へっぽこみゆづきとアタシ。

アタシの日常で起こった、ちっちゃい喜怒哀楽を見つけて、 ダラダラと書いちゃう日記でございます。 更新頻度に波がありますが、どうかお許しください・・・。

秋田では、遊んだ遊んだ。みんなに再会できて、とても充実した毎日だった。

こちらでは、仕事の繋がりや、ちょっと離れたところに住む友人や、同じ病院で出産した繋がりの知り合いはいるけど、なかなか頻繁に会えるわけではなく。

秋田から帰って来て10日ちょっと。
やや、感傷気味。18で一人暮らしし始めてから、こんなに長く実家に居たことなかったけど、両親とゆっくり話したり、ご飯作ったり、笑ったり…なんてことない日常がすごく楽しかったなぁ、って。

カノコ連れて、これからはもっとこまめに帰ろう。

なにわ暮らしに戻ってきたら、どうやら同じマンションのすぐ上の階にも同じくらいの赤ちゃんがいるらしいことがわかった。
勝手に親近感がわいて嬉しくなった。
うちが泣き止んだころ、今度は上の方から泣き声が聞こえたり、上の方が静かだなーと思ったら、うちが大泣きしたり…。
お会いした事はないけれども、近くで同じくらいの子どもを育てている人がいる、そう思うだけで、何かホッとする。

今月中旬から、来年四月の保育所申し込みが始まる。十ヶ月に満たないこの子を預けることを考えると、何とも言えない切ない気持ちになるけれども、前進あるのみ。保育所入所に向けて、始動‼

6/7金曜日の夜、娘がやってきました。
予定日より二週間早い出産でしたが、病院到着から30分足らずで産まれてくれた親孝行者です。

以下、あっという間の出産までのエピソード。
アタシとカノコのためのメモリーがわり、長々とここに残しておきます。読みたい方はどうぞ。Facebookにも初めて連動させてみます。うまくいくかな。


7日以降は出産予定日まで何も予定を入れずにいたのですが、7日は間も無く転勤で大阪を離れてしまうプレママ友達と最後のランチを約束してました。
早朝におしるしがあり、何やら軽い腹痛はあったものの、痛みの間隔はバラバラ。前駆陣痛だろうなぁ、くらいにしか思ってなかったし、初産はそこから数日後に本陣痛になることが多いと聞いていたので、まぁそんなもんだろうと、のんびり電車で五駅離れた場所までランチに行ってイタリアンを満喫
帰宅して、病院に電話。おそらく前駆陣痛だろうから、喋られないほどの痛みが10分おきくらいの間隔で来るようになったら、もう一度電話するよう指示をもらう。とりあえずいつ何があってもすぐ病院にいけるように、用意を確認して、ぐーすか昼寝
起床後、痛みがちょっと強くなってる。でも、喋られないほどじゃない。間隔を計りながら、横になって過ごす。
相方帰宅。シャワーを浴び、夕食を食べようとするが、痛みで食べられず。(この時、すでに本陣痛だったはずだが、まだ気づいていなかった
21:40過ぎ、トイレに立った直後に、腰をカナヅチかノミで砕かれるような痛みに変わり、流石に「これは、やばいやつだ」とようやく気付く。
痛みに耐えながら病院に電話。すぐ来るように言われる。助産師さんが電話口で『息吐いて、ふぅ〜〜っ』っと繰り返し励ましてくれた。
やっとこさ着替え、相方と共にタクシーに乗り自宅から10分の病院到着。痛みで動けず、車椅子で移動。

助産師さんが診察すると、「あらー、よくここまでお家でガマンしたねー。もう全開してるから、このままLDR行こうね」と出産の準備がバタバタ始まり…。バースプランもいろいろ書いたし、アロマやCDなんかも用意してたのに、なーんにも使わないうちに、生まれちゃいました(笑)
まぁ、しかしながら相方も無事に立ち会えて、よかったよかった。


