52706f8b.jpg日経新聞夕刊に掲載されているコラム「プロムナード」で、8月18日付けの直木賞作家・坂東眞砂子さんが寄稿したエッセイがネット上を騒然とさせています。坂東眞砂子さんはエッセイの冒頭で「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている」とし、家の隣の崖の下の空き地に、子猫が生れ落ちるやいなや放り投げ殺しているという主旨の記述をしています(画像をクリックすると拡大されます)。
このことについて思うことを少し。
坂東眞砂子さんは、平成8年11月・新潮社刊の『山妣』で第116回直木賞を受賞した女流作家で、現在はタヒチに在住。
その坂東眞砂子さんが、タヒチで猫や犬とともに生活をしていますが、なんと自分が飼っている猫が産んだ子猫を崖の下の空き地に放り投げているとのこと。
さて、以下が、新聞に寄稿された内容です。
 こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。
 家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、そこに放り投げるのである。タヒチ島の私の住んでいるあたりは、人家はまばらだ。草ぼうぼうの空地や山林が広がり、そこでは野良猫、野良犬、野鼠などの死骸がころころしている。子猫の死骸が増えたとて、人間の生活環境に被害は及ぼさない。自然に還るだけだ。
 子猫殺しを犯すに至ったのは、いろいろと考えた結果だ。
 私は猫を三匹飼っている。みんな雌だ。雄もいたが、家に居つかず、近所を徘徊して、やがていなくなった。残る三匹は、どれも赤ん坊の頃から育ててきた。当然、成長すると、盛りがついて、子を産む。タヒチでは野良猫はわんさかいる。これは犬も同様だが、血統書付きの犬猫ででもないと、もらってくれるところなんかない。
 避妊手術を、まず考えた。しかし、どうも決心がつかない。獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。
 猫は幸せさ、うちの猫には愛情をもって接している。猫もそれに応えてくれる、という人もいるだろう。だが私は、猫が飼い主に甘える根元には、餌をもらえるからということがあると思う。生きるための手段だ。もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう。
 飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれている。しかし、それは飼い主の都合でもある。子猫が野良猫となると、人間の生活環境を害する。だから社会的責任として、育てられない子猫は、最初から生まないように手術する。私は、これに異を唱えるものではない。
 ただ、この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。
 愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。生き延びるために喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。人は神ではない。他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。どこかで矛盾や不合理が生じてくる。
 人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない。それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
 私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。(作家)
坂東眞砂子さんは猫が子孫を増やす本能を持ちえている限り、子猫を産むということは自然の摂理にまかせ、生まれてまもない子猫は何もわからないから殺しても問題ないと考えているようです。結論では、飼っている猫の避妊手術は猫にとって苦痛を伴うものなので手術は行わず、生まれてきた子猫を殺害するということで猫を増やさないとしています。また、猫だけではなく犬も殺しているようです。
坂東眞砂子さんは「愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ」と記しています。そう記しながらも坂東さんが猫を飼っているということに矛盾を感じます。また、エッセイからは猫を半野良状態で飼っていることが読み取れます。半野良は飼い主からは餌をもらうことができ、行きたいところへ自由へ行けるといった、猫にとっては自由であり本能を満たすことができる生き方です。しかし、餌をやり育てている以上は、それ以降も責任を持つべきでしょう。飼い主のエゴまるだしですね。

飼い主の手で愛猫の子猫を殺めるという行為はとても残酷だと思います。何も知らない親猫は不憫ですね。
私も猫を飼っていますが、子猫を生んだばかりの親猫は人間と同じように身体がまだ元に戻っておらず、そのため精神状態も不安定です。そして、子育てのための母性は人間と同じです。そんなお乳も張った状態でまさに子育てをしようとしている親猫から子猫を引き離し、崖から下へ放り投げるとは、私には考えがたいことです。半野良で過ごさせるならば飼い主として猫に避妊手術を受けさせるか、安易に野放しにせず、家の中だけで飼うべきだと思います。

日経新聞の「プロムナード」では、おそらく日本のペット事情などを鑑み、飼い主の都合で犬や猫の避妊手術をしたり、飼えなくなったからペットを捨てるといった身勝手な飼い主への警鐘として、タヒチに住み、犬や猫と生活をしている坂東眞砂子さんにタヒチの現状と飼い主としての責任についてを寄稿したのだと思います。しかしながら、日経新聞は原稿依頼する人を誤ったようですね。

大学入試の国語の問題でない限り、エッセイに対して作家の意図を深読みする人はそう多くはなく、さらっと読んで、その文から何かを感じる程度でしょう。
「坂東眞砂子」と言う作家の作風を含めてインパクトとしては強いエッセイですが、作者に対する不信感が増幅したことは否めないと思います。

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