2018年10月03日

Gunslinger Girl(s) 殺人少女兵(たち)

gunslingergirl標題の漫画作品を読んで、非常に感心した 設定がイタリア南北問題に由来するテロリスト集団と政府秘密組織との戦いを描いたものなのだが、非常にありそう いろいろ悲惨な状況(一家皆殺しの生き残りだったり、人身売買の生き残りだったり)のサバイバーである少女に「義体」(=サイボーグ化)を与え洗脳し暗殺者(=兵士)に育てるというものだが、サイボーグのとこだけSFだがあとは非常にありそう 実際にISなど少年兵を使ったりしているのだし

感心したのは、公社(対テロ組織)に拾われた少女たちに与えられた第二の「生」が、すべてが不幸だとは言えないところ いや、不幸なんだけれど 彼女たちは与えられた運命にただ恭順するのではなく、ある者は第二の「生」に感謝し、ある者は自分の「存在意義」について悩み、「生きるために戦う」と覚悟し死んでいく。(洗脳されているのに判断力があるのは現実と違うところ) イタリアの文学・芸術にも造詣のある作者さんのようで、そのへんも楽しめるところ

一番なるほどなぁと思ったのは、そういう少女兵に警護される政府の要人(=善良な一般人)が少女兵に嫌悪感を示したのに対し、少女兵の担当官が「見たくないものには目を瞑っていればいい。でもこれが我々の仕事」と言うところ。我々恵まれた一般人からすると子どもの兵士というのは目を覆いたくなる忌避したい現実。でももし誰かに汚れ仕事を引き受けさせ、その犠牲となる子どもがおり、その上に自分の平穏な生活があるとしたら、「理想的」なことだけ主張してていいのかな? 自分のように理論だけ先走るタイプだと「理想」を言って満足してそう。気をつけねば

作品はフィクションなので美しい。例えば「前世」がバレエダンサーであった少女兵が、サン=サーンスの瀕死の白鳥の舞を踊るところとか。音楽をかけながら読むと泣けること間違いなし。作品としてはよくできている。

というわけで、作品としてはこのくらいで。もっと悲惨な現実について少々。戦争や難民問題で最も皺寄せがいくのが少女たち(と言ったからといって、「少年」を無視したいわけではないのだが) というのも「女」であり「子ども」であるから、二重に不利なのだ その「用途」は主に性奴隷 上記作品では「性」の問題には触れられていなかったとせい思う(触れるとエグくなるというのが一点と、実際にその作品は「少女の性」をオブラートにくるんで商品にしているため、読者に気づかせてはならない。読者は不幸な境遇の少女たちに感情移入しつつ、彼女たちを「愛し」=「消費」していく。フィギュアが売れるのも結局は性欲だと思うけどね)

兵士にされるのは主に少年だろうが、少女はさらに使い道がある 労働力として性奴隷として(成人兵士の褒美の品 or 広告塔)、兵士の供給源(=出産)として 子どもを兵士にするのも現実の方がワケもない 洗脳は、作品にあるように麻薬を使わずとも簡単にできる。相手が子どもだからというわけではなく、洗脳自体がとてもお手軽なのだ D・W・ヘブ博士が行ったX-38という感覚遮断実験を基にしたJ・ヴァーノンによる実験で、堅実なクリスチャンを見事イスラム教に「自発的に」改宗させた(感覚遮断状態に置かれると脳が情報を渇望するようになるため)

洗脳だけでなく、生存本能に根差した「慣れ」も相当なもの 殺しが日常だと最早倫理の入る余地はない ISのある少年兵たちは無抵抗の妊婦を惨殺し、中の赤ん坊が♂♀かを賭け、それを確かめるために子宮から赤ん坊を引きずり出す ただのゲームである 私はインドネシア宗教戦争の所謂POSOの映像を観たことがあるが、その反応をここに正直に書きたい 映像が流れる間、最初こそは戦々恐々としていたのだが、僅か5~6分の間に慣れてしまった 銃弾に首を貫かれた赤ん坊は「肉塊」であったし、死体は映画と違って非常に淡々としていた そして日常生活を送るうち「忘れてしまった」。ただダメージは後から来る。生徒たちを教えているうち、彼らを「可愛い」と思った時に、POSOの映像がフラッシュバックした 目の前の子ども、POSOの映像に映った子ども 同じ子ども それらが肉塊となった 自分の全身の血が一瞬にして死体と共に腐った気がした 戦争などで引き起こされるのは「死の恐怖」であり、そのあまりの恐ろしさにより生存本能で人は感覚麻痺を起こす(=ショック状態) そして平穏な生活に戻った時に、その際抑圧していた感覚が蘇る(=フラッシュバック) ああ、こんな風にベトナム帰還兵はPTSDになったのだなと理解できた 結局POSOを観て、大いにダメージを受けてしまったのだが、身体で勉強できたので結果的に観て(私にとっては)よかった 戦争や紛争を起こす世の中にしてはならない、平和を維持せねばならないと改めて思えた(だが、判断力のない者や興味本位の者は観るべきではないと思う)

