遊星王子の青春歌謡つれづれ

歌謡曲(青春歌謡)がわかり、ついでに文学と思想と歴史もわかってしまう、とてもためになる(?)ブログ。青春歌謡で考える1960年代論。こうなったらもう、目指すは「青春歌謡百科全書」。(ホンキ!?)

舟木一夫 を含む記事

 「遊星王子」は遠い星からやってきました。ふだんは東京の街角の靴磨き青年に身をやつしています。アメリカの大都会の新聞記者になりすましているスーパーマンに比べると貧乏くさいけれど、これが日本、これが戦後です。
 宇宙から日本にやって来た正義の味方としては、スーパー・ジャイアンツには遅れましたが、ナショナルキッドよりは先輩です。
(またの名を落日の独り狼・拝牛刀とも申します。牛刀をもって鶏を割くのが仕事の、公儀介錯人ならぬ個人営業の「解釈人」です。)

 「青春歌謡」の定義や時代区分については2011年9月5日&12月31日をお読みください。暫定的な「結論」は2012年3月30日に書きました。
 この時代のレコードの発売月は資料によってすこし異なる場合があることをご承知ください。
 画像も音源もネット上からの無断借用です。upされた方々に多謝。不都合があればすぐ削除しますのでお申し出下さい。
 お探しの曲名や歌手名・作詞家名があれば、右の「記事検索」でどうぞ。
 「拍手コメント」には返信機能がないので返信できません。コメントやご連絡は「メッセージ」(右上「遊星王子」画像の下の封書のしるし)をお使いください。非公開です。
 なお、以前の記事にも時々加筆修正しています。
 *2015年2月23日
 「人気記事」を表示しました。直近一週間分の集計結果だそうです。なんだかむかしなつかしい人気投票「ベストテン」みたいです(笑)。(一週間じゃなく5日間じゃないのかな?)
 *2015年7月25日
 記事に投稿番号を振ってみました。ブログ開始から3年と11か月。投稿記事数426。一回に数曲取り上げた記事もあるので曲数は500曲ぐらいになるでしょう。我ながら驚きます。
 *2017年6月17日
 累計アクセス数1,000,000突破。

522 守屋浩「おとぼけ美代ちゃん」 「みよちゃん」の歌(2)

 この際、もう一曲「ミヨチャン」の歌を。
 守屋浩「おとぼけ美代ちゃん」。こちらで聴きながらお読みください。こんな珍しい曲をupしてくれた澤田正文さんに深く感謝しつつ無断リンクします。
 (レコードジャケット画像の下は、「おとぼけ美代ちゃん」も収録した守屋のソノシートブック「ひろしの歌日記」の裏表紙。)

守屋浩「おとぼけ美代ちゃん」
  昭和39年4月発売
  作詞:佐竹まさを 作曲:米山正夫 編曲:辰海隆
守屋浩・おとぼけ美代ちゃん 一 かすりの袖に コスモスが
   ほのかに匂う ひるさがり
   幼なじみの はずなのに
   会ってもつんつん 知らぬ顔
   おとぼけ美代ちゃん 気にかかる
 二 瞼にのこる おかっぱの
   おもかげ遠い 筒井筒
   いつも遊んだ 仲よしの
   思い出なんかは すてたのか
守屋浩・クラウン・ひろしの歌日記裏   おとぼけ美代ちゃん 背を向けた
 三 鼻緒が切れて 泣きじゃくる
   小さな肩を 抱いた日よ
   すぎた十九の 年月(としつき)
   あの日のことさえ 消えたのか
   おとぼけ美代ちゃん 胸のうち
 
 守屋浩クラウンレコード移籍後3枚目のレコード。
 これは歌詞一般公募による田園ソング。「家の光」(s39-4)によれば、作詞したのは「神奈川県の佐竹まさをさん」。
 幼なじみで仲よしだった「美代ちゃん」。それなのに今では「会ってもつんつん知らぬ顔」。昔の思い出なんかみんな「記録にも記憶にもございません」といった調子。不都合な事実を隠す官僚や政治家でもあるまいに、徹底した「おとぼけ」ぶり。だから「おとぼけ美代ちゃん」。
 記憶の有無をめぐる議論は水掛け論になりがちなもの。多数の証言(証人喚問)や文書記録を調査すればたいていは明らかになりますが、それが出来ない場合、第三者は全体の状況を踏まえて「常識=良識」で判断しましょう。片や忘れたい理由があり、片や忘れられない理由があるはず。その理由を踏まえて判断すればよいのです。加計学園問題と同じです。第三者(国民)の「常識=良識」の直観力や推理力を見くびってはいけません。権力をはばかってマスコミが口ごもっていることだって、この「常識=良識」は見抜いています。
 この歌の場合なら、語り手は今でも「美代ちゃん」が好き、「美代ちゃん」はもう語り手に関心がない、むしろ他に好きな人が出来て、何かというと子供のころの思い出を持ち出す語り手の執着はちょっと迷惑、といったところでしょう。それでも語り手は未練たらたら。そこにほほえましいユーモアがにじみます。
 「すぎた十九の年月に」記憶が「消えた」というので、論理的に考えれば、仲よしだった時期から十九年が過ぎた、ということになります。すると現在の年齢は少なく見積もっても二十四五歳? 守屋浩(昭和13年生れ、この時25歳)にはふさわしくとも、歌謡曲としてはちょっと年齢が高すぎる感じ。ここは青春歌謡にふさわしく、現在の年齢が十九歳なのだと考えておきましょう。
 幼いころの思い出の中の「美代ちゃん」は、「かすりの袖」、つまり着物姿で「おかっぱ」頭で、「鼻緒」つまり下駄履き。昭和39年の19歳なら、彼らは敗戦の年、昭和20年の生まれ。小学校入学が昭和26年ごろ。まだ占領下日本の田園風景の中の子供たちなのでした。
 実は「家の光」(s39-4)に掲載された歌詞では、歌い出しは「かすりの袖に菜の花が」でした。「菜の花」ならまぎれもなく田園風景。発表月(レコード発売月)の四月にもふさわしい。
 それがレコードの歌詞では「コスモス」に変更されたのでした。変更理由は不明ながら、「コスモス」では季節が秋になってしまう上に、何より田園らしさが薄れます。深読みかもしれませんが、菜の花→コスモス、すなわち田園→都会、オリンピック直前、都会志向へ舵を切りつつあった時代の傾向を感じます。
 (他にも、「家の光」では一番四行目は「知らん顔」。レコード歌詞ではなぜか「知らぬ顔」。しかし実際の守屋の歌唱は「知らん顔」のようです。)

 この詞で案外大事なのが二番の「おかっぱ」と「筒井筒」。
 「筒井筒」は井戸(円筒状の井戸)のそばで仲よく遊んだ幼なじみの少年少女の恋を描いた「伊勢物語」の話を踏まえた表現。樋口一葉「たけくらべ」もこの逸話を踏まえたタイトル。舟木一夫「初恋」の項で書いたのですが、あらためて記します。
 幼なじみの二人、年頃になって恥じらい合って会わなくなって「年月」がたちました。
 男が思い切って歌を詠んで送ります。
  筒井筒井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹(いも)見ざるまに
 あなたも覚えているでしょう、子どものころ、筒井(丸い筒の井戸)の井筒と比べて遊んだ僕の背丈は井筒よりずっと高くなりましたよ。(つまり大人になりました。結婚しましょう。)
 女の承諾の歌。
  比べ来(こ)し振り分け髪も肩すぎぬ君ならずして誰(たれ)か上ぐべき
 あなたも覚えているでしょう、いつもあなたと髪の長さを比べていた私の振り分け髪(左右に分けて肩のあたりで切りそろえた髪型)も肩を過ぎて長くなりました。もう髪上げ(女子の成人儀式)をする時期。あなたのために髪上げします。(つまりプロポーズをお受けします。)
 「伊勢物語」の男は幼いころの思い出に訴えかけてプロポーズし、成功したのです。
 「おかっぱ」は現代版の「振り分け髪」みたいなもの。そこで「伊勢物語」を思い出したこの歌の語り手は、「おかっぱ」につづけて「筒井筒」と歌ったのです。
 実は彼も幼なじみの思い出に訴えかけて「美代ちゃん」の気を引こうと、「伊勢物語」の男と同じことをしているのに、「美代ちゃん」はとぼけて幼い日々の記憶など忘れたふりをしている、というわけです。
 こんなユーモラスな歌詞にも、さりげなく、古典の教養がにじみ出る。今から53年前、日本語の古典と伝統が大衆の中に生きていた時代の歌でした。

521 平尾昌章「ミヨチャン」 追悼・平尾昌晃 高校生バンザイ! 恋愛篇(番外2) 「みよちゃん」の歌(1)

 作曲家・平尾昌晃氏が7月21日に亡くなったそうです。79歳。
 平尾昌章s34-5平尾氏はまず「平尾昌章」名でロカビリー歌手としてデビュー、甘いルックスもあって大人気、ミッキー・カーチス、山下敬二郎とともに「ロカビリー三人男」の一人に数えられ、まもなく歌謡曲に転身して「星はなんでも知っている」(s33-7)が大ヒット。ロカビリーから歌謡曲への転身の先駆けになりました。(右は「ミュージック・ライフ」誌の昭和34年5月号表紙。プレスリー風の平尾昌章。)
 青春歌謡期には低迷したものの、自分で作曲し自分で唄った「おもいで」を布施明に提供したのを機に、以来、作詞家・水島哲と組んで作曲家として布施明の売り出しに成功し、作曲家に転身します。布施明「霧の摩周湖」の項で書いたように、おそらく転身の決意表明だったのでしょう、昭和41年秋ごろ、平尾昌章から昌晃に改名。70年代に入ると五木ひろし「よこはま・たそがれ」(1971-3)、小柳ルミ子「わたしの城下町」(1971-4)「瀬戸の花嫁」(1972-4)など、和洋折衷(ポップス+歌謡曲)的曲調によるヒット曲を次々に生んで大成功。作曲家としての地歩をゆるぎないものにします。
 ロカビリー歌手から歌謡曲歌手へ、さらに作曲家へと、見事な才能の展開でした。

 高校生の恋を取り上げて来たこのブログが、追悼を兼ねてとりあげるのは、もちろん「ミヨチャン」。
 こちらで聴きながらお読みください。朱殷麟さんに感謝しつつ無断リンクします。
 (レコードジャケット画像の下は、三田明のヒット曲の映画化「若い港」(s39-5-13公開)にブラスバンド部の先輩役で出演した平尾昌章(&三田明&山内賢)。平尾はこの時期、三田明と同じビクターレコードの所属でした。)

平尾昌章「ミヨチャン」
  昭和35年5月発売
  作詞:平尾昌晃&音羽たかし
  補作・編曲:平尾昌章&津々美洋

平尾昌章・ミヨチャン/あの日から (セリフ)
  皆さん マア 僕の話を聞いて下さい
  ちょうど僕が高校二年で……
   あの娘も…… ミヨチャンも
     高校二年の時でした
 一 僕のかわいい ミヨチャンは
   色が白くて ちっちゃくて
   前髪たらした かわいい娘
   あの娘は 高校二年生  
 二 ちっとも美人じゃ ないけれど
平尾昌章in映画「若い港」s39-5&三田明&山内賢   なぜか僕を ひきつける
   つぶらなひとみに 出会う時
   なんにも言えない 僕なのさ
 三 それでもいつかは 会える日を
   胸に描いて 歩いていたら
   どこかのだれかと よりそって
   あの娘が 笑顔で話してる
 四 父さん母さん 恨むじゃないが
   も少し勇気が あったなら
   も少しきりょうよく 生れたら
   こんなことには なるまいに
 (セリフ)
  そんなわけで
  僕の初恋は見事失敗に終りました
  こんな僕だから
   恋人なんて何時のことやら……
  でも せめて夢だけは何時までも
      持ちつづけたいんです
 五 今にみていろ 僕だって
   素敵なかわいい 恋人を
   きっと見つけて みせるから
   ミヨちゃんそれまで サヨウナラ
          サヨウナラ…………  
  
 青春歌謡に先立つ昭和35年(1960年)の曲ですが、おそらく、高校生同士の恋を歌った歌謡曲として60年代最大のヒット曲。ただし一方的な片想いの失恋。
 大好きだからこそ声もかけられない。現代なら内気すぎると思われもしましょうが、この内気さこそ青春歌謡のもの(たとえば舟木一夫)。
 内気とは、欲望を行動で発散充足させることなく、心の中で感情として純化する心の傾向。つまり純情を培養する気質。青春歌謡の重要な一面である感傷も抒情もこの内気さと切り離せません。それどころか、人間特有の「愛」という観念さえもこの内気さの中ではぐくまれるのです。
 (心情を介することなく欲望から行動に直結するのはただの「動物」。東浩紀というちょっと嘘っぽい社会学者の『動物化するポストモダン』によれば、80年代以後の若者は刹那的な欲望充足に走る「動物化」状態なのだそうです。それが本当なら、もう感傷も抒情もありゃしない。「動物」はそもそも「人間」じゃない(ホントかな?))
 欲望の解放を日本の若者に教えたのはいつだってアメリカ。戦前なら昭和初期のジャズ・ブーム。戦後なら占領下のジャズと昭和30年代初期のロカビリー。ロカビリーで欲望の解放をストレートに叫んでいた平尾昌章がこの内気な純情高校生を歌う、これが青春の歌謡曲。
 「星はなんでも知っている」のメルヘンとこの「ミヨチャン」の内気な純情、まさしく平尾昌章は60年代青春歌謡の先駆けなのでもありました。
 (ところで、以下、ちょっと曲解めいた無用の一言を書くので「ミヨチャン」ファンはこの一節を読まずに飛ばしてください。
 最後の五番がちょっと変。「今にみていろ僕だって」「それまで」サヨウナラ、と歌う彼は、ひょっとして、「素敵なかわいい恋人」が出来たら、彼女を連れてわざわざミヨチャンに会いに行くつもりなのでしょうか? 何のために? 見返してやるために?
 それならこれは、内気な愛情が内向してこじれたあげくの復讐心ではありませんか。まるで、恋人・お宮を金満家に奪われた貫一が、お宮を見返すために高利貸しになろうとする尾崎紅葉『金色夜叉』みたいな心境。貫一はそのとき、「今にみていろ僕だって、大金持ちになってみせるから、それまで宮さんサヨウナラ」と心に復讐を誓ったのでした。
 というわけで、この五番、もうちょっと何とかならなかったものか、と惜しむわけです。)

 とにかく「ミヨチャン」は「星は平尾昌章・ミヨチャン・ジャケット裏なんでも知っている」につづく平尾昌章の歌謡曲での大ヒット。セリフが入るのも「星はなんでも知っている」に似ています。
 加えてこれは、一般には、平尾昌章自身の作詞作曲歌唱、として通っています。つまり平尾昌章はシンガー・ソングライターの先駆けでもあったのでした。
 ただ、上掲レコードジャケット画像でおわかりのとおり(右画像のとおりジャケット裏の歌詞カードも同じ)、もともとの表記は、
  平尾昌章・音羽たかし作詞
  平尾・津々美 補作・編曲

 (歌唱は、演奏も含めてでしょう、「平尾昌章とオールスターズ・ワゴン」)
 誰の「作曲」かちゃんと書いてないという変な表記ですが、昭和41年の4曲入り平尾昌章・ミヨちゃんs41の4曲入りLPよりレコードでは、右画像のとおり、作曲だけは平尾昌晃単独名。
 「音羽たかし」はキングレコードのディレクターが日本語訳詞をする際に用いたペンネームだそうで、一人ではなく何人もいたらしいというので、歌詞に「音羽たかし」の手が入っているのはまちがいないでしょう。
 津々美洋は、当時平尾のバックバンドをつとめていた「オールスターズ・ワゴン」のギタリストにしてリーダー。(この頃、ポップス系歌手には、たとえば「小坂一也とワゴン・マスターズ」など、歌手専属のバックバンドが付く例がけっこうありました。)後にはバンドは「津々美洋とオールスターズ・ワゴン」と名乗ったりもします。「星はなんでも知っている」を作曲したのも津々美洋。
 そうすると、歌詞に「音羽たかし」の手が入ったのと同様、作曲の際にも津々美洋の助言を採用したりしながら作った、というのが実情なのではなかったでしょうか。なにしろ平尾としては初めての作詞作曲だったでしょうから。

 ともあれ、歌詞も素人風の口語的発想で親しみやすく、メロディーラインもロカビリーのかけらもないほど単純で歌いやすい。この親しみやすさが大成功の理由だったでしょう。
 そして、とりわけ親しみやすいのが、「ちっとも美人じゃないけれど」と歌われるこの「ミヨチャン」の庶民的な親しみやすさ。本名は「美代子」でしょうか。それを「ミヨチャン」と愛称で呼ぶのも親しみやすい。
 たしかに、あの時代、「美代子」はとてもポピュラーな名前。美人じゃないけどかわいい「ミヨチャン」は誰の身近にもいました。そしてまた、「も少しきりょうよく生れたら」の嘆きもこの年代の多数の男子共通の思い。ああ、こんなふうに書いていると、なんだか私「遊星王子」にも、片想いに終わった「僕のかわいいミヨチャン」がいたような気が……。
 なお、「ミヨチャン」は前回の「ツンツン節」と同様、後にザ・ドリフターズがカバーしています(s44-5)。ドリフの「ミヨチャン」も「平尾昌晃作詞・作曲」となっていますが、何しろアドリブ的な突っこみを多用した歌詞になっています。
 最後に、「ミヨチャン」の歌、青春歌謡の時代にも、守屋浩「おとぼけ美代ちゃん」(s39-4)という田園ソングがあることを記しておきます。

518 望月浩「泣かないで」 高校生バンザイ! 恋愛篇(1) タカオカンベ=渡舟人?

