本日6月8日は、私の父親の誕生日である。生きていれば丁度100歳、1世紀になるのか。ハイカラさんが通る時代の生まれである。時は大正から昭和初期の激動の時代である。陸軍の一員として、満州に渡ったそうである。当初は、車両などの修理にあたる技術技師としての任務であったが、戦地では思うに任せない。色んな事があったそうである。ちなみに、これらの話は父の死後に全て母親から聞いたものである。

 中国では、「体の一部を失ったら、来世ではカタワで生まれてくる」という考えが当時あったらしい。だから、戦地で命の取り合いになった時は、「銃で心臓を撃つか、銃剣で刺してくれ」と言うらしい。最初にやったのは、銃で撃てなくて、谷底に突き落としたらしい。それでも本来の任務からか、前線での戦闘にはあまり参加せずに済んだらしい。曰く「6人」を殺したそうである。終戦時、大陸からの帰還は本当に大変だったらしい。ロシア軍が追ってきて、寸でのところで逃れる事ができ、命からがら 帰ってきた。仲間は沢山殺されたらしい。

 帰国後、一貫して車関連の仕事をしていた。高度成長期は本当に凄かったそうである。本人は本当に寡黙な人で、子供の私もほとんど話をした記憶がない。戦争とはいえ人を殺したことが影響してか、今振り返れば、ずっと心の中で苦しんでいたのかもしれない。また、とても恐ろしい面を持っており、私が一番記憶している父の言葉は『舐めたことしたら殺すからな』である。 私は2女3男の末っ子で、通常は甘やかされて育ちたいところだが、そのように接してもらった記憶はほとんどない。まあ、その分、母親がいたので助かったか。

 私が小学校5年生の時、父が癌に罹ったことを母から聞いた。その時のショックたるや、思い出すだすのも嫌である。自宅療養で苦しむ姿を見るのはかなり辛い。かなり生活も苦しくなり、私は小学5年生から中学3年の夏まで、朝刊の配達をして自分の学費としていた。つくづく新聞配達に縁のある私である。そして遂に中学2年の終り、最後は病院で亡くなったのだが、自分は信じられなかった。正月3日のことである。自分の親が死ぬのは想定していなかったので、「意味が分からない」といった感じ。

 振り返れば、私は父の遺伝子を本当に色濃く受け継いでいる。非常にきつい性格であるし、ずけずけと直接相手に物を言う。回りくどいことは嫌いである。性格的に、そろそろこのブログやツイッターも限界に近いところに来ているのかもしれない。ただ、ブログは自分の歴史をきちんと残す上でも頑張らないといけないと思っている。頑張ろう。自分が今ここにいるのも父親のお陰である。志半ばで死んでいった父の代わりにも、私も残りの人生を疾走したいと思っている。どこにいるかわからないけど、父さん、誕生日おめでとう。俺は、反省はしつつも、悔いなく生きてるよ。






 

 私の今後の事業3本柱の一つ、『飲食事業分野』について、少々書きたいと思う。このところ、色んな物件などを探しながら、昔お世話になった先輩に相談していた。儲かる儲からないは別として(赤字はいかんが)、『居酒屋』をやりたい。別にチェーン店化を目指すわけではないが、まずは1店舗、しっかり基礎を固めノウハウを蓄積して進めていく予定である。

 問題はスタッフなのだが、先輩と相談する中で、「将来的に独立を目指しているいい人材がいる」とのお話をいただき、その方ともお会いした。 やはり、自分の店を持ちたいと思っている人間は「目つき」が違う。全身からやる気が漲っている。先輩は、札幌で6店舗の飲食店を繁盛させている、私から見たらある意味天才である。あまりに感性が鋭すぎて、誰も気付かないところに気付いてしまうような人。さすがに6店舗を経営すると、人材育成とその人の将来展望に悩む時があるらしい。そこでお願いした。「私が店を出すにあたり、人材供給の面で協力してもらえないでしょうか」。しばらく考えた後、お互いの利害が一致したのか、OKがでた。先輩の会社で育てられたスタッフを、私の店に出向してもらう。『コンサルティング契約』的な合意が出来た。今後は、その中身を詰めて行って、正式に契約書を交わすことになるであろう。

