このブログでは、公式を丸暗記し、公式にあてはめて機械的に答を出す方法が
いかに「本物の学力」を低下させているかについて論じてきた。
ただ、その例として、これまで算数ばかりをあつかってきたので
このあたりで数学でも算数同様、「考える学習」が
成立することをお伝えしようと思う。
というのは、一般のイメージでは、数学こそ公式を暗記して
数値を当てはめて答を出すものとの認識が
算数以上に強固な常識となっている感があるからである。

数学における「考える学習」のコツ
まず、授業で出てくる数学用語の定義を丸暗記するのではなく、
どうしてそのように名づけられたのかを考えてみる
ことである。

たとえば、「自然数は正の整数である」とふつうは暗記する。
そのうえで、問題演習にチャレンジして、すらすら答が出るまで解くと
いった勉強方法が一般的だ。

次の中から、自然数を選びなさい。

 −5,0.3,7,0,−1.1,100


ここで、「自然数は正の整数である」ということをしっかり暗記できていれば
この問題は簡単に解けるが、
その定義を忘れてしまった場合、少々やっかいである。

ええと、たしか自然数というのは小数や分数は入らなかったよな。
0はどうだったけ???


みたいに混乱してしまい、正しい答を得られにくくなる。

だけど、数学用語の定義を丸暗記するのではなく、
自分なりに数学用語を理解しておくと状況はちがってくる。
時間が経っても記憶があやふやにならないのだ。

数学用語を理解するということは、
まずその意味を知るということだ。
しかし残念ながら、学校や塾の授業では
なぜかそういうことはふつう説明されない。
参考書でさえ、用語の定義を書いておしまいといったものばかりだ。

では、どうするか?

自分で考えるのである。

どうやって?

幸いにして、数学用語はほとんどが漢字で作られている。
漢字は表意文字といって、意味を表す文字である。
そこで数学用語に使われている漢字が手がかりになるわけである。
その漢字を手がかりにして、
なぜこのような名前がつけられたのだろうと考えてみるのだ。
いや、「考える」というよりも、「妄想する」といった方がいいかもしれない。

どんな名前でも初めからつけられているのではない。
あるとき、だれかが、なにかしらの理由で、その名前をつけたのだ。
まさか、でたらめに名前をつけたとは考えにくい。
「健やかに太く朗らかに」育ってもらいたいから、
子どもに「健太朗」と名付ける母親のような感覚だ。

数学用語をつけるとき、「この考え方にはこのような意味があるから、この漢字を当てよう」とか、
数学者同士が会話していたはずなのだ。きっと。

では、妄想してみよう。

先ほど例にあげた、中1数学で出てくる、自然数。

自然数…「正の整数」

自然数とは、なんだ?
まず、自然数が正の整数ということは、負の数や0は入らない整数ということだ。
じゃあ、なぜ「負の数や0は入らない整数」のことを自然数というのだろう。
自然数だから、自然の数ということかな。
自然というと、アルプスの少女ハイジを思い出すなあ。
山羊飼いのペーターも出てきたぞ。
山羊を数え始めた。
1頭、2頭、3頭…、お、ひょっとして、これが自然数か。
そういえば、「−3頭の山羊がいたぞ!」とは絶対言わない。
これじゃあ、まるで四次元の世界に迷い込んだ山羊みたいだ。ありえない。
「山羊が0頭いたぞ!」この場合は「山羊はいなかったぞ!」だろ!(`⌒´)
「1.5頭の山羊がいたぞ!」まるで生きている山羊1頭と解体した山羊の半分みたいだ。
これも絶対、言わない。
ということは、自然の中で生きている動物を数える時は
「負の数や0は入らない整数」を使っているなあ。
だから、「1,2,3…のように負の数や0を含まない整数」のことを自然数というのか。


のように自由にいろいろと妄想してみるのだ。
もちろん、自然数という言葉の本当の由来はこれが正しいかどうかはわからない。
もしかして、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
どっちでもいいのだ。
要はいろいろ考えることによって楽しめばいいのだし
またそのことによって、自然数の定義がすっと頭の中に入ればいいのである。

こじつけでもなんでもいいから「このように考えると説明がつく」ように考えることがコツ!

もうひとつ、いってみよう!

これも中1数学で出てくる、絶対値。

絶対値…「数直線における0からの距離」、(または「0との差」)

自然数は自然の数と考えてうまくいったから
絶対値は絶対の値と考えればいいかな。
ん、絶対の値って、なんだ?
自信満々の値ということか?
う〜ん、よくわからない〜
じゃ、「絶対」をばらばらにしてみるか。
最初に「絶」の意味を考えてみよう。
「絶」を訓読みで読むと、「絶える」とか「絶つ」とか読める。
そういえば「絶望」は逆さに「望みが絶たれる」と読めるので、
「絶」の意味は「なくなる」ってとこかな。
次に「対」は?
「対」の訓読み…あれ?どう読むのだろう?
これじゃあ、手がかりがない。
これはネットの辞書で調べてみるか。
Yahooの検索窓に、「対」を入力して、エンターキーをポン!
「二つそろって一組みとなること。また、 そのもの。」ということね。
つまり、光と闇、天と地、男と女、左と右のようなものだな。
ということは、数学では、+と−ということだ。
だから、絶対値とは、「対をなくした値」と考えると説明がつくぞ。
学校の先生が要するに絶対値は「+と−を取った値」と覚えておけばいいと
言ったことにつながるな。


というように、どのような用語も自分なりに妄想することは可能だ。
もちろん最初は慣れないからうまくいかないかもしれない。
とにかく慣れの問題だ。

何かをただ単に機械的に暗記する勉強とちがって
結構おもしろいじゃん、と気づいてもらえるのではないかと期待して、
最後に、この学習方法の利点を列挙してみると、

1.自分なりに「だからこうなるのか!」と納得しているので、
時間が経っても用語とその意味を忘れることはない。

2.なによりも漢字に詳しくなるので
語彙力が確実についてくる。

3.上記の妄想の経験を数多くすればするほど、
勘が鋭くなり、用語の意味の推測が素早くできるようになる。

4.解き方や公式を忘れても、理解している「意味」にしたがって
答を導き出すということも可能になる。
それは、算数において、速さの公式を覚えていなくても
時速や分速の意味を考えれば答が出る世界に通じる。

5.この学習方法は数学だけではなく、他の科目でも通用する。
日本語で学ぶ以上、重要項目の用語はそのほとんどが
漢字を組み合わせて作られているのだ。

6.勉強が進めば進むほど、「考える力」もついてくる。
いわば、「思考する土台」が頭の中にできあがるというわけだ。


欠点はといえば、時間がかかること。
だけど、テストの点数を度外視すればいいだけのこと。

まさに「急がば回れ」式学習法である。

どうでしょう。試してみませんか♪