 総じて勉強は嫌いだった(笑)青春歌謡の高校生たち、では恋愛は?
 望月浩「泣かないで」。こちらで聴きながらお読みください。8823 time travel さんに感謝しつつ無断リンクします。
 (レコードジャケット画像の下は、望月浩&叶修二&東山明美の修学旅行! 「明星」昭和40年5月号から。)

望月浩「泣かないで」
  昭和40年5月発売
  作詞:タカオカンベ 作曲・編曲:萩原哲晶
望月浩・泣かないで 一 少し行っては 立ち止る
   胸につかえる おくり道
   赤い夕日に 叱られそうな
   二人は初恋 まだ高校生
   いいね 泣かないで
   涙をふいてから
   お別れを お別れを
   もう一度
 二 白い優しい 君の手を
望月浩s40-5明星より&東山明美&叶修二   そっと離した 曲がり角
   右と左に 幸せわけて
   この次逢う日の 約束を
   いいね 泣かないで
   涙をふいてから
   指切りを 指切りを
   もう一度
 三 遠く聞えた 海鳴りも
   いつか消えてる 近道を
   帰りいそいで つまずきそうに
   なっては振りむく セーラー服
   いいね 泣かないで
   涙をふいてから
   微笑みを 微笑みを
   もう一度

 「一人ぼっちが好きなんだ」(s40-2)でデビューした望月浩の二枚目シングルA面。高校生同士の初恋というテーマが望月浩の声の甘さにぴったり。
 実は、青春歌謡の時代、はっきり高校生同士の恋だとわかるヒット曲は珍しいのです。舟木一夫「君たちがいて僕がいた」(s39-3)以来何度も書いたように、「学園ソング」では恋愛もあくまで友情の枠内にとどめるのが基本だったからです。ましてや同じ高校、同級生、とでもなればなおさらのこと。
 萩原哲晶の曲は「ああ~」の女声コーラスをあしらって正統青春歌謡調。ポップス(カバー・ポップス)を得意とした東芝レコード(東芝音工)でのこの正統青春歌謡調も、実はとても珍しい。
 (デビュー曲「一人ぼっちが好きなんだ」も女声コーラスが入りましたが、「ヤンヤンヤン……」、つまりポップス調。3枚目の「太陽だって僕等のものさ」(s40-7)はリズム歌謡風で女声コーラスも「ズンズンジンジン……」。青春歌謡の女声コーラスはやっぱり「ランラン……」か「ああ~」でなくちゃ(笑)。)
 タカオカンベの詞もすばらしい。ことに「赤い夕日に叱られそうな」が秀逸。「叱られそうな」と感じるのは、たぶん彼らが親や教師の目を気にしているからですが、しかし、「赤い夕日に」はそういう現実配慮は消えてファンタジーになります。初々しいカップルの様子にまるで夕日も照れて赤くなっているようです。
 
 ところで、作詞したタカオカンベの名、私が最初に知ったのは高倉健「網走番外地」(s40)の作詞家としてでした。あのやさぐれた世界を書いたタカオカンベがこんなさわやかな青春歌謡を書いていたとは驚きです。
 ただ、タカオカンベ、こちら漣健児の証言によれば、実は早くからポップスの訳詞家として活動していたのだそうです。あの有名な「サンタが街にやってくる」(♪ さあ あなたから メリー・クリスマス……)もタカオカンベ(神戸孝夫)の訳詞、尾藤イサオ「悲しき願い」(s40 ♪ ……誰のせいでもありゃしない みんな俺らが悪いのか)もタカオカンベの訳詞なのでした。なるほど名(タカオ)と姓(カンベ)の順序を逆にしたのもポップスの訳詞家にふさわしくガイジン(アメリカ人)風にした、ということだったのでしょうか。
 訳詞といっても実際は「超訳」みたいなものでしょう。オリジナルをベースにしてかなり自由に創作する一種の「二次創作」。そういえば「網走番外地」も元は巷の歌で、それを「二次創作」的に映画主題歌にふさわしく仕立て直したという点では訳詞(超訳)に似ています。
 そして、さらに驚いたことに、こちらのページによると、タカオカンベと渡舟人(わたり・ふなんど)は同一人物なのだそうです。
 渡舟人はこのブログでも森山加代子「じんじろげ」(s36-1)や「パイのパイのパイ」(s36-5)の作詞家として紹介しました。両曲とも演歌師の歌っていた元歌があって、それをもとにして書き変えたもの。つまりこれらもオリジナルあっての「二次創作」。そしてまた「ロカビリー三人男」の一人山下敬二郎「ダイアナ」(s33-4 ♪……死んでも君を離さない地獄の底までついていく)の訳詞も渡舟人らしいのです。
 ご参考までに、渡舟人について一番詳しいネット上の記事はたぶんこちらです。それによれば、渡舟人は東芝音工の社員だったらしいとのこと、2010年12月19日に94歳で亡くなったとのこと。
 どなたかタカオカンベ(渡舟人)のWikipediaを書ける人はいないでしょうか。

517 舟木一夫「おみこし野郎」 祝1,000,000アクセス突破

 6月17日夜、アクセス累計が1,000,000を突破しました。
 50年以上前のわずかほぼ5年間(1963~1967)だけの「青春歌謡」限定ブログ。にもかかわらず、かくも多数訪問してくださった皆さんに感謝し、かつはよくやったと手前味噌に自画自賛して、にぎやかにお祝いの歌を。
 舟木一夫の「おみこし野郎」。こちらで聴きながらお読みください。8823 terminal さんに感謝しつつ無断リンクします。
 (舟木の夏祭りイメージの画像を集めてみました。
 まず、レコードジャケット画像の下の舟木一夫と本間千代子は、レコード発売とほぼ同時、昭和39年8月1日に封切られたばかりの映画「夢のハワイで盆踊り」の宣伝写真。
 その下はレコード発売前、雑誌「近代映画」の昭和39年5月号から、夏祭りの櫓の上で唄う舟木。「初めてのワンマン・ショウ」とあるのは3月の浅草国際劇場での「舟木一夫ショー」。さて3月時点でこの夏祭り姿で唄うにふさわしい歌は何だったのでしょうか。
 一番下は「おみこし野郎」の一年後の夏、雑誌「明星」の昭和40年8月号表紙。東山明美と。)

舟木一夫「おみこし野郎」
  昭和39年8月発売
  作詞:関沢新一 作曲:遠藤実 編曲:安藤実親
舟木一夫・おみこし野郎 一 ねじり鉢巻 きりりとしめりゃ
   矢でも鉄砲でも 持って来い
   いざと言うときゃ みこしをあげる
   ア ワッショイ ワッショイ
   祭だ ワッショイ
   トコショイ あげなきゃどしたい!
   あげなきゃ男の 名がすたる
   花も実もある 花も実もある
   おみこし野郎
夢のハワイで盆踊り・宣伝スチール 二 胸もたたくが 太鼓も叩く
   涙もろいは 母ゆずり
   バカな喧嘩にゃ ソッポを向くが
   ア ワッショイ ワッショイ
   祭だ ワッショイ
   トコショイ ソッポがどしたい!
   あの͡娘のソッポにゃ 身もほそる
舟木一夫s39-5近代映画より(3月、浅草国際劇場「舟木一夫ショー」)   恋は苦手の 恋は苦手の
   おみこし野郎
 三 降ろと照ろうと 文句は言うな
   みこしかついだ この肩にゃ
   明日のでっかい 力がはねる
   ア ワッショイ ワッショイ
   祭だ ワッショイ
   トコショイ はねたらどしたい!
   ついでに涙も はねとばせ
   日本晴れだよ 日本晴れだよ
   おみこし野郎

 舟木一夫が初めていなせな「江戸っ子」イメージに挑戦した歌。B面は安部幸子が作詞した「いなせじゃないか若旦那」。「銀座は老舗のいろはずし」の跡を継いだこの「若旦那」も「まめしぼり」の手ぬぐいで「ねじりはちまき」。
 A面B面あわせて、学園ソングを卒業してジャンルを広げようとしていた舟木の新生面を開くもの。威勢よく、けれども粗暴にならず、さわやかさを保ってみごと成功。これがのちの「火消し若衆」(s40-1)や「銭形平次」(s41-5)や「一心太助江戸っ子祭り」(s42-1)につながります。

舟木一夫s40-8明星&東山明美 作詞したのは「夢のハワイで盆踊り」と同じ関沢新一。
 関沢新一が舟木のために書いた詞には言葉遊びが多いのが特徴。「只今授業中」(s38-10)には「ABカッコAカッコ」、「夢のハワイで盆踊り」には「いろはとアロハ」、「銭形平次」には「なんだ神田の明神下で」、「一心太助江戸っ子祭り」にはふんだんに。
 なにしろ地口やダジャレは浮世を愉快に洒落のめす江戸っ子気質(かたぎ)の現れにほかなりません。どうせ浮世、たかが浮世、と現世を軽く見るいくぶん軽佻なこの江戸っ子気質は、一方では浮世草子や洒落本のような軟派の遊戯精神にもなりますが、他方では「矢でも鉄砲でも持って来い」、死をも恐れぬ硬派の勇み肌、鉄火精神にもなるのです。
 「おみこし野郎」でも、まずは「おみこし野郎」が「みこしをあげる」。「みこしをあげる」という言葉自体、もともと、「腰を上げる(立ち上がって行動にとりかかる)」の「腰」に「みこし」の「輿(こし)」を掛けた言葉なのでした。(「みこし=御輿」がすでに「輿」に尊敬の接頭辞「み(御)」を付けた語。神の乗り物であるがゆえにもう一つ尊敬の「お」を付けて「おみこし=御御輿」。成り立ちは「き=酒」に「お」と「み」と二重の尊敬接頭辞を付けた「おみき=御御酒」と同じ。)
 「いざと言う」場面でいよいよこの若者が「みこしをあげる」とき、きっと周囲から「待ってました」の声がかかることでしょう。
 二番では「(俺に任せろと)胸もたたく」し祭りでは「太鼓も叩く」。太鼓を叩くのはもちろん祭りの花形。さらに「ソッポ」の一語を転轍機にして、「トコショイ」の民謡的掛け声が入るや、喧嘩から恋へと主題を乗り換える妙。
 三番では同様に「はねる」を転轍機にして涙をはねとばし、天気は降ろうが照ろうが心はいつも「日本晴れ」。若者の未来も「日本晴れ」。陽気にめでたく歌い納めました。

 東京生まれの橋幸夫とちがって、舟木一夫は愛知県一宮市出身。愛知県出身の「江戸っ子」ということになります。しかし、「いなせじゃないか若旦那」の項で書いたとおり、そもそも江戸を巨大都市にした徳川将軍家自身が愛知県(三河)出身、さらに江戸っ子の典型・一心太助も、中村錦之助主演映画「江戸の名物男 一心太助」(s33-2)の設定では、愛知県(三河)出身の若者なのでした。
 そういえば、錦之助主演の第二作「一心太助 天下の一大事」(s33-10)では、悪旗本と結託した悪商人に監禁された桜町弘子を救出するため、太助たちは祭のみこしを担いで、「ワッショイ ワッショイ 祭だ ワッショイ」とばかり、悪商人の邸に押しかけて、みごと救出に成功します。祝祭気分横溢するなつかしき東映時代劇の一場面でした。

516 舟木一夫「よく遊びよく学べ」 高校生バンザイ! 勉強篇(4) 付・関谷ひさし「ストップ!にいちゃん」讃&ちばてつや「ハリスの旋風」 

 「勉強ぎらい」(笑)の青春歌謡、勉強を主題にした高校生をの歌はみんなB面。
 今日取り上げる舟木一夫「よく遊びよく学べ」にいたっては、シングルカットさえされず、4曲入りLP「舟木一夫と仲間たち」に収録されただけ。
 こちらで聴きながらお読みください。なぜか冒頭部が収録されていませんが、shouwa jidai さんに感謝しつつ無断リンクします。
 *なお、この4曲入りLPの発売年月は手元資料にしたがって、昭和38年10月としておきます。しかし収録曲は「仲間たち/叱られたんだね/はるかなる山/よく遊びよく学べ」。メインの「仲間たち/はるかなる山」のシングル発売が38年11月なので、それより早いとは思えません。加えて、「叱られたんだね/初恋の駅」の発売はさらに遅くて昭和39年1月。38年10月というのはまちがいではないでしょうか。念のため、レコード番号はASS-56です。
 画像は「平凡」昭和38年12月号表紙、舟木一夫と三沢あけみ。年末のレコード大賞で新人賞をいっしょに受賞することになる二人、それに先立っての「ツーショット」。

舟木一夫「よく遊びよく学べ」
  昭和38年10月発売
  作詞:星野哲郎 作曲:浜口庫之助 編曲:小杉仁三
舟木一夫s38-12&三沢あけみ 一 恋はできても 教室で
   いねむりする子じゃ だめさ
   バットを持たせりゃ 四番で
   鉛筆握れば トップだぜ
   よく遊び よく学べ
   よく遊んで よく学べ 若者よ
 二 本にゃ書けない ことわざが
   街にはあふれて いるさ
   歩いて探そう 生きた夢
   時々ブレーキ かけながら
   よく遊び よく学べ
   よく遊んで よく学べ 若者よ
 三 青い空さえ 僕のもの
   あの娘を誘って ゆこう
   明日は僕らの 責任さ
   わかっているから 大丈夫
   よく遊び よく学べ
   よく遊んで よく学べ 若者よ

 舟木一夫のための、星野哲郎唯一の作詞、浜口庫之助唯一の作曲、小杉仁三唯一の編曲。星野も浜口も小杉もこのあとまもなく新生クラウン・レコードに移籍してしまうからです。(もしかすると、上述したこのLP発売年月の混乱も、彼らのクラウン・レコード移籍と関係しているかも。)
 気楽に作られた曲みたいですが、その意味で貴重な一曲ではあります。

 当然、舟木の学園ソングシリーズ中に位置づけられる曲ですが、「教訓的=人生訓的」になるのが「人生派」星野哲郎らしいところ。
 「恋」をするなとは言わないものの、あくまで学業こそが学生の本分なのだ、と始まります。ちょっと教師の説教みたいに聞こえますが、これは学生自身の一人称の語り。つまり学生(高校生?)が自分で自分(たち)に言い聞かせ、呼びかけている歌です。
 それにしても、野球で4番、勉強でも成績トップとは、この語り手は文武両道、非の打ちどころない優等生、模範生。三田明「高校生活一週間」(s40-7)の「天下の秀才ここにあり」は本人の意気込みの表明であって客観的保証はありませんが、舟木のこれは、「トップだぜ」という得意げな口調から推測するに、どうやら客観的事実のようです。
 とはいえ、「よく学べ」より「よく遊べ」が先にくるあたり、やっぱり「勉強ぎらい」の青春歌謡の枠組みは守っている、というべきでしょうか。

