埼玉西武ライオンズはこのほど、北海道日本ハムファイターズから国内FA権を行使した石井一成の獲得を発表した。背番号「」と、出来高払いを含めて3年総額4億円規模の条件を提示したとみられる。

 日本では「4」は「」を連想させることから避けられがちな数字だが、球界では背番号「4」は特別な意味を持っている。その背番号「4」の主は黒沢俊夫だ。
 1936年に名古屋金鯱軍でプロ野球人生をスタートした後、1944年に東京巨人軍(現在の読売ジャイアンツ)に入団。戦時中から戦後にかけチームの主力として活躍し、特に1946年にはこの年行われた全105試合に出場しリーグ8位の打率.308をマークするなど、焼け跡からの復興を目指す国民に元気と勇気を与えた。
 だが、翌1947年6月に腸チフスで東大病院に入院、33歳の若さで急死した。
 終戦直後の劣悪な衛生環境により、当時日本では4万人以上が腸チフスに罹患したと言われているが、責任感が強かった黒沢は自らの病気をチームに隠し、試合に強行出場。そのことが結果的に命取りとなった。
 遺言は「最期は巨人のユニフォームで葬ってほしい」。球団葬を行った巨人軍は黒沢の栄誉を称え、背番号「4」を、戦死した沢村栄治の「14」とともに永久欠番にすることを発表した。
 もちろん、石井をはじめ現役選手には黒沢と直接の関係はないが、このような歴史があったことを知ったうえで「4」を背負ってほしい。