。
コントロールしていく過程で、薬に負けない身体を作るご飯。

そして、おそらくこれは私だけの目標。
目の前の子以外に没頭できる物を作る事。
自分の心を集中できる、違う楽しみも見つける事。これがあると本当にしんどい時に自分が踏ん張れます。
仕事でも、趣味でも、切り替えのスイッチを持つ。とても大事な事だと思ってます。

夏以降、なんとなく以前より動きも悪く、身体の衰え、気力の衰えを感じてはいました。
過ごしやすい冬がくれば、状態はよくなるかな?と思いながらすごした秋。

しかし、えづき、いびきなどの症状が出だし、パラディアに耐性ができはじめてしまった事が数値的に表れてしまいました。

状況が変わっていくにつれ、何か対処出来ないか、その都度考えていくも、パラディアに変わる薬がなく、メトロノミック療法に切り替えるのは、まだ先にしたいと先生は言う。
11月の時点で、こういう話をしていました。

えづきがでてからは、フスコデの服用も始まりました。それでもえづきは押さえられなかった。つまりは、腫瘍が大きくなり、立ち上がる時に肺を刺激してえづく。

だんだん選択肢がなくなってきた時期でした。
12月にはもうパラディアを諦めて、メトロノミック療法に切り替えることになりました。
毎日、一回の服用です。
そして、クリスマスにとうとう肺炎の症状が出てしまいました。

ここから先はもう頭も身体もフル回転でした。

おそらく、クリスマスの時に最後につかったエラスポールを使っていたら、もしかしたらコディは今横にいてくれたかもしれません。

これが、提示されなかった選択肢なんです。
なぜなら、毎日、皮下注射でうつ薬だから。
冬のこの時期に、毎日片道30kmを通院できる時期ではない事、何よりコディの状態が良くない中での通院が負担になりかねない事。

では、何故、最後にエラスポールを使ったかというと、私が自分でコディに毎日射つと先生にお願いしたから。

それでも間に合わなかった。

この決断をするまでのコディは、そこまで一気に悪くなるような感じではなく、ステロイドがなんとか炎症を抑えてくれていたから、もしかしたらこのまま抑えてこめる?なんて期待もしていたからなんです。


でも、甘かった。

何もかも後手だったかもしれません。
それでも、なんとか命を繋ぎたい一心で選択した治療に後悔はありません。

もし、ここに、肺腺癌と検索されてたどり着いた飼い主様がいたら、これだけはお伝えしたい。

残酷かもしれませんが、腫瘍を摘出出来なかった場合、最後は呼吸障害が必ずあります。胸水も溜まります。癌性胸膜炎が発症すると痛みも伴います。
これらの苦痛をいかにして、抑え込み、最小限にするか。これが、飼い主の大仕事です。

私は、鼻からカテーテルを入れてもらい、酸素供給を選択しました。
この時、酸素ボンベの方が、流量をコントロールできるので、使い安かったです。
流量をコントロールできない機械だと、かえって肺に負荷を掛けてしまう場合もあります。もし、機械のレンタルを考えている場合は、流量を調整できる機械を借りられる会社もありますので、良く調べてレンタルされてください。
膨らまない肺に、過剰に酸素をいれると、逆に苦しさが増すからです。

そして、早くに見つけられたなら、本当に最後の時まで、日々笑顔で一緒に楽しく過ごす事、これが1番の薬です!

お互いに、日々、笑って過ごす楽しい時間は、どんな治療より免疫力を上げてくれるし、今、瞬間を生きている我が子にとって1番大事な時間だと思います。
どうか、辛い時間が最小限でありますように。

最初の発症から、約2年8ヶ月
中央生存率なんて軽く飛び越えて、再発の予後予測も吹き飛ばしてくれたコディ。DSC_1896

1月18日のコディ。
テニスボールみつけてご機嫌(笑)
本当なら、くわえて遊びたかったんだよね。
もうくわえてるのが、しんどいから、あきらめたコディだったけど、ボールみて笑ってた。

90ef9ae6

2009年8月14日の琵琶湖。
この日、琵琶湖にお迎えに行きました。
我が家に迎えた日。
ここから始まりました。

コディ、幸せだった?楽しかった?
私はコディのおかげで、最高に楽しく幸せな時間を過ごせたわ!
あなたに会えたご縁をいただけて、本当に本当に幸せだった。ありがとう。

でもね、これだけは声を大にして言いたい!

12歳、13歳、14歳、何よりも15歳のコディに会いたかったよぅぅぅ!!!!!


