サイトウ・キネン・オーケストラの1989年9月のヨーロッパ旅行に吉田秀和さんは当時の水戸市の市長らと同行した。これは水戸室内管弦楽団を作り水戸芸術館でコンサートを企画、実施する準備のための視察であった。初日ウィーンでの公演のあと市内でパーティーを行い私は吉田先生夫妻のお世話をすることで対応したがこれが先生との初対面であった。奥様は可愛いくて美しいドイツ人だった。それからベルリンの公演も見ていただき質の高い音楽を広めようとする同志の水戸市一行とは親しくなった。
 水戸室内管弦楽団は9
0年にスタート、SKF松本は92年からスタートした。
 水戸は吉田先生の夢、松本は小澤征爾さんの夢の実現だった。小澤さんは水戸室内管弦楽団の音楽顧問となって協力してきた。水戸は音楽批評や評論する吉田先生自身の理念の実現の場であったと思う。

 吉田先生には幾度か松本にお越しいただき、フェスティバルを高く評価していただいた。

 SKF松本も2002年に10年を経過する記念に記念誌を作ることになり、吉田先生に是非寄稿をと、私は夏の暑さの中鎌倉のご自宅に原稿を頼みに行った。奥ゆかしい和風の家、畳の部屋で先生は白いシャツとステテコ姿、傍らで奥様がおいしい紅茶を入れてくれたことが印象に残っている。その後、記念誌「サイトウ・キネンの心」が完成して早速ご自宅に持参お礼し、しばし歓談した。

 先生は水戸室内管弦楽団の提唱、推進者でもあるので、水戸でもときどきお会いした。その後国も業績を認め文化功労賞、文化勲章の栄誉を受けられ、それが何ともさわやかであった。

 最近では昨年6月、鎌倉に用事があったので折角とお断りもなくお邪魔し玄関でまたステテコ姿の元気な先生と二三言交わしお元気であることを確認した。先生は一瞬お顔を拝見するだけで芸術の気をもらう凄さがあった。それは武士の風格でもあった。

 今年1月22日サントリーホールで水戸室内管弦楽団の公演があった時、先生は楽屋で指揮の小澤さんを訪れお互い体のことを気遣いなから嬉しそうに言葉を交わしていた。それが私との最後であったがその時も吉田先生は98歳と思えない爛爛とした目は健在であった。

 小澤さんにとっては斎藤秀雄さん吉田秀和さんが音楽の上ではかけがえのない師匠であった。その結果小澤さんは世界のオザワになりサイトウ・キネンもここまで成長した。斉藤秀雄先生その人には私は会ったことはなかったが二人がおられなかったら今日のSKF松本も水戸室内管弦楽団もなかったとしみじみ感じている。吉田先生は何時も頭脳明晰、美というものを音楽であれ美術であれまがいものは許さず厳しく追及した人であった。

 今は故人となった吉田先生の魂を多くの人に伝え受け継いで行きたいとサイトウ・キネンの立場から思っています。合掌