2008年01月09日

連載肌を触れ合う健康法

バラ色の高齢者人生とは?

肌を触れ合う健康法

                      岩崎定夢

 インターネットブログ世界の反応の速さに驚いている。昨日から掲載し始めたばかりなのに、複数の友人から“健康に関する情報交換”の電話がきた。ブログの性格上、それも取り入れながら話を進めてゆくことにしよう。 

 業界紙記者クンからは「長野の病院へ見舞いに行った、というのは、国会タイムスの五味さんじゃないの?」だった。残念ながら、昨日「身近の5人が脳卒中で療養中」と書いたなかに五味武さんは入っていない。が、五味さんも1年半ほど前に脳卒中でたおれ、信州の療養所でリハビリテーション中である。

 いまや日本人の3大死因の一つが脳卒中である。脳のなかの血管が破れたり詰まったりする、いわゆる脳血管障害である。だが、罹病した人たちの症状は千差万別で、一言で「脳卒中」とくくりつけられるほど単純な病気ではない。五味さんの場合、失語症を伴う重症組で、完全治癒には大変な困難が予想されている。他の人からかかってきた電話は「小針さんが亡くなったけど、死因は脳卒中?」(週刊誌記者)「守屋さんは学会員だって?」(新聞社記者)などなどだったが、本日は割り込みで、健全な機能回復のために頑張っている五味さんの話を紹介しよう。

 五味武さんは1926年福島県生まれの、ミニコミ紙『国会タイムズ』創刊者である。その詳細はホームページ≪ http://www.grs-japan.net ≫を参照してください。ここでは、昨年、福田内閣が発足したとき、「官房長官当時の福田さんが差し出した200万円を、投げ返した人」とサンデー毎日に書かれて話題になった人、とだけ紹介しておこう。

 私が五味さんと知り合ったのは昭和40年代の、週刊サンケイ記者時代である。その後、1979年に岩崎企画()を設立。翌年『月刊フリーWriter』誌を創刊した私に五味さんから、「カンボジアの現状取材に行こう」と誘われた。カンボジアでは1975年にロンノル政権がポルポト派に倒され、カンボジア国民が隣国タイなどへ流出していた。

 この見捨て難い難民問題に対して、アジアの国の中では一番の経済成長国で、世界で最も豊かな国になっていた日本の“当時の状態は”こうだった。

 カンボジア独立運動クメール民族解放国民戦線のソン・サン議長のスポークスマン、ソン・カセイト女史が言った。

「正直な話、日本からの救難活動は、世界の他の国よりも遅れたことは事実です。“第2次インドシナ難民”の流出が盛んとなった1977年5月以降、推定で100万近い難民が、カンボジア国境から、タイに押し寄せました」

 これらに対して欧米のI R Cという国際救援委員会などは素早く難民救援活動に入っていたが、日本政府の対応のスローモーさは世界から非難されていた。

「そんなカンボジアの現況取材と、難民救済に行こう」と五味さんに誘われて私は、『政界往来』『月刊ペン』『日本の窓』『言論時代』『『東北財界』などなどのマイナー・ミニコミ記者ら21人と出立。まずタイ国へゆき、リエン国軍参謀長らと会見後、タイ国軍の支援を得てカンボジア入り。クメール・セリカのジェンデル将軍にインタビューした。

 カンボジアのヘン・サムリン政権に反対し、民主カンボジア建設をめざす抵抗3派――つまりソン・サン派(クメール・セリカ)、ポルポト派(クメール・ルージュ)、シアヌーク派の3派が、大同連合への道程と、シアヌーク殿下の動向をつぶさに見聞したのであった。

 そうしたなかで、「健康に勝る宝物はない」ことも知った。(つづく)

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yu_kenbi at 15:18│Comments(0)TrackBack(0)

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