きっときっとニコニコと素晴らしいハイシニアさんだったろうね。。。

コディの肺腺癌 記録 1

このブログには再発からの記録を書いてきましたが、最初に見つけた時からの記録を改めて残そうと思います。

2018.6.3 私が車で事故に合い、同乗していたコディも念のためにと翌日レントゲンをとりました。
それまでは、年1で胸部、腹部レントゲンを撮っていたのですが、病院を変えてからは6歳になった頃に撮っていただけだったので、そろそろ検査しなきゃ。。と思いながらタイミングを逃していた事を今更ながら後悔しています。

1年以上検査していなかった間に原発性の肺腺癌が出来てしまってました。




この時のインスタにレントゲンの画像があります。

この時点で約7cmでした。

一般的には右肺葉に出来ることが多いそうですな、コディは左側。太い静脈の根元から発生しており、CTの検査結果でここを剥離する事が厳しい状態であることがわかりました。

肺腫瘍の場合、原発性なら5cm未満で見つかれば、即外科的に手術して腫瘍を摘出できればほぼ完治が見込まれる癌です。

ですが、5cmを越える腫瘍の場合は、血管との癒着、切除する肺葉の部分が大きくなる、マージンがどこまでとれるかわからない。
など、色々予後不良になる材料が出てしまいます。

肋骨に囲まれている為、放射線治療は効かない。肺腫瘍には効く抗がん剤もほとんどない。

生命の要の呼吸の臓器。
自覚症状が出てから見つけても、あっという間に呼吸が止まる疾患。

5cm以上の腫瘍をオペするにはリスクも高く、執刀できる獣医師、病院も少ないのが現実。おまけに私の住む地域では、このサイズの腫瘍をオペした経験のある獣医師がいませんでした。

悩みました。とことん悩みました。

この時点でコディには自覚症状は0。
やるならとにかく早くやらないと、ギリギリの大きさ。
しかし、やるとなると県外の大きな病院でしか出来ない。分離不安があるコディに入院が耐えられる?事故後の私がそこまでコディを車で連れていける?

八歩塞がりの状態の一週間でした。

そこに、鶴の一声がかかり、なんとか執刀できる先生が見つかり、しかも、掛かり付けの病院で出張オペをしてもらえる!

もう、何もかもが強運!と思えました。



見つけてから約1ヶ月後の7月1日
手術室にはMAX人数の獣医師が、執刀医のオペを見学に集まりました。

身体にメスを入れてから、血管剥離して腫瘍摘出まで、たった40分。驚く程速かったです。
通常ならお金を払って勉強させてもらうレベルの手術。そのくらい珍しい症例でもあり、経験も出来ない事が多い手術と言われました。

その先生に言われた事。
定期的な検査しか、こういう物は見つけられないから、やっぱり検査する事がとても大事なんです。このタイミングがギリギリでしたね。
ここで見つけられて本当に良かった。
後1ヶ月遅かったら、僕でも出来なかったですよ。と。

何時くらいから発症した感じですか?と訪ねたら、おそらく半年以上は前でしょうね。とおっしゃいました。

だからこそ、私がずっと後悔している事。
なぜあの時に、レントゲン撮らなきゃと、気にしてたくせに、先延ばしにしていた事。
これが全ての後悔なんです。
5cm未満で見つけられなかった事。
それまでは、あれだけマメに検査してたのに、本当に隙間を突かれたんです。
私の油断が全ての発端なんです。
悔やんでも悔やみきれない。。。。。




摘出後、なかなか体内の炎症が治まらず、10月までずっと漿液(しょうえき)が引かず、ステロイドを服用してコントロールしていましたが、服用を止めるとすぐに漿液が溜まる。これを繰り返していたので、再度、手術して筋肉周辺を調べる事になりました。

腫瘍に対しては、抗がん剤も効かない原発性肺腺癌との病理診断結果でしたから、無治療で免疫力を上げて再発しないようにしていく方向で、主治医と決めていたので、これ以上ステロイドで免疫力を下げたくなかったという事もありました。

結局、腫瘍摘出手術の後、内部の糸に反応したのかはっきりとした原因はわかりませんでしたが、肉牙腫になっており、その部分を摘出しました。

中々治らなかった炎症も、再手術して1ヶ月程でやっと通常の生活に戻れました。









9歳の7月に手術。10月に再手術。
10歳の春に歩様がおかしい?と気がつき、5月末に髄膜腫がわかり、6月に手術。
12月のCTと、MRIで肺腺癌の再発が見つかりました。

