前回の舟木一夫「星の夜北へ帰る」は1977年(昭和52年)に吹き込まれた「まぼろしの」青春歌謡。
  この機会にもう一曲、1977年の舟木一夫の曲を紹介したくなりました。「快傑 !! 児雷也」。
 こちらで聴きながらお読みください。yamiyokarasu77さんに深く深く感謝しつつ無断リンクします。

舟木一夫「快傑 !! 児雷也」
  昭和52年6月発売
  作詞:すずきじろう(舟木一夫) 作曲・編曲:渡辺宙明
舟木一夫・快傑!!児雷也 一 走る走る走る走る
   稲妻に乗りドロンロン
   今日も来る来る 今日も来る来る
   人か魔物か あれは児雷也
   右手(めて)をかざして
   切る九文字(くもんじ)
   妖気ただよう ガマが棲む
   父母のうらみに 燃えたつ瞳
   めざす仇は 大江戸の空
   頑張れ頑張れ児雷也 敗けるな児雷也
舟木一夫・怪傑!!児雷也1977日劇 二 響く響く響く響く
   雷(いかづち)の中ドロンロン
   馳(か)けて来る来る 馳けて来る来る
   人か魔物か あれは児雷也
   銀の剣は 正義の光
   続け愛する綱手姫
   結ぶ心に みなぎる力
   敵をけちらせ 大蛇(おろち)を倒せ
   頑張れ頑張れ児雷也 敗けるな児雷也
 三 荒(すさ)ぶ荒ぶ荒ぶ荒ぶ
   嵐をついてドロンロン
   飛んで来る来る 飛んで来る来る
   人か魔物か あれは児雷也
   天地ゆるがす 変幻もよう
   進め児雷也 悪を切れ
   広い世界の 果てない空に
   夢をつかんで 夜明けを告げろ
   頑張れ頑張れ児雷也 敗けるな児雷也

 レコードジャケット画像にあるとおり「歌手生活15周年日劇公演記念曲」。
 児雷也はもちろん蝦蟇(がま)の忍術を使って父の仇を討つ歌舞伎由来のスーパーヒーロー。舞台は児雷也の大蝦蟇と大蛇丸(おろちまる)の大蛇が闘う大スペクタクルだったはず。
 ジャケット画像下の公演ポスター画像はこちら「満天の星Lovelyのブログ」から感謝しつつ無断拝借しました。「満天の星Lovely」さんによれば、この公演は映画監督・岡本喜八が初めて手がけた舞台演出だったそうです。
 そういえば、この反骨の映画監督・岡本喜八には、自ら脚本も書いた「ああ爆弾」(昭39-4公開)という映画がありました。モノクロながら、狂言仕立てで始まり、能も歌舞伎も浪花節も(さらに洋楽も)、古典演劇の諸様式を取り入れた実験的で野心的な和風ミュージカル。私が観たのは近年のことですが、伊藤雄之助という役者のすばらしさを再認識するとともに、岡本喜八の才気煥発にも脱帽したものです。その岡本の初の舞台演出、どんな舞台だったのでしょう。
 上記の歌詞には書きませんでしたが、一番二番三番の出だしと途中に、「ドンドロドンドンドロドロン ドンドロドンドンドロドロン」という子供たちのコーラスが入ります。時代劇主題歌の冒頭や途中に擬音語を少年コーラスで入れるという手法は、橋幸夫が歌ったテレビ時代劇主題歌「子連れ狼」(1971=昭46-12)の「しとしとぴっちゃん」に似ています。大人気番組の主題歌として橋の歌は大ヒットしましたが、舞台公演主題歌だった舟木のこの歌はあまり知られないまま終わりました。
 しかし、作曲した渡辺宙明はいわゆる「ヒーローもの」の主題歌の作曲者として有名な人だそうで、なるほど時代物ながら「正義のヒーロー」にふさわしい、勇ましくて楽しくなる一曲です。宇宙から来た正義の味方・遊星王子として取り上げないわけにいきません(笑)。
