自転車日本縦断の夢

自転車で日本縦断をするまでの計画と記録

 2日目は、盛岡からはやぶさ1号に乗って八戸を目指した。「大人の休日倶楽部パス」のせいで,はやぶさ1号は盛岡より北でも満席で指定席がとれなかった。「自転車日本縦断の旅」で北海道を目指した時は朝早いはやぶさ号に乗ってもたいてい仙台や盛岡で降りる人がいて青森近くでガラガラだった印象なのでびっくりである。北海道を目指すご老人が多いのであろうか。
 そんな訳で、盛岡から八戸までは何人かの人といっしょにデッキに立つことになった。31分間だから苦にはならないけど複雑な思いである。
 今回3つめのお城は根城である。これも100名城に入っているが、1334年という建武時代の城館なので仮に建築物が残っていてもいわゆるお城らしい建物はない。昭和53年から約11年間掛けて発掘調査が行われ、史跡の主要部分は、平成6年10月「史跡 根城の広場」として公園化されて、本丸跡には、主殿を中心に、工房・板蔵・納屋・馬屋などが復原されている。
 八戸駅からのアクセスは大変悪く、駅の観光案内所で聞くと1時間に1、2本しかないバスの時刻表をくれた。次のバスは列車の到着から30分後であった。根城跡はきれいな公園になっていて芝生の広場が広がっており、ちょうど近くの保育園の園児達が遊びに来るところだった。
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立派な門があったが、これは旧八戸城の門で根城のものではないらしい。門を入ると薬草園や芝生の広場が広がっていて、5分ほど歩くと塀で囲まれている主殿跡についた。
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ここから有料区域で、入場料を払って、復元東門を入ると、中央に主殿が復元されている。
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根城は1627年に南部氏が領地替えになるまで約300年の間に16回も立て替えられたそうで、復元されたものは最後の方の安土桃山期のものだそうである。城館といっても信長が安土城を築くまではこの程度のものだった。



中の橋を渡ると左側に城跡公園が見えてくる。入り口の所に地図が出ていた。
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今回訪れる東北のお城は、城郭風建築物がないところばかりで雰囲気がつかみにくい。盛岡城は南部氏のお城で日本百名城にもリストアップされているように、かつては立派なお城が建っていたらしいが、明治の廃城令の後、荒廃して建物はみな取り壊されてしまった。その後公園になったが城跡としての整備はされていないようである。、最近になって「城跡」をアピールして、建物の復元などを目指しているようだがなかなかうまくいかないらしい。
 入り口の近くは神社になっており、これを回り込んで進んでいくと立派な石垣が現れる。東北地方では総石垣のお城は珍しいという。
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石垣に沿って進んでいくと本丸方面への登り坂になり、向こうに本丸と二の丸をつなぐ朱塗りの御廊下橋が見える。何やら工事中である。
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本丸跡に登って見るが、櫓があったところは広場になっている。本丸御殿跡には銅像の台座だけが残っていた。後で調べてみると、これは南部家の子孫で日露戦争に従軍した南部利祥の銅像跡で、太平洋戦争の軍事供出でなくなったものだそうである。城跡としては顧みられていなかった訳で何重にも興ざめなものであった。
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本丸から御廊下橋をわたって二の丸方面にいくと、石川啄木の歌碑があった。
不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心
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城跡を後にして少し北に向かい、裁判所の庭にある石割り桜を見てからバスに乗って盛岡駅に戻った。
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多賀城駅から仙台に戻り、東北新幹線で盛岡に向かう。次の目標は盛岡城である。盛岡駅の観光案内所で地図をもらって、駅前からバスに乗り、盛岡バスセンターで降りる。目の前に大きな赤レンガの洋館作りの建物がある。1911年に落成した旧岩手銀行本店の建物で、2012年に銀行としての営業を終了して,今は観光用に公開されている。
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見た感じが東京駅に似ていると思ったら、辰野金吾さんの設計であった。こういう洋館ふうのたてものが地方の有力銀行の建物として残っているのはいくつか見たことがある。中に入ると銀行営業時の雰囲気がそのまま保存されている。
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赤煉瓦館を出ると市内を流れる中津川を中の橋でわたる。
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