おそらく、9月の1回目の検査辺りで、再発していたと思われます。
まさに、髄膜腫の術後、免疫力が一気に落ちた隙に癌細胞が暴れ出してしまった。。。

最初の摘出後の病理診断では、グレード 中悪性との診断でしたから、再発するかしないかは掛けでした。

一般的な予後では
<5cm 20ヶ月 >5cm 8ヶ月
中等度(コディがこれです) の中央生存率 251日
高分化(低悪性) 790日
無症状で手術した時 520日

未分化(激症型) 5日

これが肺腺癌の予後の指針です。
最初に目指したのは、250日突破。
再発までは、1年以上頑張れました。
再発した場合の予後は、150日未満と言われていたので、ここは絶対に越えてやる!と腹を決めた瞬間でもありました。

コディが楽しい!と思うこと。
体調をみながら、その時笑顔で過ごせる事を一緒に楽しもう!

大きな病気を抱えると、治療によるダメージも蓄積されていると思ってます。
犬の1日は人の4倍の時間経過。1年先と考えると、人だと3年以上の月日に相当します。

再発からの月日は、本当に来年があるかわからない。。。と常に心のどこかに思いながら過ごしてきたのは間違いではなかったです。
私の中では、12歳までは何としてでも踏ん張ろう!と向き合ってきたつもりでした。


初七日

DSC_2001

あっという間に初七日。
お花に囲まれて、毎日、甘酒とリンゴと納豆とパンは欠かさずあげてある。
ロジャーはカステラだったね(笑)

見送ってから次の日は仕事。
翌日がまた休みで、朝から酸素機器の返却、病院にボンベを返しに、とバタバタ動き回っておりました。

この写真立て。もっちゃんのママさんからいただきました。

この日まで、写真すら用意してない私
もう、見送る事に精一杯で、気が回らなかったんです。
あたみ男子にはやっぱりビタミンカラーが似合いますね!
ありがとうございました!

午前中の診察が終わる時間に、病院を尋ねました。

診察室に入ると、先生が大きなため息。
はぁー。僕も寂しくて、寂しくて。
開口一番、こう呟く先生。
コディ、先生もコディが大好きなんだよ!

最後の日の写真を先生に見せました。
お昼の外で、顔をあげていたコディの写真を見て、
良かった!こんなに良い顔で過ごせてたんだ。
本当に良かった。
ずっと苦しい顔してたんじゃないかと心配だったと。

旅立ちの10分前の顔も見せて、先生に、
最後もね、こんなに穏やかだったから、本当に苦しかったのは断定的で、ずっとではなかったと思う。穏やかに過ごせる時間を作れたから、本当にこれで良かったんだと思います。
だって、肺疾患の最後を思うと、本当にコディには、辛い時間を最小限にで来たと思うから。
あっという間で良かった。
本当に良かったんです。

そう伝えました。

先生、無事見送ってあげられたこと、本当にありがとうございました。

深々と頭を下げながら心からお礼を伝えました。

先生から、
こちらこそ、コディと私には本当に勉強させていただきました。
私、いやいや、ただ私がこんなだから、出来ることはやる!そう決めてたから。
先生大変だったでしょ(笑)

先生、
だから、その通りで、こちらが思うこと全てやらせてもらえた。やりきらせてもらえた。獣医師としてやりきらせてもらえる事は、中々ないんです。こちらが感謝してます。と。

私、
確かにそれはよく解ります。
やりたいけど、出来ない。
飼い主側に委ねられてしまうから、どうしても先生達にはジレンマが生じる。
私はそれが嫌だし、私自身、そのジレンマに耐えられなかったから。
完治がないからこそ、どう最後を迎えるか。そこをどう望む方に持っていくか。

私の願い通り、最小限で迎えられて、私もやりきれたと思ってますよ。と。

ここで、先生が電子カルテを持ってきて、長いお付き合いでしたね。
五年間、本当にコディよく頑張った!

