筆ペンで描く日々

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アイダホ州、モンタナ州、ワイオミング州にまたがる世界最古の国立公園。
世界遺産としても、最初に登録された12件のうちのひとつである。
火山地帯にあり、地球上の温泉(源泉)の50%、間欠泉の3分の2がここにある。

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コペンハーゲン近郊ロスキレ市にあるゴシック様式の大聖堂。
コペンハーゲンのあるシェラン島では唯一の大聖堂である。

ヴァイキングの王ハロルドが10世紀に建てた木造の教会が始まり。
12世紀後半から100年の歳月をかけて大聖堂が建設された。

建築はロマネスク様式とゴシック様式の折衷で、
北ヨーロッパの「煉瓦ゴシック様式」の典型である。
15世紀からデンマークの代々の君主40人以上が葬られてきた。

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オリンダはペルナンブーコ州にあり、州都レシフェの北、大西洋に面している。
町の名前はポルトガル語で「なんと美しい」という意味である。
今も海岸沿いには教会を中心に歴史的な建物が数多く残っている。

最初にオリンダに到達したヨーロッパ人はフランス商人といわれている。
その後、ポルトガルが1537年に都市の建設を開始し、砂糖産業を中心に繁栄した。
レシフェを建設したオランダによって一旦破壊されるが、
1654年に再度ポルトガルがオリンダを奪取し、
ポルトガル風の建築物が建てられオリンダは蘇った。

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アーグラにあるムガル帝国時代の城塞。
デリーの南約204kmのヤムナー河岸に聳える赤い城。
この赤砂岩で築かれた城は「レッド・フォート」とも呼ばれる。

3代目皇帝のジャラールッディーン・アクバルによって、
デリーから都を移し、1565~1573年に彼の居城として建てられた。
その後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の居城となった。

シャー・ジャハーンは15歳のとき、城の中で年に一度行われる
ミーナ・バザールでアルジュマンド・バヌー(12歳)を見初め、5年後に結婚。
彼女はムムターズ・マハルと呼ばれ、14人の子をもうけたが、36歳で病死。

悲しんだシャー・ジャハーンは、妃の墓を作る。
これが世界遺産でもあり人気の観光地ともなっているタージ・マハルである。
建設には国が傾くほどの財が費やされた。

息子のアウラングゼーブが兄弟間の後継者争いに勝つと、
父であるシャー・ジャハーンをタージ・マハルの見える
城塞内の「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジ)に幽閉してデリーに移った。

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ラムセウムは、紀元前1270年頃に建てられたラムセス2世の葬祭殿。
ラムセス2世は、紀元前1290年頃即位したエジプト・第19王朝のファラオである。
90歳を超えるまで約70年在位し、建築王としても名を馳せ、
アブ・シンベル神殿やカルナック神殿などを建設した。

ここをラムセウムと名付けたのは、エジプト学の父シャンポリオンで、
ラムセウムを「テーベで最も高貴にして典雅な建物」と称えている。
彼は、ナイル川西岸、歴代ファラオの王墓が集中する地域を、
「王家の谷」と名付けたことでも知られている。

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オーストラリア北東岸に広がる世界最大のサンゴ礁地帯。
南緯10度から24度にかけて広がり、2600kmを超える長さに
2,900以上の暗礁群と約900の島を持ち、総面積は344,400km2以上。

宇宙空間からも確認できるほど広大であり、
生物が作り出した単一の構造物としては世界最大である。
多くの海洋生物、鳥類が暮らしており、絶滅危惧種を含む固有種も多い。

気候変動等による珊瑚の白化など環境問題に直面しているが、
それに対する先端的な取り組みも数多くおこなわれている。

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北京にある明清王朝の旧王宮。
故宮とも呼ばれ、現在は博物館になっている。
元がつくったものを明の成祖・永楽帝が1406年から改築。
1421年に北京へ都を遷し、清朝滅亡まで宮殿として使われた。

1644年の李自成の乱で明代の紫禁城は焼失した。
李自成の立てた順朝を滅ぼし北京に入城した清朝により再建され、
皇宮として皇帝とその一族が住む政治の舞台となる。

1908年12月、西太后は光緒帝の後継者として愛新覚羅溥儀を指名。
溥儀は2歳10か月で清朝第12代宣統帝として即位し、
紫禁城に居を構える最後の皇帝になった。


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アケメネス朝ペルシア帝国の都。
遺跡はイランのファールス州(当時の地名はパールサ地方)にある。

ダレイオス1世がペルセポリスの建設に着手したのは紀元前520年。
建設はクセルクセス1世、アルタクセルクセス1世の治世前半まで
60年間継続して行われたが、行政都市というよりは、儀式用の都市であった。
紀元前331年、アレクサンドロス大王の攻撃によって破壊され、廃墟となった。

タチャラはダレイオス1世のプライベートな宮殿である。
ペルセポリスの他の部屋のほとんどの柱が倒壊して残っていないのに対し、
ここにはまだ多くの柱が残っている。
有名な「雄牛を襲うライオン」のレリーフがここにある。


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ダラムにあるノルマン様式建築の城。
1840年より全体がダラム大学学生寮となっている。
城はダラム大聖堂と共にウェア川を見下ろす丘の上に立つ。

城の原型は、11世紀にイングランド王国北部において
ノルマン朝の勢力を投影させるために建てられた。
ノルマン人が好んだ初期モット・アンド・ベーリー型城の秀逸な例である。

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フォロ・ロマーノは、東西約300m、南北約100mに渡って存在する
古代ローマの中心部「フォルム・ロマヌム」の遺跡である。

紀元前6世紀頃からローマ帝国がテトラルキアを採用する293年にかけて、
国家の政治・経済の中心地であった。
しかし、ローマ帝国が東西に分裂し、首都機能がラヴェンナに移されると
異民族の略奪に曝されるようになり、
西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられ、土砂の下に埋もれていた。

19世紀に入って本格的に発掘調査が始まった。
帝政時代初期まで開発が繰り返され、
遺構はさまざまな時代のものが混在しており、発掘を困難にしている。
現在の遺跡の大部分のものは帝政時代以降のものである。

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