現在、虐待に関する本(『誰か助けて』)を読んでいる 最近児相に関わっている子どもが生徒の中でも増えているからだ 勿論分を超えるので、こちらからその点で生徒に干渉することはない 「助け」は子どもが発しているのかと思った が、この本の中には親権や住居不可侵などの法律に阻まれたり、そういった子どもに関わる大人たちが助けを求めている ある意味「救いようのない」現実がそこに書かれてある

というわけで、標題に戻ってくるのだが、「臭い物に蓋をする」のは簡単だ 見なければいいのだし、見なければ平和で穏やかな毎日を楽しく送っていられる 私一人が悩んだところで何も変えられないだろうし。けれどこういう悶々とした?大人たちが集うことで何かが変わるきっかけにもなることを知っているつもりだ 虐待に関しては法改正が最もドラスティックな変化をもたらすと思うのだが、どうなのだろうか 兎にも角にも、自分の職業上の責務として「知る」ところから始めねば、と思った次第である

  

Posted by yu1231 at 16:23Comments(0)

2018年08月23日

S高校 小論文指導

全10回で依頼された仕事で、9回まで終了した 一安心

今年は徹底的に面倒を見た 今まで生徒が何がわからないのか皆目わからなくて、悩み通しだったが、「何も」わからないのだということがわかった つまり、何か理解を妨げる障害があり、その障害を取り除けばよいと考えていたのだが、そもそも障害どころか「何も」なかったのだ なるほど、それでは1からではなく、0から教えなければ書けない訳だ

そこでフォーマット(思考の枠組み)を叩き込み、覚えさせたのち、さまざまな課題(レベルは順次上げていく)に対応する既存の型を作り、例示することにした

真似をするだけだとダメかな、と思ったが、随時書けるようになってきたので、まずよしとしよう

取り敢えず、面倒を見れば見るほど生徒が可愛い

W大国際教養に行きたいという生徒がいたので、これもきちんと面倒を見ようと思って過去問を(英語の長文を読み、英語で論じる)やらせていたのだが、来なくなってしまった S君にはH大GISの問題も用意していたのだが、諦めたのかな

W大国際教養の問題は面白くて、自分で解いていてワクワクした 特に、フロイトの孫の画家について文章があり、設問でテクニカルな人工物が人間の“self”を描くことが可能か、妥当か、望ましいか問う問題が面白い 要するに出題者の頭の中にはフロイトのSelbstの概念があるというわけだ ミニ知識として簡単なことだけ教えてあげようと思ったのだが

そして生徒に講義するとき、自分の言葉を彼らに伝わるよう、わかりやすい言葉に訳して話すのが面白い 日本語→日本語の翻訳みたい(確かに英作をする時など、一旦英語的表現に落とせるように、まず日本語の文章を解体する あ、文章ではね 会話はまた違う脳を使うようだけど)

彼らが「見てくれ」と言って持ってくる問題も、畑違いの問題が多いわけなので、さまざまな分野の一端が知れて勉強になる


  
Posted by yu1231 at 21:47Comments(0)

2018年06月21日

鬱回復期 から見たアナ雪

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雪だるまつくろー♪ と、3月に雪降った時、吹きすさぶ雪の中雪だるま作って、冷凍庫に放置してたら乾燥してこうなった 宇宙人作りたかったんだっけ? 目玉は梅干しの種です 他になかったの 私南高梅しか食べないから梅干しがデカいんだよね(そんな問題でもないのかな)

という訳でアナ雪です youtubeで¥300で観たよ 巷に蔓延る「ありのままの〜私〜にな〜る〜の〜♪」というなんだか自由そうな格言(?) ここではエルザがもし鬱病患者だったら…という体で別解釈しようと思います 取り敢えず、ありのまま=自然(じねん)というのは実際にその境涯に達しようとすると非常に難しい話になります 私の言葉だとごちゃごちゃするので、鈴木大拙先生に簡潔にご説明頂きます

哲学者の語る「ありのまま」

「畢竟大徳在」:個であり、同時に個でない。
「千聖亦不識」「我不会仏法」:この不会底、この不識底において、一点の自知があるとき、入処があった。

一言で言うと、西田幾多郎の言う「自覚」でしょうし、「絶対矛盾的自己同一」でしょう(私は自分の言葉で説明しようとしたことがありますが、失敗しました アホは先人の言葉を使っていればよかったのだ)

さて、鬱から回復したいだけなら、こんな難しいことを考えなくても、厳しい修行を積まなくてもいいのです だから別に「ありのまま」を目指す必要もありません

鬱病エルサはどうすればよかったのか?