 ちなみに、このころ、関谷ひさし「ストップ!にいちゃんストップ!にいちゃんs36-12本誌(予告)(s37-1~s43-3)という少年漫画がありました。月刊誌「少年」で「鉄腕アトム」や「鉄人28号」と肩を並べる人気漫画。雑誌終刊号まで長期連載されました。
 主人公・南郷勇一は中学三年生。スポーツ万能、野球部のキャプテンで「バットを持たせりゃ四番で」、成績も優秀「トップ」クラス、そのうえ弱きを助け強きをくじく正義漢で熱血漢。ただ、少々猪突猛進、ときどき暴走しがちなのが玉にキズ。その兄に「ストップ!」をかけるのが冷静で賢い弟の賢二の役割。まだ小学校低学年らしいのですが、「ならぬかんにんするがかんにん」「いそがばまわれ」「まけるがかち」などと、なにかとストップ!にいちゃんs37-3ことわざ」を口にしては勇み肌の「にいちゃん」を引き留めます。(右画像は、上が「少年」s36-12本誌から、新連載予告。下はs37-3の別冊付録、暴走気味の勇一に「ストップ!」をかける弟・賢二。)
 まさか星野哲郎が「ストップ!にいちゃん」をモデルにしたとまでは言いませんが、その連載1回目の別冊付録(s37-1)で、兄弟がこんなやり取りをします。
 賢二「学生の本分をわすれないこと」
 勇一「本分? なんだっけ」
 賢二「ほんとにしらないの」
 勇一「し…しってるよ。 よくまなび よくあそべ そうだろ」
 賢二「ちぇっ それは小学校の一年生クラスだよ。 中学生になったらよくあそべはいらないんだよ。よくまなべ よくまなべ さ」
 勇一「よせ! さむけがする」
 かしこい賢二くんがいうには「よく学びよく遊べ」でさえ「小学校の一年生クラス」。中学生なら「よく遊べ」は不要で「よく学べ、よく学べ」であるべきだ、というのです。

 それなのに舟木のこの歌、高校生のくせに「よく遊べ」を優先するのですから、たしかに星野哲郎の詞は「勉強ぎらい」の青春歌謡路線に違いありません。
 ただし、この歌の「よく遊べ」は、二番の歌詞を見ると、どうやらただの遊戯や快楽のすすめではなく、教科書や書物には載ってない生きた「ことわざ(教訓=人生訓)」を学ぶこと、つまり現実から直接に学ぶ「社会勉強」のすすめを意味するらしいのです。それも「時々ブレーキかけながら」、きちんと自己コントロールができています。
 こうして自己を律しつつ、学校で世の中で積極的に学ぶ若者たち、明日の社会を創るのは「僕らの責任」だということもちゃんと「わかっているから大丈夫」。星野哲郎が描いたのは、次代の日本を担うたのもしい若者たちの理想像なのでした。

 関谷ひさしという漫画家については、これまでも、西郷輝彦「恋のGT」の項で「少年No.1」、NHKラジオドラマ「緑のコタン」の項で「ジャジャ馬くん」、「隠密剣士の歌」の項で「赤い狼」と、そのつど言及してきました。昭和30年代、月刊誌中心だった時代の重要な漫画家でした。手塚治虫系でも福井英一系でもない、かといって絵物語系とも異なる、オリジナルのリアルな描線が「大人っぽく」感じられました。
 「冒険王」では学園野球漫画「ジャジャ馬くん」(s33-1~s38-12)の長期連載、「ジャジャ馬くん」終了後には「ジャジャ馬球団」(s39-1~s41)、「まんが王」では少年海賊を主人公にした破天荒な海洋漫画「キャプテン・8(ハチ)(s37-9~s39)、「少年ブック」では少年レーサーものの先駆け「少年No.1」(s35-1~s38)、いずれも巻頭カラーページを独占しつづけました。
 (ちなみに、関谷ひさしは大の野球ファン。「ジャジャ馬くん」の主人公・天馬竜平のニックネームの由来はプロ野球の青田昇(巨人、阪急、大洋)の愛称「ジャジャ馬」。「キャプテン・8」の名前の由来は喧嘩っ早さで「けんかハチ」の異名をとった東映フライヤーズの山本八郎(後に近鉄、サンケイ)。)
 そして「少年」ではこの「ストップ!にいちゃん」(s37-1~s43-3)。私はアトムよりも鉄人よりも「ストップ!にいちゃん」のファンでした。

 「ストップ!にいちゃん」は、関谷ひさしが一気にはじけて新生面を開いた作品。それまでの関谷の主人公たちは、たいてい、孤児だったり貧しかったり母子家庭だったりと、不幸の影を帯びたまじめな少年たち。しかしこの「ストップ!にいちゃん」は両親と兄弟二人の中流家庭に育った翳りのない明朗キャラクター。ここに、1950年代までの戦後的貧しさから経済成長による60年代的な気分への転換を見てもよいでしょう。青春歌謡の気分と通底するものです。
 はじけたのは何より笑いの解放。しかし、笑い自体をねらったユーモアまんがでもギャグまんがでもなく、あくまで学園もの、スポーツものの基本設定を守りながら、主人公(たち)の個性(キャラクター)の交渉が引き起こす巧まざる喜劇としての笑い。少年まんがにはめずらしかった学園コメディの先駆けともいえるでしょう。
 中心は勇一と賢二、中学三年生の兄と小学校低学年の弟、一種の賢弟愚兄コンビです。主人公の兄は学園を舞台にスポーツ万能で野球部、ボクシング部、柔道部などの主将をかけもちするほど。
ハリスの旋風s40-25 この設定を(こっそりそっくり)引き継いだのがちばてつやの「ハリスの旋風(かぜ)(「少年マガジン」s40-16~s42-11)。兄の石田国松は中高一貫の「ハリス学園」の三年生、つまり中学三年生、弟のアー坊は小学校低学年、という年齢設定も同じ。
 兄はスポーツ万能で、野球部、剣道部、ボクシング部と、次々に飛び入りしては大活躍。ただし、南郷勇一は学業も優秀な優等生でしたが、石田国松は略して「石松」、正義漢で熱血漢ながら、勉強はまるっきり苦手でしょっちゅうケンカに明け暮れて、あわや少年院行きかという「不良少年」。そんな兄をかしこい弟がはらはらしながら見守ったり時々は大人びた苦言を呈したり。まさしく賢弟愚兄そのもの。(右画像はs40年25号のとびら。ケンカで生傷の絶えない愚兄を心配げに見上げる幼い賢弟。)
 「ストップ!にいちゃん」には、「サチコ」という勇一の同級生のガール・フレンド(的存在)がいて、何かとおせっかいを焼くのですが、彼女は新聞部の部長。主人公にガール・フレンド(的存在)を配すること自体、当時の少年まんがにはめずらしいことでした。
 一方、「ハリスの旋風」にもやっぱり石田国松の同級生にしてガール・フレンドの「オチャラ」こと朝井葉子がいてなにかとおせっかいをやくのですが、彼女も新聞部の部長。こんなところまで「ハリスの旋風」は「ストップ!にいちゃん」の設定を引き継いでいました。
 主人公の家族構成も両親と弟の四人暮らし。ただし、石田国松の一家は、近所の貧乏長屋にも住めず、空き地の掘立小屋(みたいな家)で暮らす貧乏な屋台のラーメン屋。東京オリンピック後にもかかわらず、このひどい貧あしたのジョーs43-1新連載乏という設定が、「不良少年」石田国松に「優等生」南郷勇一の及ばない暴風雨みたいなエネルギーを与えていました。
 「ハリスの旋風」終了の翌年からちばてつやが「あしたのジョー」(「少年マガジン」s43-1~)の連載を開始するのも宜なるかな。ジョーはいわば、「ストップ!」をかける弟(や家族)のいない不良少年として「貧乏長屋」(ドヤ街)に登場するのです。
 (右は「少年マガジン」s43-1号の「あしたのジョー」新連載とびら絵。なお、私にとっての「少年マンガ」はあくまで小中学生対象。高校生や大学生が熱狂した「あしたのジョー」はもう私の定義する「少年マンガ」ではありません。)

515 坂本九(&ダニー飯田とパラダイス・キング)「勉強のチャチャチャ」 比較:舟木一夫「只今授業中」 高校生バンザイ! 勉強篇(3)

 久しぶりに勉強中の高校生の歌に戻って、坂本九(&ダニー・飯田とパラダイス・キング)「勉強のチャチャチャ」。youtubeに本人歌唱はありませんが、どこかの劇団が子供向けのステージで唄っている動画があります。
 (レコード・ジャケットの下は「平凡」昭和38年4月号付録歌本の表紙、高石かつ枝と坂本九。)

坂本九(&ダニー飯田とパラダイス・キング)「勉強のチャチャチャ」
  昭和38年5月発売
  作詞:永六輔 作曲:いずみたく 編曲:川口真也

坂本九・勉強のチャチャチャ ねむけをさましてチャチャチャ
 楽しく勉強チャチャチャ
 「ハイ国文法」
 コキクルクルクレコイ
 サシスルスルスレシロ
 「ハイ数学」
 三角形の二辺の和 他の一辺より長い
 「ハイ化学」
 水素はHで酸素はO のどがかわけばH²O
坂本九s38-4&高石かつ枝 「ハイ歴史」
 ピテカントロプス エレクトス
 ぼくらの先祖はおさるさん
 「ハイ英語」
 ABCDEFG I love you and you love me
 *ねむけをさましてチャチャチャ
  楽しく勉強チャチャチャ
 *部分くりかえし

 坂本九はデビュー時、パラダイス・キングの一員として活動していましたが、これは基本的には坂本九のソロ。パラダイス・キングは「ハイ国文法」「ハイ数学」などの掛け声(教師の声?)と後半のコーラス担当。(「ハイ化学」はパラダイス・キングの一員で、「キューピーちゃん」の愛称で親しまれ、独立して活動もした人気者・石川進。「ハイ歴史」の女性(女教師?)はこの頃パラダイス・キングのメンバーだった九重佑三子。)
 坂本九の歌は、「幸せなら手をたたこう」(s39-5)や「レットキス(ジェンカ)」(s41-9)のように、かしこまったレコード吹き込みというより、即興的で遊戯的なパフォーマンス性を含むのが特徴ですが、この歌でも、後半、だんだん眠気がひどくなって寝ぼけ声になるあたり、たのしい歌いぶりです。

 「見上げてごらん夜の星を」のB面曲。映画「見上げてごらん夜の星を」(s38-11-1公開)の挿入歌としても使われました。つまり、「高校三年生」(s38-6)のB面で映画「高校三年生」(s38-11-16)の挿入歌として使われた舟木一夫「只今授業中」と同じです。
 レコード発売も映画公開も両者はほとんど同時期。でも「見上げてごらん夜の星を」の方が「高校三年生」よりレコードも映画もほんのちょっと早い。(ただし、「見上げてごらん夜の星を」は、以前書いたとおり、もともと、昭和35年初演以来継続上演されてきた人気舞台ミュージカルだったのでした。)
 映画「見上げてごらん夜の星を」は定時制高校を舞台にした青春映画の名作。
榊ひろみs38-12家の光 舞台は東京下町の定時制高校。(今はなき、大毎オリオンズの本拠地だった東京球場のすぐ裏にある「荒川高等学校」定時制。)定時制の坂本九が自分の机に手紙を入れておき、同じ机を使う全日制の二年生・榊ひろみとの交流が始まる、という設定。(右画像の榊ひろみは「家の光」昭和38年12月号から。なお、映画での榊ひろみの役名、wikipediaも含めてネット上の資料で「宮地由美子」となっているのはまちがい、実際の映画では「みやした・けいこ」です。)
 以前も書いたように、青春歌謡の時代は定時制高校の時代でもありました。
 映画には教室で、榊ひろみが同級生の五月女マリと九重佑三子と三人でおしゃべりしている場面があります。(後には小さく無名時代の中村晃子も、一言のセリフもない端役で映っています。)五月女マリが、図書館で調べたのだと、次のように言います。「(定時制の生徒は全国で約45万人もいるのよ。」驚く二人に、「そればっかりで驚かないでよ。その定時制にも行けないで働いている人が230万人もいるのよ。」
 (映画で定時制の同級生・伴淳三郎は49歳の博物館の守衛。坂本九の工場の同僚で榊ひろみの従兄である中村賀津雄は中学校で優等生だったが定時制にも行けなかった若者。)
  
 さて、舟木の「只今授業中」は、映画の中で、休み時間に舟木の周りに級友たちが集まって歌う、という目立つ演出で使われました。
 一方、こちら「勉強のチャチャチャ」は、夜の下宿の裸電球灯る下で、昼の仕事と夜の授業を終えて疲れ切った坂本九が勉強しながら居眠りしている場面で、付けっぱなしのラジオから流れてくる、という「地味な」使われ方。それもパラダイス・キングの歌声で、坂本九の歌声は聞えません。(ラジオから特徴のある坂本九の歌声が流れたのでは、この映画のリアリティがぶち壊しになります。)
 ちゃんと高校生の勉強内容を歌詞に取り込んだという点でも、「只今授業中」と同じ。
 舟木の歌は英語と数学の二教科だけでしたが、坂本九の「勉強」は、国語、数学、化学(理科)、歴史(社会)、英語の主要五教科を網羅。内容は、歌謡曲の歌詞なので当然ながら、一部中学校レベル(口語文法のカ変サ変やH²O)も含む基礎的なもの。それが定時制高校らしくもあります(失礼)。もっとも「只今授業中」の「ABCDEFG」だって「ABカッコ」だって高校生とも言いにくい基本中の基本。関沢新一の「ABカッコ Aカッコ」ほどのエスプリはありませんが、永六輔、短いなかに高校生らしい遊び感覚もちゃんと盛り込みました。
 高校生の勉強内容を取り込んだ歌としては、この後、「一夜一夜に人見頃(1.41421356=ルート2)」「富士山麓(に)オーム鳴く(2.2360679=ルート5)」を歌い込んだ高石ともや「受験生ブルース」(s43-3)が最大のヒット曲になります。さすが大学受験、勉強内容も高度!しかし何と不毛な勉強!

 なお、「チャチャチャ」はキューバ起源だそうで、1953年に創始されたのだといいます。
 「チャチャチャ」で日本でいちばん有名なのは「おもちゃのチャチャチャ」野坂昭如が作詞した(越部信義作曲)ことでも知られていますが、最初のバージョンが発表されたのは昭和34年(1959年)。子供向けにアレンジするため吉岡治が歌詞を改作して(曲の一部も改作して)NHKの子供向け番組で放送されるのが昭和37年8月。(だから、今日流布しているバージョンは野坂昭如作詞、吉岡治補作詞。)たちまち大人気となって、真理ヨシコが吹き込んだレコードも大ヒット。「見上げてごらん夜の星を/勉強のチャチャチャ」が発売されたこの年、昭和38年年末の第5回日本レコード大賞、舟木一夫「高校三年生」が新人賞を受賞し、「おもちゃのチャチャチャ」は童謡賞を受賞したのだそうです(以上[wikipediaおもちゃのチャチャチャ])。
 さすがは戦後歌謡界屈指の才人・永六輔&中村八大、さっそく「おもちゃのチャチャチャ」の人気にあやかったのかもしれません。

513 西郷輝彦「僕だけの君」 追悼・北原じゅん(1)

 またしても追悼です。
 先日、作曲家・北原じゅんの訃報が流れました。5月6日没。wikipediaによれば昭和4年(1929年)生まれで満87歳。
 当時日本領だった樺太が彼の生まれ育った敗戦までの故郷。その故郷・樺太を偲んで自ら作詞作曲し弟の城卓矢(当時の芸名・菊地正夫)が歌ったのが「ふるさとは宗谷の果てに」(s37-1 *後に西郷輝彦の歌唱でs41-2)。(著名人としては珍しく誕生月日が明らかでないのは樺太とも関わる何かの事情があるのでしょうか。)
 北原じゅんは何といっても西郷輝彦を売り出し、創立したばかりのクラウン・レコードの青春歌謡路線を成功させた最大の功労者でした。
 西郷のデビュー曲「君だけを」(s39-2)から「我が青春」(s39-12)まで、オリジナル・シングル7枚全13曲すべて、作詞家・水島哲と組んでの北原じゅんの作曲。(「青空の下夢がいっぱい」(s39-8)のB面は高石かつ枝「若いその日がやってきた」。)
 橋幸夫&三田明を育てた作曲家は吉田正、舟木一夫は遠藤実、西郷輝彦は北原じゅんなのでした。
 さらに翌昭和40年になると、今度はエレキを響かせた美樹克彦の「ロック歌謡」での売り出しを手がけて成功させます。同じ時期には任侠歌謡の傑作、北島三郎「兄弟仁義」(s40-4)もあって、作曲家としての幅の広さをうかがわせます。

 追悼はやっぱり西郷輝彦の曲で。西郷のヒット曲の大半は取り上げましたが、機会がなくて取り上げそこねていた曲を。「僕だけの君」。
 こちらで聴きながらお読みください。8823 terminalさんに感謝しつつ無断リンクします。
 (レコードジャケットの下は「明星」昭和41年4月号表紙。いしだあゆみと。)

