永六輔氏が7月7日に亡くなられたそうなので、追悼として一曲書いておきましょう。
 永六輔はいわゆる歌謡曲系の作詞家ではありませんが、自分でこのブログ内を検索してみたらかなりの曲数取り挙げていました。
 坂本九「上を向いて歩こう」(s36-9)については二回、坂本九「見上げてごらん夜の星を」(s38-5)、坂本九「サヨナラ東京」(s39-7)、奥村チヨ「チコちゃんの歌」(s40-4)、山内賢&和泉雅子「二人の銀座」(s41-9)といった具合。さすがヒットメーカー。
 しかし、永六輔が青春歌謡とクロスしたのは、何といっても、1974年(昭和49年)12月6日、野坂昭如、小沢昭一と三人で「中年御三家」を名乗ってコンサートを行ったことでしょう(笑)。(とはいえすでに1974年末、「中年御三家」という名乗りの直接のパロディ対象は、橋&舟木&西郷ではなく、野口五郎&西城秀樹&郷ひろみの「新御三家」の方だったのかもしれませんが。)
 *なんとこちらでその「中年御三家」コンサートの録音が聴けます。
 野坂昭如の「黒の舟唄」「マリリン・モンロー・ノー・リターン」などが大ヒットしたのを踏まえて開催されたコンサートですが、小沢昭一45歳(1929~2012)野坂昭如44歳(1930~2015)永六輔41歳(1933~2016)、まことに愉快で自由気ままで批評精神と冗談精神に富む「中年御三家」でした。

 さて、「なつかしともなつかし」のテーマにちなんでデューク・エイセス「おさななじみ」にしようかとも思いましたが、ここはやはり大ヒット曲の「こんにちは赤ちゃん」の方を。
 こちらで聴きながらお読みください。「六三四Ⅲ 八野」さんに感謝しつつ無断リンクします。

梓みちよ・こんにちは赤ちゃん1梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」
  昭和38年11月発売
  作詞:永六輔 作曲:中村八大

  こんにちは 赤ちゃん あなたの笑顔
  こんにちは 赤ちゃん あなたの泣き声
  そのちいさな手 つぶらな瞳
  はじめまして わたしがママよ

  こんにちは 赤ちゃん あなたの生命(いのち)
梓みちよ・こんにちは赤ちゃん2  こんにちは 赤ちゃん あなたの未来に
  この幸福(しあわせ)が パパの希望(のぞみ)
  はじめまして わたしがママよ
  
  ふたりだけの 愛のしるし
  すこやかに美しく 育てと祈る
  こんにちは 赤ちゃん お願いがあるの
  こんにちは 赤ちゃん ときどきはパパと
  ホラ ふたりだけの 静かな夜を
  つくってほしいの おやすみなさい
  おねがい赤ちゃん
  おやすみ赤ちゃん わたしがママよ

 「上を向いて歩こう」「遠くへ行きたい」「おさななじみ」などと同じく、NHK「夢であいましょう」「今月のうた」で発表された永六輔&中村八大コンビの作品。
 レコード発売は昭和38年11月ですが、発表されたのは7月の「今月のうた」コーナー。発表直後から譜面プレゼントに大量の応募があるなど大反響。それでレコード発売された、という経緯。(「今月のうた」はあくまで放送用の新作。レコード発売されなかった曲もいっぱいあります。)
 レコード発売されて間もなく、年末の第5回レコード大賞を受賞しました。永&中村は水原弘「黒い花びら」(s34-7)で第1回レコード大賞を受賞していたので、これがなんとレコード大賞五年目にして二度目の大賞受賞。(加えてこの前には世界の「上を向いて歩こう」があったわけです。)
梓みちよ・レコード大賞s39-1-19週刊明星より&舟木一夫&三沢あけみ (*二枚のレコードジャケット画像の上の方は発売時のもの。下はレコード大賞受賞後のもの。
 *また、右は「週刊明星」昭和39年1月19日号から、レコード大賞受賞式の写真。大賞の梓みちよと新人賞の舟木一夫と三沢あけみ。
 右下は「週刊平凡」昭和39年2月3日の増刊号。「こんにちは赤ちゃん」は誰でも歌えるホームソング。したがって、その大ヒットは一種の社会現象でもあったことがわかります。うがっていえば、ここにも、オリンピック前の希望と期待に満ちた社会的気分がうかがえます。少子化と高齢化によって社会が委縮しつつある梓みちよs39-2-3週間平凡臨時増刊号現代とはなんという違いでしょう。)
 この歌詞もそうですが、「上を向いて歩こう」の項で書いたように、永六輔は五七調や七五調にとらわれない口語自由詩的な感覚を流行歌の世界にいち早く持ち込んだ作詞家でした。
 私はそこで、永六輔の口語自由詩の精神は戦後民主主義者の言語思想に通じる、という意味のことを書いたのでしたが、それにしても、その永六輔が亡くなった直後の参議院議員選挙で、「改憲勢力」が国会の三分の二以上を支配する結果になったとは、何とも皮肉です。