「己のニュートラル」,そして「前を向け」の「前」への自覚

 最近のゲリラ豪雨ときたら本当に参ってしまう。駅を降りた瞬間,5 粒くらい来たと思ったらもう 1 分もしないうちに水たまりができるほどの雨。たまらず喫茶店に逃げ込んで雨上がりを待つことにした。

 370 円のアイス・ラテが底を見せる頃,気もそぞろに外を見てみる。さっきより暗くなったが雨は上がった。これがラスト・チャンス。バスに乗り込み,10分後の我が家まで逃げ切りを図るしかない。バスで10分弱,降りて家まで徒歩 5 分。あと合計で15分,それまで天気よ持て。もってくれ。とにかく家までたどり着けば。──あっ,あーーっ。

 ものの数分の後だった。
 さっきザーッと降って止んだはずの雨が,今度はゴーッという雨になってバスの車窓を埋め尽くした。

 最寄のバス停を告げる自動放送。
 退路は,絶たれた。

 家に着けば,全身濡れ鼠。あの370円は一体何だったのか。そもそも,雨が降るからと,わざわざ電車ではなくバスを選んで徒歩時間を短くしようとしたのだが,そのバス代200円も一体何だったのか。そして,ことごとく裏目に出た行き場のない思い,pricelessは一体どうなるのか。
 ……つまるところ,これ,ツキすぎ,憑きすぎじゃないのかと。
 で,当然次にこう思うわけである。どこで返ってくるんだ,この運気は!

 ……

 守衛日誌にこんな記事がある。
 曰く,自分が享受している状況と,自分のニュートラルポジションを自問すべし。これを,当随想録で,どのようにとらえてみようか。不易を問うならば,きっとこうだ。

 「自分のニュートラルポジションを自問する」とき,我々は「悪いことがあればいいこともある」という事例を,過去の体験にさかのぼって思い出そうとするだろう。すると,こういうことは考えられないだろうか。その行為自体が,自分のニュートラルポジションをプラス方向へ押し上げる,という可能性。

 つまり,何というか,ですよ……
 「自分がどこを向いているか」を問うた時,自分が向いている方向が,自然と「前」と呼ばれる,そういうものなんじゃないの? 「つらいときこそ前を向け!」というありふれた言葉だって,意外とそんなふうに簡単な話なのかもしれないし。

 「悪いことがあった後にいいことがある」とは幻想ではなく,かといって事実でもなく,当然ながら,己の解釈ひとつ。ニュートラルポジションの自覚──それが,幻想を「事実」たらしめるひとつの道標。どう,こんな考え方は?
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