 作詞した「すずきじろう」は舟木一夫のペンネーム。舟木が自分で作詞したのは「高峰雄作」名での「残雪」(昭43-3)が最初でしたが、青春歌謡の時代終焉後の舟木は、「すずきじろう」の他にも、「舟木一夫」や本名の「上田成幸」、人気マンガ「ドカベン」のキャラクター名を借用しての「里中さとる」「岩鬼まさみ」など、多数の名前で作詞作曲しています。いわゆる「シンガー・ソング・ライター」ということになりますが、何より、人気歌手としてのヒット曲生産目的から一歩退いて、歌そのものを楽しみ始めた姿勢のあらわれでしょう。
 上記「満天の星Lovely」さんによれば、この公演中に舟木の父親が亡くなったそうです。
 舟木の父親は一家をかまえた博奕打ちでしたが、舟木(上田成幸少年)が小学校に入ったころ足を洗って芝居小屋の経営を始めます。しかしたちまち行きづまって食えなくなり、それでも女出入りは激しくて、舟木が自分には八人の母親がいる、と述懐するほど。成幸少年が幸福だったとはとても言えないでしょうが、父と息子のつながりは不思議なもの、舟木の時代劇・大衆演劇好みはこの破天荒な父親の膝下で少年時に培われたものだったでしょう。結果的に、舟木のこの児雷也公演は父親への追悼公演を兼ねたかたちになったといえるかもしれません。

 さて、ここで、歌の歌詞に触れながら、児雷也についてひとくさり。
 児雷也の物語は、リアル(?)な「忍者もの」以前のファンタスティックな「忍術」もの。巻物を口にくわえて印を結んで「どろん」と消えるあの忍術です。(このファンタスティックな「忍術」イメージを広めたのは大正時代の立川文庫(たつかわぶんこ)でした。)
 (だから舟木の歌詞では「ドロンロン」。右手で「九文字=九字(くじ)」を切ります。「九字」は一般には「臨兵闘者皆陣列在前」の九文字。文字ごとに決まった手指の形で印を結ぶのが「九字を切る」。)「飛んで来る来る」は雲に乗って飛行してくるのでしょう
 もっとも、児雷也の師匠は「仙素道人」。「道人」は「仙人」なので、日本風に「忍術」というより中国風に神仙の術、「仙術」というべきかもしれません。もともと、姿を消したり何にでも変身したり雲に乗って飛行したりする「忍術」は、孫悟空の術にも通じる「仙術」イメージなのです。だから普通人の目には、児雷也はただの「忍者(=人間)」ではなく、恐るべき妖術を使う「魔物」のごとくにも映ります。
 実は児雷也の起源も中国なのでした。児雷也の元祖は宋代の小説に登場する盗賊「我来也」。神出鬼没、盗みを働いた家の壁に「我来也」(我来たるなり)と大書して去ったといいます。日本なら時代劇で怪盗が「鼠小僧参上」などと書き残す「参上」です。
 この伝説をもとに、江戸後期、文化年間(1800年代)に読本作者が『報仇奇談 自来也説話』で「自来也」(自(みずか)ら来たるなり)を登場させます。この「自来也」は蝦蟇の妖術を使う大盗賊です。(ただし、蝦蟇の妖術を使うのは自来也が最初ではありません。歌舞伎では「天竺徳兵衛」の方がずっと早く、「自来也」登場に50年も先立つ1750年代、宝暦年間に作られた芝居の中で、蝦蟇の妖術を使って日本転覆をたくらみました。天竺徳兵衛は蝦蟇の妖術で国家を盗まんとする大盗賊だったわけです。その意味で、「自来也」のイメージの原型は歌舞伎の天竺徳兵衛なのだといえるでしょう。)
 さらにこの「自来也」が「児雷也」となって物語世界を膨らませて行きます。
少年児雷也31-10 「児雷也」になると、盗賊の名乗りだった「我来也」「自来也」とは、名前の意味がまったく変ります。「雷の児」です。
