現在、オリンピックの後、パラリンピックが開催されています。先日、家族の通う学校から、観戦希望を問うお知らせが来ました。そして後から、参加者にはPCR検査必須のお知らせも。若年層への感染が心配される中、やはりこのような観戦には不安を感じてしまいます。

オリンピックが開催される時も、賛否両論ありましたが、今は、救急車の搬送先がない、もしくは出られる救急車がないと言われ、状況は一層深刻化しているようです。

ワクチンについても、連日、様々な報道があり、日々、人々の不安を大きくしています。今の出口を見つけるには、これしかないように言われてきたのに、さらに出口までのゴールを遠ざけられた感じでしょうか。

ただ、これまでの経験則で言えば、だれもが風邪のワクチン(インフルエンザ等)の有効性は不確かなものに感じていたはずです。外の日差しを浴び、運動して、バランスのよい食事をし、笑って免疫力を上げる……今こそ基本に立ちかえるときのようにも思います。

そういえば、笑うだけでなく「感動して泣く」ことも、ストレス解消にはとても良いそうです。
アニメ映画ですが、先日自宅で「サマーウォーズ」と「虹色ほたる」を見て、家族ともども号泣し、とてもスッキリしました。

両方とも、この夏、親戚のいる実家に帰れない私たち家族にとっては、とても懐かしく、癒される内容の映画でした。

特に「虹色ほたる」は、幻想的な蛍の光が印象的ですが、そのはかないながらも強い光は、古来、歌に詠まれてきました。
虹色ほたる
(家族の画いた「虹色ほたる」の絵です。私たちが見たのは映画ですが、小説が原作だそうです)

『萬葉集』には長歌一首しか見られず、『古今和歌集』にも二首しか見られません。勅撰集で言えば、一条朝以降の『拾遺和歌集』から四首と増え始め、『後拾遺和歌集』(雑六/1162)に、かの有名な和泉式部の歌が入集しています。

もの思へば 沢の蛍も 我が身より あくがれいづる 魂(たま)かとぞ見る
【あの人を想って思い悩んでいる私には沢辺を飛ぶ蛍も自分の身から抜け出た魂のように見える】
沢の蛍
(歌ではここまでたくさんの蛍が飛ぶイメージではなかったと思いますが、参考にした写真が素敵だったので)

蛍の光があの人の元に飛んでいきそうな魂の光に見えているところが、とても印象的です。蛍の光を「燃ゆ」の語と組み合わせ、「思いの火」として詠んだ歌は『古今和歌集』の二首に見られますが、それが「魂」(命の光にも)と詠まれる点、新しく感じます。

また「蛍」の語は、『和漢朗詠集』にもよく見られますので、漢籍からイメージを取り込んでいる部分もあります(「蛍雪の功」の語も有名ですね)。

平安朝の貴族に愛好された『白氏文集』には、次のような蛍の詩句があります。

夕殿蛍飛思悄然(せきてんにほたるとんでおもひせうぜんたり) 
【夕暮れ時の宮殿に蛍が飛び、玄宗皇帝の気持ちは憂いに沈んでいる】

上記は、楊貴妃を失った玄宗皇帝の悲しみの日々を詠う場面の一句です。この後、眠れない夜を過ごす玄宗の姿が詠われていますので、つらい夜の始まりを告げる蛍の光と言えます。また、その光は、楊貴妃の魂も表しているかのようです。

最後に、以下、はかない光ながら、その蛍の美しさを歌った和歌をいくつか紹介して終わります。物語の方には、蛍の光を用いた印象的なエピソードもいくつかありますが、その紹介はまた後日。


 拾遺集     物名   歌   409   輔相
 雲まよひ 星のあゆくと 見えつるは 蛍の空に 飛ぶにぞ有りける
(雲が乱れ、星が揺れているように見えたのは、蛍が空に飛んでいたのだった)

拾遺集      雑春  歌  1078    健守法師
終夜(よもすがら)燃ゆる 蛍を今朝見れば 草の葉ごとに 露ぞ置きける
(一晩中、燃え輝いていた蛍を今朝見ると、蛍の代わりに草の葉ごとに置いた露が光っていたよ)

後拾遺集    夏    歌   216  源重之
音もせで 思ひに燃ゆる 蛍こそ 鳴く虫よりも あはれなりけれ
(声も立てないで思いの火に燃えている蛍の方が、鳴き声をあげる虫よりもしみじみと趣深いなあ)

鳴く虫については、先日「蝉のうた」として書きました。よければそちらもご覧ください。