優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。


厳島神社の平舞台から細長く先に突き出した部分を火焼前(ひたさき)といいます。祭典のときや船で訪れる参拝客を誘導するためにかがり火を焚いていたことによる、と言われています。ここには青銅製の燈篭があり、大鳥居の風景を撮影したり、記念撮影には絶好のスポットです。IMG_0377
浅田真央サンクスツアーの一行も公演前にここを訪れたようで、メンバーの川原星さんのInstagramに写真があがっていました。雲ひとつない快晴ですね。o1080107914298006208
@SeiKawahara


厳島神社の大鳥居は高さ約16m、主柱の根回り約10m、木造の鳥居としては国内最大級です。11月3日のこの時間帯は潮がよくひいて大鳥居の根元まで歩いて行くことができました。潮汐表で潮の様子を確認することができます。IMG_0366
神社の建物の先端である火焼前(ひたさき)から鳥居までは約200mあります。干潟には大量のあおさが残されており、神社の職員がブルドーザーを使ってこれらの海藻を回収処理していました。IMG_0370
大鳥居の根元まで行くと主柱に大量のコインが押し付けられているのがわかりました。足元にもたくさん落ちています。外国のコインもたくさんありました。集められることもあるのでしょうか? 音に気づいて見上げると、大鳥居の上をドローンが飛んできました。テレビ局の取材なのかもしれません。IMG_0371

晩秋
高速船が着く桟橋のあたりはそれほど混雑していませんでしたが、宮島口からの船が着くメインの桟橋周辺まで来ると、修学旅行らしい小学生の団体や観光客の姿が増えました。厳島神社にゆかりの深い平清盛像のかたわらに、鮮やかなチマチョゴリを着た人々が並んでいました。これから日韓文化交流のパレードが始まるようでした。IMG_0358
IMG_0361
IMG_0360
さらに少し歩くとまた行列ができています。シャネルがイベントを行っているようでした。なぜ宮島でシャネル?と思いましたが、入るには長い行列で待たねばならず、横目で見て大鳥居へ向かいました。今は潮がよくひいていて、大鳥居まで歩いていけます。IMG_0364
IMG_0362

秋の海
宮島は広島県廿日市市に属しています。広島湾に出ると船は西へ舵をきり、宮島を目指します。海では他の大きな船も通ります。エンジン効率の悪い船ほど大きな波をたてるそうで、そういう船がやってくると、そのあとから大きな波が来て揺れます。IMG_0356
船員さんが廿日市市の沖合いで「あれがカルビーの工場です」と教えてくださいました。カルビーの創業の地が広島だったことを知りました。IMG_0357

秋晴れ
出航してしばらくすると客室から外に出てまわりの景色を楽しめるようになりました。この日は日本人の乗客もかなりいましたが、ふだんは大半が外国人観光客だとか。帰りに鉄道を使いましたが、いいお天気なら「ひろしま世界遺産航路」で宮島に向かうのが断然お勧めです。原爆ドーム下に戻る僚船の乗客と手を振り合ったりして船旅を楽しみました。IMG_0354
橋を八つくぐり、広島湾に出ます。広島湾に出ると船は速度をあげるので、乗客たちは客室に戻ります。河口ちかくには牡蠣の加工工場が並んでいて、牡蠣の殻がベルトコンベアで積み上げられているのが見えました。IMG_0355

爽やか
3日の文化の日は宮島へ行くことにしました。元安川の原爆ドームのすぐ下から出航し、宮島まで直通の船でつないでいる「ひろしま世界遺産航路」です。面倒な乗換えはなく、川から広島の街を眺めることができます。

片道2000円でJRの鉄道とフェリーを使うよりは値段がはりますが、観光旅行ということを考えれば、これもまたよし、と思いました。船は原爆ドーム下を出るといったん上流へ向かい、相生橋をくぐって旧太田川(本川)に入ります。IMG_0351
橋の下をくぐっていくので、その日の水面の高さが重要で、低気圧が接近すると水面が高くなるため、船が橋の下をくぐれなくなり、欠航することがあるそうです。また高気圧のために水面が下がりすぎると、船底が水底にあたってしまい欠航の原因になるそうで、気象条件には気を使っておられるようです。橋げたには「航路」と書かれてあり、そこを縫って進んで行きます。IMG_0353


釣瓶落し
平和記念公園を出た後、隣のおりづるタワーの一階でお茶を飲みました。その後、今夜の宿泊先である広島文化交流会館まで、平和公園の中を歩いて行きました。「浅田真央サンクスツアー」の開始は午後6時でしたので、ホテルでしばし休んだ後、出かけました。

