先週に続いて「愛と性の相談室」から。今回は新婚早々の女性である。相談内容は「これまでイッたことがない」というもの。セックスでイケない女性は少なくないけれど、それでもオナニーならイケるという人がほとんどなのだが……。


 彼女は「オナニーも気持ちよくない」と言う。ある日、友人から「私、シャワー使ってるよ!」と聞いて試してみたものの、「何が気持ちいいのか、わからなかった」そうだ。


 会った印象としては、健康的で理知的。ハキハキしており、実際に話していても回転が速いのがよくわかる。要するにしっかりしているのだ。だが、そのぶん強固な自分が存在しているというか、彼女の中の社会性もまた堅牢なのだろうと思った。


 そんな彼女に「乱れること」の重要性を説いた。たとえばダンナさんの目を見ながら「私のイヤらしいとこ、ベロベロ舐めて!」と言ったとする。これまでの彼女だったら、とても言いそうにない卑猥な言葉を口にしてしまうことで、社会性が落ちていく。言ってしまったら、もう取り返しがつかないのだから。


 しかも、淫語を声に出して言うと同時に、自分がその卑猥なイメージを感じ取る。つまり、淫語には自分の中で卑猥感をつくり出す作用があるということだ。それによって濡れてしまう人もいるだろう。恥ずかしくてたまらない人もいるはずだ。だが、恥ずかしさと卑猥感が自らをいっそう欲情させる。


 前述の「シャワー使ってるよ!」と言った友達も、おそらく自分の中に卑猥感をつくり出し、本能主導でシャワーを当てたから感じたのだ。一方、相談に来た彼女はといえば「本当に気持ちよくなるかな?」と思考主導でやっている。それじゃあ、気持ちいいはずがない。物理的な刺激も必要ではあるけれど、それ以上に重要なのが心のありようなのだ。


 セックスで本能に根づいた感情が出てこない原因は、いったいどこにあるのだろう? 意外なことに、「子どもの頃からずーっと自信がないんですよね」と彼女が言う。とてもそうは見えないが……。幼少期のことを尋ねてみた。親からの虐待などはなかったそうである。ただ、いまだに覚えている夢があるという。それはお母さんがタクシーに乗ってほかの人の所にお嫁に行ってしまう夢だった。夢から覚めてお母さんの顔を見たとき、彼女はわんわん泣いた。


 お父さんは女性をあまり大事にしないワンマンタイプで、暴力こそ振るわなかったものの、お母さんはずっと耐えているように見えた。いつかお母さんが出ていってしまうのではないかという不安が消えない。そのときは置いていかれる。お母さんから見放されてしまうと。だからいっそう彼女は自分がいい子でいなきゃと思ったのだろうか。


 僕はセックスのときに「甘えること」の大切さを伝えた。彼女の肩にはいつも力が入っているように見える。セックスにもそのモードを引きずっているのではないか。「あなたもダンナさんから甘えられたらうれしいでしょう?」と訊いたら、「うれしいです。よりどころにしてくれてるなって思いますし」と言う。頭では理解しているのだ。


 相談が終わって帰りがけ、ドアの所で彼女がぽつりと言った。「監督にも甘えられなかったですもんね……」。僕の前で素直に泣けなかった、とことん弱音を吐けなかったと言いたかったのだろうか。


 翌々月、編集した相談映像をチェックしてもらうため、彼女にはふたたび足を運んでもらった。「じつは夫には、監督に相談に行ったこと話したんです。全部話して、セックスのとき彼の目を見て、初めて『可愛い』『愛おしい』と思いました」。そう話す彼女は、2カ月前よりも色っぽくなっていた。


 では、なぜ変われたのだろう? 彼女はこんなことも言っていた。「相談した日の帰り、涙が止まらなくて、家に着いてからもずっと泣いていました」。でも「なんで泣いているのかわからず、自分でも混乱してしまって……」と。


 僕は、彼女の心のフタがちょっとだけ開いたのではないかと思った。しっかりしているぶん、これまでいろいろな思いをその場その場で溜め込んできたフタが。涙が出ても原因が今、目の前にあるわけではない。だから本人は泣いている理由もわからず混乱した。けれども“かくあらねば”という重しが外れたことで、もう肩ひじ張る必要もなくなり、ダンナさんに相談のこともすべて打ち明け、素直に目を見られたのではないか。イクことよりも、もっと大切なものを彼女は手にしたのである。







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