唯個旅

日ぐらし日記

2007年09月

メモリー


初めて飛行機に乗って外国に行ったのは7歳の時だった。


それは、確か祖母が当てた町内のくじ引きか何かの懸賞だったんと思う。


行き先はバンコクで

タイ航空の機内食で出てきたチキンは、未だに巨大だった記憶があり

町を歩いていた時の映像は、人々の腰くらいにあった、そんな目線だった。



知らない言葉を話す人々がこわくて、目をそらして

「クサイよ!」「アツイよ!」と

ハンカチを鼻にあてて、一緒にいた父親に

どうにもならないわがままをふりまいていた。





ボロバスに乗りながらガタガタ道を移動するときに

自分で、ノートに絵を書いていたくせに、勝手に車酔いして

下車した時、街の匂いと暑さにグルグルして、嘔吐して泣いた。





ココナツの殻からストローで飲むジュースは、見た目はワクワクしたけど

生ぬるくて、そんなにおいしいと思わなかった。



街中に見つけたマクドナルドで、ハンバーガーを食べた時がいちばんおいしかった。



いろんなお店の店頭につるされたクビの長い鳥は、日本では見たことがなくて


言葉の通じないオート三輪のおじさんに
どこか別のところに連れて行かれるんじゃないかって、不安で不安でたまらなかったけど


遠くに見えた夕焼けがとてもオレンジ色にきれいだった。






あの時の自分の様々に強烈な不安感を覚えているから

年数を経て、当時出来なかったことを出来る今に

夢中になってしまうのかもしれない。



何歳になっても新鮮な興奮が冷めやることはなく

その年との年の楽しみ方が変わっていくのを時間するのもまた愉しい。




―バンコクにはもう

当時のようなあんな匂いはないけれど


私は確かに、20年前に見たのと同じ街に行くのである。

気がつけばこれで5回目の訪タイとなった。




変わりゆく街並の中で、幼き日の私の記憶だけは

変わらぬものとして存在し続けることを信じて。






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古本屋で秋元康の本を購入した。

そしたら、同日の夜、働いてる池袋の店に秋元康の弟が来て

なんだかびっくりした。

店を出るときに「お兄様にもよろしくお伝えくださいませ」

などと言ってしまったが

それってちょっとうっとおしかったかなと思った。

2週間分くらいのお客さんが来て、接客だけでも鬼のように忙しく

喉が乾いて、腹筋が痛くなった。

自転車に乗って、歌いながら帰宅した。


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フルサト

「帰属意識」についてはしばしば考える。




帰属場所というのは、私が定義するところ


“別の地で会った時に、その人が「私の出身○○なんだよね〜」と言ったときに

「ええ!?私も。」と、偶然同じ場所の出であることが判明し

同時に、共通に望郷の念を共有することで力強くなれる場所。


その場合、「○○出身」の人が複数になればなるほど、安心と力強さも増して行く場所”