西郷輝彦「僕だけの君」
  昭和41年4月発売
  作詞:星野哲郎 作曲:水島じゅん 編曲:五十嵐謙二

西郷輝彦・僕だけの君    台詞
    君を……
    しあわせにできなかったら どうしよう
    それでもいいって
    黙って ついてきてくれるかい
    それがききたいんだ ……僕……
 一 遠い 遠い 愛の旅へ
   君をつれてゆきたい
   だれにも好かれる 君だから
西郷輝彦s41-4明星&いしだあゆみ   早く遠くへ つれていって
   僕だけの
   僕だけの 君にしたい
 二 遠い 遠い 愛の旅へ
   君を盗みだしたい
   愛するための 嘘ならば
   君も許して くれるだろう
   僕だけの
   僕だけの 君にしたい
 三 遠い 遠い 愛の園へ
   君を誘いだしたい
   星ふる湖畔に 着いたなら
   ひざまずくのさ 君の指に
   僕だけの
   僕だけの 夢をかけて

 昭和41年(1966年)は青春歌謡絶頂の年。年初から加山雄三「君といつまでも」(s40-12)が爆発的ヒット。つづいて春先からは橋幸夫「雨の中の二人」(s41-1)。夏には西郷輝彦「星のフラメンコ」(s41-7)、秋口からは舟木一夫「絶唱」(s41-8)。「御三家」の代表曲もこの年に集中。
 舟木一夫と並んで、西郷輝彦の主演映画が日活でシリーズ化するのもこの年のこと。「この虹の消える時にも」(s41-1公開)、「涙になりたい」(s41-5公開)、「星のフラメンコ」(s41-8公開)、「傷だらけの天使」(s41-12公開)、と続きました。共演はすべて松原智恵子
西郷輝彦・僕だけの君s41-5明星より松原智恵子 そこで右にはその松原智恵子がモデルの「僕だけの君」のイメージ画像。「明星」(s41-5)から。(実は松原の視線の先、切り取られた左側には西郷がいるのですが。)

 「僕だけの君」は後発の「星のフラメンコ」の大ヒットに光を奪われてしまう結果になりましたが、西郷輝彦の恋唄の傑作です。
 「青年おはら節」(s40-1)「俺らは九州っ子」(s40-4)「花の百万拍子」(s41-3)など、西郷のためにはもっぱら民謡調の詞ばかり提供してきた星野哲郎が初めて書いた本格的な恋唄。
 極めてドラマチックなイントロを背景に、セリフから入ります。
 西郷の台詞入り曲は「愛」(s40-12)に次ぐもの。ただし「愛」は「この虹の消える時にも」のB面曲で、一番の詞をそのまま台詞としてくりかえすという変則的なものだったので、A面としては、また本格的な台詞入りとしては、これが最初の曲だったといえるでしょう。
 西郷のセリフ術はさすが、後年の俳優への転身もむべなるかなと納得させます。
 「遠い遠い」「愛の旅へ」「愛の園へ」君を連れ出して「僕だけの君にしたい」。まさしくジャケットにあるとおり「「君だけを」発売二周年記念」にふさわしい。西郷輝彦は、舟木一夫や三田明のような「みんな=友情」の世界ではなく、「君だけを」という排他的で独占的で閉鎖的な恋愛感情を唄ってデビューしたのでした。「いつでも君だけを夢にみているぼく」(「君だけを」)の想いは二年間に募りに募り、とうとうここまで昂進したのだ、と読むこともできるでしょう。
 「盗みだしたい」「嘘」という「罪」を連想させる穏やかならぬ表現も含むので、演歌系ならば世に背いての「駆け落ち」願望にもなり二人のつらい身の上を語るところでしょうが、これは青春歌謡。理由はただ「だれにも好かれる君だから」。つまり「君」の魅力を讃えるのみ。多数の求愛者との競争を出し抜いて「君」との完全な対関係を成就したいという純粋な願望。
 しかも「星ふる湖畔」で「君の指に」「ひざまずく」というロマンチックなイメージで結びます。もちろんこれは、姫君の前にひざまずき、永遠の愛と忠誠を誓って姫の白い指さきに口づけする騎士(ナイト)のイメージ。文字どおり、西洋の「ロマンス」(騎士道物語)の青春歌謡的実演なのです。
 騎士道物語の基本型においては、そのパロディとしてのドン・キホーテのドゥルシネーア姫(実は百姓娘)への愛と忠誠が示すとおり、その愛はあくまでプラトニックな魂の愛。青春歌謡の精神です。星野哲郎の詞があえて「君の指に」「ひざまずく」とのみ歌って「口づける」という肉体接触イメージを避けたのは日本のプラトニックな愛の騎士たる青春歌謡歌手の歌う詞として当然のこと。
 台詞と曲調が切迫したドラマを暗示しますが、あくまで心の中での実演です。夢みる恋のドラマとして、青春歌謡の正道をきちんと踏んでいるのでした。
 台詞入りでドラマチックな恋の場面を切り取るというスタイル、星野哲郎はこの一年後、美樹克彦「花はおそかった」(s42-3)でもっと劇的に描くことになります。 

512 三田明「高校生活一週間」 高校生バンザイ! 勉強篇(2) 付・三田明学園ソングリスト

 高校生の歌をもう一曲。三田明「高校生活一週間」。こちらで聴きながらお読みください。「二の丸」さんに感謝しつつ無断リンクします。
 (レコードジャケット画像の下は「平凡」昭和40年7月号から、松原智恵子、恵とも子と。)

三田明「高校生活一週間」
  昭和40年7月発売
  作詞:井上順子 補作詞:宮川哲夫 作曲・編曲:吉田正
三田明・泣かせてごめんネ/高校生活一週間 一 待ちに待ったる日曜日
   行こうヤッホーハイキング
   つらなる峰の輝きも
   はやく来たれと呼んでいる
 二 頭重たい月曜日
   まぶた開かぬ火曜日さ
   されども八時是非もなし
   目ざす校門二秒前
 三 あの娘にお熱をあげちゃって
三田明s40-7平凡より&松原智恵子&恵とも子   レター渡した水曜日
   いらいら気分の木曜日
   あわれふられてヤブレター
 四 天下の秀才ここにあり
   がぜんハッスル金曜日
   明日からわれはガリ勉を
   すると決意はしたれども
 五 明日は日曜今日土曜
   やはり勉強は又今度
   ガリガリなんかはしなくても
   ぶつかるファイトはオール5さ

 「泣かせてごめんネ」のB面ながら、「高校生活一週間」は三田明が高校生を歌った最後の曲となりました。
 三田明は昭和22年6月生まれ。「美しい十代」(s38-11)でデビューした時、16歳、高校一年生。以後、現役高校生歌手として高校生活を主題にした学園ソングを歌ってきました。
 三田明が歌った学園ソングは以下の通り。(「若い港」は( )入れとしました。)
 「美しい十代」(s38-11)
 「みんな名もなく貧しいけれど」(s38-12)
 「友よ歌おう」(s39-2)
 (「若い港」(s39-3 *商船高校?))
 「すばらしき級友(クラスメート)(s39-5)
 「高校騎兵隊」(s39-8)
 「青春作戦」(s39-9*B面曲)
 「高校生活一週間」(s40-7*B面曲)
 三田が高校一年生のときに3曲。二年生のときに3曲。
 その三田明も18歳、高校三年生。前作「青春作戦」からほぼ一年ぶりの高校生ソングです。
 A面の「泣かせてごめんネ」は三田の初めての台詞入りの恋愛歌。つまり「大人っぽい」恋唄。その裏面のこの曲で、三田はひそかに学園ソングと訣別したのでした。(実質的には三田の学園ソングは前年夏の「高校騎兵隊」で終わっていたので、むしろ訣別を最終的に確認するための「記念曲」というべきかもしれません。)以後、三田明は都会派恋愛歌謡路線へと、本格的に、急速に、シフトしていきます。

三田明s40-8明星&弘田三枝子 *参考までに右画像は「明星」昭和40年8月号から、弘田三枝子と三田明。「この夏はエレキ・ギターが大流行強烈なロック・ビートが、若者の血をかきたてます。そういう時も時、海のむこうからはベンチャーズが来日……」などという文字が読めます。ベンチャーズの来日公演はこの年1月につづいてこれが3度目。刺激と快楽の時代の到来です。抑制的で健全な学園ソングと訣別するにはちょうどよいタイミングだったかもしれません。

 さて、この「高校生活一週間」、井上順子という人の作詞に宮川哲夫の補筆が入っているので、何かの企画での歌詞募集歌だったのかもしれませんが、その旨ジャケット裏の歌詞カードにも記載がないので不明です。
 日曜日から始まって土曜日まで、高校生の一週間。ロシア民謡「一週間」のスタイルです。
 ロシア民謡「一週間」の「♪ 日曜日は市場へ出かけ」と始まる耳になじんだ歌詞は昭和29年の「音楽舞踊団 カチューシャ」による訳詞だそうですが、「うたごえ運動」などで歌い継がれていたこの歌が一躍有名になったのは、昭和38年の4月と5月、ボニー・ジャックスの歌唱でNHK「みんなのうた」で流れてから。ボニー・ジャックスはその年の紅白歌合戦でもこの歌を歌いました。
 (詰襟学生服姿の舟木一夫が「高校三年生」で初出場したこの第14回紅白歌合戦では、ダーク・ダックスもロシア民謡「カリンカ」を唄っています。ただし、「カリンカ」はちゃんと作詞作曲者がいるので、厳密にはロシア民謡とはいえないそうですが。)
 一方、三田明が歌う高校生の一週間、「待ちに待ったる」「はやく来たれ」、いきなりの文語口調で唄い出します。二番では、「されども八時是非もなし」。寝坊して遅刻しかかってもこの時代がかった文語体の気取りは失わず。四番でも「天下の秀才ここにあり」「われは……決意をしたれども」。あいだに「(ラブ)レター⇒ヤブレター(恋に敗れた)」の(当時誰でも使った)ダジャレが入るのは御愛嬌。
 もちろんこのサムライみたいな口調は、もったいぶった尊大な語りの形式と語られているありふれた日常的内容との落差から生じるコミカルな効果を狙ったものですが、基本にあるのはいわば「男の子」の自己劇化、つまり自己演技。
 自分をサムライに見立て、「天下の秀才」に見立てるのは彼のプライドです。このプライドを共有する仲間たちとの連帯感を劇化すれば「高校騎兵隊」や「青春作戦」の世界になるでしょう。
 この歌の場合は、そういう自負心を突き放して客観視するまなざしも保持しているので、コミカルな自己批評が生まれます。こういう自己劇化(自己演技)や自己批評をさらりと歌えるこの高校生、なかなか頭のよい生徒にちがいありません。「天下の秀才ここにあり」もまんざらハッタリだけではないでしょう。

511 舟木一夫「只今授業中」 追悼・三遊亭圓歌 高校生バンザイ! 勉強篇(1)

 このところ追悼記事ばかり書いています。(追悼にかこつけて書いている、と言った方が正確かもしれませんが。)青春歌謡の時代から半世紀以上を閲し、当時活躍された方々もご高齢、彼らに熱狂したミーハー少年少女も高齢化。
 4月23日、三遊亭圓歌師匠が亡くなりました。昭和4年(1929年)生まれの88歳。三代目圓歌襲名は昭和45年(1970年)。青春歌謡の時代の彼は「三遊亭歌奴」。丸顔おちょぼ口で短い手足、ちょっと赤ん坊みたいでかわいらしい(失礼)。その愛嬌ある風貌に「歌奴(うたやっこ)」という芸名がまたよく似合っていました。
三遊亭歌奴・授業中LP その歌奴を人気者にした演目が「授業中」。作ったのは昭和23年ごろだったといいますが、人気絶頂は60年代、青春歌謡の時代と重なります。三平、談志らとともに昭和40年ごろからの寄席ブームを牽引した一人。昭和42年には宮中に招かれて昭和天皇の前で落語家初の「御前公演」、その時の演目も「授業中」だったそうです。(落語家の「御前公演」の二人目が名人・三遊亭圓生で昭和48年だった、という事実からも、歌奴の人気ぶりがうかがえます。)
 その頃の吹き込みかと思われる「授業中」がこちらで聴けます。show1さんに感謝しつつ無断リンクします。(マクラで使われる王貞治と金田正一と広岡達朗がいっしょに読売ジャイアンツに在籍したのは昭和41年と42年です。)
 さて、その「授業中」、東北の田舎出身で訛りのひどい国語教師。教材はカール・ブッセ作、上田敏の名訳で知られる「山のあなた」。朗読指名された生徒がひどい吃音。「山のあな、あな、あな……」。一向に先へ進まない。あきれかえった教師が次に指名した生徒は広沢虎造張りに詩を浪花節調で唸り出す、といった次第。
 新作落語としては、人情噺系では古今亭今輔(五代目)の「ラーメン屋」、滑稽噺系ではこの歌奴「授業中」が、完成度の高さにおいて双璧ではないか、と私は思っています。
 「ラーメン屋」の作者は有崎勉。有崎勉は実は柳家金語楼のペンネーム。今輔演じるおばあちゃんは絶品でしたが、それでも今輔亡きあと、「ラーメン屋」などを高座にかける噺家はいるようです。それほどよくできた噺(台本)だという証拠です。
 一方、同じく完成度は高くとも、「授業中」を継ぐ噺家は出ないでしょう。市民社会の過敏な(偽善を含む)「タテマエ主義」が吃音演技に不寛容になったのに加えて、浪花節(浪曲)が大衆の教養から消滅してしまったからでもありますが、そういう外的要因だけでなく、「授業中」の完成度は噺(台本)の完成度というより高座での演者のパフォーマンスの完成度だったから。つまり、「授業中」はあくまで三遊亭歌奴という噺家の個性と不可分の名作なのでした。

三遊亭歌奴・ハイ授業中/落語野郎 宮中で「御前公演」をしたという昭和42年には「ハイ授業中/落語野郎」というレコードも出しています。(右画像)
 「ハイ授業中」は落語「授業中」の歌謡曲版。意外にもしみじみした演歌調。語り手の教師は秋田訛りで三番では「山のあなた」を吃る生徒が出てきますが、落語のような過激さはなく、ほほえましい授業風景の歌になっています。
 なお、この歌の設定では小学六年生の教室。私はてっきり中学校の授業風景だと思い込んでいました。この時代、小学六年生で文語体の「山のあなた」を教えたのでしょうか。
 *ネット検索したら、今でも、少なくとも一社の教科書会社の小学校五年生用教科書が「山のあなた」を載せていました。児童生徒の国語能力低下のせいで、昔の小学校教材を中学校へ、昔の中学校教材を高校へ、という悪しき傾向(これでは国語能力低下に拍車をかけるだけで何の歯止めにもなりません)のなか、堂々たる見識です。
 カップリング曲の「落語野郎」は映画「落語野郎」シリーズにちなんだ曲で、こちらは陽気な音頭調。映画「落語野郎」は昭和41年から42年にかけて、当時の寄席ブームに乗って東京の人気芸人たちが大挙出演した映画。「落語野郎 大脱線」(s41-6)「落語野郎 大馬鹿時代」(s41-11)「落語野郎 大爆笑」(s42-2)「落語野郎 大泥棒」(s42-4)の4本作られました。
 いまyoutubeに「ハイ授業中」はありませんが「落語野郎」は変に加工されたものがあります。
 
 もちろん青春歌謡とかかわるのは歌奴(圓歌)師匠ではなく、「授業中」が教材にした「山のあなた」の方。山の彼方の幸福にあこがれて旅立つブッセの「山のあなた」は青春歌謡の精神そのものなのだ、ということは何度も書きました。
 そもそも戦後青春歌謡の原点にして原型でもある「青い山脈」(s24-3 西條八十作詞)がそういう歌でした。そして青春歌謡の時代、直接「山のあなた」を引用する歌に小宮恵子「夢の山脈」(s39-3)があり、のみならず、1970年の吉沢京子「幸せってなに?」(s45-3)までが「山の向こうには幸せがある」と歌い出しました。また、「青い山脈」と同じ石坂洋次郎作品の主題歌だった舟木一夫「山のかなたに」(s41-1)は文語体なら「山のあなたに」、しかも「山のかなたに」は作詞家・丘灯至夫による師・西條八十へのオマージュとしても読めるのでした。さらに「涙さしぐみかへりきぬ」という失意帰郷の物語に力点を置けば中村晃子「虹色の湖」(s42-10)にも変換されます。

 さて、今日「かこつけて」取り上げるのはブッセの詩ではなく、「授業中」という演目との題名つながりで舟木一夫「只今授業中」。
 こちらで聴きながらお読みください。「8823 terminal」さんに感謝しつつ無断リンクします。
 この歌、リンク先の「8823 terminal」さんが映像を使っていますが、大映映画「高校三年生(s38-11-16公開)の中で、休み時間に舟木の周囲に級友たちが集まって歌う場面が印象的でした。みんなそろばんを振ってリズムをとっているのが時代を感じさせて御愛嬌。
 そこで、レコードジャケット画像の下は「明星」昭和38年11月号から、舟木一夫と高田美和、倉石功と姿美千子。撮影中だったのでしょう、映画「高校三年生」のメンバーがそれぞれ仲よく寄り添って。
 その下は珍しいイーデス・ハンソンと並んだ「週刊平凡」昭和38年10月3日号表紙。ハンソンが傍らに文楽人形(「寺子屋」の松王丸でしょうか)を支えているのは、彼女がこのころ文楽の人形遣い・吉田小玉と結婚したばかりだったからでしょうか。学生服の舟木の方はなぜかテープレコーダーを提げています。もしかするとコロムビアの新製品で宣伝を兼ねたのかもしれません。

