実は、この「ふるさときゃらばん」という劇団は、元は統一劇場という劇団から分裂してできた劇団だ。その前は、新制作座という。
新制作座は1950年に真山美保という人が中心になってつくられた。彼女の親父に真山青果という人がおり、その人の脚本をつかって、賞も多くもらったような意欲的なレベルの高い芝居をしていた。
そのころから、商業舞台と一線を引き、東京八王子で劇場や宿舎をつくりそこを拠点として全国を公演に廻っていた。
だが運営をめぐって、座は分裂した。1965年に統一劇場が発足。新制作座の農村などで公演する形態を一層発展させ、青年団などに働きかけ、実行委員会方式で舞台を成功させる「観客が自ら支え、成功させる」方式で全国、特に農村地帯での公演を成功させてきた。
この劇団に目をつけた山田洋二監督は、1年間取材して「同胞(はらから)」という映画をつくった。劇団オルグ役で倍賞千恵子などが出演した。
しかし座の方針をめぐって1985年再び分裂。現代座、ふるさときゃらばん、希望舞台の三つに分かれた。それぞれいまでも活躍している。
しかし、小劇団の貧乏の苦しさのなかで「団員には固定給を保障したい」などの要求で、ふるさときゃらばんは大手企業のスポンサーを獲得して、安定して公演活動する方向を選んだ。
その方向が、政府をスポンサーにして公演活動をおこなうところまで退廃したというべきか、安定したスポンサーを獲得したというべきかだ。
だれも責める気はないし、さらにいえば分裂したといっても、部外者の目で見ればその個性は色濃く共通して残っている。
ふるさときゃらばんも、腐りきった政府との関係から、慎重に離れて言ったほうがいいのではないか。
新制作座は1950年に真山美保という人が中心になってつくられた。彼女の親父に真山青果という人がおり、その人の脚本をつかって、賞も多くもらったような意欲的なレベルの高い芝居をしていた。
そのころから、商業舞台と一線を引き、東京八王子で劇場や宿舎をつくりそこを拠点として全国を公演に廻っていた。
だが運営をめぐって、座は分裂した。1965年に統一劇場が発足。新制作座の農村などで公演する形態を一層発展させ、青年団などに働きかけ、実行委員会方式で舞台を成功させる「観客が自ら支え、成功させる」方式で全国、特に農村地帯での公演を成功させてきた。
この劇団に目をつけた山田洋二監督は、1年間取材して「同胞(はらから)」という映画をつくった。劇団オルグ役で倍賞千恵子などが出演した。
しかし座の方針をめぐって1985年再び分裂。現代座、ふるさときゃらばん、希望舞台の三つに分かれた。それぞれいまでも活躍している。
しかし、小劇団の貧乏の苦しさのなかで「団員には固定給を保障したい」などの要求で、ふるさときゃらばんは大手企業のスポンサーを獲得して、安定して公演活動する方向を選んだ。
その方向が、政府をスポンサーにして公演活動をおこなうところまで退廃したというべきか、安定したスポンサーを獲得したというべきかだ。
だれも責める気はないし、さらにいえば分裂したといっても、部外者の目で見ればその個性は色濃く共通して残っている。
ふるさときゃらばんも、腐りきった政府との関係から、慎重に離れて言ったほうがいいのではないか。