2009年11月30日

十一月二十九日<臨月・進む幼児化>


今日から妊娠第36週。
最後の月、俗に言う「臨月」に突入。いつ生まれても一応大丈夫だという期間に入ることができた。
気分は、マラソンで言うところの、最後トラックに入ったようなかんじ。


―赤ちゃんがみぞおちを蹴って、ウホっとなる。
右脇から飛び出てくる足を上からニュッと押し込むと、今度は左胸の下あたりがボコっと膨らんだりするのが、おもしろい。
そいそろ、お腹の皮膚を破って外に出てくるのではないかと思うほどの
パラサイトぶりだ。

日々、私も赤ちゃんもお互いがスペースの窮屈さを感じるようになってきた。
皮膚が伸びてピリピリするかんじや、ギックリ腰の痛みが
今の身体の状態の不自然さを物語っている。

なんといっても2週間で、体重が言えない数値にまで昇りつめてしまい、担当のお医者に
「タイジュウ、もうジュウブンです。コントロールを。」
と、セーブ指示が伝えられるほど。

でも、この頃ごはんがすごくおいしくなって来てしまったもんだから、困ったものである。
近くのタイ屋台の食堂でぶっかけ飯を食った際、白いごはんをさらに追加するような有様だ。

同時に、今までなかった心配や不安が増した。

1人きりで道を歩いている時に、けっこうな頻度でお腹が痛くなるから
とりあえず座り込むのだが、そのまま上手く立てなくなったりすると
「このまま陣痛が始まっちゃったらどうしよう。」
(「陣痛」とは出産前の兆候の子宮収縮を繰り返す状態。始まったら、ゆっくり病院にいく必要がある)

と、心細さに不安になり、恥ずかしげもなく泣き出したりする。
(もうすぐ30歳なのに。)


―実は今日も不安になる出来事があって、1人シャッターの閉まった店の前で座りこけて「ウウウ…」となっていた。

すると通りかかったタイ人女性2人が
「大丈夫ですか?近くに住んでいるから、よかったら一緒においで。」
と、声をかけてくれた。

その声と雰囲気が母性的であったかくて、正直なやさしさに満ちていたから、私はさらにお母さんに甘える子どものような気持ちで心がいっぱいベトベトになってきてしまい、ワンワン泣いてしまった。

こういうことって、健康である人の視点からみたら茶番に見えなくもない。
ふと冷静になると、自分でも「ああ、いやだ」と思うし
大体、なんでこんなに消耗するまで感情が上下するんだろう、と疑問も起こる。
だって、温存して穏やかにいた方がよっぽど身体のためなのだ。

これは、やっぱり本来の人間性が助長されているだけなのだろうか。

困った。


お母さんになるはずなのに
どんどん子どもに戻っているような気がする。

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十一月二十八日<敵と味方>

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「嫌だ」と思ったものに対する嫌悪感の大きさに、我ながらびっくりする。

例えば初対面。
キライな、もしくは苦手なニオイをその人が発する。

それは
ぶつかっても無視する、とか
命令してくる、とか
考慮しない、とか
無神経だ、とか

他愛のないもので、ふつうだったら「ま、どーでもいいじゃん」で
終わってしまうようなことが原因だったりするのだろうけど

それは時に、道を歩いて前から来る人に対して感じることすら、あるくらい神経質で
感じる嫌悪感の大きさに、胸がつぶれてしまいそうになるほどのこの頃。

基本的には初対面の人と関わることが大好きだ。

まだ分からないその人の領域を少しずつ理解していく過程がおもしろいし、人の可能性に触れられる気がして、いつだってわくわくしている。

それなのに、今は少し怖い。

「ああ、この人たち、嫌なニオイがする!」
と自分が感じた人を排除しようとするパワーの大きさに、自分でびびっているかんじ。
こんなのはじめてで、びっくり悲しい。
(もちろん、前から知っている人ときちんとケンカして、お互いで嫌になることはあったけど。)

逆に、既に面識のある人たちに会った時は、心がホクホクして
安心するのも極端で妙なかんじだ。
相手はただそこにいるだけなのに、守られているような気がするのである。
前者と比べると、なんというギャップ。

1人で過ごす時など、さらに穏やかな気持ちで、温泉にゆっくりつかっているような、緩やかでやさしい気持ちに満ちた状態が続いている。

ところがひとたび神経を逆撫でする事態が起こった時の豹変様といったら、ない。

世の中がまるで「敵と味方」で成り立っているかのような心理状態だ。
短絡的で、気持ち悪いくらい本能的。

「頭(理性・理屈)」と「心(本能・感覚)」は普段から分断されていて、だいぶ「心」優先型の自分ではあったが、こんな風になるなんて。

自分の本来の人間性とは呼びたくない、ところであはるが

とはいっても、おそらく
もともとの性質や人間性に基づいている感情なんだろうなコレ。
認めたくないけど。
たぶん、それを
妊娠の際に分泌されるホルモンがちょびっと助長しているだけなのだ。


