もの云わぬは腹ふくるるわざ。
これは古くからある格言。
「おぼしき事言はぬは、げにぞ腹ふくるるここちしける」(『大鏡』序)
「おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば」(『つれづれ草』19段)
私の腹がこんなに膨れてしまったのも言いたいことを我慢してきたせいか(笑)
ここ数日、東京都の新規陽性判明者が急速に減少してきてわずかに希望の光が見えたかなと思えるのは、ひとえに都民(&国民)の自粛の成果。ロックダウンのさなかに大規模パーティを開いたり抗議デモのあげくPCR検査場に放火したりという諸外国のニュースを観ると、日本国民は何とモラルが高いのだろうと思います。
ここでいう「モラル」の根底にあるのは、他者の苦難を思いやって自分のわがままを控える社会的な友愛感覚。「みんな名もなく貧しいけれど」(s38-12)と三田明が歌った「無名」の庶民の連帯意識。57年前の青春歌謡の精神は、おそるべき「格差社会」になった現在の日本でも、まだ死んでいなかった!?
(しかし、つい先日、「有名」な某与党政治家は無症状でもPCR検査を受けて陽性になったら即座に入院できました。一方、年末には野党民主党の某代議士がPCR検査さえ受けられずに急死。もちろん、「名もなく貧しい」庶民は検査も受けられず孤独死したり救急車で運ばれる途中で死んだりしています。この「格差」!)
ところがこんな従順で良識ある国民に対して、政府の感染症法やコロナ特措法改正案は国民を処罰することばかり。ことに陽性者が入院拒否したり病院を抜け出したりしたら懲役刑だとか。強権的な権力者どもの欲望むきだし。知恵のない無能な権力者ほど強制力を欲しがります。あぶなくってしょうがない。(コレラやペストじゃないんだよ!)
その政府与党は何をしてきたか。少し落ち着いた去年の夏場にこそ、冬に備えてPCR検査体制拡充や病床拡大や保護隔離施設増設や保健所体制整備や、やるべきことはいっぱいあったのに、野党の要求を退けてまで「なぜか」(私にはいろんな「推測」があります)国会を閉会しっぱなしでした(アベ政権時代のことですが、当時のスガ官房長官はアベ首相と表裏一体)。
まるでイソップ寓話「アリとキリギリス」のキリギリス。おかげでいま、入院を拒否するどころか希望しても病院にも療養施設にも入れてもらえずに「急死」する「自宅療養者」が急増中。この状態はまだまだ続きます。
こんなウソツキで厚顔無恥で傲慢で怠慢で無責任なキリギリス政府(&与党)にはささいな違反で国民を処罰する権利なんて絶対にない!
さて、「おぼしき事」(心に思うこと)の三分の一ぐらいは言ったので、がらりと気分を変えて、今日は青山和子「憧れのスチュワーデス」を。
こちらで聴きながらお読みください。ジャケット画像の下は、「マーガレット」昭和41年1月30日号表紙、スチュワーデス姿の青山和子。
青山和子「憧れのスチュワーデス」
昭和39年5月発売
作詞:三浦康照 作曲:遠藤実
編曲:安藤実親
一 銀の翼に 憧れのせて
今日も飛びます 青空へ青空へ
想い想いの 心を寄せて
空いっぱいは 花の雲
あゝ 夢見る私は スチュワーデス
二 うしろ姿に ひそかな夢を
そっと托した 制服よ制服よ
白いカラーは 清らなこゝろ
空いっぱいは 銀の星
あゝ 夢見る私は スチュワーデス
三 空はみんなの しあわせ抱いて
明日の希望を 祈ります祈ります
空路(みち)は世界へ つづいているよ
空いっぱいは 愛の雲
あゝ 夢見る私は スチュワーデス
この歌については、橋幸夫&吉永小百合「そこは青い空だった」(s39-4)の項で短く紹介しました。
(なお、そこでは「そこは青い空だった」も「憧れのスチュワーデス」も同じ39年5月の発売、と書きましたが、別資料では「そこは青い空だった」は4月25日発売。)
(右は「そこは青い空だった」のソノシートブックのジャケット。)