と考える。





高校までの間、生まれた場所と育った場所が同じ場合は、たいてい
その地を故郷とし、その後どんな場所に移動したとて自分の故郷を断言できると思う。




そこで


―はて、私はそれでいくと、どこに属しているのだろう、と思う。


例によって、生産的でない自問自答である。





そこそこの転勤族だった家に生まれたことで
あっちにいったり、こっちにいったり

じっくりその土地に根を下ろしているという実感は
持ったことがないかもしれない、と思う。


現在住む三鷹市に対しても、住んだ年数は一番大きいのに
私がここの住人だという感覚は、持ったことがなく


町田には友達がいるけれど
町田に生まれ住み続ける知人同士が集まったときに
どうにもこうにも、「外者」意識が働いてしまうのも事実だ。


高崎は幼少期に住んだけど、現地の詳細は分からないし
やはり、私は「そこから既にいなくなった人」と思ってしまう。



どこも好きな場所ではあるけれど


悲しいかな「私もそこの人間よ!」って堂々と胸を張れない卑屈さを

どこか伴ってしまうのである。



私の、異様な「方言フェチ」の程度とか

「郷土料理」を前にした時の興奮の仕方とか




そういうのは多分、実感できぬ故郷意識に対する

途方もない憧れの証なのかなと思う。






―先日、父と母と焼肉を食べながらふと、故郷の話になった。

彼女と彼はそれぞれ、新潟・静岡に、当たり前の郷土意識を持っており

なんか、なつかしそうに昔の話を披露しあっていた。


「…で、ゆいはどこに自分の帰属意識があるの?」


と問われ、しばし考えた次第である。






「東アジア。」




と、答るに至った。






例えば、アラブの国で韓国人と会った時の
共通の話題なんてないのに、なんかそこにいるだけでいいっていうかんじとか


欧米人に囲まれた中に、私以外に台湾人がいた時の、手をとりたくなるようなかんじとか

日本人はもちろん


色と形の似ているという意識が、無条件に安心させることって

自分の定義する「郷土意識」に似ているような気がしたのだ。





―もちろん

「この先、宇宙人も地球人も交わって生活することがあるんだとしたら

『地球人』というだけで共有意識が持てる」


っていう話と同じ程度の

単なるカテゴリー設定の違いとなってしまっているのに過ぎないだろうが。






まあ、自分がこういうことを考えること事態、ほぼ単一民族の日本人的だな、とも思う。


外国生活の長い帰国子女の人とか、色んな国の血が流れている人たちは

どんな風に考えるのかな。

トゥース・ペースト ON ザ・ニンニク

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起きたら、猛烈にニンニクが食いたくなった。


胃がひくひくするくらい、食いたくなった。





だから


ニンニクをこれでもかというほど大量にみじん切りし

チャーハンを作って


思考停止状態で、鼻息荒くそれを食べた。




数時間後からはじまる仕事のことは分かっちゃいたのに

B型的私の性質が考えることをさせなかった。


確信犯的に

まあ、ばれなきゃいいだろうという甘さをもって、完食した。










―夜、仕事時。




客が来る前の時間、池袋の店で歌とギターとリハーサルしていたら


怪訝そうな顔をするマスターに呼び出され言われた。






「ゆいちゃん、今日、なに食べた…?」







で、答える。






「はい!ニンニクです!」










(…やはりバレたか)






その時になって、初めて自分が危機的状況にあることを自覚し

その日は、客が結構入る曜日だったことを思い出し

思う。








(…やべえな。)