ああ、落ち込む。

見たくない自分が表出してきて
つくづく、自分という人間が嫌になってくる。



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2009年11月28日

十一月二十七日<言語力と恋愛>

今日のラジオはお昼の番組。
昼前に家をでたら、無性にラーメンが食べたくなって他のことが考えられなくなる。

ソイ11にある「卯月」は黒いスープの鶏がらしょうゆラーメンがおいしい。
開店前の時間だったから、無理を承知でフライングでドアを開けてみた。
そうしたら、店員さんたちはごはん食べてたけど、入れてくれた。

ねぎラーメン食べて、元気になったので
そのまま歩いてスタジオまで行く。

年末に私とタカチャンのお母さんが交代でバンコクに来てくれるのことになっている。
そこで、コーヒーを飲みながら日常の情報を地図等にまとめておく。

と、カフェの隣の席の欧米人の人が、ものすごく流暢なタイ語の発音でしゃべっていたので、びっくりした。

タイにきて、タイ語をちゃんと話せる欧米人を初めて見る。
ショックだった。

それで
言葉について、あまりに貪欲でない自分のことを、しばし考えてみた。

たぶんだけど、ヘンな話。
私は英語だったら同じ期間タイに住んでいたらグンと上達していたと思う。
なぜにタイ語はこんなに進まないのかなあ、と疑問でならなかった。

それは「切羽詰っていないから」という理由で、アウトプットを完全に先延ばしに怠けていることがひとつ。

そして、もうひとつ大きな原因は、自分のタイ語に対する「憧れ」に欠けているという点だと認める。

スポーツでも音楽でも絵画でも
何かにうっとりしたり、とか、かっこいい人がいるから、とか
私の動機は、わりと不純なところから始まる。

「近づいてみたい」
そういう憧れが突き動かし、模倣へと促される。

例えば英語だったら
英語しかしゃべらない人に恋愛をしたことや
ドラマ(ビバリーヒルズ高校白書)を見て、超アメリカ文化かぶれ(ディランに恋をし、ケリーに憧れた)したことに要因があったと思う。

伝えたい強い思いや、近づきたい(もしくは近づきざるを得ない)衝動や動機の大きさが、無我夢中にさせたのだと思う。

言語はきっと「勉強をがんばればいい」というインプットより
自分をそういう状況に仕向けるようにアウトプットするきっかけを与えてあげる方が、効果的なのだと思う。

私のように頭で語学を学ぶのが下手で、運動神経を使って言葉を鍛えるしかないタイプは特に。

恋愛するのが一番いいんだよな。
タイに来てからタイ人の男性と恋に落ちたことは残念ながら一度もなかったもんな。

うーん。
きっと、それだ。
それだけが原因に違いない。

と、とりあえず
それだけの理由にしてみた。
(すげーかっこわりー。)

どこまでも、言語力は恋愛と比例すると、信じて疑わない自分。

たぶん、ドラマでかっこいいタイ人の俳優の人とか見つけられたら、大分違うな。誰かいないかなあ。

そして
「それって、韓国ドラマを見て、韓国語が上達するおばさんと同じ原理だな」
と思った。

ぷー。



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2009年11月27日

十一月二十六日<脳みそ・別離>

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例えばもし、指が1本切れて無くなったとしたら
それぞれの指に対応する脳みその機能は、4本指に対してしか反応しなくなってしまうらしい。

では、仮に逆に指が1本多くて、6本だったとしたら?

―なんと、脳みそは6本の指それぞれに対して、機能を持つのだという。

基本的に5本だけど、身体の機能に応じて、脳みそはその働きを減らしたり増やしたりできるのだそうだ。

そういえばいつか
カシコン銀行の窓口で日本紙幣をバーツにたくさん換えてもらった際、担当のお姉さんの指が6本あったのを思い出した。

そして、彼女が紙幣を数えるときに、通常の小指のとなりにもう一本生えている、6本目の小さい「小小指」が紙幣をしっかり支えているのが見えて、とても不思議に感じた。

それから
ナナのアラブ人街では、小さなバケツを両手に持って物乞いをしている男性が時々登場するのだが、彼には「両腕」がない。
代わりに、脇の部分から「手」というか「指」のようなものがぶらさがっていて、そこにバケツの取っ手をぶらさげている。