しかし、振り返ると、痛みに強すぎるのも危険なもんだと反省。だって、「痛いーっ」って喋れたから、まだ陣痛じゃないと思ったんだもん。危うく墜落産になるとこだった無知って恐ろしい…。
陣痛って痛いって言うけど、一度の波が一分弱くらいだから、痛みが来ても必ず終わると思うと意外と乗り切れちゃったりした。一番キツかったのは、「まだいきまないで、ふーっって息吐いてー。いきみ逃しして」と言われた数分間。痛みより、いきみを逃す方が何倍もしんどかった…。相方にテニスボールで力一杯お尻を押してもらうと僅かに楽になったのが救いだった…。ありがとう、相方よ。
なるほど出産ってこういうものなのか、と体感。


生後11日目、カノコは元気におっぱいのんで、ねんねして、うんこさんして、ないて…。生きるエネルギーを感じます。
寝不足だけど、母も頑張るぜーい!
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先の更新が真冬だったのに、気が付けばもう梅雨。
わが子の誕生ももう少しのところまできました。

最近はもっぱらFacebookばっかりになっているので、そろそろ、ブログとFacebook連動させようかなー。

産休生活をゆるりと、そしてあとわずかの大人だけの生活を楽しんでいます。
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これ、マタニティマークとでもいうのでしょうか。

妊娠初期つわりがピークだった時に、どこで倒れてもすぐに妊婦だとわかってもらえるようにと、つけることを勧められました。

今日、帰りの環状線車内にて。
大阪駅から一駅のところに住んでいるので、立って乗っていた私の肩をトントンしてくれたのは、20代前半くらいのオシャレなカワイイ女性。
「ここの席、空いてますよ〜」
と、混んでいる車内で、私のためにわざわざ言いに来てくれたのでした。

“あと一駅なので大丈夫、お気遣いありがとう”
って伝えてお礼したけど、ことばでは表せないほどその優しさが嬉しくてほっこりしました。

今はずいぶんメジャーになったこのマークですが、なかなか席を譲ったり、声を掛けるって勇気のいることだと思うのです。私もなかなか声を掛けたりできないことがありました。マークをチラッとみて寝たふりされることも当然ありますし(笑)

声を掛けてくれた彼女にとっては当たり前の行動だったのかもしれないけど、それをサラッと出来る人間性って素晴らしいなぁ。優しさと学びを得ました。 — 場所: 大阪駅image

半年ぶりの日記が、新年のご挨拶とは…
ご無沙汰をお許し下さい(u_u)

改めまして、あけましておめでとうございます。
昨日は自宅近くの大阪天満宮へ、
そして今日は京都と岡崎神社へ詣でました。

昨年は、大阪への引っ越しや、七月からの再就職などであっという間に過ぎ去りました。 これまでと似たような業務もありましたが、大半は今までの経験では補えない慣れない業務でしたので、正直本当に一杯イッパイで、自分にはもう続けられないと思うことも未だにあります。
ですが、職場の雰囲気が非常に良く、仕事がうまくいかない私に対してフォローや励ましをしてくれるので、それに救われ(甘えて)なんとか頑張れています。

ちなみに、落ち着くまで報告を控えていましたが、あと数日で妊娠5か月目に入ります。
お酒を飲んでないのに、四六時中ずーっと二日酔い状態(それも日本酒を飲みすぎた様な最悪の二日酔いレベル)が続いていたので、いつかは収まると思いつつも、永遠に続いたらどうしようとか思ってました。
今はすっかり収まって、ここからは体重管理に苦しむことになるのでしょうが…(汗)

さて、今年は 生まれ来る予定の新しい家族のために、今まで以上に相方と共に精一杯頑張ろうと思います。
どうぞ、今年もよい一年でありますように・・・imageimage

電話があって、先日受けたところから採用の連絡あり!!
驚いた。
専業主婦生活、あと3日で終了!

