都築雄二作品集2「古出来町」、12月発売が決定しました。


「古出来町」・・・雑談


 私のオリジナル曲「古出来町」は、1973年前後に、ほぼ、今歌っている曲になりました。

 そのころ、私は弟の喫茶店を、弟と二人で始めていました。名古屋の古出来町交差点から西に、500mほどの、大松通りというところです。


 その時、自分の店へ向かう友人の車の助手席にいました。 歩道橋をまたいで落ちる夕陽が、あまりにも印象的で、1番の詞のイメージが、スケッチのように記憶にはいったように覚えています。

 私の曲の創り方は、まずリズムを決めます。 というよりは、このリズムで1曲つくりたいと思った時から、曲創りが始まります。

 ジャズワルツ(シャッフルワルツ)に、日本語を見事にのせた曲、浅川マキさんの「かもめ」を聞いて、このリズムで何とか、自分なりの世界を描きたいと熱望していた私は、これだと思ったのかな? 記憶は定かではありません。


 3番は創りましたが、創り直してもしっくり来ない。 結局ない方が良いという結論に達しました。 この曲の詞は、スケッチで、絵画にはしない方が良いなどという言い訳を考え、2番だけの曲にしました。 3番はできませんでした、正直。


 あの頃、名古屋の空にもまだ、かなりのスモッグがかかっていました。 本当に、赤っ茶けた夕陽だったのです。 それと、歩道橋ができたのと同時に、古出来町交差点から、横断歩道がなくなりました。 だから、夕陽の上をみんな歩いたのです。 その後、訴訟が起こり、原告勝訴が確定し、横断歩道が復活しました。 ほとんど利用者の無い歩道橋は、なんか寂しげです。 でも、反訴訟派では決してありません。 訴訟、歩道橋が残っている理由等、私は詳しくありませんので、細部、間違っていたらすみません。


 正太郎(私の弟が付けたニックネーム)さんは、私の学校のクラブ(フォークソング同好会)の後輩です。 ブルースハープ(ハーモニカ)を、私に教えてくれた、先生でもあります。 その喫茶店で、2人で毎日音楽をやっていました。 だから5年でつぶれたのかな・・・。 ともかく、私の音楽との付き合いは、正太郎さんとの数年間が大きかったように思います。


 石原さん(フュージョン、ジャズのトリオTRANSLEX の、ピアニスト)に、アレンジをお願いして、「古出来町」を録音しました。 5曲お願いしたのですが、この「古出来町」だけは、私の身内から異論が出ました。 私の弾き語りバージョン「古出来町」に40年以上付き合ってくれた耳には、違う曲に聞こえたようでした。 私はTRANSLEXバージョン「古出来町」は、大変気に入っていましたので迷いました。 


 残り4曲のアレンジ、ピアノををお願いした、伊藤さんには「古出来町」を、私のわがままを通させて頂いて、弾き語りバージョンの特徴をのこして、録音していただきました。 今回、伊藤さんには5曲お願いしたことになりました。 石原さんのアレンジは4曲収録となりました。 TRANSLEXの皆さんには、本当に申し訳なく思っています。(許可が得られれば、ネットで発表しようかと思っています。)


10番目の、「街角」につきましては、またの機会に聞いていただきたいです。 そして、観音玉藤井さんはサックス、フルートで、9曲に付き合っていただきました。 同じく、またの機会に聞いていただきたいです。 長くなりました、今回はこの辺で。