<第5の手紙ーある音大生に宛てた書簡ー1976年10月>
「新宿にロフトを作る事にした」
「親愛なる**様。お元気ですか?烏山ロフトで君と出会ってから、
いや君と会って色々音楽論をかわしたりする事がめっきり少なくなってしまいましたね。
そして君もめでたく卒業しクラッシックの楽譜の会社に就職したと人づてに聞きました。
仕事は順調でしょうか?
さて今回の手紙も又店作りの報告です。
「又店を作るの?どこまで増やしたら気が済むの?」ってみんなから言われながら5年間で
烏山、西荻、荻窪、下北沢と店作りをやって来ました。僕は東京の色々な変化に富んだ街が
好きで、いざそこに拠点(店)を構えて見るとそれぞれの違った風景やそこに住み着いてい
る土地の人々や土着的ないろいろな文化的な事を発見するのが好きになってしまっている
ようです。
だから同じ街に何軒も店を作るって言う発想は僕にはないんだ。
多分一つの街に系列店を何軒も作る(吉祥寺のファンキー系列みたいに)ってその街の人達には信
用があって商売もやりやすいんだろけど、やはり新しい街の息吹というか新鮮さには勝てなくって
「あっ、この町に住んでみたいな」って言う感覚をとても大事になって来ているんです。
僕の仕事はそれなりに順調でその結果この数年僕の頭の中で「新宿にいけ!」って言う声がいつも
聞こえて来て居るんです。
もう日本のロック文化に関しては巨大ターミナルからの情報発信、言い換えれば今まで僕らがやっ
てきた沿線からのシーンが新宿や渋谷のライブハウスに絡め取られて行く時代が来たと言える事に
なると実感し出しているんです。
どうしても新宿にロフトの拠点を作る事にこだわっている本音は実はきれい事ではではなく、
弱肉強食のこの資本主義の中にあって勝ち抜きたいと言うのが本音かも知れない。
東京に一軒もなかった時代にライブハウス(72年段階では京都の拾得だけ?)を作り、
その後どんどん東京の各地に、いや全国にロックのライブはスが出来て来て、
それまで日本のロックの震源地はロフトからと言う気分がどんどん他の優秀な
ライブハウスにシーンが取って変わられると言う不安な妄想に入り込んでくる。
ロフトがシーンを作ってきたという自負はなくなりトップの座が危うくなってきているという
強迫観念が出てきているんだ。
僕らが乗って居るうちに、言い換えればまだ自分が若いうちに、恐れを知らずに猪突猛進をや
るのがいいかと
・・・そんな気持ちで今の僕は夢一杯なんだ。借金なんて恐れる事は無い。自分の限界点は、
「もし失敗したら、今までの全ての店を処分する。
そうすれば人に迷惑をかけないで終われる」と言う事だし、勿論一生借金を抱えて生きてゆく
なんて言う冒険はしたくないけど、今、いやこれからはロックの時代が絶対来る、新しく起こ
ったロックミュージックは確実に古い音楽を凌駕する。
ロックの時代が来ると言う確信が段々強くなってきているんだ。
先日西新宿で見つけた店舗物件は約70坪もあって今まで私がこしらえてきたライブハウスの
倍以上あるんだ。
僕はここで最後の勝負をしようと思っているんだ。
勿論これでライブハウス作りは終わりにしょうと思っての決断です。
また、どこかでお会いする機会がありますかね?
それともこの5年間続いた1年に一回の5通の手紙もこれで終わるのかな?
それも我々の知らない何かが決める事だと思っています。では、では。
「お手紙拝復。もう私は昨年から私は社会人です。
だからもうほとんど大学のあった仙川の街に行くこともなく、その隣町にあった小さなジャズ喫茶
「烏山ロフト」の私がこよなく愛していた午後のほんの小さな時間をわずかな料金と引き替えに
コーヒーとジャズを聴いて本を読むなんて、もう昔の夢のような出来事でした。
大学生活は楽しかった。
それも悠さんとロフトがあったからだと思っています。
今私は毎日通勤ラッシュにもまれながら会社の仕事に追われています。
でも決してロフトの事を忘れたわけではありませんよ。だってロフトって私の青春そのものですもの。
ロフトグループの躍進は時折耳にします。
その躍進が良いことだかどうかは解りませんが、かってロフトに通い詰めた私としてはただ昔のまま
のロフトであって欲しいと言うのはとても無理な注文だったのでしょう。次々に増殖して行くロフト。
一軒のジャズ喫茶を守り通してそこに集うお客さんをこよなく愛して一生を終わるという美しい選択肢も
あったでしょうけど、悠さんのバイタリティと性格上仕方がない事だと思っています。
そうです、報告するのを忘れていましたが、私来年結婚するんです。
でもこの1年に一回の不思議な交換書簡続けて行ければと思っています。