舟木一夫「只今授業中」
  昭和38年10月発売
  作詞:関沢新一 作曲:遠藤実 編曲:福田正
舟木一夫・学園広場/只今授業中 一 (ABCDEFG ABCDEFG
   ABCDEFG)
   今日も学校の裏のみち
   通るあのこの リボンがあかい
   (ABCD)
   どこの子あの子 どっかのあの子
   勉強もどっかへいっちゃって
   ABカッコ Aカッコ
   ぼくは 只今授業中
舟木一夫s38-11明星より・高校三年生メンバー   (ABCDEFG ABCDEFG)
 二 (ABCDEFG ABCDEFG
   ABCDEFG)
   ツンとすまして いっちゃった
   あとにレモンの匂いがのこる
   (ABCD)
   どこの子あの子 どっかのあの子
   おかげで 勉強はうわの空
   ABカッコ Aカッコ
舟木一夫s38-10-3週刊平凡・イーデス・ハンソン   ぼくは 只今授業中
   (ABCDEFG ABCDEFG)
 三 (ABCDEFG ABCDEFG
   ABCDEFG)
   いつも勉強してるとき
   いつも通るよ イジワル娘
   (ABCD)
   どこの子あの子 どっかのあの子
   ボンヤリしていて 叱られた
   ABカッコ Aカッコ
   ぼくは 只今授業中
   (ABCDEFG ABCDEFG)
         *( )部分はコーラス。

 「学園広場」のB面。両面とも関沢新一の作詞(遠藤実の作曲、福田正の編曲)。表の「学園広場」は抒情的に、裏の「只今授業中」はコミカルに、書き分けました。
 授業中だけど窓から見える「あの子」が気になって授業は上の空、というのが総じて「勉強嫌い」の(笑)青春歌謡らしいところ。「ABCDEFG」は英語の授業。「ABカッコAカッコ」は数学の授業。どちらも苦手科目の筆頭に並びそうな科目。ついつい窓の外を見やってしまうのはそのせいかもしれません。「Aカッコ」にはもちろん、「ええかっこ=良い恰好」、美人でスタイルも抜群な「あの子」の容姿が掛かっています。
 ところで、高校の授業中にいつも学校の裏の道を通るというのですから、「あの子」は高校生ではなさそうです。ほぼ同年齢だとすれば、中卒で就職した子? 会社や工場勤めならこんな時間に出歩けないので、どこかの「お手伝いさん」? けれども「レモンの匂い」はもっとあか抜けていそう。 「どこの子あの子」、たしかに素性が気になります。
 ともあれ、「あとにレモンの匂いがのこる」のなら、教室のよっぽど近く、窓のすぐそばを通るのでしょう。学校というものの建て方を考えるとちょっと不自然ですが、たのしいこの歌、深く詮索せずに許容しましょう。

509 ペギー葉山「学生時代」 追悼・ペギー葉山(1) 大学の青春

 ペギー葉山が4月12日に亡くなりました。昭和8年(1933年)生れ。享年83。
 ペギー葉山はその名(芸名)が示すとおり洋楽系。無造作につけた芸名らしいのですが、彼女の世代にはガイジン(アメリカ人)風の愛称を付けた歌手がたくさんいて、フランク永井(1932生)ナンシー梅木(1929生)バーブ佐竹(1935生)ジェームス三木(1935生)等々。たいていジャズ系出身だったり進駐軍キャンプまわりをしたり。その名前に占領下日本の名残があります。
 青春歌謡時代の彼女のヒット曲、「学生時代」を。これまで何度か短く言及したことがありますが、この機会にあらためて書いて追悼としましょう。こちらのレコード音源で聴きながらお読みください。「show-WA!」さんに感謝しつつ無断リンクします。
 (少しテンポが速いと感じられるかもしれませんが、以下に記したように、レコードの演奏時間は「2分59秒」。これがもともとの曲のテンポです。ゆったり歌う他のネット上の音源は後日の再吹込みでしょう。)

ペギー葉山「学生時代」
  昭和39年12月発売
  作詞・作曲:平岡精二
ペギー葉山・学生時代 一 つたのからまるチャペルで
   祈りを捧げた日
   夢多かりしあの頃の 想い出をたどれば
   なつかしい友の顔が 一人一人浮かぶ
   重いカバンをかかえて かよったあの道
   秋の日の図書館の
   ノートとインクのにおい
   枯葉の散る窓辺 学生時代
 二 讃美歌を歌いながら 清い死を夢みた
ペギー葉山・学生時代(再版)   何のよそおいもせずに 口数も少なく
   胸の中に秘めていた 恋への憧れは
   いつもはかなくやぶれて
   一人書いた日記
   本だなに目をやれば
   あの頃読んだ小説
   過ぎし日よ わたしの学生時代
 三 ローソクの灯に輝く 十字架をみつめて
   白い指を組みながら うつむいていた友
   その美しい横顔 姉のように慕い
   いつまでも変らずにと 願った幸せ
   テニス・コート キャンプ・ファイア
   なつかしい 日々はかえらず
   すばらしいあの頃 学生時代
   すばらしいあの頃 学生時代

 レコードジャケット画像は上の緑のジャケットが初版。発売当初は「鏡」の方がA面で「学生時代」はB面扱いだったことがわかります。下の赤いジャケットは「学生時代」の人気が高まったのでA面B面を入れ替えて再版したものだと思われます。
 私がここに引き写した歌詞は再版の歌詞。初版ジャケット裏の歌詞は三番末尾が「テニス・コート、キャンプ・ファイア なつかしいあの頃 学生時代」で終わっています。一番二番と行数がそろわないのでただの誤植かもしれませんが、ちょっと気になります。(初版レコードは聴いていません。しかし、初版も再版も「演奏時間 2分59秒」とあるのでやっぱり誤植でしょう。)
 レコード番号から推して、昭和39年(1964年)12月の発売。オリンピックの年、青春歌謡最高潮の年の年末です。
 もちろん青春歌謡の中心は、舟木一夫の学園ソング以来、高校生活。対して、これは大学生活、しかも回想。おそらく大学生活を歌った最大のヒット曲でしょう。

 高校生は「生徒」。厳密に「学生」と呼ばれるのは大学生だけです。(*高専生も「学生」と呼ばれますが、初めて高専(国立工業高等専門学校)12校が設立されたのはこの歌のつい2年前、昭和37年のこと。まだ一般化していません。)
 加えて、ここに歌われた学生時代がペギー葉山本人の青山学院時代の思い出をベースにしていることは[Wikipedia ペギー葉山]などが記しています。ペギー葉山自身は大学には進んでおらず青山学院女子高等部卒。その彼女の思い出なら、内容は(まだ占領下日本の)高校生活。しかし、やはり青山学院出身だった作詞・作曲の平岡精二はタイトル「大学時代」を主張したというので、作者・平岡の意識ではあくまで女子大生イメージの詞だったのでしょう。
 それに対して、ペギーがタイトル「学生時代」を主張したのだといいます。結果的にペギーの判断が正しかったわけです。「大学時代」では幅広い支持は得られなかったと思います。ペギーの主張理由を[wikipedia ペギー葉山]は「自分は大学へ行ってないから」と記し、[wikipedia 学生時代]は「みんな大学へ行く時代じゃないから」と記しています。
 たしかに、舟木一夫「ひぐれ山唄」(s41-5)の項で書いたように、東京オリンピックの年、昭和39年、高校進学率約7割に対して、大学進学率は2割(高校卒業者の3割)そこそこ、ことに女子は1割そこそこだったのでした。女子大生は同世代女子の10人に1人しかいなかったわけです。
 (高度成長期、大学進学率も急上昇。なかでもこの時期、なぜか昭和39年だけ突出して進学率が高かったのです。「過ぎし日よ」と唄っているのに合わせて最小限の4年だけさかのぼってみると、昭和35年の大学進学率は半分の10,3%、女子は5,5%にすぎません。 *ペギー葉山が高校を卒業したのはさらに9年さかのぼって昭和26年(1951年)、サンフランシスコ講和条約が締結された年。)

 大衆向け商品としての歌謡曲がもっぱら高校生にターゲットを絞ったのは当然です。
 実際、青春歌謡歌手が大学生の青春を歌ったのは、橋幸夫「大学の青春」(s37-6)と守屋浩「大学かぞえうた」(s37-8)ぐらい。ヒットした「大学かぞえうた」は東京の学生たちの間で歌い継がれていた「巷の歌」で、分類すればコミック・ソング。橋の「大学の青春」はTBS連続テレビドラマ「若いやつ」の主題歌(挿入歌)で、レコードでは「若いやつ」のB面。歌詞も大学生活と特定する必要もないような友情と仲間意識と青春讃美。映画主題歌(挿入歌)には加山雄三の「大学の若大将」(s36-7)もありますが、これもB面曲で夏の海で遊んでいるだけの歌。3曲とも青春歌謡の時代以前の曲。そもそも「学問の府」であるはずの大学の「まじめな」学生生活を歌った歌はほとんど皆無なのです。
 そういうなかで、これぞ「まじめな」大学の青春、と私が推すのは「青春をぶっつけろ」(s40-3)。ボニージャックス&矢野康子とそのグループの歌ったこの歌もTBS連続テレビドラマの主題歌。その一節「真理 人生 ああ青春」にはしびれました。
 「青春をぶっつけろ」の歌詞は旧制高校風の男子大学生。一方ペギー葉山「学生時代」は女子大学生。ともに大学の青春を歌った双璧とも呼ぶべき名曲です。
 どちらにも、たんに学生生活に適応して現実を享受するだけでなく、「超越志向」があります。「青春をぶっつけろ」は「真理」探究の姿勢によって。「学生時代」はキリスト教によって。学問も宗教も常識や世俗的価値観・人生観を疑い、高く超え出ていこうとするものです。
 
 「学生時代」が歌う思い出の舞台はミッション系の大学。一番で勉学、二番には文学(小説)、三番ではテニスやキャンプのレクリエーション。そうした学生生活の諸相を、「チャペル」、「祈り」、「讃美歌」、といった宗教的主題が貫きます。
 内気な彼女の恋愛願望が「恋への憧れ」にとどまっていたことと、「清い死」を夢想したり、美しい同性の「友」を「姉のように」慕ったりする心情はおそらく関連しています。宗教的主題と結んでいえば、根本はキリスト教道徳による肉体(=欲望)の抑制でしょう。それが「清い死」への憧れにもなり、異性愛の回避にもなるのです。しかもこの「姉のように慕い」は、以前交換日記の起源に触れて書いたような旧制女学校風な(禁じられた異性愛の代替としての)同性愛的傾向にとどまりません。白い指を組んで十字架に祈る「友」は、文字どおり「姉=シスター=修道女」のイメージです。(もっとも、「シスター=修道女」はカトリック。青山学院は新教(メソジスト派)だそうですが。)
 青春歌謡の精神の中心は大衆化されたロマン主義なのだ、と何度も書きました。また、明治時代のロマン主義精神形成にキリスト教が大きな役割を果たしたことも何度か書きました。
 ロマン主義とはいま・ここの現実を超えた彼方ものに引かれる心性、つまり超越志向です。青春歌謡がもっぱら歌った「夢」も「希望」も「理想」も、さらに「幸福」の象徴としての「恋愛」も、不本意に満ちた現在を超え出ていくもの。
 超越志向の究極は現世そのものの超越を説く宗教です。しかし、日本の神道はもともと現世利益的で共同体の因習と習俗にまみれていた上に、明治には「国家神道」として天皇制権力の思想統制の中枢を担います。仏教も江戸時代にすっかり権力と癒着して世俗化してしまっていたし、そもそも仏教の超越志向の果ては諸行無常の諦観、つまりは年寄り臭い「あきらめ」であって、とても目覚めた近代の青年を魅惑する力はありません。
 そういう既成宗教に対して、キリスト教は、国家や共同体の因習的な束縛を離脱して超越神と向き合う個人という自覚をもたらし、肉体よりも霊魂を重視する精神性をもたらしました。それが近代の青年たちをひきつけたキリスト教の魅力なのでした。
 青春歌謡には鐘(寺院の釣鐘でなく教会のベル)やら十字架やら、キリスト教的小道具をあしらった曲はいっぱいありますが、「学生時代」はなかでも一番「まじめな」曲だったといえるでしょう。

507 新川二郎「望郷」 望郷(3) 付・五五調について

 新川二郎の望郷の歌をもう一曲。タイトルもずばり「望郷」。
 オリジナル音源はありませんが、老齢の新川二郎(いまは改名して新川二朗)本人が歌唱している映像がこちらにあります。(新川二郎は昭和14年11月生まれ。4年前の映像なら74歳でしょうか。)umidori1さんに感謝しつつ無断リンクします。

新川二郎「望郷」
  昭和39年1月発売
  作詞:服部鋭夫 作曲・編曲:佐伯としを
新川二郎・望郷 一 この道は ふるさとへ
   ふるさとへ 続く道
   あの空は ふるさとへ
   ふるさとへ 通う空
   ひとしずく 涙おとして
   父母よ 吾が友よ
   つつがなく あれと祈る
   都の日昏れ
 二 この花は ふるさとの
   ふるさとの 野辺の花
   あの青は ふるさとの
   ふるさとの 水の青
   ぐみの実の 赤き唇
   忘られぬ あの人よ
   今もなお 胸に残る
   なつかしあの日
 三 この風は ふるさとへ
   ふるさとへ 向う風
   あの雲は ふるさとへ
   ふるさとへ いそぐ雲
   ことづてを 託すすべなく
   夕映えの 果て遠く
   去りゆきし 夢を偲ぶ
   都の日昏れ

 名曲です。演歌調で唄う望郷の歌。さすがは三橋美智也・春日八郎を擁したキング・レコードの伝統というべきでしょうか。
 「東京からふるさとへ」(s40-10)は手紙文体でしたが、これは格調高い五五調の歌詞。
 五五調は近代の定型詩でも、歌謡曲の歌詞でも、珍しい。ヒット曲ともなれば西條八十が作詞した舟木一夫「絶唱」(s41-8)ぐらいしか思い浮かびません。「絶唱」は一連4行(うち五五は3行)でしたが、これは倍の一連8行、うち6行が五五(そのうち1行は五六で字余り)。
 以前、守屋浩&島倉千代子「星空に両手を」(s38-9)の項で、定型詩の主流である七五調と五七調の特色を、七五調は軽快、五七調は重く停滞気味、と書きました。とはいえ、七五調も五七調も上句と下句がアンバランス、それゆえ不安定なので、たとえ下句が重い五七調でも動きを含みます。
 それに対して、五五では上句と下句が対等で均衡状態、まったく動きようがありません。つまり、五五調はなめらかな流露感が最も少なく、五七調以上に停滞します。しかも音数が少ないので、五五調は叙事や叙述には向きません。それが近代詩でもほとんど使われなかった原因でしょう。朗読してみればわかりますが、この詞も、一言一言切れ切れにつぶやくように、思いを込めて唇から押し出す感じになります。
 この道も空も花も水の青さも風も雲も、みんなふるさとに通うのに、望郷の念つのりながらも帰れないという思い。高度成長下、大量出郷の時代の出郷者たち、ことに、日々都会での仕事と生活に追われる下積み労働者たちの胸の思いだったでしょう。
 「父母よ吾が友よ/つつがなくあれと祈る」。この誠実な折り目正しさ。二番でぐみの実を食べて唇が赤く染まった「忘られぬあの人」の思い出は子供のころの思い出でしょう。三番の「去りゆきし夢を偲ぶ」は現在の彼が都会で「夢」かなわず失意の状態にあることを推測させます。 
 なお、東京オリンピック前のこの「望郷」で失意を抱えた望郷を歌っていた新川二郎が、オリンピックの一年後の「東京からふるさとへ」(s40-10)では、同じく出郷青年の立場から「若い希望が胸でこんなに燃えてます」 と希望を歌う、という対比も、時代相の変化として、興味深いところです。

