この際、三田明「赤い夕陽」のB面も紹介しておきましょう。「君こそ明日(あす)の太陽だ」。youtubeにはカラオケがあります。
 (レコードジャケットは「赤い夕陽」で使ったので、ここにはちょっとめずらしい画像を。
 一枚目は「明星」昭和39年7月号から、ビクターの先輩・橋幸夫と。橋が歌手デビュー前からボクシングに熱中していたのは有名。橋に感化されたか(?)三田もボクシングを始めたらしく、先輩&後輩で「スパーリング」(!)。
 二枚目は「りぼん」39年5月号から、天才少女バレリーナとして大人気だった森下洋子(当時15歳)と。)
 
三田明「君こそ明日(あす)の太陽だ」
  昭和39年6月発売
  作詞:上羽ひろし 補作詞:宮川哲夫 作曲・編曲:吉田正
三田明s39-7明星より&橋幸夫 一 悲しみは 君だけじゃない
   辛いのは 君だけじゃない
   誰だって 涙こらえて
   生きている 生きている
   星を見つめて
   君こそ 君こそ明日の太陽だ
 二 幸せは そこまで来てる
   よろこびは ほらすぐそこに
   この街を 人の心を
   美しい 美しい
   花で飾ろう
   君こそ 君こそ明日の太陽だ
 三 雨は降る やさしく胸に
   陽は昇る 希望にもえて
三田明s39-5りぼん本誌&森下洋子   いつの日も 夢を忘れず
   唄おうよ 唄おうよ
   こころ明るく
   君こそ 君こそ明日の太陽だ

 実はこれは「田園ソング」。歌詞は一般公募だったので、宮川哲夫の手直しが入っています。
 歌詞の全体が紋切り型の羅列めいているのが残念ですが、とにかく「君こそ明日の太陽だ」というタイトル(そして、歌詞中のリフレイン)はすばらしい。これこそ夢と希望のシンボル「青春の太陽」。青春讃歌、青春応援歌はこうでなくちゃ。
 三番の「雨は降る やさしく胸に」「いつの日も 夢を忘れず 唄おうよ」あたりから、橋幸夫&吉永小百合の「いつでも夢を」(「星よりひそかに 雨よりやさしく」「おもちなさいな いつでも夢を」「あの娘はいつも歌ってる」)を連想するのは、どっぷり青春歌謡づけの私の気のせいでしょうか、それともビクターの先輩へのオマージュとして作詞者がわざとほのめかしたのでしょうか。後者であってくれればうれしいもの。

三田明・君こそ明日の太陽だs39-6「家の光」p91 右には、これもちょっと珍しい、「田園ソング」としてこの歌を紹介した雑誌「家の光」39年6月号から画像を二枚。
 「田園ソング」は家の光協会とTBSラジオの提携でしたが、表のページはカラーでスポンサー企業の三菱農業トラクターの広告。
 (会社名はこの時点では「新三菱重工業」。まもなく再合併して「三菱重工業」になります。橋幸夫「故郷の花はいつでも紅い」(s36-6)の項で書いたとおり、敗戦後に解体された三菱の再統合、東京オリンピックを契機に始まった「財閥復活」です。
 ちなみに、東アジア反日武装戦線「狼」による三菱重工東京本社ビル爆破事件が起きるのはちょうど10年後、昭和49年(1974)8月30日。三菱重工を戦前からの帝国主義(支援)企業、戦後も続く日本のアジア侵略の代表とみなしての犯行でした。)

 三田明・君こそ明日の太陽だs39-6「家の光」p92対して、残念ながら三田の歌の方は裏のモノクロページ扱い。(なお、上掲歌詞の表記は「家の光」に従いました。)
 画像ではちょっと読みにくいかもしれないので、少し引用。

 《『家の光』の読者が作詞した歌に、一流の作曲家がメロディーをつけ、人気歌手がうたう夢の企画――六月の家の光愛唱歌「田園ソング」は、東京都の上羽ひろしさんが作詞された「君こそ明日の太陽だ」です。希望あふれる青春讃歌を、十代のホープ三田明くんがさっそうとうたいます。》

 三田明のプロフィール紹介文も。

 《『美しい十代』で歌謡曲界におどりでたニューボイス。日本テレビ「ホイ・ホイ・ミュージック・スクール」で五百人中最高点をとったのがきっかけでビクターに入り、作曲家吉田正氏の門下生となる。八人兄弟の末っ子で、八王子学園高校の二年在学中。……》 
 三田明、八人兄弟(!)だったとは。戦時下、「産めよ殖やせよ」の時代(国民が兵器と同じ「消耗品」だった時代!)の父母たちの奮闘に敬意を。

 前回「赤い夕陽」の項で書いたように、従来の三田のレコードなら、友情テーマの「君こそ明日の太陽だ」をA面に、恋愛テーマの「赤い夕陽」をB面にするところ。「君こそ明日の太陽だ」が歌詞一般公募作だったのでB面にしたのかもしれません。事情はともあれ、結果的に、これは初めて、発売当初から恋愛テーマ曲がA面になった記念すべきレコードになりました。