会場のひろしんビッグウェーブまではバスで本通りまで行き、そこからアストラムラインに乗ります。最寄の牛田駅を降りて道路を渡ると、入口までずらりと人の列ができていました。これほど大勢の人がふだん詰め掛けることはない場所でしょう。気候的には快適でしたので、のんびり並んで待ちました。IMG_0348
席はC席の壁際でしたが、会場が大きくはないので、リンクはよく見えました。前回行った埼玉アイスアリーナよりは一回り大きい印象です。埼玉アイスアリーナはひろしんビッグウェーブのスタンド席を全部取り払ったくらいの大きさしかありませんでした。よくチケットが手に入った、とあらためて思いました。IMG_0349
ショーが始まる前、会場が暗転すると、ショーのメンバーが幕の向こうで円陣を組んで「よし!」と気合を入れる声が聞こえてきました。

この日の公演は県外優先だったので、ショーの最初に浅田姉妹が「北海道から来られた方」とか「沖縄から来られた方」とたずねていました。いずれも「はーい」と何人もの手があがっていました。IMG_0350
ショーは80分間、休憩なしでノンストップで続きます。始まればあっという間に終わってしまいます。密度は濃く80分のうち半分は浅田真央自身が登場して滑ってくれますので、観客的には大満足です。埼玉公演のときとは少し内容が変わっていました。公演を続けながら、メンバー全員でよりよいものへと変化させていっているのでしょう。


秋水
資料館を出た後、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館にも行きました。こちらは2002年に開館した比較的新しい施設です。追悼空間へと降りていく通路は時計と逆まわりのスロープになっており、深く地中へ導かれる感覚でたどりついた先に追悼空間はあります。

ここの外と中には原爆投下時刻の8時15分を示すモニュメントが置かれています。モニュメントはおそらく上下で一直線上にあるのだと思います。外のモニュメントの周囲は噴水になっており、水を求めて亡くなった被爆者の霊を慰める意図がこめられています。周囲には建設時に出土した被爆瓦などが配されています。IMG_0347
中のモニュメントは石造りで部屋の中央におかれ、水がたたえられています。丸い部屋の周囲の壁には、被爆直後の街並みを死没者数14万人と同じ数のタイルで表現しています。ここは原爆死没者を追悼し、平和について考えるための空間です。空間全体を穏やかに照らす間接照明の中で、静かに祈ることができるようになっています。

長崎の追悼祈念館に行ったときも、入口に流れる水を配した黒く丸い石板が配されていました。大火傷を負い、水を求めて亡くなった方たちを慰めるために水は重要な役割を果たしています。水の流れでこちらの心も洗われるようです。IMG_0338
追悼空間を出た先には遺影空間があります。原爆死没者の遺影と名前が公開されており、検索することもできるようになっています。そこから上階に上がると、情報展示コーナーがあり、この日は勤労奉仕に出ていて全滅した広島一中一年生の少年達の被爆前後の様子が絵や映像、遺品などを交えた動画で紹介されていました。

秋麗
平和記念資料館の本館は現在耐震工事が行われています。そのため資料を抜粋し、東館で展示を行っています。新たに寄贈された資料もありました。原爆資料館を訪れるのはこれで三度目です。熱線で焼かれてひどい火傷を負った人、放射線障害で紫斑が出ている青年、むごい写真です。

70年以上前、カメラも今のように簡単に扱えるものではなかったはずです。被爆直後の街で、それでも記録を残そうとシャッターをきったカメラマンの気持ちが伝わってきます。会場にはボランティアで説明をしてくださる方があり、写っている人たちがその後どうなったかを教えてもらいました。

ぼろぼろになった三輪車、中学生たちの衣服、血まみれのワンピース、表面が溶けた瓦、くっついてしまったガラス瓶…。説明には被爆した人たちがその後どのように苦しんで亡くなったのかということが記されています。原爆開発の歴史的な経緯と原爆投下、その後の核兵器開発競争にふれた展示もありました。
IMG_0346
IMG_0340

秋うらら
この日の広島は快晴で、風も無く暖かでした。日向を歩いていると暑いといっていいほどで、上着は脱いでシャツ一枚で歩きました。
IMG_0341
元安川は原爆ドームのすぐそばを流れる川です。原爆投下の目標となった相生橋を境に旧太田川(本川)から分流し、広島湾に注ぎます。原爆投下直後は大火傷を負った大勢の被爆者が、水を求めてこの川に入り亡くなったことで知られています。IMG_0337

このページのトップヘ