「煙草が二箱消えちゃった」。これもいまyoutubeにはありません。
井上ひろし「煙草が二箱消えちゃった」
昭和35年6月発売
作詞:関沢新一 作曲:前田利克 編曲:柳田六合雄
一 町の時計が アクビをしてら
いつまで待たせる ひとなのサ
JIRASU JIRASU ンー JIRASU
捨てた吸がら 男の吐息
煙草が二箱 あゝ 消えちゃった
二 いっそ逢わずに 帰るも恋サ
来るまで待つのも 恋なのサ
JIRASU JIRASU ンー JIRASU
なンてこったよ 弱気じゃないか
とっくに消えてら あゝ 町あかり
三 煙草がわりに 小指をかんで
あきらめちゃうには もうおそい
JIRASU JIRASU ンー JIRASU
バカに見えたら 笑っておくれ
これでも俺らは あゝ 本気だぜ
「地下鉄(メトロ)は今日も終電車」(s34-12)と並ぶ井上ひろしの代表曲です。
リバイバル「雨に咲く花」(元歌はs10-12関種子)とのカップリング。ジャケット画像のとおり、レコードではオリジナル曲のこちらの方がA面扱い。しかし、皮肉なことにB面の「雨に咲く花」の方がもっとヒットしてリバイバル・ブームのきっかけになったのは前回書いたとおりです。
思えば井上ひろしは雨に縁があったようで、そもそも水島哲がソロ・デビューする井上のために最初に書いた詞が「雨は泣いている」(s34-10)でした。あまくてやわらかい歌声が雨の情緒にぴったりだと判断したのでしょう。水島のその判断は見事に正しかったわけです。「雨に咲く花」のヒットを承けて、井上はさらに「小雨の丘」(s35-12、元歌はs15-8小夜福子)や「並木の雨」(s36-5、元歌はs14-7ミス・コロムビア)をリバイバルさせることになります。
さて、これは彼女が来ない待ち合わせ。ケータイなんかもちろんない、相手がアパートの一人暮らしだったりすれば電話だってない、あったってせいぜい呼び出し電話、そんな時代の待ち合わせです。
なぜか待ち合わせに現れない恋人。映画「君の名は」や「あの橋の畔で」や「銀座の恋の物語」のような悲恋ものなら、ここから残酷な運命のドラマが始まります。
しかしこれは青春ソング。焦点は相手の事情ではなく、「俺ら」の心情。
町の灯りが「とっくに消えてら」というので、夜更けまで待ってしまったわけでしょう。自分のことをちょっと不良っぽく「俺ら」と呼ぶこの主人公、この恋には純情で「本気」、しかも一途で辛抱強い。いつの世も「不良の純情」は娘ごころをくすぐるはず。(その青春映画の典型は吉永小百合&浜田光夫の映画「泥だらけの純情」s38-2。)
タバコはもちろん「不良」の必須アイテム。けれども喫った煙草が二箱40本とは、よっぽどのヘビースモーカー、どころかおそるべきチェーンスモーカーです。
作詞したのは関沢新一。一行目の「町の時計がアクビをしてら」から詞に遊び心が入っています。「ひとなのサ」「恋サ」「恋なのサ」と語尾の「サ」をカタカナ書きしているのも、語尾の「サ」が都会(東京)らしさ、若者らしさのシンボルみたいなものだったから。
聞かせどころはもちろん「ZURASU ZIRASU ンー ZIRASU」。「じらす」という日本語をアルファベットで横文字書きしたのはロカビリー系らしいカッコよさ狙い。(バカげた勘違いですが、以後60年代末からさらに拍車がかかり、80年代にいっそう加熱して、今は「グローバリズム」とかいう美名のもとであたりまえみたいになってしまいました。この件については、日本文化の根に食い入った「スノビズム」「モダニズム」の問題としてこのブログで何度も書きました。)
ただし、井上はべつだん外国語めかして発音するわけではなく、「ンー」があるのでちょっと甘えてすねたような感じ。いわば「甘えてすねる不良」です。ここも娘ごころをたまらなくくすぐったはず。
そういう遊び心の詞として読めば、この二箱40本にもちょっと誇張は入っているでしょう。まさかクレイジー・キャッツのように喫った煙草が「五万本」(青島幸男作詞「五万節」s37-1)、とまでは云いませんが(「五万節」には「パチンコで取ったピースが五万箱」というフレーズもあります。)。
そのちょっとほら話めいた誇張感があるので、歌の主人公にはせつない状況でも、悲恋にはならず、この歌はなにやら楽しいのです。
とはいえ、こんなタイトル、こんな歌詞、いまなら書けないしレコード化もできないでしょう。ましてや街灯の下で男の足元に吸い殻の散らばるジャケットのイラスト、たちまち美化運動に(だけ?)熱心な人たちからのクレームが殺到して発売禁止になるのは必定です。
(しかも井上ひろしは昭和16年8月生まれ。レコード発売時にはまだ18才。日本では明治33年以来、満20才未満の喫煙は法律で禁止。18才が歌うこのチェーンスモーカーの歌、よく許可されたなぁ。(笑))
