吉永小百合吉永小百合・赤い蕾と白い花
 「御三家」「四天王」からしばらく離れてみましょう。
 青春歌謡の中心は男性歌手たちでした。
 当初、女性は「青春」を担いにくかったのです。若い女性歌手たちはもちろんいましたが、女性の「青春」はそのまま「結婚適齢期」であり、テーマの大半は恋愛であり、恋愛においては「受け身」であり男を「待つ」存在だったからです。 つまり男性への依存の姿勢が、社会的に形成された(そして女性に要求された)イメージにあったからです。それでは若さそれ自体を肯定し謳歌することはできません。
 歌謡曲の世界でもそうでした。典型は島倉千代子の「泣き節」でしょう。
 例外は美空ひばりとポップス系です。美空ひばりは東映時代劇でただひとり女優として主役を張り、男装して小気味のいい啖呵を切っては颯爽とちゃんばらを繰り広げました。ポップス系はもともと快楽開放系です。快楽を解放せよ、という誘惑はいつもアメリカからやってきます。(昭和初年のジャズブームも、昭和30年代前半のロカビリーブームも、高度成長経済のモデルとしての大量生産大量消費社会の魅惑も。)けれども、洋楽翻訳バージョンの多かったポップス系は私の定義する「青春歌謡」に入りません。
 しかし、ここに特別な存在の若い女性歌手がいました。吉永小百合です。女性青春歌謡を切り開いたのは吉永小百合です。
 吉永小百合は、もちろん、日活青春映画のスターでした。(私「遊星王子」にとっての初対面は、毎週近所の友だちの家でみせてもらったテレビ「まぼろし探偵」の初々しいヒロイン・吉野さくらちゃんでした。)
 青春歌謡は日活を中心とする青春映画と影響しあっています。その中心に、吉永小百合と浜田光夫の青春コンビがいました。二人の最初の共演は、前にも記した(9月8日)「ガラスの中の少女」(s35-11)ですが、共演が本格化するのは「草を刈る娘」(s36-10)あたりからで、ほとんどプログラム・ピクチャー化して定着するのは、やはり昭和37年からなのです。
 こんな具合です。
  「さようならの季節」(s37-1)
  「上を向いて歩こう」(s37-3坂本九主演)
  「キューポラのある街」(s37-4)
  「赤い蕾と白い花」(s37-6)
  「あすの花嫁」(s37-9)
  「ひとりぼっちの二人だが」(s37-11坂本九主演)
 そして、映画「赤い蕾と白い花」の主題歌として作られたのが「寒い朝」でした。(ただし、映画ではこの曲は「赤い蕾と白い花」というタイトルで紹介されています。確かめたい人はこちらをどうぞ。(golfball33nさん、無断でリンクさせてもらいます。)
 http://www.youtube.com/watch?v=fAIVt_Eas5A 画像右もその映画から。)
 これが歌手・吉永小百合のデビュー曲です。

吉永小百合/和田弘とマヒナ・スターズ「寒い朝」
  昭和37年4月発売
  作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田正
 一 北風吹きぬく寒い朝も
   心ひとつで暖かくなる
   清らかに咲いた可憐な花を
   みどりの髪にかざして今日も、ああ
   北風の中にきこうよ春を
   北風の中にきこうよ春を
 二 北風吹きぬく寒い朝も
   若い小鳥は飛び立つ空へ
   幸福求めて摘みゆくバラの
   さす刺(とげ)いまは忘れて強く、ああ
   北風の中に待とうよ春を
   北風の中に待とうよ春を
 三 北風吹きぬく寒い朝も
   野越え山越え来る来る春は
   いぢけていないで手に手をとって
   望みに胸を元気に張って、ああ
   北風の中に呼ぼうよ春を
   北風の中に呼ぼうよ春を

 もちろん「北風」も「春」も、現実であると同時に、人生の試練や幸福のメタファーです。同様に、「若い小鳥」や「バラ」「さす刺」といった景物=メタファーを多用しながら、「きこうよ」「待とうよ」「呼ぼうよ」と呼びかけ、励まします。
 (「みどりの髪」はもう死語でしょうか。「みどり」はもともとみずみずしく新鮮な状態を意味する言葉でした。生命の萌え出る状態です。だから、生まれたばかりの赤ん坊は「みどり児」です。美しくつややかな髪は「みどりの黒髪」です。ただし、「みどりの黒髪」はあくまで女性のものです。)
 十七歳の少女が歌った青春の応援歌です。初のレコーディングという緊張感もあるかもしれませんが、一生懸命歌っている感じが、歌詞の中の少女にひたむきなイメージを与えます。北風の音を思わせながらもやさしさをたたえた曲が見事にマッチしています。マヒナ・スターズのコーラスも、何だか大人の男たちがやさしくこの少女を見守っているように聞こえます。
