2006年12月25日
彼ら、デジタル・ネイティブ。
President onlineに『ネアンデルタール人のつぶやき』という記事がある。その記事の中に、“デジタル・ネイティブ”という単語が出てくる。デジタル・ネイティブ。サイバースペースの住民。この単語には非常に重要な意味が含まれている。だが、著者である旧人類のaiai氏をはじめ、多くの人々がその事実を意識的に考えたことはない。
以下、この記事は思いつきで書かれている。よって価値は薄いが、読んでいただけるのであれば、フィクションとして読んでもらいたいと思う。
我々は無意識的に、住民、という単語を使うが、その言葉の意味は定かではない。当たり前である。我々は、サイバースペースに住んでいるわけではなく、あくまで、サイバースペースを“道具”として利用しているに過ぎないからだ。我々がサイバースペースに入り込む時、そこには必ず“情報を求める欲求”が存在する。ニュースを見るためだったり、レシピを探すためだったり、知人の近況を知るためだったりするが、目的は必ず情報にある。暇つぶしだろうが、ビジネスだろうが、コミュニケーションだろうが、目的は変わらない。情報が無ければサイバースペースに行く人はいない。それを忘れてはいけない。
だが、ここまで読んで、違和を感じた人がいるかもしれない。私は別に情報を欲しているわけではないけどサイバースペースには習慣的に行っている、という人々だ。彼らがサイバースペースへ行くモチベーションは定かではない。そう、彼らこそが潜在的な“デジタル・ネイティブ”なのである。明確な情報収集の意志を持ってサイバースペースと繋がる個人とは分けて考えなければならない人々だ。
彼らは、ふと気が付くとサイバースペースにいる。特に目的は無いが、とりあえず行くのである。行ってから、さぁ今日は何をしよう、と考える。何処へ行こう、の場合もある。これを住んでいると言わないで、どう言えばよいのか。彼らはサイバースペースに繋がった瞬間、朝、自宅で起きた状態と何ら変わりない漠然とした気分を抱く。もし明日、サイバースペースから情報が消滅しても、彼らはサイバースペースへ行ってしまうかもしれない。勿論、媒質としての情報が無いサイバースペースは、周りを壁で囲まれた状態と同様なので、移動することはかなわないが。
つまり、サイバースペースでは、移動のたびに、情報が必ず“消費”されるが、情報が目的となりえていない場合がある、ということだ。しかし、あるページに貼られた何らかのURLをクリックする時、そこには必ずリンク先の情報を求めるモチベーションが存在している。それはそれで構わない。現実社会で、家から外に出る時、交差点を右に曲がる時、隣の部屋に移る時、人々は必ずその先で得られる情報をモチベーションとしている。人間は現実だろうがサイバーだろうが常に情報にさらされているし、それ故、情報を避けて通ることはできない。ただ、その個人の存在の前提として、“情報への欲求”が明確に存在しているのかいないのか、ということである。
我々はふと気付くと、この地球上に生を受けている。それは地球という惑星上での原子、分子の循環の一過程に過ぎず、そこに意味などはない。だが、ヒトは生きる意味というものを後天的に設定し、生き続ける。これが、住む、ということである。もし、デジタル・ネイティブが存在すると仮定するならば、明確な意志を持ってサイバースペースと繋がる人は、あくまでそこへ“行っている”のであって、住んでいるわけではないことを明示する必要がある。だが、明確な意志を持たず、気付くとサイバースペースと繋がっていた人は、住んでいると言える。彼ら、デジタル・ネイティブは後天的にサイバースペースに存在する自分自身に存在意義を設定する。情報網の中で知的好奇心を満たし続けるためだとか、多くの友達と出会うためだとか、生きるために生きているなどと言うかもしれないが、それらの全てが存在意義になりえるが、同時に決して真の存在意義にはならない。特に意味はない、という人もいるだろう。この答えこそが最も妥当である。
ここで、ある事実に気付く。それは、人は時にデジタル・ネイティブになる、ということだ。我々の多くがまだサイバースペースを道具として利用しているため、住民の定義に当てはまることになったり、ならなかったりする。だが、我々の子孫はどうだろうか。彼らは物心つく前からマウスを玩具として遊ぶ。モニターに表示されている情報に意味があることを理解するのは言葉を覚えてからだ。とりあえず、いろんな場所をクリックしてみて、様々な画像が出てくることに興奮する。彼らが成長して、君は何故サイバースペースに繋がるんだと聞いても、考えたことはない、よく分からない、などと言うかもしれない。現代社会で生きる意味を考えたことが無い、という人々と同様である。考えたことがなくとも、そりゃあ情報収集のためさ、とか、ブログで友人とコミュニケーションをするためさ、などと、すぐさま理由が口から出る、我々とはまるで存在の意味が異なる。彼らにとっては、リアルな社会も、サイバーな社会も、明確な区別は無く、同じ生きる空間でしかない。
真のデジタル・ネイティブ。まだほとんどの人が会ったことのない彼らについてイメージすることは困難だ。だが、10年後、100年後、そういう人々が出現しないと言い切れるだろうか。彼らはきっと生まれてくるだろう。