―トイレに行き、とりあえず歯を磨いた。


しかし、あの独特のスメルは

既に自分でも分かるくらい体内に立ち込めており


もはや焼け石に水である。





結局、「やつら」は内臓から醸し出されているわけだから

入り口だけをなんとかしようとしても無駄なのだ。







そして


棚から再度、歯磨き粉を取り出した。




そしてチューブからたっぷり中身をねり出し



それを口にいれ、もごもごして









…ごっくん。












―飲んだ。















―私は、そのままカウンターに入り


入って来たお客様に、自信のこもった笑顔で


「いらっしゃいませ!」


と言った。





マスターが寄ってきて言う。





「あれ。自信満々だね。なんか対処したの?」






「はい。歯磨き粉、のんできましたー。」









―とりあえずの応急処置にはなったみたいで

よかった。




昔、朝からにんにくたっぷりのぺペロンチーノが食べたくなって

食べてしまってから、やばい匂いに気がついて

マスクをして会社にいったことを思い出した。








時々襲ってくるにんにくに対する欲望を我慢することは、容易ではない。


クサいおならをエレベーターでひる方が

まだ罪がないとは知っていつつ


常にリスクと隣り合わせであるにもかかわらず





わかっちゃいながら


やってしまうのである。


満員電車プップー



―終電車が遅れ、停車駅でドアが空くと人が溢れ転がるような状態に

車内はイライラのエネルギーが蔓延し
隣で踏ん張っていた人相の悪い男は

隣のサラリーマンが降車する際に、肩がぶつかったことに腹を立てていた。


「人相の悪い男」は、次の次の駅で私の右足を踏んだが何も言わず

ただでさえ堪え性のない私にもイライラが伝染し、その黒い雰囲気に眩暈がしそうになった。

「早く駅に着けよ。何分遅れたと思ってんだ。」

と心の中で、どこかで働いている駅員さんに向かって叫んでいる自分がいた。











―インドのカジュラホ村という場所から、とある駅に向かうバスは

乗車率、少なく見積もっても300%くらいで

私は自分の背中より大きなバックパックを背負いながら、その密集地帯に
ジャンプし、乗り込んだ。

屋根に座り込む人々
窓枠にへばりついた人々
開け放たれたドアの手すりに片手でかろうじてつかまる人々。

私のことなどお構いなく走りはじめるバス。

人々は、互いに声を掛け合いながら
私と私のバックを出来るだけ内側に入れ込んでくれ

もみくちゃになりながら
「ダンニャヴァード(ありがとう)」を繰り返し伝えると

彼らの多くはおっきな瞳をくりっとさせて
にこっとわらった。


踏み合った足が黒くなったのに、うれしかった。


徐々に空いてきたバスのなかで、さっき助けてくれた人々とタバコを交換し

甘いお菓子をもらった。




不思議と、乗り継ぐ予定の電車のことは気にならなくて


バスは1時間遅れた。


でも、到着駅から乗る列車は、2時間遅れた。





―別の文化を日本に持ち込み、母国を否定したり嘆いたりすることは

無駄な上、わがままな行為で

誰かがぼやいていると、意地悪くつっこみたくなり
自分が口に出してしまうと、自己嫌悪になるテーマだ。



日本にインド時間を持ち込むことなんて出来るわけないし

そのポイントだけ抜粋して「インドの方がすばらしくて、自然だ」って言うのは
多くを知らないだけのノータリンだ。





---で、私は


主張もなく結論もなく、一体何が言いたかったのだろう。



まあ、ともかく


例えばそういう小さなそういう類のことに

いちいち自問自答を繰り返すのが面倒くさくなって


私は、どっかに行きたくなってしまうのかもしれない。






「旅に出て、何か変わるとでも思ってるの?」


などと、「いや、別に放ってくれよ」と言いたくなるようなこと
言われたこともあるけど




まあ、そういうことだ。



逃げるのだ。

もしくは、すさみやすい自分の心の状態をごまかしに行くのだ。







―来週行くタイでは、まだ満員バスで足を踏んでも、踏まれても

笑っていられるだろうか。



なーんて思いながら

「結局、暇だな自分」

と突っ込んでみる。




おやすみなさい。

携帯メールの使い方

新宿から、埼京線に乗って池袋に向かう車内は

帰宅ラッシュで、腹筋に力を入れないと立ち続けられぬ程度に込んでいた。


乗車して3分後くらい




私の手前、窓際に姿勢を崩して立っていた
ちょっと悪い雰囲気のおじさんが

唐突に

持っていた彼の携帯の画面をこっちに見せてきた。






(…なんだよ。こいつ!気持ち悪いな…。)



あからさまに、嫌な顔をし




そうは言いつつ

目の前に掲げられた携帯の画面をちらりと見ると








「カーディガン、裏と表が逆です。」






と書かれていた。






「……。」











妙なプライドから

私は駅に到着するまで「フン」とばかりに
何もなかったかのように、じっとしていた。

手には汗が滲み出し
読んでいた文庫は逆さから見ていた。


おじさんは、結局私と一回も目を合わせることなく

池袋に到着し、ドアが開くと、何事もなかったようにフラフラと降りていった。



私もまた、何事もなかったかのように
余裕な顔しながらドアを出て

それから
辺りを確認した後、ダッシュでホームの自動販売機の裏に駆け込み

上着を脱ぎ、確認すると










…ホントだー!


表と裏、逆だったー(T▽T)/











…おっさん。


「ありがとう」が言えなくて、ごめん。




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