 名を「児雷也」とした最初の物語『児雷也豪傑譚』(天保十二年(1841)初編刊)では、少年時代に雷獣(落雷をイメージ化した怪獣)を生け捕りにしたので「児雷也」。(右は杉浦茂「少年児雷也」の昭和31年10月号付録。シュールでナンセンスな杉浦マンガのなかでも最もシュールさの度合いが高い傑作です。ちなみに、このマンガでは少年児雷也は雷獣と闘ってその生き胆を食ったという設定。)
 (だから舟木の児雷也も「稲妻に乗り」「雷の中」「嵐をついて」「ドロンロン」と「参上」します。「ドロンロン」は忍術使いが「どろん」と消え「どろん」とあらわれる「どろん」であると同時に、少年コーラスたちの「ドンドロドンドンドロドロン」とともに、雷の音をあらわしてもいるでしょう。)
 児雷也は雷を捕えた少年なのでした。
 ところで、『日本書紀』や『日本霊異記』には、雄略天皇に命じられた小子部栖軽(ちいさこべのすがる)という男が雷岡(いかづちがおか)で雷神を捕まえた、という伝説が載っています。小子部栖軽という名前から、私はどうしても、少年のように小さい男を思い浮かべてしまいます。
 つまり私は、児雷也少年の背後に、雷神(墜ちた雷=雷獣)を捕えた豪勇の男にあえて「小子部」という名(姓)を与えた古代日本人の想像力を想定したくなるのです。その想像力は桃太郎や金太郎という剛力の少年英雄を生み出した民衆的想像力とも根を共有しているでしょう。
 さて、私の想定の当否はともかく、『児雷也豪傑譚』では、この少年が悪人に親を殺され、仙素道人から蝦蟇の仙術を授かり、蛞蝓(ナメクジ)の術を使う綱手を妻として、大蛇の術を使う大蛇丸(おろちまる)と妖術合戦を繰り広げて仇を討ちます。ここで児雷也の「世界」の基本設定が確立しました。以後、脚色は変ってもこの基本設定はほぼ変りません。
 彼らの術は人間ならざる生き物の特殊能力を使う術でした。アニミズムやトーテミズムの自然観に由来する想像力です。(現代ならスーパーマンではなくスパイダーマンでしょうか。)さきほどの雷神捕獲伝説を加えて一般化すれば、この想像力の背後には、自然の神秘的な力への畏敬と憧憬に発するなにか壮大な自然観、宇宙観があるように感じられます。「仙術」を作り出した古代中国の神仙思想も道教の自然観・宇宙観の表現なのでした。そこが、同じく荒唐無稽な「忍術」を使うとはいえ、立川文庫のヒーローだった猿飛佐助や霧隠才蔵とは大きく異なるところです。
 蝦蟇(ガマ)と蛇(ヘビ)と蛞蝓(ナメクジ)はいわゆる「三すくみ」の設定です。ヘビはカエルを呑み込んで勝ち、ナメクジはヘビを溶かして勝ち、カエルはナメクジを呑み込んで勝つのだそうです。したがって、児雷也(蝦蟇)は単独では大蛇丸〈大蛇〉に勝てず、綱手(蛞蝓)と協力して初めて勝てるのです。
 「三すくみ」は身近にはグー(石)チョキ(鋏)パー(紙)のジャンケンの発想に生きています。少々大げさながら、世界の諸力を三つに代表(象徴)させる発想だといえるでしょう。つまり、世界は相克し合う三つの力の果てしない抗争で動いているという世界観の表現なのです。善悪(神と悪魔)二元論ならぬ三元論です。
 児雷也の場合、その三つが動物で表現されているのです。そうすると、ガマとヘビとナメクジというちょっと奇妙な選択の背後にも、古代的な自然観・宇宙観に由来するなにか本質的な意味があったのかもしれませんが、残念ながらその意味はもう不明になってしまいました。ただ、単純な二元論ではないこの三元論、絶対的な勝者のいない、つまり独裁者の存在できない「三すくみ」の世界観は私好みです。

 大蝦蟇や大蛇が出現するスペクタクルは歌舞伎舞台で人気を博し、20世紀になると何度も映画化されます。