 名作映画「キューポラのある街」の印象が強いせいでしょうか、吉永小百合には、逆境にめげることなく、まっすぐ前を見て歩こうとするけなげな少女、といったイメージがありました。(実はスクリーンの中の少女・吉永小百合はほんのちょっと猫背の姿勢が多いのですが、それがまた、他人の目を意識したモデル的な立ち姿とちがって、素朴で前向きな感じを伝えてきました。)自分もつらいことを抱えながら、弱い者はかばってやり、教師に対しても親に対しても、まちがいはまちがいとして指摘し、正しいことは正しいこととして主張する、クラス委員長みたいなイメージとでもいいましょうか。そういう彼女のイメージがぴったりの歌詞です。
 この誰にも依存せず、すっくと背筋を伸ばして颯爽と進むイメージによって、吉永小百合は女性の青春歌謡というジャンルを切り開いたのです。
  詩人・茨木のり子の晩年の詩に「(よ)りかからず」という詩があって、人気が高いようです。
 「もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない」と始まり、「できあいの宗教」にも「できあいの学問」にも「いかなる権威」にも「倚りかかりたくない」とつづき、「じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なにか不都合のことやある/倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」と結びます。
 茨木のり子の若い時からの姿勢です。
 女性が青春歌謡を歌うためにも、まず、「倚(よ)りかからず」という姿勢が必要だったのでした。
 吉永はこの後、「草を刈る娘サンタ・マリアの鐘」(s37-8 「サンタ・マリアの鐘」にもキリスト教と「鐘」が登場します)をはさんで橋幸夫とのデュエット「いつでも夢を」(s37-10)でレコード大賞まで獲得することになります。
 吉永小百合が切り開いたこの路線に、まず松竹の倍賞千恵子「下町の太陽」(s37-11これも逆境にくじけず進む若い娘の歌ですから、曲想は「寒い朝」と同じです。)がつづき、さらに、東映の本間千代子「若草の丘」(s38-7)、大映の高田美和「十七才は一度だけ」(s39-12)、吉永の妹分ともいうべき日活の和泉雅子「めぐり逢う日は」(s40-10)など、歌う青春女優たちが続々と登場することになります。
 ところで、ノーベル賞作家・大江健三郎が、小説の中で、吉永小百合と「寒い朝」について書いているのをご存じでしょうか。
 ひとつは小説「四万年前のタチアオイ」(『河馬に噛まれる』所収)、もうひとつはその続篇「茱萸(ぐみ)の木の教え・序」(『僕が本当に若かった頃』所収)です。小説なので、もちろん、ちょっとユーモアも含んだ複雑な仕掛けを施してのことですが。短く紹介しておきましょう。
 若かったころ、「僕=K」に「タカちゃん」という女性が言います。彼女は少女スターY・Sの大ファンなのです。彼女は歌詞の「いじけていないで」を強調したうえでこう言います。 
 「ここには希望が歌われているよ、Kちゃん。あなたの小説と、歴史観の水準で、そこがちがう!
 「歴史観の水準で」と彼女がいうのは、若い彼女には60年安保世代の進歩的な歴史観があるからです。
 そしてまた、『古今集』の仮名序の、「やまと歌(和歌)」は「心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出だせるなり」という一節を踏まえて、「そう、その言ひ出だせるなり、という勢いが、あの子の台詞のしゃべり方にも、歌のうたい方にもあると思うわ。言ひ出だせるなり、という力そのもので、あの子は自分の表現をして、つまりは希望を伝えてるのよ」ともいうのです。(以上「四万年前のタチアオイ」)
 さらに、
「茱萸(ぐみ)の木の教え・序」では、こうも書かれます。
 「若い時のY・Sさんには頬や顎にみなぎってあふれている力があった。かならずしも美少女の端正さということはできない余剰な筋肉があった。その動きが台詞にこめられた力とあいまって、ドスンドスン衝撃をあたえる表現をなしていた。……」
 では、「寒い朝」を映画「赤い蕾と白い花」の一場面とともにお聴きください。
 (stones8823さん、いつもいつも無断リンクさせてもらっています。)
 http://www.youtube.com/watch?v=dpjkhaOmq_0