ロフト席亭、平野悠の何でも見てやろう

ロフトプロジェクト代表、平野悠のBlog

週刊朝日に二本も記事が載りました。

先月の週刊朝日。
二本も私の記事が載りました。
「最後の読書〜命の大切さ」のコラム。
取材「森田童子の死」
です。IMG_2600IMG_2642

おじさんの失敗

「おじさんの失敗・・・・」

なんとも、もう1ヶ月近く、今年3月に歌舞伎町に苦難の末オープンしたロックカフェに
足を踏み入れていないというか、私がイメージしたロック喫茶の基本コンセプトの一つが
崩壊してそれがトラウマになって近づけないでいるのだ。

<若き日、ロックざんまいだった>
昨年のある時私はピースボートの船の上で何十年かぶりにロック(古典)にハマってしま
って、3ヶ月間海と風とお酒とロックに堪能していた。
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 船の上ではいつも巨大ヘッドホーンとサングラスでもてようと張り切っていたが(笑)

そんな時私は海を見ながら私の青春の頃、60年代後半から70年代前半の多くの若者を
魅了したロック喫茶やジャズ喫茶のそれは活気ある美しい光景を思い出していた。

あの熱気ある光景で私はロックのライブハウスを作ることになったのだ。
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船上でジャズ講座やロック講座を開いていて結構評判が良かったが、若者は来なかったな。
 

<聞くだけでなくロックを語りたい>
ロック音楽がこの世に登場して60年余り

「今こそ、ロックのあれこれを若い連中に伝える空間が欲しい」
と思った。船を降りたら新しいロック喫茶を作ろうと考え続けていた。

きっとこれが私の仕事の最後のテーマののだと確信していた。

私の第一義的な店つくりの課題は昼間の時間帯はこの空間を若者たちや若き表現者たちで
埋め尽くしたいと思っていてその勝算は十分あると踏んでいた。

一杯のコーヒ代もコメダ珈琲よりやすく400円とした。

若者たちにできたらいい音(高性能スピーカー)で、アナログでロックの音の繊細さとダイ
ナミズムを味わって欲しいと思って二階に「ロック道場」という爆音ルームを作ったが・・・。


<全く来店しない若者たち>
そんな鳴り物入りでオープンした店に、ロックを爆音でアナログで聞かせたいと、さらには
ロック論争があればいいと思っていたが、それは全くひどいくらいお客さんは来店しなかった。

これには絶句した。私は店にいるだけで胃が痛くなった。IMG_2407

 

もう昼間の時間帯の営業は諦めるしかなかった。
私はここで満員の若者たちに、いかにピンク・フロイドやレッドツェッペリンやグランドファ
ンンクがすごいか、若者たちのリクエストにはいり混んで聞かせ、勝負をするつもりだった。

もはや現代ロック衰退しヒップホップやラップに太刀打ちできないのだろうか?ちょっと悲しい。

<爆音の中ロックのあれこれを語ろう>
ロックカフェのもう一つのテーマは、週末に各界からナビーゲーターを招聘して、音楽にまつわる「
のうがきトーク」とその他何でもありというイベントを毎日開催することだった。

このイベントはそこそこ評判は良く、このシーンをさらに発展させたらきっと面白くなるとい
う確信が出て来た。

ロフトの社長から社員全員(50名以上)に一人1ヶ月に一回ずつロックカフェのイベントのブ
ッキングをすること、という業務命令が出された。

ロフトの各店の企画集団は1ヶ月500本の企画を作ってイベントしている。彼らはあらゆる業界に強い。

カフェのイベントのスケジュールは瞬く間に決まってゆく。
それはすごい。またたく間にあらゆる業界の人たちが参加しだした。まさしくその空間は「人間交差点」
になっていく。

ライブが終わってから朝2時までロック居酒屋として営業し、そこから何かシーンでも生まれたらいいなと思う。

出演陣はそれは音楽評論家諸氏から始まって、評論家、政治家、ライター、アニメ、AV、ゲイ、死体趣味
者や演劇、映画関係者と瞬くうちに広がって行った。


これが成功するとまたロークライブハウスと同じく新しいジャンルでもビジネスモデル
ができることになる。

<老兵は去るのみ」
それにつけても70歳を超えた私はもうボロボロで無責任だがあとは若い集団に任して
いくしかないと思っている。
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私だけの広場、我が家のベランダ。










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