鬱病から回復したい時、知っておきたいのはストレスに対する自分の傾向性です 『うつヌケ』の著者の方は激しい気温差への対処が必要だったみたいですね これも人それぞれなので、なんとも言いようがないですが、辛くなければ記録をつけておくというのは割と有効だと思います

で、エルサですけど、なんでも凍らせちゃうんですよね その性質をもう隠さない!とするのは別にいいのですが、ストレスへの対処のし方が代わり映えしません アナを傷つけた時、エルサは自室に引きこもりました そして国民に「魔女だ」と責められた時も山に引きこもったんですよね 要はエルサの傾向性としてはヒッキーだということです 別にそれは悪いことではないです それで事態が悪化するのでなければ

でもエルサが引きこもることで王国凍っちゃったよね? エルサは女王だし、どうしてもお仕事があったのです 王国へ帰るっきゃない ディズニーだとこのへんはなんやかんやでうまくいくのだけど、現実だとそうはいきません エルサはこのストレスフルな事態に対処する必要があります とすると、ここは愛の力とかいう一時的な躁的防衛に頼るのではなく、認知行動療法的に言わば、行動的なアプローチをした方がいいのでは?

まずはその ー分はストレスに対しては常に回避行動をとるようだ、との自覚をしつつ

現実的アプローチとして
     ◆々駝韻慷解を求める
      それが難しそうならば、矢面に立ってくれる人間を擁立し、自分は後見に立つ

など、他にもいろいろ解決案がありそうです アナもきちんと話せばサポートしてくれそうですし、アナは社交的っぽいので、いろいろ折衝役で働いてくれそうでは? 等々と考えていけばよいのです

つまり、山にこもるか、女王として職務を全うするか、という all or nothing の二択でなくても構わない、ということです 苦手なことは苦手なんですから、ストレスを軽減する方向でいろいろ考えてみては?ということなのです

グレーゾーンを増やすと心の負担も軽いです 私もそれで大分ラクになりました


  
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2018年02月11日

『しまなみ誰そ彼』

LGBT の入門書のような…… でもこういう偏見や悩みはあるだろうなあ

ジェンダーについてはグラデーションでよいと思います てか、異性愛の場合何も問われないのに、LGBTについてはいろいろ聞かれるのも答えにくいよなあ 個人個人で違うし 自分が当事者であろうと自分でも自分がわからなかったり、LGBTで一括りにされても隣人のことがわかってるわけでもない訳です

実際異性愛だとそこにSだのMだの話題になってもよい?訳だし、好みも性癖も千差万別でも何も言われない訳でしょ? 理不尽だよね

印象に残ったのはTGの人に、悪気なく理解者のつもりで「障害なんでしょ? 夏美ちゃんは同性愛とかじゃないんだから(おかしくない)」的なことを言う小山さんという無神経な女性でした マジ小山死ねよ、と思いました 

一時期(今もですか?)椿姫彩菜さんがTGで講演とかされていましたね 彼女は自分の体験なら語れる訳です それは別によいのです ただ難しいのは「代表者のような顔すんな」とか批判された(らしい)ことです 講演とかするとどうしても「TGとは何か」的なところから一般論的に話さなくてはならなくなるだろうし、求められますよね そこで既にズレがあるんだよなあ(個人的には椿姫さんて成育歴やトラウマなんかで女性の中の女性を目指しちゃってる感じがあって、観念的な印象を受けました)


――閑話休題――


さて、この作品は尾道が舞台なのですが、私の生まれ故郷が尾道です 親近感 尾道の観光案内みたいにもなってます ジモピーは尾道の観光的なところを知りません 千光寺は行きました 桜の咲く頃行きたいのですが、混むのでイヤです 八朔ソフトクリームも食ったことないです(確かに尾道は八朔推し あとレモンも推し ぐいぐい推してくる でもいろんな柑橘系があるよ) 尾道ラーメンも出てきますが、ジモピーは尾道ラーメンという意識はないのでは(非常に個人的にお薦めのお店は「たに」です 叔母の教え子さんが営業しているからです あと美味かった思い出があるのは祖母の長屋の一角の中華ラーメン屋さんでした 尾道ラーメンではなく単に中華ラーメンで出てたような もう潰れちゃいました)