「あんなにブラブラ頼りなさそうなのに、よくバケツの取手をつるせるな」
と、不思議な思いで見ていたけれど、5本指の私には分からない機能がそこに確実に存在しているらしいことを知り、ショックを受けた。

つまり
この脳みそがある限り、たとえ今の身体が変形していっても
対応できるのだ。
順応するってこと、進化するってこと、みんなきっと
脳みそがフレクシブルに働くことで実現するのだなあ、脳みそ君ってすごいなあ、と思った。

それに、訓練次第で脳みそはそれぞれの機能を高めてくれるというのが判明してしまったから、「何かができない理由」を、遺伝とかのせいにはできなくなってしまったのが残念。

ちなみにイルカは人間より脳みそ自体の大きさは大きいけれど
それを生かす身体的要素(のどや呼吸器官の内臓的なもの含め)が少ないから、そもそも働いていない脳みその割合が大きいのだという。



―背中の骨と筋肉が、日々追うごとにクタクタに痛んできているかんじがする。
歩くと痛くて苦しくなってしまい、どうしようもなくなって
短い距離なのにタクシーに乗った。
そしたら、スピードコントロールのあまりに下手なおっさんの運転で、幾度も跳ねて、後悔。


さて。

おそらく近い時期、お腹の赤ちゃんと対面できる。
楽しみだ。

でも、今日
「あー。お腹からいなくなっちゃうんだな。」
っていう思いになって

「あー。ずっと一緒にいたのになあ。」
と、お腹さすっていたら、急に寂しさがこみ上げてきて涙が止まらなくなった。

確かに「会える」んだけど、もう一個の事実として
もうすぐ「分かれる」ことになる。
そのことが、今、はじめて切なく感じられた。
そんな相矛盾する現象って経験したことがないから、戸惑ってしまう。

「誕生」と「喪失」
「出会い」と「別れ(分かれ)」

そういうのって、きっと、紙一重なんだろうな。


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2009年11月26日

十一月二十五日<アロンルファ>

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―朝。
タカチャンが朝から体調不良を訴える。

ゆうべ、寝る前に目が真っ赤だったのに、遅い時間にイライラして私が当たったことが原因かもしれない、と心配になる。

ただでさえ、パーツが大きくてインパクトがある造りのフェイスなのに
身体の不快感に歪んだ彼の表情は、さらに劇画調の仕上がりとなっていて、余計にシリアス風味が増しているではないか。


3日間、早い時間に朝ごはんを食べ続けると
4日目も同じ時間にオナカが空くようである。

朝ごはん。
作っておいたソバを食らう。

今まで毎日、私の目が覚めると同時に
赤ちゃんが「ヒクッヒクッ」というリズミカルなしゃっくりが始まっていたようだったのが、このところ、その日課はストップしてしまった。
ちょっとさみしい。

二度寝の最中、赤ちゃんの夢を見た。
妊娠してから、一体何度目だろう。このテーマの夢。

すでに「本物」は男の子であることが判明しているにも関わらず
不思議と夢の中では、生まれた子はだいたいが女の子という設定になっており
時には知っている芸能人の顔だったり
4人産まれたり
抱いたらお人形みたいに軽かったり
かと思ったら、体重5キロです、と先生に言われたり
実は仔猫だった、とか
ヘンなのばかり。

これから臨月に入って、ますます赤ちゃんを産む夢を見る頻度が増すような気がする。

時々、頭が混乱するくらいの夢のリアルさが、今の私の精神の混乱振りを表しているような気がして、なんだか愉快である。

天気は今日もすっきり快晴。
冷房いらずなのが、うれしい。

夜は外に食べに行く予定を変更。
比較的胃に優しいメニューを家で作って食べることにした。

トロロを食べさせたく、フジ・スーパーで山芋をふんぱつ購入したのだが、高くてびっくりした。
あと、タイ国産「サトウフーズ」の梅干(一瓶100バーツ)を買ったけど
以外にも、自然なおいしさでナイスな仕上がり。これはオススメ。

和食ってやさしいなあ、とつくづく思う。
単に慣れ親しんでいるっていうだけかもしれないけど。

いつも背中マッサージをしてくれるタカチャンは、不調のため先に就寝。

気がつけば、いつの間にか背中は痛みがべっとり張り付いたかんじで、アロンアルファを全体に塗りたくったような感覚だ。

じっくり1人ヨガをやってみるも、焼け石に水。
とうとう、横になることもままならなくなったため、しばらく部屋の中で立って本を読むことにした。

ああ、背中だけポコッと、板みたいに取り外して
思う存分ほぐせたらいいのに。


yuiko777 at 11:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!