「憧れのスチュワーデス」というタイトルは、スチュワーデスになりたい女の子の歌かな、と思わせますが、歌詞はもうスチュワーデスとして仕事している女性の歌。つまり、スチュワーデスという職業自体が「憧れ」の職業になったということです。以後、スチュワーデスは女子の将来なりたい人気職業の代表であり続けました。
橋&吉永「そこは青い空だった」は全日空(ANA)が導入した初のジェット機「ボーイング727」のイメージソングでした。
こちらはどうでしょう。上掲のジャケット画像を比べると、吉永小百合のANAの制服と青山和子の制服は違うように見えます。ではこちらは日航(JAL)の方でしょうか。
こういうことにうといので断言しにくいのですが、右画像は「平凡」38年11月号表紙でパイロット&スチュワーデスに扮した吉永小百合と浜田光夫。これはふたりが手にもつ飛行機模型がはっきり示しているように、まちがいなく日本航空(JAL)。そして、この吉永の制服はジャケットの青山和子の制服とそっくりに見えます。
では、先に出たビクターの橋&吉永の全日空に対して、コロムビアは急遽、青山和子の日航イメージで対抗した、ということでしょうか。
さらに、「そこは青い空だった」は国内線でした(全日空が国際線定期便に本格進出を許可されるのは1986年から)。対してこちらは三番に「空路(みち)は世界へつづいている」。うーん、さすが日航、「日本の空」しか飛ばない(飛べない)橋&吉永と、さりげなく、「差別化」してみせた、とまで言っては勘繰りすぎでしょうが。
もう一つ言えば、「空路(みち)は世界へつづいている」は舟木一夫ほか「夢のハワイで盆踊り」(s39-7)の項で触れた昭和39年4月1日の海外渡航自由化と関連しているのかもしれません。まさしく、戦後19年、一般国民にとっても、日本航空の「空路」が「世界へつづいている」時代が来たのです。
ただし、この昭和39年、日本人の海外渡航者は約12万8千人、しかしそのうち観光目的で海外に行った人はわずか数千人にすぎなかったそうです。海外旅行の大衆化は翌40年1月の海外パックツアー企画ジャルパック(JALPAK)開始から始まるのです。
なお、「憧れのスチュワーデス」はさほどヒットしたとは言いにくいのですが、青山和子はこの2か月後に発売する「愛と死をみつめて」(s39-7)が大ヒット、年末にはレコード大賞を受賞することになります。
これは古くからある格言。
「おぼしき事言はぬは、げにぞ腹ふくるるここちしける」(『大鏡』序)
「おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば」(『つれづれ草』19段)
私の腹がこんなに膨れてしまったのも言いたいことを我慢してきたせいか(笑)
ここ数日、東京都の新規陽性判明者が急速に減少してきてわずかに希望の光が見えたかなと思えるのは、ひとえに都民(&国民)の自粛の成果。ロックダウンのさなかに大規模パーティを開いたり抗議デモのあげくPCR検査場に放火したりという諸外国のニュースを観ると、日本国民は何とモラルが高いのだろうと思います。
ここでいう「モラル」の根底にあるのは、他者の苦難を思いやって自分のわがままを控える社会的な友愛感覚。「みんな名もなく貧しいけれど」(s38-12)と三田明が歌った「無名」の庶民の連帯意識。57年前の青春歌謡の精神は、おそるべき「格差社会」になった現在の日本でも、まだ死んでいなかった!?
(しかし、つい先日、「有名」な某与党政治家は無症状でもPCR検査を受けて陽性になったら即座に入院できました。一方、年末には野党民主党の某代議士がPCR検査さえ受けられずに急死。もちろん、「名もなく貧しい」庶民は検査も受けられず孤独死したり救急車で運ばれる途中で死んだりしています。この「格差」!)
ところがこんな従順で良識ある国民に対して、政府の感染症法やコロナ特措法改正案は国民を処罰することばかり。ことに陽性者が入院拒否したり病院を抜け出したりしたら懲役刑だとか。強権的な権力者どもの欲望むきだし。知恵のない無能な権力者ほど強制力を欲しがります。あぶなくってしょうがない。(コレラやペストじゃないんだよ!)
