日本プロ野球界に続き、メジャーリーグ(MLB)でもいよいよキャンプが始まった。
今季は、黒田博樹、福留孝介らが海を渡り、日本人メジャーリーガーは過去最多の21人を見込んでいる。
そんな中で、最も注目度の高い日本人メジャーリーガーの一人が、カンザスシティー・ロイヤルズとマイナー契約を結び、キャンプで3年ぶりのMLB昇格を狙う野茂英雄だ。
今季は、黒田博樹、福留孝介らが海を渡り、日本人メジャーリーガーは過去最多の21人を見込んでいる。
そんな中で、最も注目度の高い日本人メジャーリーガーの一人が、カンザスシティー・ロイヤルズとマイナー契約を結び、キャンプで3年ぶりのMLB昇格を狙う野茂英雄だ。

今でこそ、多くの野球選手がMLBを夢見、われわれも当たり前のように日本人メジャーリーガーの活躍を目の当たりにしているが、この先駆け的存在が野茂であることは言うまでもないだろう。
もし、野茂がMLBに挑戦し、そして活躍できなかったら、はたして21名の日本人選手のうち、いったい何人がMLBのユニフォームに袖を通せたことだろうか。
1967年に日米選手協定が実行に移されて以来、日本人選手がMLBのチームと契約を結んだことは一度もなかった。それをぶち壊したのが、野茂だ。
大阪近鉄バファローズ(当時)に属し、日本式の野球に嫌気が差していた野茂は団野村氏と協力。「日本の任意引退選手が現役に復帰したければ、日本国内を選ぶ場合は、元のチームとしか契約できない」との当時の日本プロ野球協約の盲点をついた。
94年オフの契約更改で野茂は、最初から任意引退を目的に、あえて法外な契約内容を球団に要求。野茂・団野村の狙いを知らない球団は野茂の任意引退を認めた。
晴れて自由の身となった野茂は、95年にロサンゼルス・ドジャーズとマイナー契約を締結。その年の5月2日、日本人選手として村上雅則以来31年ぶりにMLBのマウンドに立った。
当時の野茂には、日米両国から批判の声が上がっていた。特に日本では、実の父親ですらも息子の行動を非難した。アメリカでも、野茂バッシング(というより、日本バッシング)は少なからずあった。
そんな非難の声を、野茂は自身の代名詞であるトルネード投法で吹き飛ばした。
デビュー戦となった対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦では、5イニングスを無失点。続く4度の先発登板でもスコアボードにゼロを並べ、その月の終わりには奪三振数でナショナルリーグトップに踊り出た。
MLBでの1年目の成績は、13勝6敗。野茂は236個の三振を奪い、新人王・奪三振王のタイトルを獲得した。日米両国で新人王を受賞したのは現在でも野茂ただ1人だ。
トルネード旋風は終わらない。翌96年のコロラド・ロッキーズ戦では、ノーヒット・ノーランを達成。ホームランが出易いロッキーズの本拠地クァーズ・フィールドで行われたこの試合は、雨で開始時間が2時間遅れた。その悪条件の中で、野茂は快挙を成し遂げたのだ。
デトロイト・タイガースに移籍した2000年には、日本人では初めて開幕戦の先発マウンドに上がり、ボストン・レッドソックスでの2001年にはボルチモア・オリオールズ戦で2度目のノーヒット・ノーランを記録した。両リーグでのノーヒットノーランはノーラン・ライアン以来メジャー史上4人目だ。
今でも野茂を「売国奴」呼ばわりする声は少なからずある。だが、野茂は自身の手で非難の声を掻き消し、本人が望んだかどうかは別として、日本人メジャーリーガーのとしてのパイオニアの地位を確固たるものにした。
そのパイオニアが今、新たな戦いに挑んでいる。日米野球史に数々の名を残してきた野茂も今年で40歳。しかも、自身はタンパベイ・デビルレイズ(当時)に所属していた2005年以来、MLBのマウンドを踏んでいない。
そんなブランクのある大ベテランが、MLBのマウンドに立てるのか。仮に挑戦に成功すれば、パイオニアが再びMLBのドアをその手でこじ開けたことになるだろう。
参考)ロバート・ホワイティング「世界野球革命」(ハヤカワ文庫)
もし、野茂がMLBに挑戦し、そして活躍できなかったら、はたして21名の日本人選手のうち、いったい何人がMLBのユニフォームに袖を通せたことだろうか。
1967年に日米選手協定が実行に移されて以来、日本人選手がMLBのチームと契約を結んだことは一度もなかった。それをぶち壊したのが、野茂だ。
大阪近鉄バファローズ(当時)に属し、日本式の野球に嫌気が差していた野茂は団野村氏と協力。「日本の任意引退選手が現役に復帰したければ、日本国内を選ぶ場合は、元のチームとしか契約できない」との当時の日本プロ野球協約の盲点をついた。
94年オフの契約更改で野茂は、最初から任意引退を目的に、あえて法外な契約内容を球団に要求。野茂・団野村の狙いを知らない球団は野茂の任意引退を認めた。
晴れて自由の身となった野茂は、95年にロサンゼルス・ドジャーズとマイナー契約を締結。その年の5月2日、日本人選手として村上雅則以来31年ぶりにMLBのマウンドに立った。
当時の野茂には、日米両国から批判の声が上がっていた。特に日本では、実の父親ですらも息子の行動を非難した。アメリカでも、野茂バッシング(というより、日本バッシング)は少なからずあった。
そんな非難の声を、野茂は自身の代名詞であるトルネード投法で吹き飛ばした。
デビュー戦となった対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦では、5イニングスを無失点。続く4度の先発登板でもスコアボードにゼロを並べ、その月の終わりには奪三振数でナショナルリーグトップに踊り出た。
MLBでの1年目の成績は、13勝6敗。野茂は236個の三振を奪い、新人王・奪三振王のタイトルを獲得した。日米両国で新人王を受賞したのは現在でも野茂ただ1人だ。
トルネード旋風は終わらない。翌96年のコロラド・ロッキーズ戦では、ノーヒット・ノーランを達成。ホームランが出易いロッキーズの本拠地クァーズ・フィールドで行われたこの試合は、雨で開始時間が2時間遅れた。その悪条件の中で、野茂は快挙を成し遂げたのだ。
デトロイト・タイガースに移籍した2000年には、日本人では初めて開幕戦の先発マウンドに上がり、ボストン・レッドソックスでの2001年にはボルチモア・オリオールズ戦で2度目のノーヒット・ノーランを記録した。両リーグでのノーヒットノーランはノーラン・ライアン以来メジャー史上4人目だ。
今でも野茂を「売国奴」呼ばわりする声は少なからずある。だが、野茂は自身の手で非難の声を掻き消し、本人が望んだかどうかは別として、日本人メジャーリーガーのとしてのパイオニアの地位を確固たるものにした。
そのパイオニアが今、新たな戦いに挑んでいる。日米野球史に数々の名を残してきた野茂も今年で40歳。しかも、自身はタンパベイ・デビルレイズ(当時)に所属していた2005年以来、MLBのマウンドを踏んでいない。
そんなブランクのある大ベテランが、MLBのマウンドに立てるのか。仮に挑戦に成功すれば、パイオニアが再びMLBのドアをその手でこじ開けたことになるだろう。
参考)ロバート・ホワイティング「世界野球革命」(ハヤカワ文庫)
野茂が近鉄に入ってきて活躍するのを見るたび,とても嬉しく思い,そして出て行くとき,とても残念に思った一人です。
アメリカのヘソと言われる街で,再びメジャーのマウンドに立つことを期待しています。