2007年02月21日

長島愛生園

c08c5836.JPG2月17日 長島愛生園を研修に行く。

人権教育視察研修として、参加。
38名の参加者。
見慣れた顔も多い。

7時半に町役場を出発。
小浜西ICから舞鶴若狭自動車道を走る。

途中2箇所ほどトイレ休憩。
4時間ほどのバス旅行で、休憩のときはなるべく体操を心がける。

車内で、「ハンセン病 今を生きる」のビデオ視聴。
事前にネットで講演記録を読んでいるので、予備知識としてはまあまあかな。

長時間の車内で、今まであまり会話をしてないYさんと同席した。
新鮮な気分で話し合いができ、新たな発見も多かった。

「いったいおいくつですの?」
と聞かれ、
「実は、同級生です。」
会話の中で、同級生だとわかっていたが、わざと触れていなかった。
「お生まれは?」
「隣町です。」

「夜の介護で苦しんだ分、病院通いは苦になりません。」
「ということは、子どもには苦労させる必要がありますね。」


備前市で昼食であった。
半日バスの中の生活であった。

「買い物をする場所があるでしょうか?」
「研修ということで用意はしてないのですが・・・遠方でもありますし・・・」

食事を早めに済まし、備前焼だけは買っておこうと思った。
ビールを飲むコップがいいと聞いたので、購入する。

焼き物でビールを飲むのは、初めてであった。
帰宅後早速使ってみたら、なかなか乙なものである。

「日本六古窯は、瀬戸・丹波・常滑・信楽・越前・備前焼きです。」
バスの中でガイドさんから教わっていた。
そういうと素焼きのままで、信楽焼きと似ているなあと思った。

吉備団子も買った。
「黍は黄色だったね。何か桃太郎が食べた団子という感じはしないね・・・」


長島架橋運動によって実現した邑久長島大橋を渡る。
「こんな近い島に、橋がなかなかできなかったとは?」
「隔離という目的があったからでしょう。」
「運動の成果ということです。」

瀬戸内海の美しい景色が見られた。
しかし、ここに厳しい歴史が残っていた。

最初に入った歴史館で説明を受ける。
「ここは、事務本館のあったところです。」
「らい病と奈良時代から嫌われていた病気のため、完全隔離されていた島です。」

島だけで通用する貨幣まであったという。
世間から完全切り離されたところで一生過ごさなければならい境遇は、想像もできない。

不治の病・伝染病などと言われ、警察によって、強制収用された。

プロミンという特効薬など医学の進歩により、ハンセン病は治る病気となった。
現在ここに入所されている患者は、全てハンセン病は完治している。

長島事件・「人間回復の橋」の要求・人権回復の裁判闘争・社会復帰の困難・強制労働・人工中絶・断種手術・胎児のホルマリン漬け・偽名(本名を名乗れない)・・・など多くのことを学ばせてもらった。


雨の中、万霊山の納骨堂を見学。
家族に引き取られない遺骨が、何体も安置されているという。
亡くなってからも、親・家族から切り離されている遺骨に、涙する。


帰りに、道の駅「黒井山グリーパーク」に寄る。
「ままかり」など、土産に買って帰る。
何となく気が引ける。

8時半過ぎ帰宅。









この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/yskz1/51439187