その政府与党は何をしてきたか。少し落ち着いた去年の夏場にこそ、冬に備えてPCR検査体制拡充や病床拡大や保護隔離施設増設や保健所体制整備や、やるべきことはいっぱいあったのに、野党の要求を退けてまで「なぜか」(私にはいろんな「推測」があります)国会を閉会しっぱなしでした(アベ政権時代のことですが、当時のスガ官房長官はアベ首相と表裏一体)。
まるでイソップ寓話「アリとキリギリス」のキリギリス。おかげでいま、入院を拒否するどころか希望しても病院にも療養施設にも入れてもらえずに「急死」する「自宅療養者」が急増中。この状態はまだまだ続きます。
こんなウソツキで厚顔無恥で傲慢で怠慢で無責任なキリギリス政府(&与党)にはささいな違反で国民を処罰する権利なんて絶対にない!
さて、「おぼしき事」(心に思うこと)の三分の一ぐらいは言ったので、がらりと気分を変えて、今日は青山和子「憧れのスチュワーデス」を。
こちらで聴きながらお読みください。ジャケット画像の下は、「マーガレット」昭和41年1月30日号表紙、スチュワーデス姿の青山和子。
青山和子「憧れのスチュワーデス」
昭和39年5月発売
作詞:三浦康照 作曲:遠藤実
編曲:安藤実親
一 銀の翼に 憧れのせて
今日も飛びます 青空へ青空へ
想い想いの 心を寄せて
空いっぱいは 花の雲
あゝ 夢見る私は スチュワーデス
二 うしろ姿に ひそかな夢を
そっと托した 制服よ制服よ
白いカラーは 清らなこゝろ
空いっぱいは 銀の星
あゝ 夢見る私は スチュワーデス
三 空はみんなの しあわせ抱いて
明日の希望を 祈ります祈ります
空路(みち)は世界へ つづいているよ
空いっぱいは 愛の雲
あゝ 夢見る私は スチュワーデス
この歌については、橋幸夫&吉永小百合「そこは青い空だった」(s39-4)の項で短く紹介しました。
(なお、そこでは「そこは青い空だった」も「憧れのスチュワーデス」も同じ39年5月の発売、と書きましたが、別資料では「そこは青い空だった」は4月25日発売。)
(右は「そこは青い空だった」のソノシートブックのジャケット。)
「憧れのスチュワーデス」というタイトルは、スチュワーデスになりたい女の子の歌かな、と思わせますが、歌詞はもうスチュワーデスとして仕事している女性の歌。つまり、スチュワーデスという職業自体が「憧れ」の職業になったということです。以後、スチュワーデスは女子の将来なりたい人気職業の代表であり続けました。
橋&吉永「そこは青い空だった」は全日空(ANA)が導入した初のジェット機「ボーイング727」のイメージソングでした。
こちらはどうでしょう。上掲のジャケット画像を比べると、吉永小百合のANAの制服と青山和子の制服は違うように見えます。ではこちらは日航(JAL)の方でしょうか。
こういうことにうといので断言しにくいのですが、右画像は「平凡」38年11月号表紙でパイロット&スチュワーデスに扮した吉永小百合と浜田光夫。これはふたりが手にもつ飛行機模型がはっきり示しているように、まちがいなく日本航空(JAL)。そして、この吉永の制服はジャケットの青山和子の制服とそっくりに見えます。
では、先に出たビクターの橋&吉永の全日空に対して、コロムビアは急遽、青山和子の日航イメージで対抗した、ということでしょうか。
さらに、「そこは青い空だった」は国内線でした(全日空が国際線定期便に本格進出を許可されるのは1986年から)。対してこちらは三番に「空路(みち)は世界へつづいている」。うーん、さすが日航、「日本の空」しか飛ばない(飛べない)橋&吉永と、さりげなく、「差別化」してみせた、とまで言っては勘繰りすぎでしょうが。
もう一つ言えば、「空路(みち)は世界へつづいている」は舟木一夫ほか「夢のハワイで盆踊り」(s39-7)の項で触れた昭和39年4月1日の海外渡航自由化と関連しているのかもしれません。まさしく、戦後19年、一般国民にとっても、日本航空の「空路」が「世界へつづいている」時代が来たのです。
ただし、この昭和39年、日本人の海外渡航者は約12万8千人、しかしそのうち観光目的で海外に行った人はわずか数千人にすぎなかったそうです。海外旅行の大衆化は翌40年1月の海外パックツアー企画ジャルパック(JALPAK)開始から始まるのです。
なお、「憧れのスチュワーデス」はさほどヒットしたとは言いにくいのですが、青山和子はこの2か月後に発売する「愛と死をみつめて」(s39-7)が大ヒット、年末にはレコード大賞を受賞することになります。