 先輩は52歳で、60歳には リタイアし、その後は人生を謳歌したいという人生設計の持ち主である。これまでの30年に渡るこの業界での経験を、しっかり学びたい。なおかつ、今までも、多くの独立支援を行ってきており、その数は20店舗を超え、さらに道外にも及んでいるそうだ。これは、私の方向性と合致する部分が多々あり、先輩のリタイア後は顧問としてお迎えできたらいいなと思っている。先輩も、リタイア後は日本中を旅して回りたいそうで、この点でも花が咲いた。なんとなく目途が立ってきた。

 まずは決める事が先である。年内、特に忘年会シーズン前に1店舗出すことに決めた。 店長・料理長候補もご紹介いただいた。今後はこの方たちと、物件を含め、業態の詳細を決めていくことになる。 非常に楽しみである。現在の焼肉店もなんとか起動に乗っているし、毎年、2業態ずつ増やして行きたい。3年後には5業態、これでもって、全国主要都市に進出する。とうとう道民ではなくなってしまうのか、俺も。全国展開できたら、東京に移住するつもりだ。生まれ故郷の茨城も近いし、なんといっても、昔落っこちて命を落としかけた川にはお礼参りに行かなくてはならぬ。

 将来的には、札幌、仙台、東京含めた首都圏 、新潟、名古屋、大阪含めた関西圏、福岡に拡げて行きたい。一体、どれくらいかかるのだろう、夢は膨らむ。元気に働けるのも、多分あと30年がいいところ。やれるだけやって、後悔なく人生を終えたいと思っている。
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 ある方から『何回ナンピンするんですかw』とのDMを戴いたので、これについてお答えいたします。これは、「資金管理」「メンタル」とも関連しているので、自分でも重要だと考えている為です。手法のことは今は省きますが、「資金管理」が最も重要だと思っています。これは、自分が過去に2度の退場経験があることも関係していますが、兼業であることとも結びついています。 

 一般的に兼業の場合、時間的制約があり思うようにチャートは見れません。尚且つ、ある程度の年齢になれば家庭を持ったりし、考えなければならないことや色んな悩み・葛藤がより多く生じてくるように思います。このような環境の中、相場と向かい合わなければいけないのが現状だと思います。目の前で、現実に自分のお金が減っていくのを目の当たりにすると、それが日常生活に影響したり、又、その逆に、日々の自分の心理状況が、相場に向かう自分の判断に影響したりします。このように、人間は「メンタル」に左右されて生きる生き物です。あえて言えば、弱いものだと思っています。

 その、揺れ動きがちな「メンタル」をどのようにコントロールするのか、これは相場に向かうにあたり非常に重要です。これが私は「資金管理」の重要性だと思っています。単純に、1円相場が動いたとしても、『あららw』と思えるようなレバレッジ管理をしていれば、日常生活にもさほど影響は出ないと思います。つまり、「徹底した資金管理ルールを作り、それを厳格に遵守する」ことが最もベースにあって、その上で、「手法の確立」と相俟って『勝てる優位性あるトレード』が できるようになるのではないかと考えています。

 前置きが長くなりましたが、以上の前提の上で、私のナンピン肯定手法が成り立っています。簡単に言うと、私はどれだけナンピンしても、「レバレッジ10倍」を超えたことはありません。普段は2から5倍の範囲内でトレードしています。 私のナンピンは、簡単に言えば平均レートを上げたり下げたりするだけで、方向さえ間違いなければなんとかなるかな、と過信して過去にも塩漬けポジを持ったりしているようなシロモノです。大まかには、仮に最初のポジションが1枚だとすると、
 ①ナンピン1回目 1×2=2枚
 ②ナンピン2回目 2×2=4枚
 ③ナンピン3回目 4×2=8枚
 ④ファイナルナンピン 8×2=16枚
このような感じで倍々で行っているだけです。大事なのは、④の段階で、レバ5倍以内に抑える事。何故かと言うと 、私の性格上、これでも相場が言うことを聞かない時、
 ⑤怒りのファイナルナンピン 16枚×2=32枚
が発動する可能性があるからです。それどころが、急激な変動があった場合に、④を飛び越えて、いきなり「怒りのフェニックス5倍ナンピン」などをやらかしてしまうからです。本当に、方向が違っていた場合、えらいことになります。ですので真似することは危険ですので、軽く『アホがいるな』位に考えていただければ幸いです。

 以上、くだらない文章でしたが、今後はもう少しテーマを絞って、何か書ければいいかなと考えています。 なんかブログの内容が、当初の予定と変質してしまいそうで怖い感じがします。

 
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