 牧野省三が目玉の松ちゃんこと尾上松之助主演で撮ったのが「豪傑児雷也」(昭6=1921公開)。児雷也がパッと消えたり現れたり、突然大蝦蟇や大蛇が出現したりして日本初の特撮映画だといわれるこの無声映画、なんとこちらのyoutubeチャンネルで観られます。
児雷也・豪傑児雷也1921・綱手の蛞蝓 右の画像はその一場面、蝦蟇と蛞蝓と大蛇の三すくみの睨み合いですが、こうして「三大怪獣」(?)がならんでみると、どうしても中央の蛞蝓が小さくてひ弱です。
 そもそも「三すくみ」で、蛞蝓に蛇の毒が効かず、かえって蛞蝓が特殊粘液で蛇を溶かす、というのも現実的な根拠がうすかったうえに、蛞蝓では動きも怪竜大決戦・ノート少なく、粘液で蛇を溶かすというのも蛇にくわえられて初めて発動する能力なので受動的です。
 そのせいでしょうか、映画草創期以来数多く作られた児雷也映画の最後の(最新の)作品だと思われる松方弘樹主演「怪竜大決戦」(昭41-12公開)では、右の画像のように、綱手(小川知子)が使うのは蛞蝓でなく蜘蛛を出現させる術です。かわいい小川知子をグロテスクな蛞蝓に変身させるのではあんまり気の毒だ、と思ったのでしょう。
 もっとも、すでに戦前(日中戦争戦時下)の片岡千恵蔵主演「忍術三妖伝」(昭12(1937)-12公開)では、大蝦蟇が出るだけで大蛇も蛞蝓も出ず、綱手が変身するのは蜘蛛、それも普通の小さい蜘蛛なのでした。怪竜大決戦・綱手・小川知子(これもこちらのyoutubeチャンネルで観られます)。また千恵蔵は戦後にも「妖蛇の魔殿」(昭31-10公開)という自来也(児雷也)映画を撮っていて、この映画の綱手は紅蜘蛛に化身するそうです。
 「怪竜大決戦」の綱手=蜘蛛という設定は、そうした東映の御大・片岡千恵蔵の自来也(児雷也)映画の伝統に敬意を表したのかもしれません。けれども蜘蛛では「三すくみ」の論理が成立しません。
 なにしろ児雷也が大蛇丸に勝つためには「三すくみ」の論理が必須であるにもかかわらず、蛞蝓の特殊能力はリアリティも薄弱なうえ、綱手姫の美女イメージにもそぐわず、スペクタクルの魅力にも欠けるため、上演や映像化に際して嫌われることが多かったようなのです。つまり、綱手=蛞蝓が、どうやら児雷也の「世界」設定の急所(最も大事な部分でありながら最大の弱点)なのです。
 (もっとも、美女に蛞蝓は似合わないというのは「近代的」な美意識にすぎず、綱手に蛞蝓の術を与えた江戸的ウルトラQ第3話・ナメゴン想像力は、むしろ美とグロテスクの同居や美女の妖女性をこそ楽しむ性質のものだったのかもしれません。)
 さらに付言すれば、杉浦茂「少年児雷也」でも、綱手姫(お姫さま)にではなく、「ナメクジ太郎」という独自キャラクターに蛞蝓の術を使わせています。(舟木一夫の公演ではどうしたのでしょうか。)
 ところで、「怪竜大決戦」が封切られたのは昭和41年の年末でした。実は一年近くさかのぼったこの年の1月には、特撮テレビドラマ「ウルトラQ」に出現した蛞蝓の怪獣「ナメゴン」(右画像)が子どもたちの間で大評判になっていたのですが。
 (後日付記:大谷友右衛門が主演した新東宝の「忍術児雷也」(s30-1公開)という映画では、児雷也(蝦蟇)が大蛇丸(大蛇)との戦いで窮地に陥ったとき、蛞蝓に乗った綱手が駆けつけて救出したり、続編「逆襲大蛇丸」では綱手が塩の牢屋に入れられて蛞蝓の術を使えなくなったりと、「三すくみ」の論理をうまく使っていました。ただし、この二部作、児雷也と綱手の役者にあんまり魅力がなく、特に第二部では悪役の大蛇丸(田崎潤)と女盗賊(朝雲照代)の方が生き生きしているという皮肉な映画でした。)