タバコはいろんな名曲を生んできました。
たとえば戦後間もなく、清水みのるが書いた「星の流れに」(s22-10)の「煙草ふかして口笛吹いて」。タバコをただ「吸う」のでなく、これ見よがしに「ふかす」そのしぐさ、夜の街角で男を誘うしかなくなった女の捨てばちな悲しみが浮き彫りになります。
あるいは石本美由起が書いたマドロス歌謡の傑作「ひばりのマドロスさん」(s29-9)。「縞のジャケツのマドロスさんは/パイプふかして/アー タラップのぼる」。あの船乗りポパイがいつもパイプをくわえていたように、マドロスさんにパイプはつきものです。しかもここには、昭和20年8月30日、厚木飛行場に降り立ったマッカーサーにまでさかのぼる戦後史さえ隠れています。なんといっても敗戦国民・日本人の心にパイプのカッコよさを刻印したのは勝利者・占領者たるマッカーサーだったのですから。
一方、連合国の巨頭・チャーチルのトレード・マークは葉巻。「和製チャーチル」と呼ばれた吉田茂も葉巻。
パイプは洋物。日本人は南蛮渡来のタバコが普及した江戸の昔から煙管(キセル)に刻みタバコ。花魁にキセルは必需品。助六なら「キセルの雨が降るようだ」。浜松屋で居直ってみせる弁天小僧だってキセルがなくちゃ様になりません。タバコは文化です。
近代庶民は紙巻きたばこ。町角のあちこちに煙草屋がありました。
岸井明と平井英子が掛け合いで歌った愉快な「煙草屋の娘」(s12-6)は戦前のヒット曲。園ひさし作詞で「向う横丁のタバコやの可愛い看板娘」に恋してしまった若者が毎日タバコを買いに通いつめるお話です。昭和36年には佐川ミツオと渡辺マリの掛け合いでリバイバルされました。(もっとも「可愛い看板娘」がいる煙草屋はまれで、たいていは爺さんや婆さんが店番でしたが。)
(ちなみに、例によってこちらで検索すると、岸井明と平井英子の歌のタイトル表記は「タバコやの娘」。これ以前に昭和5年から6年にかけて「煙草屋の娘」という別な曲が2曲あり、さらに昭和16年9月には高峰秀子も清水みのる作詞の「煙草屋の娘」という曲を歌っているのでした。町角に煙草屋のある風景、これこそなつかしい日本の町の風景なのです。)
そもそも国家に功労あった者には菊の紋章入りの「恩賜の煙草」を賜ったのが近代日本(2006年に廃止)。紙巻きたばこは天皇公認の栄誉さえ担っていたのでありました。くりかえします。タバコはまぎれもない文化なのです。
というわけで、ほんとうはタバコの歌を何曲か取り上げたかったのですが、青春歌謡は「品行方正」。どうもタバコの歌が見当たりません。
こうしてみると、橋幸夫&吉永小百合のデュエット「若い歌声」(s38-11)の台詞部分で橋が「莨(たばこ)とてのめばはかなや」と語っていたのは実に実に貴重だったことになります。(このとき橋幸夫は20才と6カ月。)
タバコはなんといっても「大人」(成人)のもの。未成年歌手の多かった青春歌手が歌えなかったのは仕方ありません。
そういえば、青春歌謡の時代、沢たまきが大人のムードたっぷりに歌った「ベッドでタバコを吸わないで」(岩谷時子作詞)は昭和41年4月の発売でした。名曲ですが、消防署の告知みたいな「吸わないで」の禁止形(正確には禁止おねだり形)が私にはどうも気に入りません。しかしひるがえって考えれば、禁止形ならいまでもタバコの歌を歌える、ということ。誰か、禁止形で実はタバコの快楽をこっそり伝える反語法の歌を作ってくれませんかね。
(ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「名曲」、「スモーキン・ブギ」(1974₋12)みたいなものは絶対いけません。あれじゃタバコの不良イメージを助長するばかり。これからは「健全な大人」の「健全な嗜好品」としてのタバコを称える精神で作らなきゃ(笑)。)
ところで、映画監督の市川崑はヘビー・スモーカーながら享年92歳。世に喧伝されるタバコの害など本当でしょうか。ましてや副流煙が人を肺ガンにするというのなら、市川崑の周辺は癌患者の死屍累々、ほとんど市川は大量殺人犯だったでしょう。どうも現代の嫌煙・禁煙「ブーム」は、神経症的な衛生思想のあらわれのような気がしてなりません。
市川崑の母親は広島で被爆したのに90歳を超える長命だったことから、市川は「(放射能の害に比べれば)ニコチンの害などたいしたものではない」と公言していたとか。([wikipedia市川崑])
原発の再稼働が始まりました。東京オリンピックに向けて東京を全面禁煙にせよと騒ぐ政治家どもが、一方では率先して原発再稼働を進めています。タバコには厳しく、原発には寛容に。(ついでにカジノ賭博にも寛容に。)
たしかに放射性物質はタバコの煙のようには目にも見えず臭いもしませんからね。お上品で清潔好きな現代人は臭うタバコより臭わない「クリーン」な放射性物質の方が好きなんでしょう。