引っ越しまーす!って記事書いてから、すっかり2か月放置しちゃってました。
一番時間があるはずなのに、なかなかブログに向かう気持ちにならず。
でも、なんとなーっく、なんとなくちょっと切り替えられてきたから久しぶりにご挨拶(*゚∀゚)っ

ちょうど今日で大阪来て2か月です。
そして明日は美祐ちゃんの命日。
そしてそして、もう一週間もしたら私と相方の誕生日。
早いもんです。

この2か月、前半は新居の整理や今まで仕事しててできなかったことをめいっぱいできました。
ひろーいルーフバルコニーがある部屋なので、家庭菜園もしたいなー、ベンチおいて飲みたいなーとか
色々妄想も膨らませつつ、結局今のとこ、なんにも手つかず(´・ω・`)
あ、でもお洗濯がたくさん干せるので、バルコニーは大活躍していますね。
ただでさえ暑がりなのに、外で土をいじる気力が・・・・・・・ない(今のところ)

後半は、就活してます。といっても募集あるとこに受験に行くだけなので、殆ど家にいますが。
この5年間で北海道、大阪、東京・・・と転々としました。そのたびに就いていた仕事を離れることに対して
切り替えのチャンスだという希望であると思いながらも、次の仕事を探さなければならないというプレッシャーみたいな気持ちを感じてます。後者の気持ちのほうが強いかな。
その落ち込みがちょうど今やってきていて、「どうにかなるさ」と思いながらも、状況に無駄に焦ってみたり。
どうでもいい些細なことまで、深刻にとらえて悩んでしまったり、なにやってんだか。と腐り気味。

今の憂鬱を紙にダーッと走り書きしたらすっきりした。
家族が一緒に暮らせること、日当たりのいい快適な家があること、それだけで十分。

夕月さんのお引越し…
「おかあちゃん、お家の中がすっからかんだよ!」


今頃気づいた⁉続きを読む

あっという間に平成24年度。
新年度のフレッシュな、
あるいは、昨日までとは違う雰囲気、
実はかなり苦手。
今日は、一人で勝手に疲れ切りました。

さて、あと一ヶ月で大阪に引っ越すので、
残りわずかだけど、一生懸命お仕事頑張って、
そのあとは一生懸命引っ越し準備頑張ります。

写真 (2)

福島復興のブースでもらった桃が、今朝、蕾を開いた。
震災からちょうど一年経った今日、開花した。

今日の、震災発生と同時刻、私は東京の片隅で黙祷した。
同じ空間にいたほとんどの人が同じように黙祷を捧げ、
不思議と、時が止まったかのように、しんっ、っとした瞬間。


一年前のあの日のあの時間、二度と経験はしたくないけれども、
それらはまるでついこの間のように
不穏な、不気味な感覚を思い出す。
東京でも、もう崩れる、と思うくらいの揺れだった。

テレビでは、想像を絶する光景がありありと映し出されて、
故郷に住む両親の安否を初めて不安に感じた。
携帯は不通。
徒歩帰宅の途中で公衆電話を見つけては、何度も何度も実家に電話して
ようやく父と母と話せたのは、自宅目前の公衆電話で掛けたときだった。

単身赴任中の相方は偶然、その日東京に戻ってきていた。
「いつもならば」たまの週末に帰ってくるその日が楽しくて、
今夜は、どこに飲みに行こうかなんて考えて、そうして待っているのだが、あの日は違った。
荻窪から徒歩帰宅してきた相方。連絡がつくまでが長かった。自宅についたのは深夜だった。

私の震災当日の経験など、さして大変なことではない。
しかし、その日に私が感じた事実。


当たり前が当たり前ではない日々、
そして目に見えない恐怖。
無力、もどかしさ。
恐怖、悲しみ、不自由・・・
どうか被災された方々が少しずつでも前向きに過ごせたら・・
そのように過ごせるための政策、支援がもっと整うことを望みつつ、
自分にも何かできることを見つけていきたい。

風化させてはならないことだけれども、
あの映像を見るたびに
「本当の出来事であり、あの日までの当たり前が、もう戻ってこない」
ことを痛感する。



東日本大震災で亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
そして、被災された方々の生活が一日も早く元ある形へ少しでも復されていくよう
日本が一体となって動いていくことを願っております。

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