広島市は3日、10日からの6月議会で、旧広島市民球場条例を廃止する条例案を再提出することを明らかにした。


 旧球場の解体着手には、旧球場の管理運営を定めた条例を廃止する手続きが必要になる。3月議会で球場解体費用の関連予算案は可決されたが、旧球場条例の廃止案は「市民合意がない」などの理由で否決された。

 広島市民球場は、広島東洋カープの本拠地だったが、カープは2009年シーズンから本拠地をMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に移転。2009年3月22日に行われたオープン戦、対阪神タイガース戦が、旧球場でのカープの最終戦だった。
 主を失った球場ではその後、市民広場や新しい広島商工会議所ビルなどを整備する跡地利用計画が浮上しているが、計画を巡っては、性急な解体に反対する声もあがっている。
 ボクが生涯、一度は行ってみたい球場の1つに、平和台野球場がある。西鉄ライオンズのかつての本拠地だ。

 ボクが西鉄ライオンズに興味を持ったのは、2008年。埼玉西武ライオンズが球団史を振り返るイベント、ライオンズ・クラシックを開催したのがきっかけで、第1回のテーマが西鉄ライオンズだった。
 
 最初は興味本位だった西鉄ライオンズへの関心も、次第に、黄金期を支えた三原脩豊田泰光中西太稲尾和久大下弘仰木彬和田博実らに広がり、いつしか、彼らが一時代を築いた平和台野球場に行ってみたい、と思うようになっていた。

 だが、それも適わぬ夢。平和台野球場は、現存していないからだ。

 1978年にライオンズが埼玉県所沢市に移転した後、平和台野球場は福岡ダイエーホークスが、1989〜1992年から4シーズン本拠にしていた。
 しかし、1987年の球場改修工事の際、「古代アジアの玄関口」と言われる鴻臚館遺跡が発見され、移籍の発掘を進めるとともに、球場を歴史公園として再整備する計画が浮上した。
 折りしも当時、ダイエーが多目的ドーム球場、福岡ドームの建設を計画しており、平和台野球場の閉鎖・解体が決定した。
 1997年に、歴史公園整備の本格着手に伴い、球場は完全に閉鎖された。解体後も、外野スタンド、外壁の一部が残っていたが、2005年の福岡県西方沖地震で外壁に亀裂が入るなどの被害を受け、崩落の危険性が生じたため、それらも2008年4月には完全に撤去された。
3914c422.jpg 今となっては、西鉄ライオンズOB会の有志が発起人となって建立した記念碑が、在りし日の球場を静かに物語るだけになってしまった。


 慣れ親しんだ球場を失うことには、球団に別れを告げるのと同じぐらい、いや、ときにはそれ以上に寂しいものがある。ホークスが福岡に移転する前、本拠にしていた大阪球場もそうだった。

 大阪球場は1988年、ダイエーによる球団買収、福岡への移転に伴い、1950年からの主を失った。翌年1989年から2年間は、近鉄バファローズが準フランチャイズとして年間10試合程度で使用していたが、その後は跡地利用の計画が定まらず、球場は住宅展示場などに利用されていた。
 それでもファンは、球場に自由に入れたので、住宅展示場を前にかつてのホークスナインを思い出すことができた。

 そんな大阪球場も、1988年に解体が決定。スタンドの下の古書街が撤退し、住宅展示場も撤去された。
 ファンは、「さよなら大阪球場」と銘打ったイベントを球場で開催。ロックコンサート、フリーマーケット、ビアガーデン、盆踊りといったイベントを通じ、球場に別れを告げた。
 中でも10月に行われた「さよなら大阪球場! 野球フェスタ98」では、香川伸行南海ホークスOBが駆けつけ、トークショーに参加。他にも、グッズ販売、オークション、野球教室、資料・パネル展示、ビデオ上映などが行われた。
 賑やかなグラウンドとは対称的に、スタンドではファンが、しめやかに想いをフェンスに書きつづっていた。大阪球場での思い出、福岡に移転したホークスへの激励、球団を奪った南海鉄道、ダイエーへの抗議などが並ぶ寄せ書きの中には、漫画家の水島新司が書いたと思われる岩鬼正美、あぶさんこと景浦安武のイラストもあった。

 大阪球場の解体は、11月12日に始まった。外野スタンド、照明灯が取り壊され、2003年には最後に残ったスコアボードも解体された。今では、ピッチャーズプレートとホームプレートがあった位置に記念のモニュメントとプレートが残されるだけになった。


 ダイエーへの譲渡、福岡への移転が決まった1988年、鶴岡一人当時ホークス監督は、最終戦でのファンへの挨拶で、「できることなら早く、この球場を取り壊して欲しい。その方が・・・」と、言葉を詰まらせた。鶴岡当時監督が、どんな気持ちだったのかは、言うまでもないだろう。


 広島市民球場も、できることなら、何らかの形で残して欲しい。老朽化の激しい施設の維持には、莫大なコストがかかるのはわかる。地元としては、この地を活用したいのも、理解できる。

 だが、広島を離れた若者がふと里帰りをした際、少年時代の思い出の地がなくなっていると思うと、その心情をおもんばかり、なんともやりきれない思いにかられる。
 なにせ、彼らにとって広島市民球場は、ホームなのだから。