では、「北国の街」に続く舟木一夫「恋愛三部作」の二曲目、「東京は恋する」。
 こちらで聴きながらお読みください。HisakiVideoさんに感謝しつつ無断リンクします。

舟木一夫・東京は恋する舟木一夫「東京は恋する」
  昭和40年4月発売
  作詞:丘灯至夫 作曲・編曲:山路進一
 一 肩にやさしく 手をおいて
   見上げる夜の オリオン星座
   こんなにひろい 街だけど
   歩いているのは 二人だけ
   ああ 東京は恋する
   恋する街よ
 二 花の香りか 黒髪か
   より添う胸に 夜風も甘い
 舟木一夫・東京は恋する・DVD  いつかはきっと しあわせが
   くるよといえば うなずいて
   ああ 東京は恋する
   恋する街よ
 三 ふたりの夢を あたたかに
   ネオンがつつむ ターミナル
   手をふる別れ つらいけど
   明日もここで また逢える
   ああ 東京は恋する
   恋する街よ

 以前「東京讃歌」シリーズのときは話題の広がりを重視して舟木の「東京百年」の方を優先したので、まだちゃんと取り上げていませんでした。あらためてシリーズに付け加えます。
 レコード発売は「北国の街」の翌月4月。
 やっぱり日活で映画化もされまし。舟木は伊藤るり子に魅かれながらも友人・和田浩治との仲を取り持つ、という日活では何度か演じたタイプの役どころ。伊藤に頼まれて舟木が一日だけの恋人役になって伊藤の祖父母に東京を案内する(オリンピック後の東京の名所が観られます)、というのも日活ではおなじみのパターン。
 映画「東京は恋する」はなぜかレコード発売から5か月後の9月封切りでした。「舟木一夫大全集 陽射し・旅人」によると、実は映画撮影は6月から始まったものの、日活のストにぶつかったために製作に三カ月もかかったのだそうです。(通常ならたぶん6月末か7月公開だったでしょう。そして、ほぼ3カ月に1本平均の映画化ペースからすると、9月ごろには別にもう一本、たとえば「あゝりんどうの花咲けど」などが、映画化されていたかもしれません。)
 それにしても「東京は恋する」とは実に魅力的な題名。「東京ラプソディ」(昭11-6 門田ゆたか作詞/古賀政男作曲)の昔から、昭和歌謡曲ではいつだって東京は「♪恋の都」。しかも東京オリンピックから5カ月。東京を擬人化して、東京自身が恋するかのように見立てました。
 「恋愛三部作」としての「北国の街」「哀愁の夜」との歌詞の比較は「哀愁の夜」の項にも前回の「北国の街」の項にも書きましたが、とにかく、この「東京は恋する」が曲調もいちばん軽快、「手をふる別れ」への言及はあっても「明日もここでまた逢える」と続くので、これは一晩限りの軽い別れにすぎません。
 ところで、「北国の街」にも「ひとつ星=北極星」が歌われていましたが、こちらは「オリオン星座」を歌います。
 オリオンは冬の星座として知られますが、歌詞には特に冬の印象はなく、レコードも4月発売なので、春先ぐらいのイメージでしょうか。
 島倉千代子「恋しているんだもん」の項で書いたとおり、オリンピック前後から、農耕社会的・伝統的な「月」に代って、遊牧民的・都会的な「星」のヒット曲が多くなります
 しかし、歌謡曲の「星」はたいてい名のない「星」。星座名が歌われることはめったにありません。あれだけ星の歌を歌った西郷輝彦だって、星座名は一度も歌ったことがありません。特に、「オリオン」を歌ったのは舟木のこの曲ぐらいでしょう。
 「東京は恋する」は星座名「オリオン星座」を歌ってヒットした貴重な歌です。

 もちろん日本の歌謡で星座名が歌われないのは伝統的に星座観念が乏しかったためです。(平安朝から宿曜道(すくようどう)が中国の星座(星宿)観念に基づいて星占いをしたり暦を作ったりしますが、それはあくまで知識人の、しかも高度に専門的な知識にして専門的な「秘術」。庶民にまでは浸透しません。)
 近代になってヨーロッパ系の星座観念が輸入されますが、ポピュラーになったのはオリオンカシオペアぐらいじゃないでしょうか。この二つに伝統的な北斗七星(北斗、ひしゃく星、七つ星)を加えた三つが日本人のたいがい誰でもわかる星座でしょう。星座でなく星の名にまで広げても、せいぜい、北極星(一つ星)昴(すばる)牽牛(ひこぼし)織女(おりひめ)ぐらい。
 たとえば中学校で教わった文部省唱歌「冬の星座」は、もともとアメリカの曲に堀内敬三が歌詞をつけたものですが、その二番。
  ほのぼの明かりて 流るる銀河
  オリオン舞いたち スバルはさざめく
  無窮を指さす 北斗の針と
  きらめき揺れつつ 星座はめぐる

 「オリオン」と「スバル」と「北斗」です。(「スバル」は厳密には「星団」ですが、古来からの和名です。)
 星座知識が浸透しなかったことに加えて、歌謡では言葉の音数や響きやイメージも大事なので、60年代まではカシオペアもスバルもほとんど歌われなかったように思います。ましてタイトルになることはまずありませんでした。(安達明に「蒼いカシオペア」(昭41-9)がありますが、これは例外中の例外でしょう。)
 いちばん多く歌われたのはたぶん北斗七星、それも「北斗七星」でも「七つ星」でも「ひしゃく星」でもなく、ほとんどいつもただ「北斗」という呼び名で。近松門左衛門の浄瑠璃『曽根崎心中』の道行にも「北斗は冴えて影映る」という詞章があります。(それでもこのブログではまだ克美しげる「曠野の星」の「北斗の星をかぞえる……」だけ。)
 北極星もただ「一つ星」として歌われる程度。「一つ星」は宵の明星、明けの明星、つまり金星を指すこともあるので、詞の内容で判断するしかありません。(ペギー葉山が歌った「次郎物語」の主題歌には、めずらしく「北極星」が出てきました。)
 案外多かったのは、意外にも南十字星。日本ではまず見られませんが(八重山諸島では春先に見えるそうです)、日野てる子に「南十字の星に泣く」(昭42-6)があり橋幸夫が「シンガポールの夜は更けて」(昭41-12)とそのB面「南十字に涙して」で歌いました。南国へのエキゾチシズムを誘います。(私の趣味を付け加えれば、テレビドラマ「快傑ハリマオ」の挿入歌で近藤圭子が歌った「南十字星の唄」もあります。)