あと、食いものでは尾道焼きとかいうお好み焼きが出てきましたが、何それ知らない 中にそばが入っているのは知ってます 砂肝が入ってるらしいです 砂肝入りは食ったことないです 因みに大阪のお好み焼きは具材を初めからぐちゃぐちゃ混ぜたものを焼きます どっちが美味いか……? どっちも美味いと思います

さらに超猫がいる、とか描かれています そうかあ? そんなに遭遇しません 因みにノラ猫はジモピーには他の地域と同様に普通に嫌われています そしてサイクリングロードだそうな 確かに走っている人々を見かけました 感想はなんでわざわざ尾道くんだりまで来るんだろう?です え、尾道好きよ? いいところは田舎でのんびりしているところです


――閑話休題――


漫画の中ではチャイコフスキーの曲が頻繁に登場します 聴きながら読むとかなりいい 特に『ピアノ協奏曲 第1番』が流れるシーンは音楽のおかげもあって、美しくて(切ないのか)思わず目が潤みました 辻井伸行さんのピアノ好きです(最近はルービンシュタインのショパンばっか聴いてますが ルービンシュタインは遠い過去の追憶のような鄙びたショパンを奏でるので好きです)




  
Posted by yu1231 at 16:56Comments(0)

2018年01月31日

鬱回復記 却って悪化しちゃった行動

初夢で殺される夢観ちゃった なにそれ不吉

という訳で、鬱を治したいかー? おーおーおー! で、


検Г茲れと思って却って悪化させてしまった行動 について書こうかなと思います

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先ず頑張ろうと思ったのは、早寝早起き いや、いいんですよ 早寝早起き でもきっちりスケジュール通りやらなくてもいいのです 大体でよいのです でないと、できない時自分を責めたりするので 寝たい時は好きなだけ寝ちゃって構いません ただなるべく朝日を浴びるといいよ、ということです お日様にあたると気持ちいいですから

一年の計は元旦にあり〜 なるほど でも暫くすると(しかも1月中に)「計画崩れのあなたへ」なんて記事がyahooなんかに上がるのです ということは、殆どの人が元旦に計を立てても崩れちゃってるということです 「3日坊主」という言葉があることから察するに、大体の人が計画通りいかないってことですよね

△任た自分を褒めることにした

これも人によってはいいと思います うわあ、自分これだけできたぜ〜、偉くない?とドヤるのはアリだと思います 思っきりドヤればいいと思います でも私の場合、できたことを細かくメモし始めちゃったのです それでできたことに◎をつけ、大袈裟に自分を褒めました すると……なんでだか調子が悪いのです できることを細かく書きすぎて、結局できないことにフォーカスしちゃってました 要はできる、できないに一喜一憂しないことかな 日によってできたりできなかったりするので フラットに「ああ、今日はできたな」「今日はできなかったな ま、いっか」と受け止めるといいと思います

m的防衛に頼りすぎる

「躁的防衛」(manic defense)とは、M.クラインが提唱した概念らしいですが、細かいことはググってください ここでは超簡単に「鬱状態を避けようとしてカラ元気を出すこと」としましょう 健全な?例では、健常人?の場合、サラリーマンが仕事の鬱屈を払おうとして皆と酒を飲む 疲れたOL達がディズニーランドに繰り出す、リゾートに出かける なんて感じかな? でも鬱状態の人がもしひたすら酒に頼ったらどうなるでしょう 

で、わざわざなんでこれを書いたかというと、躁的防衛で乗り切ろうとしちゃう人が多いからです でも躁的防衛は基本元気の前借りなので、頼りすぎるとあとあとゴンッと鬱がまとめてきちゃうのです 知人の例ですが、その人は普段からテンションが高い人でした(今から思えば、テンション高くして自分の不安や焦燥なんかを見ないようにしてたんでしょうね) でもって10kmぐらい走り込んだりする(運動することによってドーパミンが分泌されます) そしてアルコールに依存する そんでゴンッと落ち込んでは私のとこに「死にたい」と夜中電話してくるのです

要するに、フラットに受け止めることが大切なんじゃないかな、と思いますよ


  
Posted by yu1231 at 20:52Comments(0)