504 松原智恵子「ひとりで歩くのが好き」 追悼・鈴木清順(2) 「東京流れ者」の松原智恵子と静御前

 (先日(3月5日)、国有地格安ダンピング(8億円も!)取得疑惑の例の「森友学園」が設立申請中だった小学校の予定校歌が、何と舟木一夫「あゝ青春の胸の血は」だったことがテレビ報道され、アクセスが急増しました。青春歌謡を穢した籠池某への腹立ち止みがたく、言いたいことは山ほどありますが、ほんの一端を「あゝ青春の胸の血は」の項に追記しました。)

 気を取り直して、鈴木清順追悼をもう一回。一回目の追悼が和泉雅子「教えて欲しいの」(s41-8)だったので、二度目の追悼は松原智恵子の歌で。
 松原智恵子はもちろん、鈴木清順の傑作「東京流れ者」(s41‐4)で「不死鳥の哲」(渡哲也)の恋人役。クラブ歌手だったので、悪人ども(そこには敵と組んで哲を裏切り、哲に対する「追討」命令を出した元の親分も)に強いられて歌を歌わせられる場面もありました。(下の画像はその場面から。)歌は吹き替え(鹿乃侑子)ながら、「ブルーナイト・イン・アカサカ」というその歌の歌詞は
松原智恵子in東京流れ者2  指からこぼれるかなしみを
  静かに見つめる夜の街 
  シャンゼリゼの灯(ひ)も消えて
  青い夜霧にただひとり
  ブルーナイト ブルーナイト
  ブルーナイト・イン・アカサカ
 むろん、哲が死んだという偽りを聞かされた彼女の嘆きを託して唄うのです。
源義経・静御前・藤純子・絵葉書 まるでその昔、源義経の恋人・静御前が義経追討の命を出した源頼朝(義経が忠誠を尽くしてきた兄=「元の親分」!?)に強いられて鶴岡八幡宮で白拍子の舞を舞う場面のようでもありました。(右は昭和41年のNHK大河ドラマ「源義経」で白拍子の舞を舞う静御前(藤純子)。)
 そのとき静御前が舞いつつ唄ったその歌は
  ♪ しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今に繰るよしもがな
  ♪ 吉野山峰の白雪踏み分けて入りにし人の跡ぞ恋しき

 義経と共に過ごした昔の今に帰らぬことを歎き、また、吉野山から道の奥なる奥州へと落ち延びて行った義経を慕う歌です。

 「東京流れ者」は日活時代のいわゆる「清順美学」の代表作ですが、その「清順美学」が初めてはっきり打ち出されたのは任侠映画「関東無宿」(s38-11)でした。
鈴木清順「関東無宿」より 着流し姿の小林旭が敵の一家に単身斬り込み、敵を斬り斃した瞬間、背景の障子がいっせいに倒れて画面が真っ赤に変わります。言ってみれば、これを全篇にわたって展開したのが「東京流れ者」。(右の画像は上鈴木清順「東京流れ者」より1が「関東無宿」、下が「東京流れ者」。)
 実は松原智恵子は、小林旭の一家の親分の娘役で、この「関東無宿」にも出演していました。女学生の松原は作中で清純を保ちますが、代わりにやくざの魔手にかかって堕ちていくのが松原の同級生の中原早苗(中原はこのとき28歳での女学松原智恵子in関東無宿s38-11生役!)。(右は「関東無宿」の一場面から、セーラー服にお下げ髪の松原智恵子。)
 (映画「関東無宿」ではオープニングに小林旭唄う主題歌が流れますが、レコード化されていません。)
 
 というわけで、日活時代、「清順美学」の最初の作品と代表作の二作でヒロインを演じた松原智恵子は、鈴木清順追悼にふさわしいでしょう。
 歌はいまyoutubeにある「ひとりで歩くのが好き」。デビュー曲「泣いてもいいかしら」のB面です。こちらで聴きながらお読みください。C.Matsubara fanさんに感謝しつつ無断リンクします。
 (レコードジャケットの下は、「近代映画」(s42-9)表紙。)

松原智恵子「ひとりで歩くのが好き」
  昭和42年8月発売
  作詞:植田俤子 作曲:戸塚三博 編曲:河村利夫
松原智恵子・ひとりで歩くのが好きs42-8 一 ひとりで歩くのが好き ひぐれの銀座
   ほんとはあのひとに 逢いたいけれど
   たまにはひとりでコーヒー飲むの
   ひとりで歩くのが好き 若いんだもの
 二 ひとりで歩くのが好き 新宿の街
   ひとごみのなかに 夢もあふれて
   たまにはひとりでショッピングするの
   ひとりで歩くのが好き 楽しいんだもの
 三 ひとりで歩くのが好き 夜の赤坂
松原智恵子s42-9   ほんとはあのひとと 歩きたいけれど
   たまにはひとりでネオンを見るの
   ひとりで歩くのが好き 胸がおどるの

 A面「泣いてもいいかしら」は、恋人に甘える松原智恵子。B面は一人で東京の街を歩く松原智恵子。彼女が歩くのは「新宿&銀座&赤坂」。これは一カ月後に和泉雅子&山内賢「東京ナイト」(s42-9)が二人で歩くことになる「(羽田&)銀座&新宿&赤坂」と同じ。ちなみに、新川二郎「東京の灯よいつまでも」(s39-7)は「外苑&日比谷&羽田」、三田明「アイビー東京」(s41-5)は「新宿&銀座」でした。
 松原智恵子にとっての昭和42年は、前年からの日本テレビ石坂洋次郎ドラマ・シリーズでの連続ヒロイン役などでブロマイド売り上げが吉永小百合らを抑えて女優部門第1位になった記念すべき年なのでした。 

503 和泉雅子「教えて欲しいの」 追悼・鈴木清順(1) 付・映画「悪太郎」と「けんかえれじい」

 松方弘樹船村徹と、ブログはこのところ追悼記事が続いています。
 船村徹追悼で舟木一夫「夏子の季節」を書いた翌々日の2月22日には、映画監督の鈴木清順の訃報が流れました。2月13日没。大正12年生まれ、享年93。
 鈴木清順はヘビースモーカー市川崑(享年92)もヘビースモーカー。黒澤明(享年88)もヘビースモーカー。タバコは創造的人生の友。気持よく煙草を喫って長生きしましょう(笑)。
 
和田浩治・峠を渡る若い風・清水まゆみ&島倉千代子&井上ひろし 鈴木清順は青春歌謡とまるで無関係だったわけではありません。日活プログラム・ピクチャーの監督として、鈴木は一時期、和田浩治主演もの等を撮っていました。その一本、「くたばれ愚連隊」(s35‐11)の主題歌として和田浩治が歌ったのが「純情愚連隊」。わが「有朋愚連隊」の元歌でもあり、竹越ひろ子「東京流れもの」(&渡哲也「東京流れ者」)の源流でもありました。
 また、人気歌手に映画の中で歌を歌わせるのはプログラム・ピクチャーではあたりまえ。鈴木作品でも和田浩治主演「無鉄砲大将」(s36‐4)では佐川ミツオが「ゴンドラの唄」や「可愛いあの娘は拾と六」を歌ったり、同じく「峠を渡る若い風」(s36‐8)では島倉千代子が「襟裳岬」を歌ったり井上ひろしが「思い出だけじゃつまらない」を歌ったり。(右は「峠を渡る若い風」ポスター。)

 和泉雅子&山内賢コンビの代表作といってもよい映画「悪太郎」(s38‐9)も鈴木清順が撮りました。(この映画を鈴木本人も気に入ったのか、後に設定を少し変えて「悪太郎伝 悪い星の下で」(s40‐8)も撮っています。)
 この映画「悪太郎」、私の中では名作「けんかえれじい」(s41‐11)への序章という位置づけです。
 ともにモノクロ。もちろん「悪太郎」は今東光原作なので「けんかえれじい」とは何の関係もないはずなのですが、山内賢は正義感の強いはみだし中学生(大正時代の旧制中学)、素行不良で転校させられた先での恋人となる和泉雅子は良家の女学生でオルガンも弾く。このあたりの設定が「けんかえれじい」の高橋英樹と浅野順子の関係を連想させます。高橋&浅野の場合とちがって山内&和泉は一夜を共にしますが、周囲に仲和泉雅子&山内賢・悪太郎&田代みどりを裂かれ遠く隔てられた後、和泉は病死してしまいます。この和泉の薄幸さがまた「けんかえれじい」の浅野の役柄に引き継がれる、というふうに、私には思えるのです。(右画像は「悪太郎」のスチール。山内賢&和泉雅子&田代みどり。)

 というわけで、私「遊星王子」の鈴木清順追悼は和泉雅子&山内賢の歌で、と思ったのですが、実はこの二人のデュエット曲は全5曲、すべてもう取り上げました。(二人が歌うのでなくせりふ劇を演じた「二人の虹」は除きます。)
 それで、和泉雅子のソロ曲から「教えて欲しいの」。いまyoutubeにはありません。(ジャケット画像の下は「女学生の友」昭和41年9月号表紙。)

和泉雅子「教えて欲しいの」
  昭和41年8月発売
  作詞:吉田央 作曲:中村八大 編曲:中村二大
和泉雅子・教えて欲しいの 一 あなたがいつも唄ってる ふるさとの歌
   淋しいんだと唄ってた ふるさとの歌
   教えて欲しいの そして一緒に唄いたい
   教えて欲しいの あなたの心の歌
 二 あなたがいつも唄ってる ふるさとの歌
   レンゲ畑で唄ったの 幼い頃に
   知っておきたいの
   あなたのふるさとの事
   知っておきたいの 二人の愛のために
和泉雅子s41-9女学生の友 三 あなたがいつも唄ってる ふるさとの歌
   うれしいんだと唄ってた ふるさとの歌
   憶えておきたいの 私がママになった時
   唄ってあげたいの その子の子守唄に 

 「文化放送〝八大朝の歌〟」とあります。それもあってか、詞も曲も、恋唄というよりホームソング風。なにより、大阪朝日放送の「クレハ・ホームソング」だった北原謙二「ふるさとのはなしをしよう」(s40‐1)を連想させます。
 男である語り手が「きみ」(恋人?友人?)に自分のふるさとの話をしよう、と歌い出す北原の歌と逆に、和泉の歌では、女が男に、あなたのふるさとの歌を教えてほしい、あなたのふるさとの事が知りたい、とせがむのです。その歌を憶えて将来我が子に子守唄として歌ってやりたい、というところが女性らしい夢。もちろん「あなた」と「私」、ユー&ミーの二人の子供です。なるほど「ユー・アンド・ミー」(s41‐2)でも「パパとママになる夢」と歌っていました。
 なお、吉田央は後に、ちあきなおみのレコード大賞受賞曲「喝采」(1972‐9)を作詞します。 

502 舟木一夫「ブルー・トランペット」 追悼・船村徹(2) 歌うトランペット(1)

 船村徹追悼をもう一曲。
 「演歌の船村」が作ったリズム歌謡「夏子の季節」(s42-5)も意外だったでしょうが、これも意外な都会派歌謡を。
 舟木一夫「ブルー・トランペット」。こちらで聴きながらお読みください。K.Funaki fanさんに感謝しつつ無断リンクします。

舟木一夫「ブルー・トランペット」
舟木一夫・ブルートランペット  昭和41年12月発売
  作詞:古野哲哉 作曲・編曲:船村徹
 一 夜の中から 流れてひゞく
   ブルーブルー トランペット
   誰が吹くのか 心にしみる
   恋を失くした 泣き虫ペット
   夜ふけの空に 涙が匂う
   ホッホー
 二 二度とあえない あの人なのに
舟木一夫・ブルー・トランペット他   ブルーブルー トランペット
   想いださせて 悲しくさせる
   ひとりぽっちの 泣き虫ペット
   泣かずにおくれ 辛いじゃないか
   ホッホー
 三 呼んでおくれよ もいちど恋を
   ブルーブルー トランペット
   ぼくとうたおう 想いをこめて
   うるむ音色の 泣き虫ペット
   涙はすてて 悲しまないで
   ホッホー……

 作詞したのは都会派歌謡の傑作「哀愁の夜」(s41-2)を書いた古野哲也。誰が吹くのか都会の夜空に切々と流れるトランペットの響きに、「ぼく」の失恋の悲しみを託します。各連末尾の「ホッホー」はたぶん作曲時に付加されたのでしょうが、舟木の息の長い高音が抒情的な詠嘆の尾を引きます。
 (「失恋」というカテゴリーを初めて作りました。もっと早く作っておけばよかったのに(笑)。)
 「ブルー」はもちろん憂愁の色。舟木一夫には愁いの「ブルー」が似合います。
 (ちなみに、夜空に流れる楽音を都会派のトランペットでなく伝統的な横笛の音に変えて「ブルー」をやまと言葉の「青(蒼)」に変えれば、やはり船村が作曲した「ふるさとの蒼い月夜に/ながれくる笛の音きいて」(「夕笛」s42-8 西條八十作詞)の世界になるでしょう。)

 ところで、庶民的なハモニカから上流家庭のピアノまで、歌謡曲の歌詞は様々な楽器をモチーフにし、タイトルにもしてきました。
 日本調なら代表楽器はもちろん三味線。これは三橋美智也やこまどり姉妹の独壇場。歌謡曲の歴史を通じていちばん多かったのはたぶんギター。ポップス系、演歌系を問わずギターは歌われました。
 トランペットが、伴奏に使われるだけでなく、歌のタイトルにもなるのはおよそ1960年代からではなかったでしょうか。(早くに「♪ パパパパーパパパパパパパー」とあの高音で藤島桓夫が歌う「泣き虫トランペット」(s33-1 松村又一作詞/遠藤実作曲)などもありましたが。))
 もしかすると「夕焼けのトランペット」(1961=s36)「夜空のトランペット」(1964=s39)などが世界的に大ヒットしたイタリアのトランペット奏者ニニ・ロッソの影響かもしれません。たとえばザ・ピーナッツ「夕焼けのトランペット」(s37-5)はニニ・ロッソの曲の日本語版。また、克美しげる「さすらいのマーチ/青春のトランペット」(s38-4?)というレコードを出していて、これも両面ともニニ・ロッソの曲に日本語の歌詞を当てたものです。
高橋英樹・さすらいのトランペット・ポスター 映画では高橋英樹がペット吹きの若者に扮した日活映画「さすらいのトランペット」(s38-2)がありました。(右はその映画ポスター)
 少し遅れて青春歌謡もトランペットを歌い始めます。その都会性と哀愁を帯びた抒情性が青春歌謡の世界に似合ったのでしょう。ギターは演歌調でも歌われたので、むしろ青春歌謡のシンボル楽器はトランペットだったとさえ云えるかもしれません。
 タイトルにトランペットが入るのは、
 三田明「僕のトランペット」(s39-5)、久保浩「断崖のトランペット」(s40-12)、ちょっと時期遅れで吉永小百合「銀色のトランペット」(s44-8)など。
 ほかにも渡哲也がソノシート・ブック「東京流れ者」(s41-6)に収録した曲の一つに「さすらいのトランペット」(上記高橋英樹主演映画とは無関係)。渡は映画「反逆」(s42-8)でも主題歌「反逆のトランペット」(レコード化はされず)を。
 しかし、上記のうち、シングルA面曲は久保浩「断崖のトランペット」だけ。
 舟木一夫「ブルー・トランペット」は、こうした曲の中で最大のヒット曲なのでした。

501 舟木一夫「夏子の季節」 追悼・船村徹(1) 船村徹と舟木一夫 &名前連呼18回!