私、やっと通院期間があく!って時に、変な事になってまた登場!ってパターンばっかり出下よね(笑)

私、今回見送った時より、髄膜腫の時の方が怖かったです。と言うと
コディって、運が良いのか悪いのか?強いよか、弱いのか?全く不思議な子(笑)
僕、絶対忘れませんわ(笑)
力強く笑う先生でしたわ。

ロジャーといい、コディといい、
それぞれに合った先生に巡りあえて生き抜けた事。それぞれ運が強い子なんだと思いました。

インスタで繋がり、色々アドバイスをくたわさったリキくんのお兄さんのおかげもあります。
的確にお薬のアドバイスをくださいました。
本当に助けていただきありがとうございました。

病院を後にして、桃太郎くんとママさんにご挨拶に伺いました。

この日のもっちゃんの素振りが、どうもコディのようで(笑)
もっちゃん優しいから、コディに身体を貸してくれたんだね!
ママさんと、ずっとおしゃべりして心が本当に晴れました。話し相手になって下さり、ありがとうございました!

そして、たくさんの方々に応援していただいていた事、支えていただいていた事、みなが、コディは本当に頑張った!本当によく頑張った!コディはいつもニコニコと可愛いね!と笑顔で言ってくださる事。
帰りの車の中で、急になんだか心が温かくなり、コディ、嬉しいね!
みんなに可愛がってもらってたんだよ。こんなに幸せな事ないよね。
コディのおかげで、こんなにも楽しかったなんて、本当にありがとう!と自然と想いが溢れました。

何かがスーっと軽くなった瞬間でした。
ずっと冷えていた身体が本当に温かくなったんです。

不思議な時間でした。

DSC_1997


次々と蕾から咲いていくお花達
を眺めて過ごす時間。
1日1日、確実に時間は過ぎていきますね。

いない寂しさはつきものですが、心は穏やかに過ごせております。

旅立ち





晴れ男コディが選んだ日。
冬の北陸で、雲一つない晴れが2日も続いた。
本当に奇跡のような2日間。

まさにそこを選んだんでしょうね。

20日の夜、とび丸のお姉さんと、私の友達がコディに会いにきてくれました。
本当なら、21日のお昼に、とび丸のお姉さんにお手伝いをしてもらい、とび丸の掛かり付けの先生にエラスポールを射ってもらう手筈になってました。
それも、もう叶わなかった。

20日、二人が来る前に、病院に電話をしたら、すでに留守電になっていた。
それなのに、5分もしないうちに先生から連絡があり、いつ?どうして?と先生まで涙声でした。えー。もう本当に。。。あー。もう。寂しくて、残念で。。。
先生も言葉が出てこない。
私も、ね。あっという間に逝っちゃった。としか言えなかった。
お昼の状況を少し話して、先生、本当に色々お力添えいただいてありがとうございました。
なんとかお礼を伝えると、
こんなこと言うとなんですが、
獣医師になって、こんなに密に付き合わせていただいた子はコディが初めてなんです。僕にとっても特別な子でしたから、本当に寂しくて。。
そうおっしゃいました。

私のような物言う厄介な飼い主に、またまた厄介な事ばっかりのコディのコンビ(笑)を最後までしっかり支えていただけて本当にありがたかったです。

21日、朝、昨晩、弟達家族に報告をした時、最後はちゃんとしっかり送ってあげて!と言われたので、ちゃんとお葬式をする事にしました。葬儀所に問い合わせると、夕方4時間以降ならと言われたので、ちょうど大好きな夕方のお散歩のだし、その方がいい!と思って、その時間でお願いをしました。

お昼から、次々に公園散歩のお友達がコディに会いに来てくれて、それぞれがそれぞれのコディの武勇伝を方っていかれました。

それを聞いていた母が、
なんか、私にはそんな思い出がないわ。。
なんか寂しくて、。と。
だって、お母様、何度も散歩に誘っても、来なかったじゃないの!
って、突っ込んでおきました(笑)

DSC_1944


皆様からいただいたお花に囲まれていくコディ。キラキラのゴージャスなコートをみんなが誉めてくれてるよ!

DSC_1954


15時半過ぎ、年が開けてからは一度も行けなかった公園。
やっとこれたね。
こんな日は、いつもたくさん雪用のトイ投げて、ずっと遊んでたね。

16時過ぎまで、ずっと公園にいました。
りのん、らいらのママと、ショコラのママが来てくれて、公園散歩の日々を話してました。

きっと、その間、コディは雪原を走り回っていたでしょうね。
不思議な事に、トイプーのショコラ、コディを見つけるといつも駆け寄ってくるのですが、この日、同じように駆け寄ってきて、コディが寝てるから、車に飛び乗ろうとしました。

一生懸命コディの匂いをクンクンして、その後、ママがコディはね、もうお空に行くんだよ。と車から下ろすと、また賭け上がろうとすり。顔を見たら目に涙が。
ママの膝の上に座り、いきなり くぅんくぅん
と泣き出しました。
私達の顔を見渡しながら、悲しい声で訴えてくるんです。