 先日、作曲家の船村徹の訃報が流れました。昭和7年(1932)生れで84歳。
 前回の舟木一夫「オレは坊ちゃん」も船村の作曲でしたが、ここにあらためて追悼記事を書いておきましょう。
 船村徹は演歌系の名曲を多く作ったことで知られています。しかし、実は青春歌謡にも大きな貢献をしていました。
 船村徹の初期の代表曲はキング・レコードでの春日八郎「別れの一本杉」(s30‐12)。コロムビア専属になって美空ひばり「波止場だよお父っつあん」(s31‐12)、島倉千代子「東京だよおっ母さん」(s32‐4)、青木光一「柿の木坂の家」(s32‐10)など。どれもしみじみ心に沁みる演歌調。戦後初のミリオンセラーともいわれてレコード大賞も獲得した村田英雄「王将」(s36‐11)で力強い男歌でも成功し、「なみだ船」(s37‐8)で門下生・北島三郎も売り出します。
 しかし、その北島も昭和38年末には新生クラウン・レコードに移籍してしまい、しかも世は青春歌謡全盛期。やがて船村徹も青春歌謡に参入することになります。

 船村が担当したのは舟木一夫。
 もちろん舟木は遠藤実門下。初めて船村が舟木のために作曲したのは、舟木のデビューから一年後、15枚目シングル「夢のハワイで盆踊り」(s39₋7)。しかしこれはまだ単発的な参加にすぎません。
 舟木のための作曲が本格化するのは、昭和40年3月に遠藤実がミノルフォン・レコード創立でコロムビアを離れた後さらに1年以上経過した昭和41年半ばごろから。やがて昭和42年になると、舟木の曲の多くを船村が手掛けるようになり、それは翌43年6月の「オレは坊ちゃん/喧嘩鳶」までつづきます。つまり、前回紹介した「オレは坊ちゃん」は、結果的に、舟木と船村との(一旦の)別れになった曲なのです。
 その意味で、舟木一夫の青春歌謡、デビューから前期を手がけたのが遠藤実、後期というより晩期を手がけたのが船村徹、といってよいでしょう。
舟木一夫・夕笛s42-9-28週刊平凡 舟木一夫&船村徹の最大のヒット曲は「夕笛」(s42‐8)だったでしょう。(右画像は「週刊平凡」s42-9-28号から。)
 こちら「朝日新聞DIGITAL」2017年2月17日夜9時の記事によれば、船村の訃報に接した舟木は次のように語ったそうです。

 《19歳のときに初めて曲を書いていただいて以来、60~70曲はいただいています。
 僕が29歳から30歳のころ、歌手をやめようと思ったことがあり、夜中に突然、船村先生から自宅に電話がかかって来て、「歌手を辞めるって聞いたけど、本当か」「辞めるのは君の勝手だし、自由にすればいいけど、俺の大好きな『夕笛』はいったい誰が歌うんだ」といって、電話を切られました。その時、「男の仕事とは、歌手が歌を歌うということは、そういうことか」と思い、辞めるのを思いとどまりました。船村先生からの電話がなければ恐らく歌手を辞めていたと思います。一生の恩人です。》

舟木一夫・その人は昔&船村徹(CD) 船村徹は舟木一夫の青春歌謡からの「脱皮」の試みにもチャレンジします。しかしそれはありがちな「女歌」や「演歌調」への転身ではなく、舟木の歌唱の芸術性を引き出す試みとして行われました。それが松山善三と船村が組んだ芸術祭参加作品LP「こころのステレオ その人は昔」(s41‐12)です。2年後には西條八十と船村が組んだ芸術祭参加作品LP「こころのステレオ《第二集》 雪のものがたり」(s43‐12)もあります。(右画像の舟木と船村はCDから。)


 さらに特筆すべきは、意外にも、
舟木の初の「本格的」夏のリズム歌謡「太陽にヤア!」(s41‐6)も船村が作曲したこと。「本格的」と書いたのは、舟木の最初の夏のリズム歌謡は前年の「渚のお嬢さん」(s40‐7)、しかし「リズム・ビーチ」による「渚のお嬢さん」はリズム歌謡としてはとてもおとなしめのものだったから。対して、「太陽にヤア!」はアップテンポで、しかも舟木一夫が初めてエレキ伴奏付きで歌った曲なのです。(船村は舟木のために、「夜霧の果てに」(s43‐5)で再びエレキを響かせます。)
 というわけで、今日紹介するのは、まるで季節外れながら、「太陽にヤア!」の一年後、昭和42年夏のリズム歌謡「夏子の季節」(s42‐5)。こちらで聴きながらお読みください。kazuyan_679_sさんに感謝しつつ無断リンクします。
 (レコード・ジャケット画像の下は「明星」昭和42年7月号から。)

舟木一夫「夏子の季節」 

  昭和42年5月発売
  作詞:丘灯至夫 作曲・編曲:船村徹
舟木一夫・夏子の季節 一 夏 夏 夏 夏 夏子
   夏 夏 夏 夏 夏子
   ことしも逢えたね 夏子
   初めてこころを うちあけた
   まぶしいビーチの 昼さがり
   すばらしい 夏子
   夏子 夏子 すばらしい
 二 夏 夏 夏 夏 夏子
   夏 夏 夏 夏 夏子
舟木一夫・夏子の季節s42-7明星   きれいになったね 夏子
   ブルーのスカート 風がとぶ
   はじらうひとみに 海がある
   うつくしい 夏子
   夏子 夏子 うつくしい
 三 夏 夏 夏 夏 夏子
   夏 夏 夏 夏 夏子
   おとなになったね 夏子
   ためいきまじりに ふくらんだ
   むねにもやさしい 夜がくる
   すばらしい 夏子
   夏子 夏子 すばらしい

 この歌について、特記すべきことはただ一つ。
「夏子」という名前を計18回も連呼していること。これは、橋幸夫「江梨子」(s37‐1)の「江梨子」8回や美樹克彦「花はおそかった」(s42‐3)の「かおるちゃん」8回はいうまでもなく、久保浩「星空のミッシェル」(s41‐10)の「ミッシェル」10回(または14回)や奥村チヨ「ごめんね…ジロー」(s40-10)の「ジロー」13回さえもはるかにしのいで、青春歌謡における名前連呼の最高記録でしょう。もちろん「夏子」は夏の化身の名前でもあるわけです。

500 舟木一夫「オレは坊ちゃん」 文芸歌謡(12) 坊ちゃんの名前

 記念すべき(?)500回目の投稿です。久しぶりに舟木一夫を。
 「オレは坊ちゃん」。たのしい曲なのですが、残念ながら今youtubeにはありません。
 (ジャケット画像の下は雑誌「別冊近代映画」の昭和43年9月号(デビュー五周年記念 舟木一夫特別号)の裏表紙から。なお、この雑誌の表紙の画像は下にあります。)

舟木一夫「オレは坊っちゃん」
舟木一夫・オレは坊ちゃん  昭和43年6月発売
  作詞:西條八十 作曲:船村徹
 一 オーイおれは坊ちゃん 江戸っ子だい
   好きなばぁやの お清に別れ
   初の船旅 四国へ来れば
   キザな赤シャツ
   まぬけな野幇閑(のだいこ)
   暮れりゃ 東京の灯が恋し
 二 オーイおれは坊ちゃん 江戸っ子だい
舟木一夫・オレは坊っちゃんs43-9別冊近代映画裏表紙   田舎湯町の 中学教師
   起きりゃ楽書き ねむればイナゴ
   餓鬼のうるささ ところの狭さよ
   今日も思案の 湯のけむり
 三 オーイおれは坊ちゃん 江戸っ子だい
   あそこ行くのは マドンナさんか
   蔭に赤シャツ ウロチョロと
   明日は東京 辞職ときめたよ
   投げた卵の 気持よさ
 
 (*レコードジャケット裏の歌詞カードでは二番の3行目「楽書を」となっていますが歌唱は「楽書き」。)

 これはデビュー五周年記念の明治座公演で演じた「坊ちゃん」の主題歌。「坊ちゃん」はもちろん夏目漱石の小説のあの『坊ちゃん』。
 西條八十はかなり気楽に書いているようですが、それでいて『坊ちゃん』の世界を簡潔に要約してみせました。『坊ちゃん』を読んだことのある人には説明不要でしょうが多少の贅言を。
 『坊ちゃん』は主人公の「おれ」の一人称の語りなので、この詞も「おれ」の一人称。
 「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」というのが小説の書き出し。その無鉄砲で喧嘩っ早い「江戸っ子」が数学の教師として、はるばる遠い「田舎」の湯の町(四国の松山らしい)の中学に赴任。しつこく楽書きをくりかえしたり宿直の蒲団にいなごを入れたりする生徒たちのいたずらに腹を立て、土地の狭さに腹を立て、教員どもの偽善と姑息さにも腹を立て、とうとう教頭「赤シャツ」の不正を暴き、「赤シャツ」と腰巾着の「野幇間」に怒りの卵をぶつけて辞職する、という展開。
 漱石の小説第一作『吾輩は猫である』が「ホトトギス」に連載されるのは明治38年(1905)の1月号から。好評で10月には単行本化(上篇)され、なおも中篇が連載継続。第2作の『坊ちゃん』は「ホトトギス」明治39年(1906)4月号に発表。同じ号には連載中の『吾輩は猫である』も載っていたわけです。
 ところで、『吾輩は猫である』の書き出しは「吾輩は猫である。名前はまだない。」最後まで名無しの猫。そしてこの『坊ちゃん』の主人公(語り手)の姓名も不明。つまり漱石は、長篇小説一作目二作目、ともに名前を呼ばれない主人公(語り手)の小説を書いたのでした。(付け加えれば、長編第3作『草枕』の語り手=主人公も名前がないのです。)
 近代小説は、英雄やお姫様でなく、リアルな人物たちのドラマを書くもの。だからみんな普通の姓名を持つ人物。しかし、『坊ちゃん』の世界は姓名でなくあだ名の世界です。校長は「狸」、キザな教頭は「赤シャツ」、「赤シャツ」の腰巾着は「のだいこ」(田舎の幇間(太鼓持ち)、という意味)、怒りっぽい正義漢の数学科主任は「山嵐」、気弱な英語教師は「うらなり」、「うらなり」の婚約者で「赤シャツ」に横恋慕される令嬢は「マドンナ」、といった具合。
 主人公を子供のころから「坊ちゃん」と呼んだのはばあやの「お清」ですが、小説の最後の方では「赤シャツ」と「のだいこ」の会話に「あのべらんめえと来たら、勇み肌の坊ちゃんだから」と出てくるので、どうやら松山では「坊ちゃん」が彼のあだ名になっていたらしいのです。もちろん、「お清」の愛情こめた「坊ちゃん」と違い、「赤シャツ」と「のだいこ」の呼ぶ「坊ちゃん」には揶揄と軽侮がこもります。
 あだ名はその人の特質を誇張して付けるもの。つまり人物の類型(タイプ)を表示する「タイプ名」。「坊ちゃん」では人物たちはあだ名通りの人間としてふるまいます。「赤シャツ」は「赤シャツ」らしく、「のだいこ」は「のだいこ」らしく、「山嵐」は「山嵐」らしく、「うらなり」は「うらなり」らしく。つまり「名(あだ名)は体を表す」、「名詮自性(みょうせんじしょう)」の世界。
 こういう人物名は、近代小説よりは、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』などに似ているのです。八犬士たちは各自儒教の八つの徳目「仁義礼智忠信孝悌」の一文字を示す玉を持ち、犬塚信乃戌孝、犬川荘助義任、というふうにその一文字を自分の名前につけ、その徳目の化身として行動します。(要するに、名前が善兵衛なら善人、悪兵衛なら悪人、ということ。)
 そしてまた、『八犬伝』がそうだったように、『坊ちゃん』もまた「勧善懲悪」の世界なのです。
 とはいえ、『坊ちゃん』の世界は等身大。正義も小さく悪も小さい。正義を体現する「坊ちゃん」と「山嵐」がやったのは卵をぶつけたぐらいのこと。読者の胸はスキッとしますが、彼らは辞職してしまうので、現実には敗北者。「赤シャツ」一派はその後も平然と出世しつづけるでしょう。しかも「坊ちゃん」は「江戸っ子」、「山嵐」は「会津っぽ」、ともに幕末維新の敗北者の子弟なのでした。ここに漱石の現実(近代日本社会)批判を読み取ることもできるでしょう。
 ともかく、『吾輩は猫である』は滑稽な諷刺小説、『坊ちゃん』は勧善懲悪、どちらも坪内逍遥『小説神髄』が掲げた近代写実(リアリズム)小説ではありません。むしろ近代写実主義が完成する以前のジャンルです。(そもそも『小説神髄』が近代小説と対比するために例に挙げて批判したのが馬琴の『八犬伝』なのでした。)
 漱石はやがてリアリズム小説を書き出します。しかし、漱石を「国民作家」にしたのは、近代人の苦悩を直接の主題にした『こころ』でも『道草』でもありません。『猫』と『坊ちゃん』、つまり「近代小説」以前の作品です。もちろん、『猫』や『坊ちゃん』を書いた作家が『こころ』や『道草』も書いたから、漱石は偉大な作家なのです。

 夏目漱石は明治27年(1894)4月から1年間、四国松山の中学で英語を教えました。(その間、日清戦争従軍中に喀血して帰国した正岡子規が漱石の下宿に居候したりします。)そのときの体験が『坊ちゃん』の素材になっているそうです。
 作中には地名は記されていませんが、地理や方言でおおよそ四国の松山だと推測できる書き方になっています。そして今や松山では、「坊ちゃん団子」に「坊ちゃん列車」に「坊ちゃん文学賞」まで。しかし小説の中では土地の人々の田舎根性が徹底的に嫌われていて、「いやにひねっこびた、植木鉢の楓みた様な小人」どもだの「こんな土百姓」だのと罵倒されているのでした。(ただし、松山市民の名誉のために付言すれば、漱石自身は松山時代の手紙に「学校も平穏にて、生徒も大人しく授業を受けをり候」と書いています。)

 さて、舟木一夫のデビューは昭和38年6月5日発売の「高校三年生」。昭和43年6月で五周年。
 そして7月4日から明治座でデビュー五周年記念の一カ月公演。昼の部の芝居が「坊ちゃん」、夜の部の芝居が「喧嘩鳶~野狐三次~」。加えて昼夜ともに歌謡ショ―「ヒットパレード」もありました。
舟木一夫s43-9別冊近代映画 レコードは二つの芝居の主題歌をカップリングさせて発売。「オレは坊ちゃん」の方がA面扱いでしたが、芝居も歌も舟木がいなせな江戸っ子火消しに扮した時代劇「喧嘩鳶~野狐三次~」の方が人気があり、右画像のように、特集した「別冊近代映画」でも、表紙は「喧嘩鳶」の方で「坊ちゃん」は裏表紙。また、この年の紅白歌合戦でも舟木は威勢よくにぎやかに「喧嘩鳶」を歌いました。
 
 舟木一夫の明治座公演は前年4月につづいてこれが2度目。
 光本幸子追悼を兼ねた舟木一夫&光本幸子「恋のお江戸の歌げんか」の項に舟木一夫の明治座公演の演目リストを掲げておきましたが、この翌年、昭和44年7月公演の芝居演目の一つが「与次郎の青春」。これは「三四郎より」と角書きが付いていて、与次郎は漱石『三四郎』の登場人物なのでした。三四郎でなく三四郎の友人の与次郎を主人公にしたあたりが企画の妙。
 舟木一夫、二年続けて夏目漱石の世界に挑戦したことになります。

493 吉永小百合「嫁ぐ日まで」 花嫁たち(6)

 吉永小百合には「あすの花嫁」(s37-9)とよく似たタイトルの曲が、ほぼ一年後にあります。「嫁ぐ日まで」。
 こちらで聴きながらお読みください。「歌心の」さんに感謝しつつ無断リンクします。
 (レコードジャケット画像の下は、昭和38年末ごろの発売かと思われるソノシート集「吉永小百合愛唱集4」から、和装の花嫁姿の吉永小百合。)

吉永小百合「嫁ぐ日まで」
吉永小百合・嫁ぐ日まで/天に向って  昭和38年8月発売
  作詞:佐伯孝夫 作曲・編曲:吉田正
 一 あなたが夢む、いつでも夢む
   きらめく乙女、やさしの乙女
   そんなわたしでいたい 嫁ぐ日までは
    強くひとりの人を
    描き求めて生きて
    髪も指もあわれいとしや 嫁ぐ日まで
 二 見知らぬあなた、わたしのあなた
吉永小百合・ソノシート吉永小百合愛唱集4(s38年末ごろ)より   いつの日逢える 愛する人よ
   待ってこがれる小窓、花も可愛いや
    花は数々咲けど
    妻と呼ぶ花一つ
    清く白く風に散らずに 嫁ぐ日まで
 三 あなたの来る日、迎えに来る日
   二つのこころ一つに結べ
   赤いえにしのリボン、嫁ぐ日近し
    すんだ瞳の乙女
    燃える希望(のぞみ)の空に
    かける虹よ若く輝け 嫁ぐ日まで

 フジテレビの連続ドラマ「嫁ぐ日まで」の主題歌だったそうです。週一回の30分ドラマ、毎回設定もキャストも変えて昭和38年2月から年末まで。ヒロインたちの「嫁ぐ日まで」のさまざまなドラマを描いた1話完結のドラマシリーズ、ということでしょう。各回のヒロイン役には、清水まゆみ、光本幸子、島かおりなどの名前が見えます。吉永自身は出演していません。
 主題歌の歌詞は唯一無二の男性との結婚の日を夢みる「乙女」の歌。オリンピック前の「恋愛=純愛=純潔=結婚」の理想です。
 「強くひとりの人を描き求めて生きる」という一番、「いつの日逢える愛する人よ」という二番は、まだ理想の「あなた」に出逢っていません。その意味で、女性の側から歌う「まだ見ぬ君を恋うる歌」(舟木一夫s39-6)だといえるでしょう。
 その際、あなたがいつでも夢みているであろう「きらめく乙女、やさしの乙女」でありたい、と歌うところが女性の発想。つまり、たんに「自分の価値観に基づく理想の女性でありたい」というのでなく、あなたの眼差しに映るあなたの理想の女性でありたい、という二人称的発想。「あなたにとってのあなた」としての自己像です。しかもその「あなた」にはまだ出逢ってもいないのです。
 これを60年代末、エロスを解放した時代の風俗に合わせて崩して歌えば「あなた好みの女になりたい」(奥村チヨ「恋の奴隷」s44-6 なかにし礼作詞)になります。(「恋の奴隷」の「あなた」は眼前に実在します。)
 しかし、オリンピック前の「乙女」の純情はそんなふうに崩れません。そもそも歌い出しが「あなたが夢む、いつでも夢む」。口語の「夢みる」(上一段活用)でなく文語の「夢む」(上二段活用)なのです。もちろん「やさしの」も「いとしや」も「嫁ぐ日近し」の「近し」も文語体。つまり、彼女の純情はかたくて古風なのです。
 そして、その古風な娘が「髪も指もあわれいとしや」と歌うとき、自分の清らかな肉体を抱きしめいとおしむようなこのナルシシズムには、つつましやかなエロチシズムさえ漂うようではありませんか。さすが佐伯孝夫というべきでしょう。
 三番は、ドラマのテーマに合わせたのでしょう、一挙に「嫁ぐ日近し」。「赤いえにしのリボン」によって結ばれた唯一無二、運命的な伴侶としての「あなた」が「迎えに来る日」の到来を歌って収めます。

 歌詞が文語体であるのにふさわしく曲調もしっとりと。「あすの花嫁」の曲調とは大きく異なります。
 それでも昭和37年9月の「あすの花嫁わたしなの」とほぼ一年後の昭和38年8月に歌う「嫁ぐ日近し」、よく似ています。
 そう思わせる理由は実はもう一つあるのですが、それについては回を改めて。

487 岡本敦郎「白い花の咲く頃」 お下げ髪の時代・番外2 お下げ髪(と)の別れ

 昭和32年の三橋美智也「おさげと花と地蔵さんと」からさらにさかのぼって、もう一曲、お下げ髪を歌った名曲を。岡本敦郎のヒット曲「白い花の咲く頃」。
 こちらに当時の「見本盤(非売品)」レコードによる貴重な音源があるので、聴きながらお読みください。oklz47さんに感謝しつつ無断リンクします。

岡本敦郎「白い花の咲く頃」
  昭和25年12月発売
  作詞:寺尾智沙 作曲:田村しげる
岡本敦郎・白い花の咲く頃CD 一 白い花が 咲いてた
   ふるさとの 遠い夢の日
   さよならと 云ったら
   黙ってうつむいてた お下げ髪
   悲しかった あの時の
   あの 白い花だよ
 二 白い雲が 浮いてた
   ふるさとの 高いあの峰
   さよならと 云ったら
   こだまが さよならと呼んでいた
   淋しかった あの時の
   あの 白い雲だよ
 三 白い月が ないてた
   ふるさとの 丘の木立ちに
   さよならと 云ったら
   涙の眸で じっとみつめてた
   悲しかった あの時の
   あの 白い月だよ

 これもふるさとでの別れ。「おさげと花と地蔵さんと」のお下げ髪は「みんな」の中の一人でしたが、こちらの「黙ってうつむいてたお下げ髪」はただ一人。ふるさとの別れは初恋の別れ。うつむく二人の足下には白い花。春は別れの季節。いま眼前の「白い花」に「ふるさとの遠い夢の日」がよみがえります。
 二番では「白い雲」浮かぶ「高いあの峰」にさよならの声が「こだま」し、三番は「丘の木立ち」にかかる「白い月」と「涙」のとりあわせ。月が「ないてた」のは別れの涙でにじんでいるから。わずかな言葉で風景もあざやかに浮かびます。抒情歌謡の名作です。
 「ふるさとの遠い夢の日」。故郷には帰れても「夢の日」には帰れません。萩原朔太郎にならっていえば、郷愁はけっしてみたされることのない魂のノスタルジー。それゆえに郷愁の中のふるさとはいつまでも美しくせつない「夢の日」のまま。私は、横井弘の書いた「津軽は夢の国だったよ」(佐々木新一「リンゴの花が咲いていた」)や西條八十の「初恋のゆめのふるさと」(舟木一夫「夕笛」)を思い出します。

本間千代子in人生劇場・飛車角s38-3 寺尾智沙&田村しげる夫妻の作品は、以前に本間千代子がソノシートで歌う「夕月の歌」を取り上げました。そのカップリング曲が勝呂誉の歌う「白い花の咲く頃」でしたが、さすがに勝呂誉の歌声はyoutubeにありません。 (そこで、右に本間千代子のお下げ髪姿を二枚。上は鶴田浩二主演映画「人生劇場 飛車本間千代子&西郷輝彦・十七才のこの胸にs39-46マーガレット角」(s38-3公開)でのお下げ髪。大正時代の三州吉良の娘役です。下は西郷輝彦主演「十七才のこの胸に」の、西郷の故郷・鹿児島でのロケから、セーラー服に髪の左右を無造作に束ねただけの「短い」お下げ髪。「マーガレット」昭和39年46号。)
 そのときに、「夕月の歌」はラジオ歌謡ではありませんが、と断ったうえで「NHKラジオ歌謡と青春歌謡」について書きましたが、「白い花の咲く頃」はまちがいなくNHKラジオ歌謡です。
 こちらに「日本ラジオ歌謡研究会」のホームページがあって、ラジオ歌謡が放送順に一覧になっています。それによると「白い花の咲く頃」は放送順で266番とのこと。また、岡本敦郎は昭和21年にラジオ歌謡「朝はどこから」でデビューしたそうですが、その「朝はどこから」はラジオ歌謡初放送曲「風はそよ風」(昭和21年5月1日放送)につづく2番目のラジオ歌謡だったこともわかります。まさしく岡本はラジオ歌謡とともに歩んだ歌手なのでした。
 (なお、寺尾&田村の「夕月の歌」は上記ラジオ歌謡一覧の354番「夕月の歌」と混同されることがあるのでしょう。これは作詞・作曲者の異なる同名異曲です。)

 それにしても、「白い花の咲く頃」のお下げ髪も別れの歌。
 北原謙二「忘れないさ」の項にリストアップしたお下げ髪の曲は13曲。それ以後取り上げたのがこの「白い花の咲く頃」も含めて6曲。計19曲
 そのなかで、北原謙二「若い明日」坂本九「明日があるさ」だけが現在進行中の恋、外の17曲は別れの歌。(仲宗根美樹「さよなら十代」だって十代との別れです。)
 守屋浩「長いお下げ髪」の項で書いたように、お下げ髪の基本イメージは素朴さと少女性。当然、そこで言及した漫画「フイチンさん」のような(あるいはお下げ髪をトレードマークに売り出した歌手・森山加代子のような)、健康で活発な少女のイメージだってあるのですが、なぜかしんみり別れの歌ばかり。「青年」の歌である歌謡曲では、お下げ髪の「素朴さ」や「少女性」が回顧的なまなざしの対象になって、「素朴さ」はふるさと、ふるさとならば出郷・離郷、「少女」(と)の恋は初恋、初恋ならば結ばれぬ別れ、というような連想をたどるために、別れのテーマと結びつきやすいのかもしれません。

486 三橋美智也「おさげと花と地蔵さんと」 お下げ髪の時代・番外1

 お下げ髪がタイトルにも入った最大のヒット曲は三橋美智也「おさげと花と地蔵さんと」だったでしょう。昭和30年代初期のなつかしい郷愁の世界、こちらで聴きながらお読みください。bega1947さんに感謝しつつ無断リンクします。
 (レコード画像の下は昭和33年10月封切りの映画「絶唱」からお下げ髪の浅丘ルリ子(小雪)と小林旭。さらにその下には昭和41年9月封切りの「絶唱」からお下げ髪の和泉雅子(小雪)と舟木一夫(「りぼん」昭和41年12月号付録)を。)

三橋美智也「おさげと花と地蔵さんと」
三橋美智也・おさげと花と地蔵さんと  昭和32年9月発売
  作詞:東条寿三郎 作曲・編曲:細川潤一
 一 指をまるめて のぞいたら
   黙ってみんな 泣いていた
   日昏(ひぐ)れの空の その向こう
   さようなら
   呼べば遠くで さようなら
   おさげと 花と 地蔵さんと
 二 あれから三年 もう三月
絶唱・小林旭・浅丘ルリ子 (2)   変らず今も あのままで
   空見て立って いるのやら
   さようなら
   耳をすませば さようなら
   おさげと 花と 地蔵さんと
 三 なんにもいわずに 手を上げて
   爪(つま)立ちながら 見てたっけ
   思いはめぐる 茜(あかね)
   さようなら
   呼べばどこかで さようなら
   おさげと 花と 地蔵さんと

 「地蔵さん」は仏教の地蔵菩薩ですが、地蔵絶唱s41-12りぼん付録表紙は古くから民俗信仰の中の賽(さい)の神や道祖神と習合して、境界を守る仏として三叉路や四辻や村境に建てられました。「六地蔵」として六体並んで立つものも多くあります。
 花の咲く道端に立つ地蔵さん。その傍らで見送る幼なじみの「みんな」。そのなかにお下げの娘。村はずれの別れです。
 一見シンプルな詞ですが、よくよく読むと、三年三月前の別れの時とそれを回想する現在の思いとが分ちがたく重なっています。
 たとえば、一番は別れの時の光景のようです。それなら「さようなら」と呼べば「遠くでさようなら」と返すのは涙ながらに見送ってくれた「みんな」の声なのでしょう。けれども聞こえてくるのは「日昏れの空のその向こう」です。現実そのままではありません。「遠くで」は山川遠くへだてた故郷、あるいは三年三月隔てた過去の日かもしれません。それなら「さようなら」と返すのは心のなかに聞こえる声なのかもしれません。
 その回想性は二番三番ではっきりします。「耳をすませばさようなら」も「呼べばどこかでさようなら」も、現実ではなく、心のなかに聞こえる声です。
 しかし、二番にも不思議なイメージがあります。「変らず今もあのままで/空見て立っているのやら」。「みんな」のことなのでしょう。別れの時の光景は心のなかでストップモーション、三年三月前のままに印画されているのです。
 けれども、三年三月も動かずあのまま「空見て立っている」にふさわしいのは「みんな」ではなく、むしろ地蔵さんの方です。ここでは「みんな」と「地蔵さん」(六体並んだ六地蔵かもしれません)がぴったり重なっているのです。
 茜空の下に「おさげと花と地蔵さん」が仲よく並んでいる村はずれ。まるでほのぼのした童画のような風景です。
 故郷松島トモ子s32-10少女付録との別れといえば、ふつうに思えば中学を卒業しての出郷でしょう。
 しかし、「指をまるめてのぞいたら」というのは子供めいたしぐさです。もう少し年齢を下げたくなります。そもそも地蔵菩薩は、とりわけ子供を守ってくれる仏なのでした。その「地蔵さん」と重なって一体化する「みんな」もやっぱりまだ子供なのかもしれません。そういうイメージの方が、童画みたいなこの詞の情景にふさわしいかもしれません。そこで、右には12才の松島トモ子の素朴なお下げ髪を。(雑誌「少女」昭和32年10月号付録表紙)

484 坂本九「明日があるさ」 お下げ髪の時代(4)&セーラー服の時代

 高校生のお下げ髪の歌をもう一曲。坂本九「明日があるさ」。こちらで聴きながらお読みください。「エムエス隼戦闘隊」さんに感謝しつつ無断リンクします。
 (レコードジャケットの下は、坂本九とお下げ髪の森山加代子。昭和36年4月封切りの映画「悲しき60才」から。何といってもこの時期、「九ちゃん加代ちゃん」は大人気でした。)

坂本九「明日があるさ」
  昭和38年12月発売
  作詞:青島幸男 作曲・編曲:中村八大
坂本九・明日があるさs38-12 一 いつもの駅でいつも逢う
   セーラー服のお下げ髪
   もうくる頃 もうくる頃
   今日も待ちぼうけ
   明日がある 明日がある 明日があるさ
 二 ぬれてるあの娘コウモリへ
   さそってあげよと待っている
   声かけよう 声かけよう
   だまって見てる僕
   明日がある 明日がある 明日があるさ
 三 今日こそはと待ちうけて
   うしろ姿をつけて行く
森山加代子&坂本九・悲しき60才s36-4   あの角まで あの角まで
   今日はもうヤメタ
   明日がある 明日がある 明日があるさ
 四 思いきってダイヤルを
   ふるえる指で回したよ
   ベルがなるよ ベルがなるよ
   出るまで待てぬ僕
   明日がある 明日がある 明日があるさ
 五 はじめて行った喫茶店
   たった一言好きですと
   ここまで出て ここまで出て
   とうとう云えぬ僕
   明日がある 明日がある 明日があるさ
 六 明日があるさ 明日(あす)がある
   若い僕には夢がある
   いつかきっと いつかきっと
   わかってくれるだろ
   明日がある 明日がある 明日があるさ

 「通学列車」まで同じなのかどうかわかりませんが、とにかく「いつもの駅でいつも逢う」お下げ髪のあの娘。
 なかなか声をかけられず、待ちぼうけをくりかえし、雨の日には傘に誘おうと待ってみたり、しばらく後ろをつけて歩いてみたり、思い切って電話のダイヤルを回したものの相手が出る前に切ってしまったり(電話番号はどうやって知ったのか?)、ようやっと喫茶店に誘うのに成功しても「好きです」の一言がとうとう云えなかったり(高校生の喫茶店立ち寄りが校則で禁じられていた学校もあったでしょう)と、心弱き、でも一途な「恋の大奮闘」。
 (彼女の下校時間帯に「いつもの駅でいつも逢う」のだから、「僕」も高校生だとみるのが自然でしょう。)
 (「コウモリ」というのが昭和30年代らしい。「傘」が伝統の唐傘を意味した時代のなごり、唐傘と区別するために洋傘は、その形態ともっぱら黒一色だった布の色から「コウモリ傘」。「唐傘」を見なくなった今はもう傘といえば洋傘なので、わざわざ「コウモリ」と言う必要もなく死語でしょう。)
 一つ一つのエピソードには誰でもちょっとは身に覚えがあり、ついつい肩でもたたいて慰めと励ましの声をかけてやりたくなるようなほほえましさ。もちろん一番ふさわしい言葉は彼自身が自分に言い聞かせています。「明日があるさ」。
 タイトルでもあり何度も繰り返される「明日があるさ」は、歌詞内容の純情な恋の物語をはなれて、青春歌謡の精神、さらには東京オリンピック前の時代精神を凝縮した標語にもなります。今は苦しくとも「若い僕には夢がある」、今日は失敗しても「明日があるさ」

 ところで、「あの娘」は「セーラー服のお下げ髪」。この季節、富士山に月見草がよく似合う(太宰治『富嶽百景』)ように、セーラー服にはお下げ髪がよく似合う(!?)。
 そこで、このブログでいままで取り上げた「セーラー服」の歌をリストアップしてみます。

 浜田光夫&三松圭子「丘の上の校舎」(s38-9) ♪紺のセーラーの制服よ
 (高石かつ枝「丘の上の白い校舎」(s41-2) ♪紺のセーラーの制服よ)
 坂本九「明日があるさ」(s38-12) ♪セーラー服のお下げ髪
 高石かつ枝「感傷日記」(s39-2) ♪紺のスカートセーラー服よ
 三田明「友よ歌おう」(s39-2) ♪青いセーラーの胸はずませる
 舟木一夫「さらば古い制服よ」(s39-3) ♪君はセーラー僕つめえりの
 三田明「すばらしき級友(クラスメート)(s39-5) ♪セーラー服のあの胸に
 安達明「女学生」(s39-8) ♪セーラー服に朝霧が

高石かつ枝s38-11明星 萩原四朗が書いた浜田光夫&三松圭子「丘の上の校舎」と高石かつ枝「丘の上の白い校舎」は、真木不二夫「丘の上の白い校舎」(s29-12)の書き直し作品でした。そして、もともとの昭和29年の真木不二夫の歌詞には「セーラー服」は出てこないのです。
 したがって、書き直しの書き直しバージョンである高石かつ枝「丘の上の校舎」を別にすれば、全部昭和38年&39年、しかも秋から夏まで、ほぼ一年間に集中しています。
 青春歌謡前期は、「お下げ髪の時代」であるとともに「セーラー服」の時代なのでもありました。(右は「セーラー服のお下げ髪」の高石かつ枝。「明星」昭和38年11月号の表紙。)
 しかし、その中で、歌詞の中に「お下げ髪」と「セーラー服」がいっしょに出てくるのはこの「明日があるさ」だけなのです。その意味で、この曲は実に実に記念すべき曲なのでした。
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