ショコラ。ありがとね。コディ、ここに来てるんだね。わかったよ。ありがとう。
と、ショコラを撫で撫でして公園を後にしました。

葬儀所でも、何人かの公園散歩のお友達が来てくれており、遠くからわざわざ駆けつけてくださったしっぽのマスターにママさん、皆様本当にありがとうございました。
コディはみなさんに本当に可愛がっていただけて幸せな時間を過ごせてこれたんですね。

こんなにありがたい事ってないですね。

DSC_1970


穏やかに微笑んでいました。

大好きな人達に見送っていただけて、骨まで拾っていただけて。

そして、たくさんのお友達が青空から見事な夕焼けの空に昇るコディを見上げてくださった。

お骨になった頃には、満点の星空が広がっておりました。


コディ、あなたが頑張った事、みんなが誉めてくれてたんだよ。
コディ、こんな幸せな事ないよね。

コディ

私にとって2頭目のゴールデン
ロジャーとは全然性格も違ってて、2回り程小さいゴル。
でも、毛並みのゴージャスな所は一緒(笑)
甘えん坊な所はコディの勝ち!

大好きだよ。
お利口さん。本当にお利口さん。
コディは頑張り屋さん。
本当に頑張り屋さん。
可愛いね。ここまで本当に頑張ってくれてありがとうね。コディありがとうね。
大好きだよ。大好きだよ。

DSC_1928

そう伝えながら、ずっとコディの目の前に座り頭を撫で、前足を撫で、身体を撫でていた時間。

コディ、夕方まで待ってて。
後4時間待てる?

そう聞くと、悲しい顔をした。
DSC_1931

コディ。お外気持ち良かったね。
コディ、もう十分頑張ってくれたもの。
いいよ。待てなかったらいいよ。
コディ、大好きだからね!
大丈夫だからね!
待ってなくていいよ。
わかってるから。大丈夫だから。

こう話しかけている間に、
意識が混濁している感じでした。

最後に、コディ、本当に大好き。本当にありがとう。お仕事行ってくるね。
と、コディの顔に、私の顔を引っ付けて、小声でコディ、コディ、コディ、大好きよ。
と、伝えて立ち上がりました。

部屋を出る時、コディはもう顔を上げる力もなかった。
私が最後に見たコディは、私に背中を向けたまま動けず横たわっておりました。

その5分後、母がコディの目の前で、カーペットのゴミを拾おうとしていた時、
大きなフーという呼吸に驚き、
コディ!?と横を向くと同時に、身体が上にのけ反ったそうです。
慌てて、コディ!と頭を抱き抱えた時、2度目の大きなフーと力が抜けていく呼吸。

コディは大好きな母に、しっかりと支えられて最後の時を迎えました。

母はすぐに私に電話をくれました。
気が動転している母、私が電話に出ると、
いきなり、コディ、今逝っちゃった。もう心臓が動いてない。。どうすればいいの。。
私は母に、大丈夫だから。ありがとう。
酸素止めて、カテーテルのラインの根元を外しておいて。身体の下にトイレシーツを引いたら、保冷剤で冷やしておいて。

それだけを頼んで電話を切りました。

ここから4時間、涙せず、仕事を終わらせました。

自分の車に乗るまで、何とか思考を仕事モードに保ち、こらえられました。

家まで5分。
もう、慌てて帰ろうが、ゆっくり帰ろうが、温かいコディはいない。
いきなり突き上げてきた感情、コディ、そばにいなくて本当にごめんなさい。見送ってあげられなくて本当にごめんなさい。
コディ、ごめんね。ごめんね。

5分間、声をあげて誤り泣き運転してました。

DSC_1934


冷たいコディのハズなのに、ダブルコートがゴージャスなコディは、まだアンダーコートの中にコディの温かい温度が残ってました。

泣きながらその暖かさを確かめ、コディありがとう。本当にありがとう。
と話しかけて、最後の仕上げをしました。

お家で旅立った場合は、口、お尻に綿を積めて栓をします。
病気が原因の場合、体液や血液が流れ出て身体を汚してしまうからです。

この日の夜、母がコディに付き添い寝てくれました。
コディにとって、家の中では母が1番!
お外では私が1番。
ちゃんと分けて接してました。
こういう所が、コディらしいんです(笑)

Profile

y-ko

Recent Comments
Archives
ご訪問ありがとワン♪









  • ライブドアブログ